浅草寺の北東、隅田川西岸にある_待乳山_は、標高約10mの丘となり、ここに伽藍を構えます。待乳山_聖天は、正式には本龍院といい、浅草寺の支院のひとつとなります。
浅草寺は観光地化の様相を呈しはじめました気風ですが、熱心にお参りをなさっておられる参拝者も多くおられます。
とりわけ待乳山聖天様には信仰心の大いにある方々が参拝なさることで知られています。
私もいつもの参拝ではお賽銭や大根をお供え物とさせていただくに留まりますが、人生の節目になる願い事があるときには浴油祈祷というお願いをさせていただきます。
色々と手を出したくなる。
自分のもつ資金や労力は10だとすれば、それを半分、また半分と半分以下に自力を落とす判断は大企業がなせること。または相当、天賦の才で器用な計画性がある方ができる極地でしょう。
私が自力を分散縮小させ非力でやっていけば、失敗を招きかねません。
なにかを手放して、なにかをつかむ。
そうした選択を迷うとき、自分の頭だけで考えるよりも、幾度も足を運ぶ寺社仏閣でお願いするのが私の習わしです。
私の手は二本です。ご飯のとき物を持つにも右手にお箸、左手にご飯茶碗。それ以上同時に持てません。それ以上を持とうとすれば、おかしなことになります。
両手が塞がっていても、なにかを取り入れたいというなら、無理がおこります。
ご飯茶碗をテーブルにおいてから、お味噌汁のお椀に持ち替えてからいただきます。
それが常套手段。
どんなおっちょこちょいでも、ご飯茶碗とお椀を同時に左手で持って食事するという人はおりません。
そうするメリットよりデメリットのほうが大きいからでしょう。
人は、特に私は、そういった単純なことをすっかり忘れてしまうことがあるものですから。
浴油祈祷のお願いは、そこにはまりそうになったことを自覚する意味ともなります。
ひとまず今年中には本草薬膳学院のコースを終える予定です。その次に、学んだ内容を活かしていくにせよ、誰が薬膳の知恵を求め生活に取り入れていただけるのか。今の段階では広告を打って周知させる段ではございませんから、大人しくしておりますが。いずれ、そこは私なりに行動していきたいと考えています。
本草薬膳学院の通信教育課程のスクーリングが終わり、まだいくつかの課題は山積してはいますが、少しの間勉強をはなれ、ほっとした時間を過ごしています。
以前は国際薬膳師の試験を受ける予定でした。自分にその資格が必要かを自問自答して、不要と判断しました。そこの勉強に費やす時間とお金があれば、四診の運用方法を具体的かつ実践で学ぶことにそれを充てたい。
四診の運用ができなければ、いくら多くの知識が入ってもAさんの体質が厳密に理解できません。Aさんのことが見えていないにもかかわらず、Aさんの体質を言い渡せるのでしょうか。
見えていないままでだした証にもとづいた立法には功罪が生じていくはずです。
その不案内さを消す努めは座学と同時に歩調を合わせてなされるべきでしょう。
中国の東洋医学を学ぶ大学生は、理論と実践を兼ね合わせたカリキュラムで勉強しているようです。
そうであるなら、私自身脈診は習いましたが、、、他はテキストや映像教材のみで、学んでみたところで習得できている実感が育っていないのが現状です。
というのも、手技療法の施術をするときお客様を眼の前にしたとき、施術者がどれだけ多くの技術や知恵を保有しているかが興味関心を抱くものではなく、自分の状態でおきる不具合を的確にわかってくれて対策してくれるかどうかなんです。自分の状態をわかってもいない人に触られたくはないでしょうし、それでは治りが悪いと実感して、二度とそのお客様は来てはくれなくなります。だからこそ手技療法家は、様々な関節の異常を見抜く知識や、身体のアライメントの僅かなスレやねじれを見過ごしません。瞬間芸と呼べる速度で多くの患者様情報をチェック。触りながらチェックもしますし、観察してチェックをしますし、皮膚や臓器の温度や硬さや乾燥をみます。脈のリズムを把握します。
そうしたチェックが適切におこなえるようになってきたとき、お客様ごとの体質上のタイプ分けが容易になってきますし、施術の応用が飛躍的に幅や深さがでてまいります。「AさんとBさん、一見すると症状は別だが、患部の源が一致しているとみえる。だったら別経絡に邪が伝播しておきている状態かな」といったことが見えてくると、Aさんをこれで治せたなら、Bさんもこれでいける・・やっぱり、そうだったよね。となります手技療法は、不安な気持ちが乗った手技は大抵失敗の憂き目を見るものです。お客様も触れられて無意識に拒むものなのでしょう。それが、自信をもった施術者がリズムよく適切な力と呼吸で触れたら、その時点で患部は半分も緩んでしまうことがあるほど。自信を持ってアプローチできることばかりじゃないのが臨床ですが、それゆえに情報戦を制して戦う道具を大切にしているのです。
お客様の状態を鋭く詳細に観れたときほど、自信を持って判断して結果が残せるのです。
そういった手技療法をおこなううえでのボディチェックの重要性を痛感していますから、そこに不安があってお客様自身の状態を決め兼ねたまま物をいうことはできないでしょう。
そこはおそらく私のような施術で臨床を積んできたものであれば、この感覚、わかっていただけるかと思います。
私がまずこのたび7月7日から一週間、浴油祈祷をお願いした心願成就は、どうか四診の運用方法を確実にできるようになれる出会いがありますようにという願いからです。
食材を食薬にするには四診による情報戦が欠かせないはずです。
それが適正にすんだ後に弁証し、対処法の論治がだせる。
それががっちりハマってクリアできた暁に、仕事として運用できるまでとなったとすれば、商売繁盛のご祈祷をお願いしにいけるようになりたい。いくら素晴らしい商品を持っていても、世の中に知られていなければ存在しないのと同じです。「まず種をまき、それから収穫する」のが自然の摂理です。ただし、中身の伴わない欺瞞的な広告はすぐに破滅しますから、手順としてちゃんと四診の運用方法が身について自信を持った立法をお伝えできることが先でしょう。これは決して道理にそぐわないことではないと思うのですが、いかがでしょう?
個人的なことわりですが、年齢的に還暦を越したため今後の老化は加速するでしょう。
生まれ落ちて以来の腎精不足を自覚していますから、率直に言えば身体操作は多少は効いても、特に新しい情報の記憶力や判断力の後退は避けがたい。
気力じゃ持たなくなる境目がくると覚悟しております。
それもあって早めに待乳山聖天様へ参拝させていただいたところも否めません。
最後に余談ですが、
昨日、待乳山をあとにして上野の亜東書店(中国書籍扱う書店)にいこうと考えていました。歩いて30分弱かかりますが、ただいま亜東書店、セール期間中です!
そこでルート検索をするとき亜東書店のホームページをみたら、土日、、、やってませんでした。。。
肩を落としましたが、だったら50分ほど歩けば杉山江島神社があるじゃないかと目的地を変更。
杉山江島神社の御祭神は、杉山和一検校(鍼灸の大変に偉い先生)と江の島の弁財天様です。
実は杉山和一検校の金色の像を飾らせていただいたときから、不思議なほど経絡が手技でつかえるようになって感謝の念を抱いてまして。
敬虔な気持ちで参拝させていただくのが習わしとなっております。
杉山和一検校の像と墓所(実際のお骨はないものの墓所とされているお墓があります)が江の島にあり、
熱くなりすぎる前に、お参りしたいと思う次第です。
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