脳に栄養を与える血管として、
「頚動脈」と「椎骨動脈」の二つがあります。
「頚動脈」は、皆さんも、聞いたことがありますよね。
のどぼとけの高さで、のどぼとけのもう1〜2センチほど首の骨に近い方を指で押さえると、
「どくっ!どくっ!」と脈打っているのがわかります。
こちらが頚動脈。
こちらの頚動脈。
首に関係する筋肉群の筋緊張が強まりショートしたり張りが強まれば、
左右の頚動脈の脈の強さがけっこう大きく差が出ていたり、
頚動脈の脈圧が弱く感じられたり等の異常がでてしまう方もみうけられます。
そしてもうひとつの脳へ血液を運ぶ動脈として、
頚椎のなかを通る「椎骨動脈」があります。
こちらの動脈の脈を取ることをできませんが、
たとえば、頚椎が詰まっていたり、斜頚しているときには気をつけなければなりません。
それは第二頚椎から上部胸椎までぐらいの並びをみるのですが
尋常じゃないつらい肩こり首凝りがあってという場合には、
私が見る限りではほぼ頚椎の椎間板の狭窄(詰まっているということ)があって、
おそらくのことその部位の「椎骨動脈」には動脈がねじれて伸ばされたり詰まらされたりして細くなっているようです。
頚動脈や椎骨動脈に問題があると、
脳内の血液が十分な量が送られてこなくなってしまいます。
通常は、心臓から送られる血流の1/3が脳へ配分されているのです。
それはひとつの器官でこれほどの量の血液を必要とするとは驚異的。
ですがそれだけの仕事をするのが脳内の神経調整力なのでしょう。
もし1/3の量が首の筋肉の筋緊張等で確保できなくなるとどうなるか?
そのときは、まっさきに大脳部分へいく血液量を減少させていきます。
それは脳の中でも呼吸器や循環器や生きるために必要で生命維持に欠くことのできないものは、
脳のなかのほうの奥にあって、そちらへは優先的に血流を送ってサバイバルできるようにするのです。
大脳部分が少しぐらい働かなくても、
息もできれば消化吸収もできるので、
生命維持にはさほど問題ないからと、
ばっさり落としてしまいがちなのです。
するとなかにはそのような脳内に届く血流量が減少して、
思考力が落ちたり、
意欲が減退したり、
性欲が減少したり、
精神的にうつに近い様子を映し出す人も出てくるようです。
または話を広げていえば、
低血圧で上が90台かそれを切るほどになってくるときには、
私の経験上というつたないものですが、
少なからず脳内の血流量も減少していることも多くあります。
だからときとして、
首の筋緊張が解かれて、
首の問題がただされたとき。
頚動脈や椎骨動脈の流れが理想に近づきだすと、
大脳の働きが活発になってきて、
いままでの大脳への血液量ではエネルギー不足というガス欠状態で
うまく活躍できなかった状態〜抜け出すことができるようになった。
すると、けろっと、
「あれっ?私って今までどうしちゃってたのか。。。
気分の優れなかったときのことなど、もう思い出せないなぁ ^-^;」
といえてしまうようになっていく。
ただ首の筋肉の扱いは、硬いからといって、むやみにあまり強い力をかけてはなりません。
施術をするものとして、圧の質を考慮したり、圧をかける方向を計算づくで安全を確保するなど、
いろいろしているから、アプローチをされても後を引かないですむのですが。
一般の首の筋肉特性をご存じない方が無理をされて、
かえって斜頚へとつながったり肩こり鞭打ちなどと、
やっかいなことをこうむることもありますから。
あまりここは自分でがんばりすぎないことも大事です。
顎二腹筋という舌骨を引き上げるためにつかう筋肉の異常があると、
首の筋肉の硬化が緩まりづらいということもあったような気もするし。
また手首や足首という、首という名のつく、頚椎以外の首たちも首で。
頚椎部分を解くと同時に、手首、足首も緩めておかないと、
頚椎部分をいくら解いてもすぐに戻ってしまうケースがあります。
それは斜角筋等が骨以上に硬く感じるほど固定化している方もすくなくなく、
その場合には頭蓋骨部分の縫合部がずれが著しいこともあって、
そちらも相応量平行して緩めていくようにする必要の出るケースもあるので。
そうなると頭蓋骨部分(額関節関連部位を含む)にもリリースの手を伸ばす。
そこまでしても、まだまだ十分にはとりきれないということもあります。
それは首ほど頭部を乗せてその重さに耐えたり、
左右上下前後に動きを持たせたり、
自律神経系のリリースの必須ポイントでもあるし、
かなり複雑な状態に落ち込んでしまっている人が多くいる。
おそらくタブレット状のゲームやスマートフォン等を過剰に使うひとには、
首や肩が異常をきたしやすくて、
それらを使いすぎた人は特に首等のリリースを受けても
自らがまたスマートフォンを見たりゲームをするに対し
もっともそれをやりやすいようなずれた状態に戻してしまうのです。
そこは自分の身を守るためには何をすべきかを、よく考えてください。
賢くならなければならない点だと思います。
最後に。
それじゃ、自分で首を解いていこうかと思うのだがという問いに対して。
頚椎部分は体全身や脳にも変化の影響が出るものなので、
自己責任といって勇気を持って自己治療したとしても、
容易に成功は望めない難しいリリースポイントです。
成功より失敗して後始末が大変。
そんなことで担ぎ込まれる感じになる人もおられます。
最低限、首の解き方についてすこし専門的な本を目を通したほうがいい。
そう思います。
また一般レベルの首の解き方を伝えるものは、
かなり大雑把で効果が薄くしか出ないものか、
施術基礎の力がない方には舌足らずで危険なものも。
第一に、人それぞれ頚椎部分の問題のパターンは多様に違っているのだから、
それぞれにあった対処法をしていかないと、
ある人には効いても、ある人には効かない、またはダメージが加えられるなど、
難しいところもあるので。。。
私ごとですが、私が今までみた首について書かれた一般書レベルのマッサージ本には、
あまりこれいい!といううならされたものはなかったので。
それだけ注意が必要です。
(またむろん、私がすべての首関係の本を熟知しているわけではないので、
それだけ慎重に選ぶ目を持とうという警鐘を鳴らさせていただいたことになります。
それは実際に、6名ほどのお客様が、自己流で首を緩めようとして、
シビアな状態に陥っていったことを経験して後悔したとのこと。
そして首がずれるということは第一頚椎がずれて硬膜部の引き連れもおきるので、
それがもとで自律神経系の問題にまで発展してしまうことがあるものなのです)
2018年08月30日
2018年08月06日
中斜角筋による首をゆるめ伸ばす方法
首を伸ばすときのやり方
首の周囲の筋肉が極度に凝り固まっている方は、
これからの話は除きます。
すでに起立筋が上下全体が深くリリースされている方に有効なアイデアです。
すでに抗重力筋としての起立筋群がゆるんでいるのだが、
なかなか首の詰まりがあって伸びない人にとても有効なものです。
首を緊張させて短縮させるパターンを持っている人は、
かなりの割合で奥歯の噛みぐせがあります。
別段、奥歯を強く噛むような必要もないのだが、
つい習慣的に奥歯を無意識的に噛んでしまう。
すると、この癖が強い人は、
頭部の側頭部にある左右の両側頭筋を捉えホールドしつつ、
後頭骨下端を支えあげていくことで、
頭部の蝶形骨を水平に、そして耳と肩峰を並べようとしたとき。
瞬間芸的には理想状になるかもしれないが、
それはまったく長続きできないものです。
そればかりか修正を短期間に繰り返しすぎれば、
過矯正による反動が襲いかかってくるものです。
それは頚椎第1の状態が不安定になってしまい、
全身にそのずれの不具合が及ぶこともあります。
専門家が繊細な微調整をしてどのような落としどころへ調整をするのかがわかっているならまだしも、
そうでなければ、
一般の方は過ぎた矯正はかえって体に甚大な後へ残るダメージを与える。
そしてこのダメージを治せる人は専門家でもそんなに多くはおられません。
そのような注意すべきリスクが含まれているのですね。
それではもう少し安全に、より良い状態を習慣化させてケアしていきたいでしょう。
そのような方の場合、
私がお客様の首をチェックする際には
中斜角筋が少し外方へでっぱって緊張している形状が見て取ることができます。
これは私自身が施術をして気づいたところなので、
ほかの方も同様のことを見ているかどうかはわかりませんが、
ある程度の実施成果が挙げられているものです。
この左右の中斜角筋を同時に軽微な継続的なずり庄をかけることで、
首がほっそりしだしていった人を、私は幾例も見ております。
やり方は実際にレクチャーしなければ感覚的にはつかみづらいと思いますが、
要点をかいつまんで説明させていただくと、次のよう。
お客様自身で中指と薬指を使い、
自身の左右の中斜角筋を比較的に軽い30グラム程度の庄で上方へと牽引(ずり庄)するのです。
これくらい軽い庄なら頚動脈に悪影響が起こる心配もでてきません。
中指があたっている部分の斜角筋の硬化部分は、
呼吸に合わせて筋肉が上下に動く様子をつぶさに観察するようなセンサーモードの手指にすればするほど、
不思議なほど緩み出す瞬間を迎える反応がでる人もいるので興味深い。
このエクササイズ状態を、
一日に30秒程度を2〜3回繰り返します。
(※ もしおこなっているときに、体調が悪くなる等感じた際は、筋緊張が強すぎか、またはずり庄が強すぎるときもあります。
様子を見ながら観察的に行うか、やめるかをご判断ください)
やってみると個人差もありますが
早くて二週間もすれば、
見た目上、首が長くなり出した印象を対面する相手に与えられるようになるでしょう。
この中斜角筋のずり庄をかけると、
それと同時に、頭の重さがフッと軽く感じだし、
体の前面が上方に軽く浮き立つような感覚へ。
そして胴体もよく上下に伸びつまりが消えていく。
腰の詰まりが減っていく感覚ももてるでしょう。
そして視点はいつも見ている目の高さよりも、
明らかにちょっと高いところから見ている。
結構気分がいい。
みぞおちが緩み伸び上がり呼吸もしやすくなってくる。
最後に、
これはある程度、起立筋群が上から下まで全般的にすでにリリースが進んだ時にやってみることをお薦めします。
背中側の筋肉が全体的に柔軟性が薄まって感じられる人は、
私の施術をお受けいただけるのがベストだと思いますが、 ^-^
たとえばランブルローラーやストレッチポールなどを使って起立筋群を緩める習慣をもった方などにも、
いい効果がでているようです。
首の周囲の筋肉が極度に凝り固まっている方は、
これからの話は除きます。
すでに起立筋が上下全体が深くリリースされている方に有効なアイデアです。
すでに抗重力筋としての起立筋群がゆるんでいるのだが、
なかなか首の詰まりがあって伸びない人にとても有効なものです。
首を緊張させて短縮させるパターンを持っている人は、
かなりの割合で奥歯の噛みぐせがあります。
別段、奥歯を強く噛むような必要もないのだが、
つい習慣的に奥歯を無意識的に噛んでしまう。
すると、この癖が強い人は、
頭部の側頭部にある左右の両側頭筋を捉えホールドしつつ、
後頭骨下端を支えあげていくことで、
頭部の蝶形骨を水平に、そして耳と肩峰を並べようとしたとき。
瞬間芸的には理想状になるかもしれないが、
それはまったく長続きできないものです。
そればかりか修正を短期間に繰り返しすぎれば、
過矯正による反動が襲いかかってくるものです。
それは頚椎第1の状態が不安定になってしまい、
全身にそのずれの不具合が及ぶこともあります。
専門家が繊細な微調整をしてどのような落としどころへ調整をするのかがわかっているならまだしも、
そうでなければ、
一般の方は過ぎた矯正はかえって体に甚大な後へ残るダメージを与える。
そしてこのダメージを治せる人は専門家でもそんなに多くはおられません。
そのような注意すべきリスクが含まれているのですね。
それではもう少し安全に、より良い状態を習慣化させてケアしていきたいでしょう。
そのような方の場合、
私がお客様の首をチェックする際には
中斜角筋が少し外方へでっぱって緊張している形状が見て取ることができます。
これは私自身が施術をして気づいたところなので、
ほかの方も同様のことを見ているかどうかはわかりませんが、
ある程度の実施成果が挙げられているものです。
この左右の中斜角筋を同時に軽微な継続的なずり庄をかけることで、
首がほっそりしだしていった人を、私は幾例も見ております。
やり方は実際にレクチャーしなければ感覚的にはつかみづらいと思いますが、
要点をかいつまんで説明させていただくと、次のよう。
お客様自身で中指と薬指を使い、
自身の左右の中斜角筋を比較的に軽い30グラム程度の庄で上方へと牽引(ずり庄)するのです。
これくらい軽い庄なら頚動脈に悪影響が起こる心配もでてきません。
中指があたっている部分の斜角筋の硬化部分は、
呼吸に合わせて筋肉が上下に動く様子をつぶさに観察するようなセンサーモードの手指にすればするほど、
不思議なほど緩み出す瞬間を迎える反応がでる人もいるので興味深い。
このエクササイズ状態を、
一日に30秒程度を2〜3回繰り返します。
(※ もしおこなっているときに、体調が悪くなる等感じた際は、筋緊張が強すぎか、またはずり庄が強すぎるときもあります。
様子を見ながら観察的に行うか、やめるかをご判断ください)
やってみると個人差もありますが
早くて二週間もすれば、
見た目上、首が長くなり出した印象を対面する相手に与えられるようになるでしょう。
この中斜角筋のずり庄をかけると、
それと同時に、頭の重さがフッと軽く感じだし、
体の前面が上方に軽く浮き立つような感覚へ。
そして胴体もよく上下に伸びつまりが消えていく。
腰の詰まりが減っていく感覚ももてるでしょう。
そして視点はいつも見ている目の高さよりも、
明らかにちょっと高いところから見ている。
結構気分がいい。
みぞおちが緩み伸び上がり呼吸もしやすくなってくる。
最後に、
これはある程度、起立筋群が上から下まで全般的にすでにリリースが進んだ時にやってみることをお薦めします。
背中側の筋肉が全体的に柔軟性が薄まって感じられる人は、
私の施術をお受けいただけるのがベストだと思いますが、 ^-^
たとえばランブルローラーやストレッチポールなどを使って起立筋群を緩める習慣をもった方などにも、
いい効果がでているようです。
2018年07月16日
第3腰椎の両サイドの筋肉状態をチェックすると、体全体のエネルギーの有無が推測されるということ
解剖学の知識となりますが、
腰椎は5つあるといわれています。
意外や意外に、個性があって背骨の椎骨の数を数えたら、ひとつ多いとか少ないとか、、、
イレギュラーなケースもあるのは事実ですが、
ここは一般的な話としまして。
5つある腰椎の椎骨の中でも第3腰椎。
こちらにからだ全体のエネルギーが集中してくる部分とされていて、
私が今習っているボウエンテクニックでは、まっさきにここにアプローチを加えるのです。
最近は施術をするときに常にこの第3腰椎の両サイド部分の圧をかけることから始めていますので、
施術を受けている方にはおなじみになっていると思います。
この部分の左右で言うと左をアプローチしてから右に移ります。
そうすると左右のどちらかの第3腰椎の高さの腰の筋肉が硬くなっているか。
またはどちらのその位置の高さが高低が生じているものなか。
そのように腰部の硬さと高さの均衡をチェックすることにより、
全身に関わる歪みの様子が、そこにあらわされているものです。
ですので、私が第3腰椎の両サイドの腰の筋肉を圧をかけてアプローチしているときに、
「左側に刺々しいしこりが側方に突き出しているのが感じられる!」
ということを私がチェック。
左側の第3腰椎の横のしこりが大きかったり硬かったり動きが制限が厳しいなら、
体の左側全体にエネルギー不足が懸念されているということ。
つまり筋力もそちらが全体的に弱化しているんだろうなということを推測できるわけです。
あとは特徴的に第3腰椎の反りがきつければ大腰筋というコアの筋として最たるもののパワーが発揮しにくい状態だということ。
大腰筋は腎経の経絡を持つ筋肉でもあり、精力の有無にも関わってくることが知られています。
腰椎の形状的には。
第3腰椎部分の両側の腰の筋肉が硬化しているならば、
大抵は腰椎が全体的に前弯していることがほとんどです。
その腰椎の前弯(前側にそそり出てしまっているという状態)であれば、
その前ぞりした最も前方に突き出された第3腰椎で、
その高さから上と下とがくっきりと乗っかりの悪く分断された状況になって「二分されてしまっている」ということです。
もちろん、体全体は二分するというのは都合が悪い。
全体的に一体化した統合された状態のほうが脳が身体の動きをスマートに計算しやすく、
動く際に筋肉や関節にもストレスなく操れるようになります。
それが、第3腰椎が前反り状態であって、
左右の腰の筋のどちらかかまたは両方にしこりがあれば、
一気に立ち居振る舞いをする際に重力との釣り合いが取れなくなって、
筋緊張を恒常的にし続けなければならないという状況に陥ってしまうのです。
そういったこともありますので、
ご自身で左右の腰裏の第3腰椎の高さの筋肉を触って硬さ等の状態を調べていただくか、
または施術を受けているときに聞き耳を立てるかのごとく自身の腰部分の筋肉を圧せられたときに、
どのような状態であるのかを注意を払ってみてください。
おそらく自分でチェックするよりも、他者にチェックされてみたほうが
その左右差の違いに大きく気づくところがあるかもしれません。
そして同時に、施術を受けていただいているお客様には、
その腰部の自身のしこり部分が前回やまたはそれ以前の状態とどのような変化が起きたものか。
そこにも注視していただいて、自身の状態改善の指標としていただくのも良いでしょう。
腰椎は5つあるといわれています。
意外や意外に、個性があって背骨の椎骨の数を数えたら、ひとつ多いとか少ないとか、、、
イレギュラーなケースもあるのは事実ですが、
ここは一般的な話としまして。
5つある腰椎の椎骨の中でも第3腰椎。
こちらにからだ全体のエネルギーが集中してくる部分とされていて、
私が今習っているボウエンテクニックでは、まっさきにここにアプローチを加えるのです。
最近は施術をするときに常にこの第3腰椎の両サイド部分の圧をかけることから始めていますので、
施術を受けている方にはおなじみになっていると思います。
この部分の左右で言うと左をアプローチしてから右に移ります。
そうすると左右のどちらかの第3腰椎の高さの腰の筋肉が硬くなっているか。
またはどちらのその位置の高さが高低が生じているものなか。
そのように腰部の硬さと高さの均衡をチェックすることにより、
全身に関わる歪みの様子が、そこにあらわされているものです。
ですので、私が第3腰椎の両サイドの腰の筋肉を圧をかけてアプローチしているときに、
「左側に刺々しいしこりが側方に突き出しているのが感じられる!」
ということを私がチェック。
左側の第3腰椎の横のしこりが大きかったり硬かったり動きが制限が厳しいなら、
体の左側全体にエネルギー不足が懸念されているということ。
つまり筋力もそちらが全体的に弱化しているんだろうなということを推測できるわけです。
あとは特徴的に第3腰椎の反りがきつければ大腰筋というコアの筋として最たるもののパワーが発揮しにくい状態だということ。
大腰筋は腎経の経絡を持つ筋肉でもあり、精力の有無にも関わってくることが知られています。
腰椎の形状的には。
第3腰椎部分の両側の腰の筋肉が硬化しているならば、
大抵は腰椎が全体的に前弯していることがほとんどです。
その腰椎の前弯(前側にそそり出てしまっているという状態)であれば、
その前ぞりした最も前方に突き出された第3腰椎で、
その高さから上と下とがくっきりと乗っかりの悪く分断された状況になって「二分されてしまっている」ということです。
もちろん、体全体は二分するというのは都合が悪い。
全体的に一体化した統合された状態のほうが脳が身体の動きをスマートに計算しやすく、
動く際に筋肉や関節にもストレスなく操れるようになります。
それが、第3腰椎が前反り状態であって、
左右の腰の筋のどちらかかまたは両方にしこりがあれば、
一気に立ち居振る舞いをする際に重力との釣り合いが取れなくなって、
筋緊張を恒常的にし続けなければならないという状況に陥ってしまうのです。
そういったこともありますので、
ご自身で左右の腰裏の第3腰椎の高さの筋肉を触って硬さ等の状態を調べていただくか、
または施術を受けているときに聞き耳を立てるかのごとく自身の腰部分の筋肉を圧せられたときに、
どのような状態であるのかを注意を払ってみてください。
おそらく自分でチェックするよりも、他者にチェックされてみたほうが
その左右差の違いに大きく気づくところがあるかもしれません。
そして同時に、施術を受けていただいているお客様には、
その腰部の自身のしこり部分が前回やまたはそれ以前の状態とどのような変化が起きたものか。
そこにも注視していただいて、自身の状態改善の指標としていただくのも良いでしょう。
2018年04月06日
大腰筋を伸筋として使う歩き方(昨日アップした内容をリライトしました^-^)
昨日:こちらの書き込みをさせていただいたのですが、
出掛けのバタバタした時間に、再読をせずにアップしたためわかりづらさが目立ちました。
それにより加筆訂正させていただきました。(2018年4月7日午前11時50分)
お客様の補講用に、ざっとだけ文章化させていただきますね。 ^-^
おそらく大腰筋が伸筋扱いできる概念がないと、
なにをいってることかわかりづらいと思います。
m__m
後日、時間を見つけて、わかりやすく解説できれば。
1、姿勢が大事です。(立位の自然体)
まずは脊椎を骨で立てて積み上げる感じにします。
その際の意識は起立筋、腰方形筋等は緩め伸ばす感じですね。
施術中にお伝えしているレベルのまっすぐ度合いで立てるというのが基本です。
・胸の位置、胸は下を向いていないか、上を向きすぎていないか。
・頭の位置、頭は前傾していないか?
・肩は内旋していないか?
・横隔膜の挙上により、大腰筋のたるみをとっているかどうか?(呼吸力)
・吊り腰(胸椎11番当たりの皮膚一枚を軽く上方へスラッグした感じ)になっているか。
・その他、、、、。
これ以外にも注意点はあるのですが、まずはこれくらいを意識していきましょう。
立位の自然体がよく整えられているかどうか。
その練の深さで大腰筋を伸筋として活かす歩法がこともなげにできるかどうか、決まります。
ただうまく立つこと自体が、やってみると要所に筋膜の癒着等があれば難しいので、
できる範囲でやってみるのが大切です。
日々意識をもって練習に取り組むようにするのがいいでしょう。
まずは、自然体で骨、靭帯、腱を活かして立てるように。
そこが大切な大腰筋を活かして歩くための前提ポイントです。
筋肉という伸長したり収縮する不安定さがある部分を意識して立つ場合、
どうしても筋肉を縮めていくことで処さを操作しようとしがちです。
多くは体の前面にある呼吸に関係する筋肉群を固めて体軸が前傾させる。
そのような立位グセを持つ方が多いようです。
体軸が垂直から傾斜した時点で、
筋拘縮を起こして転倒を防ぐ防衛的反射が起こります。
前面の筋を筋硬化させ、あたかもつっかえ棒を体に仕込んでしまうのです。
その時点で全身の関節は、すでに詰まりがでて、運動しづらい状態ですね。
省エネで立つ訓練の一環として、
少しずつ筋肉を使わなくても立てる意識へ、スライドしていくよう練習しましょう。
2,大腰筋歩行のための下準備 足底を浮かせる
以下、右脚を前に出すというムーブメントの分解説明です。
両足で立つ状態。
そこから右脚を前に送り出す場合に、どのようにするか。
左側の大腰筋を伸長させて腸骨ごと下方へと押し込みます。
バランスを崩さずにそのまま立つことができれば、
脱力をした右脚部の右足底が空中に浮き出します。
足底の空中浮揚状態を作り出し、摩擦を消します。
体を運ぶ際の、最小限の必要な部分を持ちあげるだけで済ませるのです。
3,大腰筋・内転筋群・ハムストリング・ふくらはぎ及びアキレス腱を使った後ろ押しへ
以下、右脚を前に送り出すムーブメントの分解説明です。
2,により右足部底が空中に浮いた状態になっておりますね。
右脚を前に出すことで一歩となるのですが、
右足部分へ意識を配る必要はありません。
もし右脚を前に進めようとすれば、
その時点で膝に力みが入りだして、
大腿直筋等の体を前方へと進めることに対してのブレーキをかける筋肉が作動します。
意識を置くべきは、後ろへの力配りのみです。
左側のハムストリングを後方へ押し出そうと言うところでしょう。
注意すべき点は、左足で「地面を蹴る」のではありません(理由は後に書きます)。
実際は、こなれてくれば左側の大腰筋の回転を解く力や内転筋の伸張力、
ふくらはぎ及びアキレス腱という身体後面へと力を送り出すことになります。
その後面へと漕ぎだす力を借りて、
骨盤の右側が前方に向かい中心になる脊椎意識をした回転軸を活かしつつ回転していく。
(※骨盤は前傾や後傾、左右に傾斜するようなことのないよう地面に対して水平にキープ
骨盤の傾斜があればエネルギーロスになるだけでなく、
大腿直筋等の力みが先走り大腰筋をつかった動きはうまく実りません)
すると、ここからは、自動で勝手に体が反射的操作がなされだします。
浮足となった脱力している右脚部は振り子を前へと進められたように振れる感じに動き出します。
そのときは右脚部の膝が不用意に曲がったりはいたしません。
右足部が重りが仕込まれているような感じをイメージすれば、
振り子感覚を可変性ある動きにすることもできるでしょう。
そうなると大腰筋上端の付け根部分から足先まで、
まさしく脚がしなやかに連綿と流れ連なるように見えてきます。
つまり大腰筋を使った私のイメージする歩行では、
立位での垂直軸と、
骨盤や胸郭や頭部の水平軸を綺麗に維持すること。
体幹内部で骨格の位置関係を感じ、つねに修正がかけられて、
整えられるよう調整可能な状態を身につけて置くことも大事ですね。
■大腰筋を活かした歩行で蹴らない歩きを心がけてほしい理由
・地面の接している足裏で、地面をことさらに蹴ることはありません。
地面を蹴れば体の上下動が生じ、脳のブレにもつながり歩行中の思考が低下するものです。
必要以上に体を持ち上げて下げれば重力に逆らった過剰な運動とされ、
それは皆様が想像する以上に大きなエネルギーロスになりますから、省エネでいきましょう。
・地面を蹴った瞬間、反射的に大腿直筋や外側広筋等の、
進行を妨げるブレーキ筋を作動させてしまうことになる。
大腰筋と大腿直筋は、両方を同時に機能的な使役が不可能な取り合わせ筋です。
・蹴って歩くと、それにより慣性の法則を活かした歩き方が実感できなくなります。
それが、一歩になります。
出掛けのバタバタした時間に、再読をせずにアップしたためわかりづらさが目立ちました。
それにより加筆訂正させていただきました。(2018年4月7日午前11時50分)
お客様の補講用に、ざっとだけ文章化させていただきますね。 ^-^
おそらく大腰筋が伸筋扱いできる概念がないと、
なにをいってることかわかりづらいと思います。
m__m
後日、時間を見つけて、わかりやすく解説できれば。
1、姿勢が大事です。(立位の自然体)
まずは脊椎を骨で立てて積み上げる感じにします。
その際の意識は起立筋、腰方形筋等は緩め伸ばす感じですね。
施術中にお伝えしているレベルのまっすぐ度合いで立てるというのが基本です。
・胸の位置、胸は下を向いていないか、上を向きすぎていないか。
・頭の位置、頭は前傾していないか?
・肩は内旋していないか?
・横隔膜の挙上により、大腰筋のたるみをとっているかどうか?(呼吸力)
・吊り腰(胸椎11番当たりの皮膚一枚を軽く上方へスラッグした感じ)になっているか。
・その他、、、、。
これ以外にも注意点はあるのですが、まずはこれくらいを意識していきましょう。
立位の自然体がよく整えられているかどうか。
その練の深さで大腰筋を伸筋として活かす歩法がこともなげにできるかどうか、決まります。
ただうまく立つこと自体が、やってみると要所に筋膜の癒着等があれば難しいので、
できる範囲でやってみるのが大切です。
日々意識をもって練習に取り組むようにするのがいいでしょう。
まずは、自然体で骨、靭帯、腱を活かして立てるように。
そこが大切な大腰筋を活かして歩くための前提ポイントです。
筋肉という伸長したり収縮する不安定さがある部分を意識して立つ場合、
どうしても筋肉を縮めていくことで処さを操作しようとしがちです。
多くは体の前面にある呼吸に関係する筋肉群を固めて体軸が前傾させる。
そのような立位グセを持つ方が多いようです。
体軸が垂直から傾斜した時点で、
筋拘縮を起こして転倒を防ぐ防衛的反射が起こります。
前面の筋を筋硬化させ、あたかもつっかえ棒を体に仕込んでしまうのです。
その時点で全身の関節は、すでに詰まりがでて、運動しづらい状態ですね。
省エネで立つ訓練の一環として、
少しずつ筋肉を使わなくても立てる意識へ、スライドしていくよう練習しましょう。
2,大腰筋歩行のための下準備 足底を浮かせる
以下、右脚を前に出すというムーブメントの分解説明です。
両足で立つ状態。
そこから右脚を前に送り出す場合に、どのようにするか。
左側の大腰筋を伸長させて腸骨ごと下方へと押し込みます。
バランスを崩さずにそのまま立つことができれば、
脱力をした右脚部の右足底が空中に浮き出します。
足底の空中浮揚状態を作り出し、摩擦を消します。
体を運ぶ際の、最小限の必要な部分を持ちあげるだけで済ませるのです。
3,大腰筋・内転筋群・ハムストリング・ふくらはぎ及びアキレス腱を使った後ろ押しへ
以下、右脚を前に送り出すムーブメントの分解説明です。
2,により右足部底が空中に浮いた状態になっておりますね。
右脚を前に出すことで一歩となるのですが、
右足部分へ意識を配る必要はありません。
もし右脚を前に進めようとすれば、
その時点で膝に力みが入りだして、
大腿直筋等の体を前方へと進めることに対してのブレーキをかける筋肉が作動します。
意識を置くべきは、後ろへの力配りのみです。
左側のハムストリングを後方へ押し出そうと言うところでしょう。
注意すべき点は、左足で「地面を蹴る」のではありません(理由は後に書きます)。
実際は、こなれてくれば左側の大腰筋の回転を解く力や内転筋の伸張力、
ふくらはぎ及びアキレス腱という身体後面へと力を送り出すことになります。
その後面へと漕ぎだす力を借りて、
骨盤の右側が前方に向かい中心になる脊椎意識をした回転軸を活かしつつ回転していく。
(※骨盤は前傾や後傾、左右に傾斜するようなことのないよう地面に対して水平にキープ
骨盤の傾斜があればエネルギーロスになるだけでなく、
大腿直筋等の力みが先走り大腰筋をつかった動きはうまく実りません)
すると、ここからは、自動で勝手に体が反射的操作がなされだします。
浮足となった脱力している右脚部は振り子を前へと進められたように振れる感じに動き出します。
そのときは右脚部の膝が不用意に曲がったりはいたしません。
右足部が重りが仕込まれているような感じをイメージすれば、
振り子感覚を可変性ある動きにすることもできるでしょう。
そうなると大腰筋上端の付け根部分から足先まで、
まさしく脚がしなやかに連綿と流れ連なるように見えてきます。
つまり大腰筋を使った私のイメージする歩行では、
立位での垂直軸と、
骨盤や胸郭や頭部の水平軸を綺麗に維持すること。
体幹内部で骨格の位置関係を感じ、つねに修正がかけられて、
整えられるよう調整可能な状態を身につけて置くことも大事ですね。
■大腰筋を活かした歩行で蹴らない歩きを心がけてほしい理由
・地面の接している足裏で、地面をことさらに蹴ることはありません。
地面を蹴れば体の上下動が生じ、脳のブレにもつながり歩行中の思考が低下するものです。
必要以上に体を持ち上げて下げれば重力に逆らった過剰な運動とされ、
それは皆様が想像する以上に大きなエネルギーロスになりますから、省エネでいきましょう。
・地面を蹴った瞬間、反射的に大腿直筋や外側広筋等の、
進行を妨げるブレーキ筋を作動させてしまうことになる。
大腰筋と大腿直筋は、両方を同時に機能的な使役が不可能な取り合わせ筋です。
・蹴って歩くと、それにより慣性の法則を活かした歩き方が実感できなくなります。
それが、一歩になります。
2017年12月05日
一部に存在するだろう筋膜の癒着と筋退化の表裏のバランス関係について
ずっと以前ですが、
メールでのお問い合わせをいただきましたことをふと思い出しました。
「鈴木さん(←私の事)。
一度筋膜を緩めたら戻らないってどこかの施術院の先生に聞いたんだけど。
そんなことはないわよね。」
という自己完結型の問いの投げかけでした。 ^-^;
「はい! そんなことありません!!」
体の仕組みについてよくわかっておられますね〜。
「癒着して硬化した筋膜を緩めたら、二度とそれは戻らない」という説明は生理学的にありえない話です。
筋膜の癒着は生理的現象ですから。
筋肉を負荷高く使いましたら、必ずといえるほど筋膜は癒着してきます。
その癒着は創られて緩められリセットされるものです。
その繰り返しの仕組みで、筋肉のコンディションが維持成り立っている。
適量ほどの筋膜の癒着ならば、日々、寝たり体を深く休めたりすることで緩む。
すやすやと赤ちゃんのような気持ちで深い睡眠レベルに達するとき。
深く安定した脳波状態に、ほんの数秒ほど至るのですが、
そのときに体の筋膜を緩めてくれるといっていいような
体中の関節をさっとユルユルにしてくれるホルモンが出るそうです。
深い瞑想状態に入ったときにもそのような脳波の波形が現れてくれ、
そのようなときにも同様なホルモンが出てくれるといいますから。
他にもそのような筋膜を緩ませる機会が複数あります。
それで筋膜は日々、つくられて、日々、緩められます。
そのような筋膜の創造と破壊が繰り返されて、
若く快活かつ健康な体の状態は保たれている。
筋膜の癒着が進んだ状態は、
筋膜の癒着という負債が多くなりツケが過剰になったときのようなもの。
いわば筋膜の生理的なリセットが効く以上に
筋膜の癒着という負債をためてしまったという状態です。
現状維持という状態の安定化もありますが、
そのようなツケをためてしまう借金生活をしているのか、
どんどん今までためたツケを支払ってさっぱりするのか。
そのような筋膜の癒着の蓄積した負債分を低減していく代行を
プロの筋膜リリースをする施術ではさせていただいているのですね。
筋膜の癒着と、意外にごっちゃにされそうなものがあって、
注意しなければならないこともあります。
それは、、、
筋肉は「適正な使い方」で「適度に使って」いなければ『 退化 』するということです。
これも生理的な現象ですから、道理はわかりやすいと思います。
退化した筋肉をお持ちの方は、
筋膜の癒着で窮する方々と同様の問題が含まれています。。。
オーバーユース気味に筋膜を癒着させて、
コリコリっと筋肉が固くて困っているんですよ〜という方のほうが、
断然、施術では対応して手応えを感じられる分野なのです。
そもそもですが、
適度に筋肉を使う機会を持てていないため退化した筋肉も、
様々な代謝不足や不良姿勢の維持促進など問題を多数引き起こすのです。
人は感情の生き物です。
私は施術中に退化した筋肉についてあまり指摘しないのです。
私が言われるほうだとすれば
「筋肉が緊張して固くなっていますね。それではそこを解いていこう」
というのはなんとなく受け止められるのですが、
が、
「あなたの筋肉のこことここらへんはかなり退化していますね。」
などといわれれば、
おぉ、、、緊張よりも年老いた感じの退化イメージが自分に入り込んでいるっていうのか!?
といったショックを受けるような気がしていまして。
それでほぼ直接的に退化した筋肉部分について言及することはありません。
ですが実際に人体をしっかと見ていくならば。
筋膜の癒着場面の裏側に硬直した筋肉があり、
退化した筋肉が潜んでいることが多いのです。
私にはそれがセットに成ってバランスをとっているのが、
体の硬化が進み始めた状態として初期〜中期では現れて、
陰陽のバランスのような存在としてあり続けているように目に写って見えています。
やがてその状態が悪化が進めば、
末期に近い筋膜の骨化まで至るとその限りでもなくなる。
陰陽のバランスのような筋膜の癒着部と筋肉の退化部のバランスが読めないか読みづらくなるのです。
生命力がその場の組織から大幅に削られていいるように、
その皮膚を触り温度や発する生体電流のようなもの等の様子から感じ取ります。
そこまで虚弱化していくまで、
複雑な経路を辿って筋膜の癒着が固まり骨のようになるためかもしれませんが、
退化した状態が強くなった裏側に隠れた筋膜の硬化部分について、
脳のなかで骨化が進めば場当たり的にその筋膜の癒着部を本当に骨としてしか認識しなくなる。
そういったことなのかと、勝手な推測をいたしております。
実際はどうなのか、わかりませんが、非常に体質的にも改善しづらい状態です。。。
もう少し詳細に見ていきましょう。
たとえば腰椎を支えるのは大腰筋と起立筋の4本の柱ですが、
大腰筋の利用が適正になされておられていない方々は多くおられます。
江戸時代と今とでは、生活様式自体が大代わりしたからか、
伸筋としての大腰筋の筋パワーの発揮について自然体ではできていない。
そのようなところに陥っているという人々についていえるのも、
大腰筋という筋肉が適正かつ適量に働けなくなった退化、そして退行が起きているのです。
たとえばですが、
それは大腰筋のへそしたあたりの部分は過緊張で癒着が進行しすぎているのだが、
横隔膜がほぼほぼ使えずにおられて弓状靭帯が上部大腰筋と同期して使わずにいたままになっており、
そちらの大腰筋部分は退化しているということもありまして。。。
一本の筋肉でも、部位ごとに詳細に見れば、
筋膜の癒着が進んだ部分と退化が進行した部分が混在しているところもあるんです。
そこまでくると、施術の心得がある方でも、あまり意識して分けていない人もいるようですし、
まさに重箱の隅をつつく得意技がでるところです。
でも実際にプロとして筋膜リリースの施術をさせていただいてますと、
治療点といえそうなところはその重箱の隅をつついたところに書いてあるような気がします。
そこに目配りができるようになってから、
施術をする私もなにか一つ山を越えた感じがしたことがあります。
そのように一本の筋肉でも、
全体像を把握してからディテールに焦点を当てて、また引いた目で全体像を確認しています。
そちらを数回おこなう過程で、少しずつものがみえてくるようです。
そして施術院に通われるお客様の中には一定量の人数の割合で、
このような筋肉が退化して虚弱化した状態の進んだお客様もおられるわけです。
・・・実際は絶対にいい体の部分を見つけだして、
そちらに意識を向けていただいたほうが改善には有利に働くことが多いので、
そちらへ、そちらへと目を向けてもらえるよう誘導をするよう心がけてます。
私だったら、そうしてほしいなと思えることをするようにしたいと思います。
メールでのお問い合わせをいただきましたことをふと思い出しました。
「鈴木さん(←私の事)。
一度筋膜を緩めたら戻らないってどこかの施術院の先生に聞いたんだけど。
そんなことはないわよね。」
という自己完結型の問いの投げかけでした。 ^-^;
「はい! そんなことありません!!」
体の仕組みについてよくわかっておられますね〜。
「癒着して硬化した筋膜を緩めたら、二度とそれは戻らない」という説明は生理学的にありえない話です。
筋膜の癒着は生理的現象ですから。
筋肉を負荷高く使いましたら、必ずといえるほど筋膜は癒着してきます。
その癒着は創られて緩められリセットされるものです。
その繰り返しの仕組みで、筋肉のコンディションが維持成り立っている。
適量ほどの筋膜の癒着ならば、日々、寝たり体を深く休めたりすることで緩む。
すやすやと赤ちゃんのような気持ちで深い睡眠レベルに達するとき。
深く安定した脳波状態に、ほんの数秒ほど至るのですが、
そのときに体の筋膜を緩めてくれるといっていいような
体中の関節をさっとユルユルにしてくれるホルモンが出るそうです。
深い瞑想状態に入ったときにもそのような脳波の波形が現れてくれ、
そのようなときにも同様なホルモンが出てくれるといいますから。
他にもそのような筋膜を緩ませる機会が複数あります。
それで筋膜は日々、つくられて、日々、緩められます。
そのような筋膜の創造と破壊が繰り返されて、
若く快活かつ健康な体の状態は保たれている。
筋膜の癒着が進んだ状態は、
筋膜の癒着という負債が多くなりツケが過剰になったときのようなもの。
いわば筋膜の生理的なリセットが効く以上に
筋膜の癒着という負債をためてしまったという状態です。
現状維持という状態の安定化もありますが、
そのようなツケをためてしまう借金生活をしているのか、
どんどん今までためたツケを支払ってさっぱりするのか。
そのような筋膜の癒着の蓄積した負債分を低減していく代行を
プロの筋膜リリースをする施術ではさせていただいているのですね。
筋膜の癒着と、意外にごっちゃにされそうなものがあって、
注意しなければならないこともあります。
それは、、、
筋肉は「適正な使い方」で「適度に使って」いなければ『 退化 』するということです。
これも生理的な現象ですから、道理はわかりやすいと思います。
退化した筋肉をお持ちの方は、
筋膜の癒着で窮する方々と同様の問題が含まれています。。。
オーバーユース気味に筋膜を癒着させて、
コリコリっと筋肉が固くて困っているんですよ〜という方のほうが、
断然、施術では対応して手応えを感じられる分野なのです。
そもそもですが、
適度に筋肉を使う機会を持てていないため退化した筋肉も、
様々な代謝不足や不良姿勢の維持促進など問題を多数引き起こすのです。
人は感情の生き物です。
私は施術中に退化した筋肉についてあまり指摘しないのです。
私が言われるほうだとすれば
「筋肉が緊張して固くなっていますね。それではそこを解いていこう」
というのはなんとなく受け止められるのですが、
が、
「あなたの筋肉のこことここらへんはかなり退化していますね。」
などといわれれば、
おぉ、、、緊張よりも年老いた感じの退化イメージが自分に入り込んでいるっていうのか!?
といったショックを受けるような気がしていまして。
それでほぼ直接的に退化した筋肉部分について言及することはありません。
ですが実際に人体をしっかと見ていくならば。
筋膜の癒着場面の裏側に硬直した筋肉があり、
退化した筋肉が潜んでいることが多いのです。
私にはそれがセットに成ってバランスをとっているのが、
体の硬化が進み始めた状態として初期〜中期では現れて、
陰陽のバランスのような存在としてあり続けているように目に写って見えています。
やがてその状態が悪化が進めば、
末期に近い筋膜の骨化まで至るとその限りでもなくなる。
陰陽のバランスのような筋膜の癒着部と筋肉の退化部のバランスが読めないか読みづらくなるのです。
生命力がその場の組織から大幅に削られていいるように、
その皮膚を触り温度や発する生体電流のようなもの等の様子から感じ取ります。
そこまで虚弱化していくまで、
複雑な経路を辿って筋膜の癒着が固まり骨のようになるためかもしれませんが、
退化した状態が強くなった裏側に隠れた筋膜の硬化部分について、
脳のなかで骨化が進めば場当たり的にその筋膜の癒着部を本当に骨としてしか認識しなくなる。
そういったことなのかと、勝手な推測をいたしております。
実際はどうなのか、わかりませんが、非常に体質的にも改善しづらい状態です。。。
もう少し詳細に見ていきましょう。
たとえば腰椎を支えるのは大腰筋と起立筋の4本の柱ですが、
大腰筋の利用が適正になされておられていない方々は多くおられます。
江戸時代と今とでは、生活様式自体が大代わりしたからか、
伸筋としての大腰筋の筋パワーの発揮について自然体ではできていない。
そのようなところに陥っているという人々についていえるのも、
大腰筋という筋肉が適正かつ適量に働けなくなった退化、そして退行が起きているのです。
たとえばですが、
それは大腰筋のへそしたあたりの部分は過緊張で癒着が進行しすぎているのだが、
横隔膜がほぼほぼ使えずにおられて弓状靭帯が上部大腰筋と同期して使わずにいたままになっており、
そちらの大腰筋部分は退化しているということもありまして。。。
一本の筋肉でも、部位ごとに詳細に見れば、
筋膜の癒着が進んだ部分と退化が進行した部分が混在しているところもあるんです。
そこまでくると、施術の心得がある方でも、あまり意識して分けていない人もいるようですし、
まさに重箱の隅をつつく得意技がでるところです。
でも実際にプロとして筋膜リリースの施術をさせていただいてますと、
治療点といえそうなところはその重箱の隅をつついたところに書いてあるような気がします。
そこに目配りができるようになってから、
施術をする私もなにか一つ山を越えた感じがしたことがあります。
そのように一本の筋肉でも、
全体像を把握してからディテールに焦点を当てて、また引いた目で全体像を確認しています。
そちらを数回おこなう過程で、少しずつものがみえてくるようです。
そして施術院に通われるお客様の中には一定量の人数の割合で、
このような筋肉が退化して虚弱化した状態の進んだお客様もおられるわけです。
・・・実際は絶対にいい体の部分を見つけだして、
そちらに意識を向けていただいたほうが改善には有利に働くことが多いので、
そちらへ、そちらへと目を向けてもらえるよう誘導をするよう心がけてます。
私だったら、そうしてほしいなと思えることをするようにしたいと思います。
2017年11月05日
六根清浄のツールになる深層筋部分に届いた筋膜リリース
久々に本格的なフェイスマッサージ
昨日の施術をお受けいただけましたお客様。
鍼灸あん摩の資格をお持ちの方です。
施術中には治療についての話も多く、
私にとって様々参考になりヒントもいただけてありがたい。
多謝!
詳細はお伝え出来ませんがすでにいくども施術をお受けいただいた過程で、
私が気になっていた体の前面の強いハリが軽減してきて、
今まであまり現れていなかった背中側の筋肉のボリューム感がついてきた。
背中側の筋肉の適度、適量の発育状態からは、
徐々に体の深部のインナーマッスル部分を使いはじめるプログラムを作り、
始動し始めたことをあらわしています。
それで以前から目や喉の不調を訴えられていたのですが、
その下を支える基礎土壌が不備のままそちらに手を出すのは得策ではなかった。
一見は良くは見えたような成果を感じられたとしても、
ぐらつくままの軟弱な土壌に斜めって建つような建築物状態では気に入らない。
そのことの意味は同業者であるがゆえ、わかってもらえるところでしょう。
ですが、ここまで進めば、今が時期だなと判断して、
愛用のヤムナボールやメディシンボールやシリコンボール等を利用して頭部全体をリリース。
本人的にも顔の部位の硬い部分は、いくつも散在することに気づいておられましたし、
私も触ってリリースをすると、その下にまた新手のしこりさんがでてくるという繰り返しで。
どんどん状態が変化するに連れ、頚椎第一の閉じた関節部分も開きだして、
それが腰仙関節を緩める作用を出して脊椎全体をゆるめだしてくれるようになり。
鼻の脇にある副鼻腔を狭く閉じさせる部分をまずは開き、
次にこめかみを掘っていくのは当然として、
頭皮が頭蓋骨の付着しちゃならない場所に張り付いた部分を、
がしがしと緩めて、緩めて。
ただ朝の目覚めですでに目がとてもつかれるんだとおっしゃられているので、
それは眼窩周辺にできている眼球を動かすための筋肉の血行を悪くするような
ぐいぐいと締め付ける牽引金があるというわけで、、、。
その部分がまさに眼球の本当のご近所すぎるほど近所ということで、
ヤムナボール等でトラクションをかけつつ持続圧で骨を動かすのですが、
手元が滑って眼球を傷つけるんじゃないかという想像を一瞬してしまったが故に、
非常に怖くてリリースの手が震えまくりました。
そして喉や顎の開き、頚椎のズレや広頸筋などの張り付きはカウンターストレインを使います。
仕上げが頭蓋仙骨治療で使う5グラムの圧で、脳脊髄液がリズミカルに流れるように。
この部分のハードな部分のリリースをするにも、
2時間弱かかりました。
でも仕上がりは、いい。
あと顎関節の使い方で、以前、バレエをなさっておられるお客様から教えていただいた、
両生類の顎の使い方をしてください、とお伝えしました。
下顎を上下させ動かすのではなく、上顎を動かすような仕組みにしていただくことで、
こめかみ部分にある咬筋の食いしばりや斜角筋の筋硬化の引き連れやらが改善します。
せっかくここまで精度よくリリース出来たので、
うまくこの状態設定を脳に常態化させるように、
教化教練していただければという願いで。
まずは大あくびをするときの顎の開け方を選択的に利用すること。
いきなり、そんなことをせよと、申されても。。。と思うかもしれませんが、
10日間は、数分でもいいからレッツトライです!
あとは、
施術中にお客様から、
「髪の毛が邪魔ならスキンヘッドにしますよ!」とか、
「そこは鈴木さんの自作てい鍼のほうがよいんじゃないですか?」
といった施術者に最良な作業環境をあたえようとする後方支援の温かい言葉をいただきました。 ^-^
スキンヘッドにはしなくても、トラクションのかけ方が骨に達するものですから難なく行ける。
貴重な髪の毛が幾本かは抜け落ちることだけを許していただければ、まったく問題ない。
自作てい鍼で表情筋をリリースするとどうなるかは、
私が自分の顔でかつてトライしたことがあり、
それは今回の場合はあまり勧められるものではないと判断し、
自作てい鍼での破壊力ある点のトラクションは避け、
ヤムナボール等での面でのトラクションを選択しました。
基本、表情筋のしこり部が骨化したといえるほど固くなれば、
それで自作てい鍼で圧をかければ100%内出血しますから。
そこはやめておいたほうがいいでしょう。
ここからは長い余談になります。
数日前のブログで離したこととかぶるところがあるのは、
意図的に耳タコにしてまで聴いてほしい内容だからと大目に見てください。
お客様本人的にはもっと太りたいという印象が強いのですが、
このままうまく雑みのあるアウターマッスルの制御を最適化して落として、
次第に骨格を支えるための核になる伸張させる背後の筋肉群を鍛え抜けば。
基本的に伸長させる側の筋肉を鍛え抜くというのは、
力みが体のどこかひとつでも感じられたらアウターマッスルの優位すぎの状態で、
ちっともよくないトレーニング状態になりますから。
まずはサトル・ムーブメントといえるような、
微妙でささやかな力を抜いて動く動きを用いて体の使い方の自己の癖をひとつずつ気づいて抜くこと。
そのようにして体構造を動かし支配する脳部分で描き出す3次元的にこさえた体の操作盤を
より緻密に分けていき、かつそれらを大胆に統合して操作するというムーブメントをトライ。
そういったトレーニング方法も、私の個人的なところでは好きなのですが、
別に体の仕上げ方は一つだけというわけではありません。
アプローチは多様であったほうが周囲にも影響がおよぶ。
すでに多くのものが取り入れたやり方を踏襲するのもいいですが、
自分のアイデアから草の根を分けて開拓して第一人者になること。
得てして他人の知識や知恵をそのまま後追いをするよりも、
自身でコンセプト・目的・目標を決めて創作していくほうが取り組みも積極的な攻めになります。
そうしたほうが私は大成するんじゃないかなと思う次第ですが。。。 ^-^
どのような方向性を持って、これからの体づくりをなさっていかれるのか。
楽しみにしています。
という余談は良しとして、
かなり体全体の状態が安定してきて、
幾つかの私がここが次の段階に進める一里塚的に設定していたところを余裕で突破なさっています。
たしか操体法の創始者の先生が、
体とは建築構造体を立てて移動するようなものだ、といったことをおっしゃいました。
構造体として倒壊しにくい状態で立脚しているか?
そこは見立てのベースに置かれるべきところでしょう。
そこもあるのですが、同時に外骨格筋がどういったコンディションであるか。
そのひとつが筋肉の暖かさ、質です。
腹直筋や左腰部に硬さはあるものの、
背面の筋が血流促進をしてくれているため、
生命力全体を押し上げていってくれている。
そのように【私】はみました。
お客様も、もともと同業者ですが、
自分の体を自分で冷静に見るのは難しいため生命力がイマイチと評されます。
相当に自己研鑚をなされ研究も余念がない人です。
「生命力とは具体的に何を観てそう呼ば示すものか?」という問いを持って
いろいろ研究し続けることでしょう。
生命力・・・。
私はそのことばも多様な見方で、多様に主張されていいものかと思っています。
もちろん深層部に骨以上に固くなっている。
(特に関節部の取り巻き靭帯の骨化部分が驚異的な柔軟性を阻むバリヤーになっている)
そこが体の全体の筋肉が柔軟性が生まれる前は、
漠然としたなんだか体のそこやここらへんが変な感じがするという曖昧な不調感を主張するものです。
本人的にはそれでも十分に問題点をいい上げているような感じはするのですが、
「感覚は嘘をつくもの」という脳の特性を知ればどうでしょう。
そういった生命力も健康増進のためには認識として必要なものです。
脳が十分に情報を体の各部から吸い上げて脳の中の自分の全体に起きている状態に穴なく描ききれば、
それで十二分に使える体の改善プランを創り上げて、それにもとづいて状態の再構成をしてくれます。
それは脳内部に体の各部の情報を集められたデータを元にしてホログラム的な立体像を描いていき、
それをみて全体のバランスを統合させてホメオスタシスを取りつつ生命維持をさせるというしくみ。
それに基づいています。
よく脳の本で、片手を失った方が、その失われた手の指先が痛いと訴えられているという例で、
脳は実際の体を体験しているわけではなく、
脳内に描かれた像を見てそこにもとづいて司令がだされるのだと解説されています。
「リアルな手の実体」のみが情報源であれば、
失われた片手側の一部に痛みがおきるなどは?
ということになりますよね。
ただしすでに筋膜が硬化しすぎていたり神経的に感覚神経が麻痺している寸前になっていて
体性感覚情報が欠如したり欠落している部分が体内部分に多くできあがってしまったとすれば。。。
そこが意味不明状態わからずのグレーゾーンとして脳内の自分像をいい加減にえがくしかない。
通常は、だいたいこんな様子じゃないかなと推測を人工知能バリに推理して作り出していく。
でもその映像が実情にはかけ離れた仕組みであることも、とてもよくあるのです!!!!
そこが感覚には脳内で創りだした錯覚が入る余地があるから、
そこを差っ引いた状態で観察し切れたかどうか。
そこに目を配れるかどうかの課題がつきつけられるのです。
そして、そして。
徐々に筋肉が生きてきて代謝が生まれて感覚器官が蘇ってくる。
体性感覚情報が、正確に脳へと吸い上げられる状態になります。
以前のような情報がないから「だいたいこういった感じじゃない?」という、
お手盛りの情報じゃない状況へと移行してきたわけです。
するとそんなときに感じられる違和感は、
脳内で適当に創りだされた漠然としたバーチャル痛よりも、
リアル痛になります。
「炎症がここにあるから直せって言ってるんだよ!!!」
というメッセージだったり、
「どうしても、ここの、この点、この皮膚の2センチ半奥に入った、まさにここが引き連れてる」
といったような具体的かつ適切な情報を含んだ訴えが聞こえてきます。
このレベルにまで体が明らかになっている悟った状態であれば、
まんま、私はお客様のおっしゃられる部分をいわれるままに修理メンテナンスをすることに徹します。
感覚器官がバランスを根底から取り戻せることは、
一度、調整具合を見だしてコントロール不能になるなかなかニュートラルに戻りづらいのです。
そのときにこそサトル・ムーブメントというサトルティな動きで悟りつつ、
感覚の再設定をしていく。
体に多くある六根全体の感覚の再設定が進めば、
それで生命力が手に戻ることだろうと思います。
ちなみに、そこまでの感覚が戻った方の施術は、
それ自体あまり必要じゃないかもしれませんが、
お客様の内側のドクターに告げられたとおりに
私が修理工を務める。
お客様の訴え自体が、
それが私の見立て以上の最適解であることが多いということを経験則上感じていますので。
そんなときは自分を黙らせておくのも必要です。
ただ、、、それは、そこまでいくのは、かなりハードルが高くて、
私も、全然そういったレベルには至っていないのです。
かなり悔しいところです。。。。
ですが同時に課題が具体的になってきたところから、
進捗状況はあるなと思えるフシもあります。
仏道は、この「六根清浄できた状態」が修行過程の大切な入り口といいます。
(※ 六根清浄 とは、身に備わった感覚器官を6つとまとめ、それらを浄化して機能できるようにするということ)
六根清浄できねば、五蘊を語るのも上滑りしそうだと、
私の個人の感覚では思えるところもあるのです。。。。。
私が執り行っている施術の筋膜リリースの位置づけは、
感覚器官の異常を正常な状態へと元返しするためのツール。
六根清浄へステップアップしやすくするツールだと考えてください。
そうすることで何を本当には期待してやっている施術なのだろうか、
という私が人生での課題として感じているもののひとつが見えてくるでしょう。
私には、単純に体の不調が収まって良かったねというのではなくて、
体の内側の世界を外界と同じようにセンサーが張り巡らされていて、
多くの生情報をリアルタイムに感じられていること。
それこそが生命力が感じられる状態で、生命維持をさせる力になる。
野口体操創始者の野口三千三先生の関連本で
「感覚こそ力」というものの見方の本質には、
空恐ろしいほどのクレバーさを感じました。
鍛えるべきは筋肉でもあるが、
鍛えるべきは感覚でもある。
その両者がうまく揃わなければ運動器がうまく作動する最適な動作は期待できません。
「感覚を繊細かつ鮮明に味わう」こと。
そうやって自分の内側に描かれていく3次元立体映像化された自分像を手に入れたとき。
私の推測でしかありませんが、
そのホログラムのような自分像が、自分の動きや自律神経系の制御や思考や感情にも、
多大な影響を与え続ける。
それはこの脳内で創りだした認知像を参照することで統合化した制御可能な一元管理をしつつ、
司令室司令官が観る制御盤のようなやりくりをする基礎がルール化された表象のように感じます。
まずは全体に司令を送るにも情報が司令塔へと(文章ではなく)印象や数値化されメジャーで計測できるような状態を曼荼羅のようなひとつの図版に収めるイメージに置き換える。
そうやって全体像を把握しやすくしてから、正確な物事に近い状態を知り始める。
そういったものではないか。。。。。
と思う次第です。
もしも、今の私自身が感覚の曇が一点もない状態で存在していたとすれば、
どういった気分が味わえるのだろう。。。
どんな感情が沸き起こるのだろう。。。
おそらく、それこそ大変にキラキラと光の粒が周囲全体を取り巻き、
さんざめくようなすばらしいものでしょうか!
神社仏閣でひとりでたたずんでいるとき、
夢想するところがあります。
そのようなところに、
大きな脳を発達させた人間として生まれることをかなえてくれた感謝を感じずにはおれません。
脳の発達した部分の計算機のパワーがある分だけ優位性を感じています。
ただし感覚器官が整理整頓されて理想的な機能を発揮できていなければ。
その目を閉じていれば、どれほどそれはもったいないことでしょう。
アメーバのような単細胞動物では、
おおよそ細胞のひとつを捉えれば、細胞膜で外界と内界を分けるようなシステムになっています。
外界を知るための膜組織こそが感覚器官のすべてといえるような大切なものです。
それは人間にも同様なことが語られるべきでしょう。
筋膜という膜も、アメーバのような体細胞のひとつひとつが生きるための外界と内界を分けて
情報をやり取りするための重要な感覚器官であるのは、あきらかでしょう。
たとえば痛覚等の感覚器官は筋膜や骨膜のような膜部分に集中的に分布します。
それに体全体の自律神経のひとつのかなめと言われ、
体の末梢から脳へと繋がる経絡線も膜組織をはうように通ります。
そんな筋膜という膜感受性が発揮できているときに、
当然ながら脳内の自分像も正確に描けるようになる。
そのような発想で筋膜の生きのいいとか悪いとかをみる。
そんな視点も重要じゃないかと、私は思います。
これが最後です。 ^-^;
私自身の実体験ですが、
頭部のコリが深刻であれば、
脳内で描く立体像に意識が集中できない。
そのような傾向に陥るようです。
単純な話ですが、
眼や耳や鼻や舌などの重要きわまりない感覚器官が頭部に集まっているのですから。
頭部の表情筋や顎を動かすための筋肉が固くなって眼や耳や鼻や舌などの感覚器官組織を、
その組織を歪めさせるような牽引力を生じさせて
血行不良化させたり神経の働きを鈍らせればどうなるのか?
やはり外界の情報を得られる量が減るような形になります。
状態として曇った感じとか閉ざされた感じになるのです。
それもやはり頭頸部の下にある基礎部分の体性感覚が動物的な生きるためのツールとなり、
活動してくれる基本でそのような乗り物に頭部が乗るような感じです。
頭部の下に位置する乗り物がグダグダしていたりくたくたしていれば、
その上に載せられた司令塔もグラグラ状態を引き継いでしまうのです。
昨日施術を受けられたお客様は、
そこから抜け出せるほどの乗り物を手に入れた状態になって、
頭部を首をガシガシと解けるまでになったところまで進まれた。
そこまでくるのにも、どんなに期間もかかり、大変だったことでしょう。
それの一端を私も知るものとして、
意外にお客様以上に私も感無量なのです。
うれしいですね!!!
私の施術者としての人生も、
この先それほど長いわけでもありません。
一回ごとのお客様との施術は、
私にも貴重極まりないものです。
だから毎回、やりぬいた感を持ってがんばっていきます!
よろしくお願いします!!
昨日の施術をお受けいただけましたお客様。
鍼灸あん摩の資格をお持ちの方です。
施術中には治療についての話も多く、
私にとって様々参考になりヒントもいただけてありがたい。
多謝!
詳細はお伝え出来ませんがすでにいくども施術をお受けいただいた過程で、
私が気になっていた体の前面の強いハリが軽減してきて、
今まであまり現れていなかった背中側の筋肉のボリューム感がついてきた。
背中側の筋肉の適度、適量の発育状態からは、
徐々に体の深部のインナーマッスル部分を使いはじめるプログラムを作り、
始動し始めたことをあらわしています。
それで以前から目や喉の不調を訴えられていたのですが、
その下を支える基礎土壌が不備のままそちらに手を出すのは得策ではなかった。
一見は良くは見えたような成果を感じられたとしても、
ぐらつくままの軟弱な土壌に斜めって建つような建築物状態では気に入らない。
そのことの意味は同業者であるがゆえ、わかってもらえるところでしょう。
ですが、ここまで進めば、今が時期だなと判断して、
愛用のヤムナボールやメディシンボールやシリコンボール等を利用して頭部全体をリリース。
本人的にも顔の部位の硬い部分は、いくつも散在することに気づいておられましたし、
私も触ってリリースをすると、その下にまた新手のしこりさんがでてくるという繰り返しで。
どんどん状態が変化するに連れ、頚椎第一の閉じた関節部分も開きだして、
それが腰仙関節を緩める作用を出して脊椎全体をゆるめだしてくれるようになり。
鼻の脇にある副鼻腔を狭く閉じさせる部分をまずは開き、
次にこめかみを掘っていくのは当然として、
頭皮が頭蓋骨の付着しちゃならない場所に張り付いた部分を、
がしがしと緩めて、緩めて。
ただ朝の目覚めですでに目がとてもつかれるんだとおっしゃられているので、
それは眼窩周辺にできている眼球を動かすための筋肉の血行を悪くするような
ぐいぐいと締め付ける牽引金があるというわけで、、、。
その部分がまさに眼球の本当のご近所すぎるほど近所ということで、
ヤムナボール等でトラクションをかけつつ持続圧で骨を動かすのですが、
手元が滑って眼球を傷つけるんじゃないかという想像を一瞬してしまったが故に、
非常に怖くてリリースの手が震えまくりました。
そして喉や顎の開き、頚椎のズレや広頸筋などの張り付きはカウンターストレインを使います。
仕上げが頭蓋仙骨治療で使う5グラムの圧で、脳脊髄液がリズミカルに流れるように。
この部分のハードな部分のリリースをするにも、
2時間弱かかりました。
でも仕上がりは、いい。
あと顎関節の使い方で、以前、バレエをなさっておられるお客様から教えていただいた、
両生類の顎の使い方をしてください、とお伝えしました。
下顎を上下させ動かすのではなく、上顎を動かすような仕組みにしていただくことで、
こめかみ部分にある咬筋の食いしばりや斜角筋の筋硬化の引き連れやらが改善します。
せっかくここまで精度よくリリース出来たので、
うまくこの状態設定を脳に常態化させるように、
教化教練していただければという願いで。
まずは大あくびをするときの顎の開け方を選択的に利用すること。
いきなり、そんなことをせよと、申されても。。。と思うかもしれませんが、
10日間は、数分でもいいからレッツトライです!
あとは、
施術中にお客様から、
「髪の毛が邪魔ならスキンヘッドにしますよ!」とか、
「そこは鈴木さんの自作てい鍼のほうがよいんじゃないですか?」
といった施術者に最良な作業環境をあたえようとする後方支援の温かい言葉をいただきました。 ^-^
スキンヘッドにはしなくても、トラクションのかけ方が骨に達するものですから難なく行ける。
貴重な髪の毛が幾本かは抜け落ちることだけを許していただければ、まったく問題ない。
自作てい鍼で表情筋をリリースするとどうなるかは、
私が自分の顔でかつてトライしたことがあり、
それは今回の場合はあまり勧められるものではないと判断し、
自作てい鍼での破壊力ある点のトラクションは避け、
ヤムナボール等での面でのトラクションを選択しました。
基本、表情筋のしこり部が骨化したといえるほど固くなれば、
それで自作てい鍼で圧をかければ100%内出血しますから。
そこはやめておいたほうがいいでしょう。
ここからは長い余談になります。
数日前のブログで離したこととかぶるところがあるのは、
意図的に耳タコにしてまで聴いてほしい内容だからと大目に見てください。
お客様本人的にはもっと太りたいという印象が強いのですが、
このままうまく雑みのあるアウターマッスルの制御を最適化して落として、
次第に骨格を支えるための核になる伸張させる背後の筋肉群を鍛え抜けば。
基本的に伸長させる側の筋肉を鍛え抜くというのは、
力みが体のどこかひとつでも感じられたらアウターマッスルの優位すぎの状態で、
ちっともよくないトレーニング状態になりますから。
まずはサトル・ムーブメントといえるような、
微妙でささやかな力を抜いて動く動きを用いて体の使い方の自己の癖をひとつずつ気づいて抜くこと。
そのようにして体構造を動かし支配する脳部分で描き出す3次元的にこさえた体の操作盤を
より緻密に分けていき、かつそれらを大胆に統合して操作するというムーブメントをトライ。
そういったトレーニング方法も、私の個人的なところでは好きなのですが、
別に体の仕上げ方は一つだけというわけではありません。
アプローチは多様であったほうが周囲にも影響がおよぶ。
すでに多くのものが取り入れたやり方を踏襲するのもいいですが、
自分のアイデアから草の根を分けて開拓して第一人者になること。
得てして他人の知識や知恵をそのまま後追いをするよりも、
自身でコンセプト・目的・目標を決めて創作していくほうが取り組みも積極的な攻めになります。
そうしたほうが私は大成するんじゃないかなと思う次第ですが。。。 ^-^
どのような方向性を持って、これからの体づくりをなさっていかれるのか。
楽しみにしています。
という余談は良しとして、
かなり体全体の状態が安定してきて、
幾つかの私がここが次の段階に進める一里塚的に設定していたところを余裕で突破なさっています。
たしか操体法の創始者の先生が、
体とは建築構造体を立てて移動するようなものだ、といったことをおっしゃいました。
構造体として倒壊しにくい状態で立脚しているか?
そこは見立てのベースに置かれるべきところでしょう。
そこもあるのですが、同時に外骨格筋がどういったコンディションであるか。
そのひとつが筋肉の暖かさ、質です。
腹直筋や左腰部に硬さはあるものの、
背面の筋が血流促進をしてくれているため、
生命力全体を押し上げていってくれている。
そのように【私】はみました。
お客様も、もともと同業者ですが、
自分の体を自分で冷静に見るのは難しいため生命力がイマイチと評されます。
相当に自己研鑚をなされ研究も余念がない人です。
「生命力とは具体的に何を観てそう呼ば示すものか?」という問いを持って
いろいろ研究し続けることでしょう。
生命力・・・。
私はそのことばも多様な見方で、多様に主張されていいものかと思っています。
もちろん深層部に骨以上に固くなっている。
(特に関節部の取り巻き靭帯の骨化部分が驚異的な柔軟性を阻むバリヤーになっている)
そこが体の全体の筋肉が柔軟性が生まれる前は、
漠然としたなんだか体のそこやここらへんが変な感じがするという曖昧な不調感を主張するものです。
本人的にはそれでも十分に問題点をいい上げているような感じはするのですが、
「感覚は嘘をつくもの」という脳の特性を知ればどうでしょう。
そういった生命力も健康増進のためには認識として必要なものです。
脳が十分に情報を体の各部から吸い上げて脳の中の自分の全体に起きている状態に穴なく描ききれば、
それで十二分に使える体の改善プランを創り上げて、それにもとづいて状態の再構成をしてくれます。
それは脳内部に体の各部の情報を集められたデータを元にしてホログラム的な立体像を描いていき、
それをみて全体のバランスを統合させてホメオスタシスを取りつつ生命維持をさせるというしくみ。
それに基づいています。
よく脳の本で、片手を失った方が、その失われた手の指先が痛いと訴えられているという例で、
脳は実際の体を体験しているわけではなく、
脳内に描かれた像を見てそこにもとづいて司令がだされるのだと解説されています。
「リアルな手の実体」のみが情報源であれば、
失われた片手側の一部に痛みがおきるなどは?
ということになりますよね。
ただしすでに筋膜が硬化しすぎていたり神経的に感覚神経が麻痺している寸前になっていて
体性感覚情報が欠如したり欠落している部分が体内部分に多くできあがってしまったとすれば。。。
そこが意味不明状態わからずのグレーゾーンとして脳内の自分像をいい加減にえがくしかない。
通常は、だいたいこんな様子じゃないかなと推測を人工知能バリに推理して作り出していく。
でもその映像が実情にはかけ離れた仕組みであることも、とてもよくあるのです!!!!
そこが感覚には脳内で創りだした錯覚が入る余地があるから、
そこを差っ引いた状態で観察し切れたかどうか。
そこに目を配れるかどうかの課題がつきつけられるのです。
そして、そして。
徐々に筋肉が生きてきて代謝が生まれて感覚器官が蘇ってくる。
体性感覚情報が、正確に脳へと吸い上げられる状態になります。
以前のような情報がないから「だいたいこういった感じじゃない?」という、
お手盛りの情報じゃない状況へと移行してきたわけです。
するとそんなときに感じられる違和感は、
脳内で適当に創りだされた漠然としたバーチャル痛よりも、
リアル痛になります。
「炎症がここにあるから直せって言ってるんだよ!!!」
というメッセージだったり、
「どうしても、ここの、この点、この皮膚の2センチ半奥に入った、まさにここが引き連れてる」
といったような具体的かつ適切な情報を含んだ訴えが聞こえてきます。
このレベルにまで体が明らかになっている悟った状態であれば、
まんま、私はお客様のおっしゃられる部分をいわれるままに修理メンテナンスをすることに徹します。
感覚器官がバランスを根底から取り戻せることは、
一度、調整具合を見だしてコントロール不能になるなかなかニュートラルに戻りづらいのです。
そのときにこそサトル・ムーブメントというサトルティな動きで悟りつつ、
感覚の再設定をしていく。
体に多くある六根全体の感覚の再設定が進めば、
それで生命力が手に戻ることだろうと思います。
ちなみに、そこまでの感覚が戻った方の施術は、
それ自体あまり必要じゃないかもしれませんが、
お客様の内側のドクターに告げられたとおりに
私が修理工を務める。
お客様の訴え自体が、
それが私の見立て以上の最適解であることが多いということを経験則上感じていますので。
そんなときは自分を黙らせておくのも必要です。
ただ、、、それは、そこまでいくのは、かなりハードルが高くて、
私も、全然そういったレベルには至っていないのです。
かなり悔しいところです。。。。
ですが同時に課題が具体的になってきたところから、
進捗状況はあるなと思えるフシもあります。
仏道は、この「六根清浄できた状態」が修行過程の大切な入り口といいます。
(※ 六根清浄 とは、身に備わった感覚器官を6つとまとめ、それらを浄化して機能できるようにするということ)
六根清浄できねば、五蘊を語るのも上滑りしそうだと、
私の個人の感覚では思えるところもあるのです。。。。。
私が執り行っている施術の筋膜リリースの位置づけは、
感覚器官の異常を正常な状態へと元返しするためのツール。
六根清浄へステップアップしやすくするツールだと考えてください。
そうすることで何を本当には期待してやっている施術なのだろうか、
という私が人生での課題として感じているもののひとつが見えてくるでしょう。
私には、単純に体の不調が収まって良かったねというのではなくて、
体の内側の世界を外界と同じようにセンサーが張り巡らされていて、
多くの生情報をリアルタイムに感じられていること。
それこそが生命力が感じられる状態で、生命維持をさせる力になる。
野口体操創始者の野口三千三先生の関連本で
「感覚こそ力」というものの見方の本質には、
空恐ろしいほどのクレバーさを感じました。
鍛えるべきは筋肉でもあるが、
鍛えるべきは感覚でもある。
その両者がうまく揃わなければ運動器がうまく作動する最適な動作は期待できません。
「感覚を繊細かつ鮮明に味わう」こと。
そうやって自分の内側に描かれていく3次元立体映像化された自分像を手に入れたとき。
私の推測でしかありませんが、
そのホログラムのような自分像が、自分の動きや自律神経系の制御や思考や感情にも、
多大な影響を与え続ける。
それはこの脳内で創りだした認知像を参照することで統合化した制御可能な一元管理をしつつ、
司令室司令官が観る制御盤のようなやりくりをする基礎がルール化された表象のように感じます。
まずは全体に司令を送るにも情報が司令塔へと(文章ではなく)印象や数値化されメジャーで計測できるような状態を曼荼羅のようなひとつの図版に収めるイメージに置き換える。
そうやって全体像を把握しやすくしてから、正確な物事に近い状態を知り始める。
そういったものではないか。。。。。
と思う次第です。
もしも、今の私自身が感覚の曇が一点もない状態で存在していたとすれば、
どういった気分が味わえるのだろう。。。
どんな感情が沸き起こるのだろう。。。
おそらく、それこそ大変にキラキラと光の粒が周囲全体を取り巻き、
さんざめくようなすばらしいものでしょうか!
神社仏閣でひとりでたたずんでいるとき、
夢想するところがあります。
そのようなところに、
大きな脳を発達させた人間として生まれることをかなえてくれた感謝を感じずにはおれません。
脳の発達した部分の計算機のパワーがある分だけ優位性を感じています。
ただし感覚器官が整理整頓されて理想的な機能を発揮できていなければ。
その目を閉じていれば、どれほどそれはもったいないことでしょう。
アメーバのような単細胞動物では、
おおよそ細胞のひとつを捉えれば、細胞膜で外界と内界を分けるようなシステムになっています。
外界を知るための膜組織こそが感覚器官のすべてといえるような大切なものです。
それは人間にも同様なことが語られるべきでしょう。
筋膜という膜も、アメーバのような体細胞のひとつひとつが生きるための外界と内界を分けて
情報をやり取りするための重要な感覚器官であるのは、あきらかでしょう。
たとえば痛覚等の感覚器官は筋膜や骨膜のような膜部分に集中的に分布します。
それに体全体の自律神経のひとつのかなめと言われ、
体の末梢から脳へと繋がる経絡線も膜組織をはうように通ります。
そんな筋膜という膜感受性が発揮できているときに、
当然ながら脳内の自分像も正確に描けるようになる。
そのような発想で筋膜の生きのいいとか悪いとかをみる。
そんな視点も重要じゃないかと、私は思います。
これが最後です。 ^-^;
私自身の実体験ですが、
頭部のコリが深刻であれば、
脳内で描く立体像に意識が集中できない。
そのような傾向に陥るようです。
単純な話ですが、
眼や耳や鼻や舌などの重要きわまりない感覚器官が頭部に集まっているのですから。
頭部の表情筋や顎を動かすための筋肉が固くなって眼や耳や鼻や舌などの感覚器官組織を、
その組織を歪めさせるような牽引力を生じさせて
血行不良化させたり神経の働きを鈍らせればどうなるのか?
やはり外界の情報を得られる量が減るような形になります。
状態として曇った感じとか閉ざされた感じになるのです。
それもやはり頭頸部の下にある基礎部分の体性感覚が動物的な生きるためのツールとなり、
活動してくれる基本でそのような乗り物に頭部が乗るような感じです。
頭部の下に位置する乗り物がグダグダしていたりくたくたしていれば、
その上に載せられた司令塔もグラグラ状態を引き継いでしまうのです。
昨日施術を受けられたお客様は、
そこから抜け出せるほどの乗り物を手に入れた状態になって、
頭部を首をガシガシと解けるまでになったところまで進まれた。
そこまでくるのにも、どんなに期間もかかり、大変だったことでしょう。
それの一端を私も知るものとして、
意外にお客様以上に私も感無量なのです。
うれしいですね!!!
私の施術者としての人生も、
この先それほど長いわけでもありません。
一回ごとのお客様との施術は、
私にも貴重極まりないものです。
だから毎回、やりぬいた感を持ってがんばっていきます!
よろしくお願いします!!
2017年07月07日
私も体内に影に隠れた火種をたくさん抱えているものです。。。
先日、渋谷のMARUZEN&ジュンク堂書店にいくと、
以下の本があった。
片麻痺回復のための運動療法 第3版 促通反復療法「川平法」の理論と実際
こちらの本、2017/6/12発刊とのことで、第三版となります。
第二版に比べて新たな知識や工夫も図られたのですが、
最大の改善点は写真がカラーになった!
ということですね。
動きの機能的な統合などを学ぶ際に、
こちらの訓練操作は参考になるもの。
ただ必要性を感じつつも、
前版は、私自身少しは体の操作はわかっているものでも、
白黒写真から複雑な動きを矢印指示されるとなると見づらくて。
とりあえず目黒図書館からDVDなしで借りてよく見たがわかりづらく、
購入断念をしてしまった経緯がある。
それがカラー写真になったところで、
内容やイメージを把握するのは容易になり、購入を決めました。
実は、、、。
私がこの本を書店で手にとって眺めているとき、
脳裏に浮かんだ言葉がある。
「これは身体の片麻痺を改善することを目指している人たちのための本だ。
だが、片麻痺という状態でなくとも、
ほとんどの人たちの体の内側には麻痺が陰に隠れているのだ。
その認識を腑に落ちて、現状に目を向け自らを観察し、
気づき、手当をしていくことこも忘れてはならない。」
誰もが体の内奥に神経が麻痺しているのにもかかわらず、
気付けていないところが多いのだということは、
私は施術をしていて痛感しています。
そう考えた瞬間。
不思議な体調変化がおきました。
いきなり左下顎の犬歯歯ぐき部分が、大きく腫れ上がりだした!
それは数分もせずに変化が起きたことから、
すなおな私の体が、体の内側の麻痺して隠れていたネック部分を気づかせようと、
痛みで伝え始めたんだなと悟りました。
私自身も新たな可能性のある施術を求めて、
先の見えないまま研究していく時間が多く、
自身の身体的な疲れや変調も最近感じていた。
もともと変調の揺れ幅を、微妙なものも捉えることができるので、
末期的な変調までいってはいないのだが、やはり意識が落ちてブログを書こうと思っても、
書こうとしている内容がまとまらずアップできないままで数日が過ぎていくことが続いた。
そんなような問題点を背負いつつも、
納得のいく過程を通って結果を残そうと努めていた矢先。
私の体の内側にある麻痺した問題点を潜在させずに、
早めに顕在化させて手を打てという意思を察知して、
立ち読みをしつついきなり歯ぐきが腫れ上がりだす。。。
なかなか私も、いろいろな経験をしてきたが、
インナードクターが、これほどまで素直だったか!と驚きました。
おそらくそのような変化を私に与えて何かを気づかせようとして、
そのタイミングを狙っていた。
そのような気がしました。
膿を出すには、痛みを伴うものですよね。
痛覚による気付きは、麻痺した問題状態を内在しっぱなしから方向を修正するために必要なのだ。
なので渋谷からの帰りは、歩きで帰らずに電車で帰ることになりました。。。
おかげさまで、
左側肩甲下筋と右側斜角筋や右側上部僧帽筋の硬化が著しく生じたため
左下顎の歯ぐきの痛みがでたのだとはわかっていたので、
今はそこに手当を施しまして痛みはほとんどありません。
やはり・・・歯医者さんに行ってもダメな歯ぐきの腫れだったんですね。^-^;
またこのような潜在的な痛みはひとつだけピンポイントで溜まるものではない。
そのためこちら以外の部分の麻痺した体のなかの状態も観察していきゆるめた。
それでほぼほぼ、好転反応でだるさがピークだったり意識レベルが低下したり。
そうして脳内にながれる血液を、体の深層部の凝りがはびこった部分に浴びせ、
順次溶かしていってくれた。
意識が患部を具体的に発見したとき、そこに問題の火種を火消するかのように
血液を患部に集めて潜伏した問題箇所の悪影響を小さくしてくれる。
まったくなくなるというほど溶かすことは、
身体操作の用法を一から建てなおさねば無理だ。
実利的に言えば問題が奥に潜るような状態にしておかないことが大事なのです。
人生を劇的に変えるための秘訣は、
影に隠れた火種を大きくし過ぎないこと。
私も、身体内部に動きの制限が生じさせられて気付けていない麻痺した部分が多くある。
ただ深層筋部分は多少は意図的に活かすような計算をしていることで、
取り返しがつかないところまではいかないようにはなっています。
それは表層筋はそれほど運動の連動連鎖がないが、
深層筋は頭の先からつま先までの連動連鎖がある。
日頃から深層筋が活かされて使われているならば、
動きの連動連鎖が鈍ったことで、神体内奥に筋肉の操作が悪癖を持ち動きの制限を持ち、
麻痺などの状態まで症状が進んできたなということを感じ取ることができるのです。
それがすでに深層筋が硬化萎縮しているような状態が常になって、
その様子が問題がないと感じ取れてしまっているならば、、、。
積極的に自身の身体の奥にある影に隠れた火種を見つけられない、
または大変に見つけづらくなっている。
このような状況下におられる方に、問題点がありますと伝えても、
意外と我が身のこととして言われていることだとは思えずにいて、
自身に不要なアドバイスをするところだと諦めてしまう。
これはコミュニケーション上の問題でもありますが、
痛くないところを痛いんだといわれても、
感覚的に信じづらいことだとわかります。
潜伏中だと、そういうことってあるので、
施術者としてこのようなケースもあると客観視できれば、
なるほど〜と思えるのですが、難しいところですよね。。。
ただ言えているところは、今感じている痛みや不快感の影の奥には、
解かれる優先順位としてもっと高いものも麻痺をして隠れています。
私の施術では、お客様が平素痛みなどまったく気づかない部分にリリースの手を伸ばし、
かえってそちらのほうが気づけばものすごく痛いんだと気づかれたとき。
私はお客様の脳が新たな貴重な発見をしていただけたものだと思います。^-^。。。
それら、、、類焼もしかねないような火種になっている部分もあるので、
拡張性ある麻痺部分は特に念入りに解いていくようにしてます。
そのような重要箇所のリリース時には、
痛かったり苦しかったりするので、
解かれる方は大変なんですが。
少しでも類焼を防げればと思いまして。。。
そこが解けることで、
低下した体質が変わることもあるので、
お客様もがんばってくれています。 m__m
実際は、片麻痺はない人でも、
私達施術をするものとしては、
大変に多くの麻痺をした筋肉を見つけています。
ただ不用意に多数の問題がありますから注意せよといわれるのも、
私がそのようなことをいきなり言われたらたまったものじゃない。
私の場合、お客様に特にそのような点を言葉でしてきせずにいて、
明確に問題点部分の動きの制限や筋の硬結部などを圧をかけたり
筋硬結の圧縮保持をしてリリースをするという、
無言のうちにここになにかがあるとお客様の脳に語りかけていく。
そのときに何らかの違和感を感じたという場合は、
後々になって自身が問題点の気づきを得て
インナードクターがそこの問題の火種を消すよう
血流をそこに届けるような設定をしてくれます。
優先順位として上位3番くらいまでのところに
まずは血液を流して溶かすようにして、
一定の血液によるバーストで問題箇所を立て直していくので。
それが、たいへん多くの問題箇所が体の内側にあれば、
なかなか解かれるための順番が後回しになることもある。
ただひとつ言えていることは。
すでに内在している凝りにはまったく違和感を認識できず、
平素のあってしかるべきもの、と意識的に受け止めている。
その視野を変えられなければ、そこに血液という貴重な投資をすることはない。。。
着々と問題が骨の髄まではびこりだすことになり、
やがて動脈管への圧迫やリンパ液等の代謝を制限させて生命力を下げてしまう。
体の中の体液の流れを滞らせられたところから冷えていき、
冷えていった緊張箇所から病や動きの制限なのの問題が生じるように思います。
もし麻痺がありそうだと気づいたが実感がないときのポイントとして、
現在の経験している体の状態が完全体で上がりと思うよりも、
自身にはさらに自由に動きを創りだす潜在的な能力があると認識し、
そこが追求できて未体験ゾーンに足を踏み入れられて麻痺を拭えたら、
いったいどんな気分を味わえるかとワクワクすること。
そのような前向きで建設的な意識を持っている人ならば、
すでに深層筋が癒着が進んでいたとしても、
適切な対応をしていくことで、
やがて目を見開くばかりの楽しく喜びを表現するような歓喜の声があがるでしょう。
このような素敵な人体を授けてくれていたなんて、
なんてありがたいことだろう!
私自身こそ、さらにこのような意識に目覚めて、
自分の体の内側にある麻痺が進んだ箇所に気づき、
オーバーユースの部分の裏にある怠けた筋肉にも気づき、
その他の身体の仕組み上の未開拓部分に気づくことほど利益があるものはない。
そうなっていきたいと、
自分の身を振り返って思えている次第です。
以下の本があった。
片麻痺回復のための運動療法 第3版 促通反復療法「川平法」の理論と実際
こちらの本、2017/6/12発刊とのことで、第三版となります。
第二版に比べて新たな知識や工夫も図られたのですが、
最大の改善点は写真がカラーになった!
ということですね。
動きの機能的な統合などを学ぶ際に、
こちらの訓練操作は参考になるもの。
ただ必要性を感じつつも、
前版は、私自身少しは体の操作はわかっているものでも、
白黒写真から複雑な動きを矢印指示されるとなると見づらくて。
とりあえず目黒図書館からDVDなしで借りてよく見たがわかりづらく、
購入断念をしてしまった経緯がある。
それがカラー写真になったところで、
内容やイメージを把握するのは容易になり、購入を決めました。
実は、、、。
私がこの本を書店で手にとって眺めているとき、
脳裏に浮かんだ言葉がある。
「これは身体の片麻痺を改善することを目指している人たちのための本だ。
だが、片麻痺という状態でなくとも、
ほとんどの人たちの体の内側には麻痺が陰に隠れているのだ。
その認識を腑に落ちて、現状に目を向け自らを観察し、
気づき、手当をしていくことこも忘れてはならない。」
誰もが体の内奥に神経が麻痺しているのにもかかわらず、
気付けていないところが多いのだということは、
私は施術をしていて痛感しています。
そう考えた瞬間。
不思議な体調変化がおきました。
いきなり左下顎の犬歯歯ぐき部分が、大きく腫れ上がりだした!
それは数分もせずに変化が起きたことから、
すなおな私の体が、体の内側の麻痺して隠れていたネック部分を気づかせようと、
痛みで伝え始めたんだなと悟りました。
私自身も新たな可能性のある施術を求めて、
先の見えないまま研究していく時間が多く、
自身の身体的な疲れや変調も最近感じていた。
もともと変調の揺れ幅を、微妙なものも捉えることができるので、
末期的な変調までいってはいないのだが、やはり意識が落ちてブログを書こうと思っても、
書こうとしている内容がまとまらずアップできないままで数日が過ぎていくことが続いた。
そんなような問題点を背負いつつも、
納得のいく過程を通って結果を残そうと努めていた矢先。
私の体の内側にある麻痺した問題点を潜在させずに、
早めに顕在化させて手を打てという意思を察知して、
立ち読みをしつついきなり歯ぐきが腫れ上がりだす。。。
なかなか私も、いろいろな経験をしてきたが、
インナードクターが、これほどまで素直だったか!と驚きました。
おそらくそのような変化を私に与えて何かを気づかせようとして、
そのタイミングを狙っていた。
そのような気がしました。
膿を出すには、痛みを伴うものですよね。
痛覚による気付きは、麻痺した問題状態を内在しっぱなしから方向を修正するために必要なのだ。
なので渋谷からの帰りは、歩きで帰らずに電車で帰ることになりました。。。
おかげさまで、
左側肩甲下筋と右側斜角筋や右側上部僧帽筋の硬化が著しく生じたため
左下顎の歯ぐきの痛みがでたのだとはわかっていたので、
今はそこに手当を施しまして痛みはほとんどありません。
やはり・・・歯医者さんに行ってもダメな歯ぐきの腫れだったんですね。^-^;
またこのような潜在的な痛みはひとつだけピンポイントで溜まるものではない。
そのためこちら以外の部分の麻痺した体のなかの状態も観察していきゆるめた。
それでほぼほぼ、好転反応でだるさがピークだったり意識レベルが低下したり。
そうして脳内にながれる血液を、体の深層部の凝りがはびこった部分に浴びせ、
順次溶かしていってくれた。
意識が患部を具体的に発見したとき、そこに問題の火種を火消するかのように
血液を患部に集めて潜伏した問題箇所の悪影響を小さくしてくれる。
まったくなくなるというほど溶かすことは、
身体操作の用法を一から建てなおさねば無理だ。
実利的に言えば問題が奥に潜るような状態にしておかないことが大事なのです。
人生を劇的に変えるための秘訣は、
影に隠れた火種を大きくし過ぎないこと。
私も、身体内部に動きの制限が生じさせられて気付けていない麻痺した部分が多くある。
ただ深層筋部分は多少は意図的に活かすような計算をしていることで、
取り返しがつかないところまではいかないようにはなっています。
それは表層筋はそれほど運動の連動連鎖がないが、
深層筋は頭の先からつま先までの連動連鎖がある。
日頃から深層筋が活かされて使われているならば、
動きの連動連鎖が鈍ったことで、神体内奥に筋肉の操作が悪癖を持ち動きの制限を持ち、
麻痺などの状態まで症状が進んできたなということを感じ取ることができるのです。
それがすでに深層筋が硬化萎縮しているような状態が常になって、
その様子が問題がないと感じ取れてしまっているならば、、、。
積極的に自身の身体の奥にある影に隠れた火種を見つけられない、
または大変に見つけづらくなっている。
このような状況下におられる方に、問題点がありますと伝えても、
意外と我が身のこととして言われていることだとは思えずにいて、
自身に不要なアドバイスをするところだと諦めてしまう。
これはコミュニケーション上の問題でもありますが、
痛くないところを痛いんだといわれても、
感覚的に信じづらいことだとわかります。
潜伏中だと、そういうことってあるので、
施術者としてこのようなケースもあると客観視できれば、
なるほど〜と思えるのですが、難しいところですよね。。。
ただ言えているところは、今感じている痛みや不快感の影の奥には、
解かれる優先順位としてもっと高いものも麻痺をして隠れています。
私の施術では、お客様が平素痛みなどまったく気づかない部分にリリースの手を伸ばし、
かえってそちらのほうが気づけばものすごく痛いんだと気づかれたとき。
私はお客様の脳が新たな貴重な発見をしていただけたものだと思います。^-^。。。
それら、、、類焼もしかねないような火種になっている部分もあるので、
拡張性ある麻痺部分は特に念入りに解いていくようにしてます。
そのような重要箇所のリリース時には、
痛かったり苦しかったりするので、
解かれる方は大変なんですが。
少しでも類焼を防げればと思いまして。。。
そこが解けることで、
低下した体質が変わることもあるので、
お客様もがんばってくれています。 m__m
実際は、片麻痺はない人でも、
私達施術をするものとしては、
大変に多くの麻痺をした筋肉を見つけています。
ただ不用意に多数の問題がありますから注意せよといわれるのも、
私がそのようなことをいきなり言われたらたまったものじゃない。
私の場合、お客様に特にそのような点を言葉でしてきせずにいて、
明確に問題点部分の動きの制限や筋の硬結部などを圧をかけたり
筋硬結の圧縮保持をしてリリースをするという、
無言のうちにここになにかがあるとお客様の脳に語りかけていく。
そのときに何らかの違和感を感じたという場合は、
後々になって自身が問題点の気づきを得て
インナードクターがそこの問題の火種を消すよう
血流をそこに届けるような設定をしてくれます。
優先順位として上位3番くらいまでのところに
まずは血液を流して溶かすようにして、
一定の血液によるバーストで問題箇所を立て直していくので。
それが、たいへん多くの問題箇所が体の内側にあれば、
なかなか解かれるための順番が後回しになることもある。
ただひとつ言えていることは。
すでに内在している凝りにはまったく違和感を認識できず、
平素のあってしかるべきもの、と意識的に受け止めている。
その視野を変えられなければ、そこに血液という貴重な投資をすることはない。。。
着々と問題が骨の髄まではびこりだすことになり、
やがて動脈管への圧迫やリンパ液等の代謝を制限させて生命力を下げてしまう。
体の中の体液の流れを滞らせられたところから冷えていき、
冷えていった緊張箇所から病や動きの制限なのの問題が生じるように思います。
もし麻痺がありそうだと気づいたが実感がないときのポイントとして、
現在の経験している体の状態が完全体で上がりと思うよりも、
自身にはさらに自由に動きを創りだす潜在的な能力があると認識し、
そこが追求できて未体験ゾーンに足を踏み入れられて麻痺を拭えたら、
いったいどんな気分を味わえるかとワクワクすること。
そのような前向きで建設的な意識を持っている人ならば、
すでに深層筋が癒着が進んでいたとしても、
適切な対応をしていくことで、
やがて目を見開くばかりの楽しく喜びを表現するような歓喜の声があがるでしょう。
このような素敵な人体を授けてくれていたなんて、
なんてありがたいことだろう!
私自身こそ、さらにこのような意識に目覚めて、
自分の体の内側にある麻痺が進んだ箇所に気づき、
オーバーユースの部分の裏にある怠けた筋肉にも気づき、
その他の身体の仕組み上の未開拓部分に気づくことほど利益があるものはない。
そうなっていきたいと、
自分の身を振り返って思えている次第です。
2017年05月14日
感情と脊椎(特に胸椎の歪み)
感情と脊椎(特に胸椎の歪み)
去年終わりに施術を受けていただいたお客様が、
先日再度お越しいただけました。
去年終わり頃には、
ご本人的には大変な心身ともにご苦労と疲労感はあったものの、
脊椎の歪みはだいぶんよい状態に改善していたことを記憶しています。
それが、つい先日、施術をお受けいただいたときには、
腰椎の歪みだけではなく、
驚くべきほど胸椎の歪みが大きく生じていました。
腰椎は簡単に歪もうとすればゆがみますから理解できます。
問題ある姿勢をしていれば、早々にダメージを受けますし、
過労でもねじれが容易に入るものです。
ですが胸椎は、構造上、肋骨や胸骨という骨格が鳥かごのように形造られており、
たやすく歪むようなものではありません。
胸骨の歪みは、直接、免疫系、呼吸器、循環器に相当なダメージを強いることになります。
確か脊椎の状態で寿命や健康状態の将来を占うという本もあったと記憶していますが、
この部位の状態を観ることで私でも「健康寿命」をだいたいは占えるものです。。。
驚くような状態変化は、精神的なストレスから生み出されたとお話をお伺いしてわかりました。
以前からボディワイズのほうへおいでいただいているお客様の中で、
私が硬さが東日本一番じゃないかと思えた方も精神的なストレスが、
その体の体や脊椎の歪みの決定づけたものでありました。
最近、私が施術をする際に肘の使い方を工夫して、
臀部の深部へとリリースが及ぶようになってから、
どうにかこれほどの状態も、
半年前はある程度の良好さがあったというその時へのリセットをすれば良いという状況ゆえに、
対処することはできました。
ただあまりにも強固な歪みであるため、
ついぞ半年前の私がどこぞのセラピーで学んできた施術の圧のかけ方を
自分なりに応用系としてとりこめていなかったら、
ほぼ刃が立たなかったと思います。
胸椎および胸骨、その歪みは肋骨を通して大きな変位を共に起こしておられ、
呼吸がほぼ自律的にするのも難しいと思えるほど深刻な状態だということは
容易に察することができました。
どうにか4月になって好転してきたといっておられましたが、
それ以前は、まさに寝込んでおられたということでしたから。
もしも、この脊椎状況で放置されていたらどうなっていたのかと想像すると、
よくお話をさせていただいているお客様のことですから、
深刻な気持ちにならざるを得ませんでした。
ただ、実は施術はこのようなところでは対処療法。
まったくの対処療法なんです。
なぜか?
それは、精神的な痛手から起きた肉体の筋拘縮が体をがんじがらめにしたというものでしたから、
精神的な問題、または課題と言ってもいいことに対して、
ご自身がそこへどのように立ち向かっていかれるのかが、
根本の対応策となるものなのです。
そこにもちろんのことお客様も気づいておられますから、
長い時間、いっしょにいろいろとお話をきかせていただきました。
そしてたまたま私の知り合いの施術家の先生がなさっておられる楽器を、
そのお客様も関心を持っておられるご様子で、
自らその音色を奏でて癒やされたいなとおっしゃっておられました。
音色のなかには、心地よく自身の胸の鼓動を整えてくれる幸せを受け入れさせてくれる力があります。
そのような力量の大きさがあるもの。。。
私もそのような音楽のもとで安息のひとときをもつことができますよね。
自分にとって一番心地よいものと思えることに、
正面から向き合って没頭しているときを持つこと。
そのようなものを人生を送る友に持ちたいですよね。
^-^
お客様が楽器を演奏なさりたいという言葉を語られる様子を伺わせていただいて、
私も、なんだか勇気づけられた気持ちになりました。
胸椎の歪みは胸の痛み、、、
そしてやさしく傷つきやすいハートを、
特別なブロックをしようと努めた結果です。
肩の荷がどれほどの大きさだるのかは、私には察するにもあまりあります。
お話をお伺いさせていただくしかできませんでした。
いろいろと目の前に新たな人生の課題が降りかかってきます。
それらの課題を、正面からじっくりと受け止めていくことは、
心身ともにどれほど苦渋を感じることもおありでしょう。
私自身も、まさに心身ともにボロボロ状態になり、
復活するまでに時間を長く必要とすることも多々経験してきました。
そのときは、私の体も、悲しみと苦悩の状態から胸椎も歪みが出ていったことでしょう。
そういえば、呼吸ができてなくって、肚の位置が狂っていました。
腹式呼吸が妨げられるほどみぞおちが固まり、腹直筋を筋張ったものに変化させられて、
どうにかこうにか日々を送りつつも、、、。
意外に、そういったしんどい時期に、つかんだ意識の変化が、
自分にとっての成長を果たしてくれたものとなったと感じます。
自制心がそうやって増していったといいますか。。。 ^-^;
人生の課題って、疲れ果てるほどの試練なのかもしれません。
その人が乗り越えられるほどのものが授けられて成長の糧としていけると申します。
人生の課題を、どう感じるか。
なんなのかが、自らわかってきたらいいなと思います。
去年終わりに施術を受けていただいたお客様が、
先日再度お越しいただけました。
去年終わり頃には、
ご本人的には大変な心身ともにご苦労と疲労感はあったものの、
脊椎の歪みはだいぶんよい状態に改善していたことを記憶しています。
それが、つい先日、施術をお受けいただいたときには、
腰椎の歪みだけではなく、
驚くべきほど胸椎の歪みが大きく生じていました。
腰椎は簡単に歪もうとすればゆがみますから理解できます。
問題ある姿勢をしていれば、早々にダメージを受けますし、
過労でもねじれが容易に入るものです。
ですが胸椎は、構造上、肋骨や胸骨という骨格が鳥かごのように形造られており、
たやすく歪むようなものではありません。
胸骨の歪みは、直接、免疫系、呼吸器、循環器に相当なダメージを強いることになります。
確か脊椎の状態で寿命や健康状態の将来を占うという本もあったと記憶していますが、
この部位の状態を観ることで私でも「健康寿命」をだいたいは占えるものです。。。
驚くような状態変化は、精神的なストレスから生み出されたとお話をお伺いしてわかりました。
以前からボディワイズのほうへおいでいただいているお客様の中で、
私が硬さが東日本一番じゃないかと思えた方も精神的なストレスが、
その体の体や脊椎の歪みの決定づけたものでありました。
最近、私が施術をする際に肘の使い方を工夫して、
臀部の深部へとリリースが及ぶようになってから、
どうにかこれほどの状態も、
半年前はある程度の良好さがあったというその時へのリセットをすれば良いという状況ゆえに、
対処することはできました。
ただあまりにも強固な歪みであるため、
ついぞ半年前の私がどこぞのセラピーで学んできた施術の圧のかけ方を
自分なりに応用系としてとりこめていなかったら、
ほぼ刃が立たなかったと思います。
胸椎および胸骨、その歪みは肋骨を通して大きな変位を共に起こしておられ、
呼吸がほぼ自律的にするのも難しいと思えるほど深刻な状態だということは
容易に察することができました。
どうにか4月になって好転してきたといっておられましたが、
それ以前は、まさに寝込んでおられたということでしたから。
もしも、この脊椎状況で放置されていたらどうなっていたのかと想像すると、
よくお話をさせていただいているお客様のことですから、
深刻な気持ちにならざるを得ませんでした。
ただ、実は施術はこのようなところでは対処療法。
まったくの対処療法なんです。
なぜか?
それは、精神的な痛手から起きた肉体の筋拘縮が体をがんじがらめにしたというものでしたから、
精神的な問題、または課題と言ってもいいことに対して、
ご自身がそこへどのように立ち向かっていかれるのかが、
根本の対応策となるものなのです。
そこにもちろんのことお客様も気づいておられますから、
長い時間、いっしょにいろいろとお話をきかせていただきました。
そしてたまたま私の知り合いの施術家の先生がなさっておられる楽器を、
そのお客様も関心を持っておられるご様子で、
自らその音色を奏でて癒やされたいなとおっしゃっておられました。
音色のなかには、心地よく自身の胸の鼓動を整えてくれる幸せを受け入れさせてくれる力があります。
そのような力量の大きさがあるもの。。。
私もそのような音楽のもとで安息のひとときをもつことができますよね。
自分にとって一番心地よいものと思えることに、
正面から向き合って没頭しているときを持つこと。
そのようなものを人生を送る友に持ちたいですよね。
^-^
お客様が楽器を演奏なさりたいという言葉を語られる様子を伺わせていただいて、
私も、なんだか勇気づけられた気持ちになりました。
胸椎の歪みは胸の痛み、、、
そしてやさしく傷つきやすいハートを、
特別なブロックをしようと努めた結果です。
肩の荷がどれほどの大きさだるのかは、私には察するにもあまりあります。
お話をお伺いさせていただくしかできませんでした。
いろいろと目の前に新たな人生の課題が降りかかってきます。
それらの課題を、正面からじっくりと受け止めていくことは、
心身ともにどれほど苦渋を感じることもおありでしょう。
私自身も、まさに心身ともにボロボロ状態になり、
復活するまでに時間を長く必要とすることも多々経験してきました。
そのときは、私の体も、悲しみと苦悩の状態から胸椎も歪みが出ていったことでしょう。
そういえば、呼吸ができてなくって、肚の位置が狂っていました。
腹式呼吸が妨げられるほどみぞおちが固まり、腹直筋を筋張ったものに変化させられて、
どうにかこうにか日々を送りつつも、、、。
意外に、そういったしんどい時期に、つかんだ意識の変化が、
自分にとっての成長を果たしてくれたものとなったと感じます。
自制心がそうやって増していったといいますか。。。 ^-^;
人生の課題って、疲れ果てるほどの試練なのかもしれません。
その人が乗り越えられるほどのものが授けられて成長の糧としていけると申します。
人生の課題を、どう感じるか。
なんなのかが、自らわかってきたらいいなと思います。
2017年05月06日
伸筋を匠に使われている指揮者、発見 ^-^l
昨日は、私の仕事もお休みでゴールデンウィーク中の方々と混じって、
丸の内での音楽祭
ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン 2017
http://www.lfj.jp/lfj_2017/
こちらにはじめて足を運んでみました。
多くの人たちが集う感じでしたが、
やはりクラシック好きの集まりですね。
混雑をしていても、秩序だっています。
おかげで人疲れも思いの外少なくてすみました。 ^-^
とりあえず会場周辺の雰囲気を楽しんで、
あとはニコライ堂・湯島聖堂・神田明神等お参へ散歩も考えていました。
ですが有料チケットを持っていなければ、会場の内部に足を入れることさえ許されない。
そのような仕組みになっていたんですね。
それでは寂しいところです。
どちらか有望な指揮者や楽曲があれば、と思いましたが。
ただ、数日前に、このような催しがあると知ったもので、
これからのプログラムでなにかいいのは?と現地で観て、
曲名を観てもどんなものかが想像だにしないものです。
クラシック音楽の飛び込み聴きってしたことがなかったんですが、
そうなりました。 ^-^;
*-------------------------------------*
ドミトリー・リス 指揮
ウラル・フィルハーモニー管弦楽団
曲目:グリンカ:幻想的ワルツ ロ短調(管弦楽版)
ラフマニノフ:交響的舞曲 op.45
*-------------------------------------*
全体で45分の聴くにも体力的にやさしい感じのプログラムです。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
■ ドミトリー・リスという指揮者について。。。
http://www.lfj.jp/lfj_2017/performance/artist/detail/art_67.html
モスクワ音楽院でキタエンコに師事。
モスクワ・フィルのアシスタントを経て、
ロシア最年少でクズバス響の首席指揮者に就任。
現在はウラル・フィルの芸術監督・首席指揮者。
2016/17年シーズンより南オランダ・フィルの首席指揮者も兼任。
クレーメル、ロストロポーヴィチ、バシュメットらと共演。
― ドミトリー・リスは悠々たる身振りで、明快で落ち着きのある、充実したフレーズを紡いでいく。
我々はそれを聴きながら、曲がこのまま永遠に終わらぬことを切望するのだ。(The Winnipeg Free Press)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
なにやら呪文の羅列のようにしか、そのときの私には感じられません。
ただ舞台上に立ち、指揮をするさすがの姿から、意外なことを感じ取りました。
「あっ、この人(ドミトリー・リス)、呉氏八極拳の呉連枝老師などに属する体をしている人だ。」
こちらの指揮者の首や頭付きを一見すると、
前傾しているだけじゃないか、と見当違いの思いを持つ人もいるかもしれません。
私は実は呉氏八極拳の呉連枝老師の写真を初めて観た時、違和感をその部分に感じました。
それはあまりにもしっかりと前へと前傾しすぎて見える感じだったからです。
ただ、そんなはずはないという証拠も老師の映像の動きからわかります。
頭が混乱した中で、実際に老師のセミナーを見学させていただいたとき、
まさになめるように老師の立ち姿や動作の一挙手一投足見渡す姿からは、
私がまだまだ浅はかな誤解をする目しかなかったんだなと感じました。
その老師の繊細な感性ややさしさ、そして筆を用いた細かい字の巧みさも、
その大柄な体から現れる姿から目を見張りました。
体幹の確かさ。
手振りの繊細さ。
正確さ、緻密さ。
そして動き出したときの大きなモーションも。
圧倒的過ぎる肩甲骨裏のよく発達した広背筋に支えられている。
肩甲骨は後ろに浮き舞い上がり、位置を意のままに静止し動かせもする。
ほんとうは伸筋を利用しているというのはまだ序の口の評し方ですから、
多々誤解を受けそうですが、わかりやすく言うと、
常人が屈筋主体で動く性状が強いのに対して、
老師は伸筋を自在に意のままに操作している。
その呉連枝老師の動きと指揮者のドミトリー・リスの動きが似ています。
ドミトリー・リス氏については
呉連枝老師に比べれば大まかにしか見れてはいませんが。
微妙に体つきの肩甲骨裏の特徴も
その他のバランスのとるときの体の吊り操作も。。。
伸筋の伸びを利用して
身体が操り人形状態にて操作可能な客観的自己身体操作能力を身に着けている。。。
いいかたがまどろっこしいのですが、
ようするに意のままに全身の筋肉を連動して操作できる達人だということです。 ^ー^;
あとで他のプログラムの指揮者みると、
連日ほぼ出ずっぱりな感じで指揮をドミトリー・リス氏はしておられる。
体力的にも相当なものがあると同時に、
それは体に負担が少なくて済む機能的な身体操作ができてかなえられる荒業でしょう。
老後のタフさは合理的かつ機能的な身体操作からくる。
それしかありませんから。。。
呉連枝老師もドミトリー・リス氏も、
双方とも同様の感性で身を操作しておられるのかなぁ。
呉連枝老師は呉氏八極拳の継承者ですから、
武道的な勝てる体づくりをしてきましたが、
ドミトリー・リス指揮者はどこから学んだ?
はたまたは、
指揮者にも、そのような身体操作のノウハウが伝統的に継承されているのでしょうか。
それとも独自に自身の身体感覚を手がかりにし開発開花した体動だったのでしょうか。
そのような興味をいだいたまま、
45分の演奏が瞬く間に終わりました。
不思議と音に包まれた感覚は残っているものの、
曲がどのようなものであったのかは、
今はすでに記憶から遠のく夢のような時間でした。 ^-^;
良い勉強になりました。
ネットでドミトリー・リスの指揮をしている映像がないか、
探してみたら以下のような映像がありました。
興味を持たれた方は指揮者の動きをじっくり観察して見て下さいね。
Olivier Charlier - Barber Violin Concerto, Op.14 - Dmitri Liss
丸の内での音楽祭
ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン 2017
http://www.lfj.jp/lfj_2017/
こちらにはじめて足を運んでみました。
多くの人たちが集う感じでしたが、
やはりクラシック好きの集まりですね。
混雑をしていても、秩序だっています。
おかげで人疲れも思いの外少なくてすみました。 ^-^
とりあえず会場周辺の雰囲気を楽しんで、
あとはニコライ堂・湯島聖堂・神田明神等お参へ散歩も考えていました。
ですが有料チケットを持っていなければ、会場の内部に足を入れることさえ許されない。
そのような仕組みになっていたんですね。
それでは寂しいところです。
どちらか有望な指揮者や楽曲があれば、と思いましたが。
ただ、数日前に、このような催しがあると知ったもので、
これからのプログラムでなにかいいのは?と現地で観て、
曲名を観てもどんなものかが想像だにしないものです。
クラシック音楽の飛び込み聴きってしたことがなかったんですが、
そうなりました。 ^-^;
*-------------------------------------*
ドミトリー・リス 指揮
ウラル・フィルハーモニー管弦楽団
曲目:グリンカ:幻想的ワルツ ロ短調(管弦楽版)
ラフマニノフ:交響的舞曲 op.45
*-------------------------------------*
全体で45分の聴くにも体力的にやさしい感じのプログラムです。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
■ ドミトリー・リスという指揮者について。。。
http://www.lfj.jp/lfj_2017/performance/artist/detail/art_67.html
モスクワ音楽院でキタエンコに師事。
モスクワ・フィルのアシスタントを経て、
ロシア最年少でクズバス響の首席指揮者に就任。
現在はウラル・フィルの芸術監督・首席指揮者。
2016/17年シーズンより南オランダ・フィルの首席指揮者も兼任。
クレーメル、ロストロポーヴィチ、バシュメットらと共演。
― ドミトリー・リスは悠々たる身振りで、明快で落ち着きのある、充実したフレーズを紡いでいく。
我々はそれを聴きながら、曲がこのまま永遠に終わらぬことを切望するのだ。(The Winnipeg Free Press)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
なにやら呪文の羅列のようにしか、そのときの私には感じられません。
ただ舞台上に立ち、指揮をするさすがの姿から、意外なことを感じ取りました。
「あっ、この人(ドミトリー・リス)、呉氏八極拳の呉連枝老師などに属する体をしている人だ。」
こちらの指揮者の首や頭付きを一見すると、
前傾しているだけじゃないか、と見当違いの思いを持つ人もいるかもしれません。
私は実は呉氏八極拳の呉連枝老師の写真を初めて観た時、違和感をその部分に感じました。
それはあまりにもしっかりと前へと前傾しすぎて見える感じだったからです。
ただ、そんなはずはないという証拠も老師の映像の動きからわかります。
頭が混乱した中で、実際に老師のセミナーを見学させていただいたとき、
まさになめるように老師の立ち姿や動作の一挙手一投足見渡す姿からは、
私がまだまだ浅はかな誤解をする目しかなかったんだなと感じました。
その老師の繊細な感性ややさしさ、そして筆を用いた細かい字の巧みさも、
その大柄な体から現れる姿から目を見張りました。
体幹の確かさ。
手振りの繊細さ。
正確さ、緻密さ。
そして動き出したときの大きなモーションも。
圧倒的過ぎる肩甲骨裏のよく発達した広背筋に支えられている。
肩甲骨は後ろに浮き舞い上がり、位置を意のままに静止し動かせもする。
ほんとうは伸筋を利用しているというのはまだ序の口の評し方ですから、
多々誤解を受けそうですが、わかりやすく言うと、
常人が屈筋主体で動く性状が強いのに対して、
老師は伸筋を自在に意のままに操作している。
その呉連枝老師の動きと指揮者のドミトリー・リスの動きが似ています。
ドミトリー・リス氏については
呉連枝老師に比べれば大まかにしか見れてはいませんが。
微妙に体つきの肩甲骨裏の特徴も
その他のバランスのとるときの体の吊り操作も。。。
伸筋の伸びを利用して
身体が操り人形状態にて操作可能な客観的自己身体操作能力を身に着けている。。。
いいかたがまどろっこしいのですが、
ようするに意のままに全身の筋肉を連動して操作できる達人だということです。 ^ー^;
あとで他のプログラムの指揮者みると、
連日ほぼ出ずっぱりな感じで指揮をドミトリー・リス氏はしておられる。
体力的にも相当なものがあると同時に、
それは体に負担が少なくて済む機能的な身体操作ができてかなえられる荒業でしょう。
老後のタフさは合理的かつ機能的な身体操作からくる。
それしかありませんから。。。
呉連枝老師もドミトリー・リス氏も、
双方とも同様の感性で身を操作しておられるのかなぁ。
呉連枝老師は呉氏八極拳の継承者ですから、
武道的な勝てる体づくりをしてきましたが、
ドミトリー・リス指揮者はどこから学んだ?
はたまたは、
指揮者にも、そのような身体操作のノウハウが伝統的に継承されているのでしょうか。
それとも独自に自身の身体感覚を手がかりにし開発開花した体動だったのでしょうか。
そのような興味をいだいたまま、
45分の演奏が瞬く間に終わりました。
不思議と音に包まれた感覚は残っているものの、
曲がどのようなものであったのかは、
今はすでに記憶から遠のく夢のような時間でした。 ^-^;
良い勉強になりました。
ネットでドミトリー・リスの指揮をしている映像がないか、
探してみたら以下のような映像がありました。
興味を持たれた方は指揮者の動きをじっくり観察して見て下さいね。
Olivier Charlier - Barber Violin Concerto, Op.14 - Dmitri Liss
2017年03月17日
呼吸時の3つの隔膜の動く方向
私の知人が、
「歌を歌ってみたいんですけどぉ」と、
去年辺りからずっと申されております。
私は「がんばってくださいね!応援してますから」
という気持ちでいるのです。
では、ここで簡単な呼吸をする際の解剖学的な隔膜の動きを認識してみましょう。
自然呼吸法の本
こちらの本に、下図のような隔膜の動きを示す図がある。
地面に対して
骨格が垂直性を現し、
隔膜が水平面を保つ。
それは大まかな胴体のみにかかわるものを下からかいつまんで述べれば
骨盤隔膜 と 横隔膜 と 声帯隔膜
のように並べられたものがあるだろう。
それらがひとつの隔膜が水平性を乱せば、
隔膜の水平性はすべて同様に乱れている。
そのような興味深い連関性を示すものだ。
呼吸時の隔膜の上下動の向きは下図のようになっている。
骨盤隔膜と横隔膜が同方向を向く動きを示し、
骨盤隔膜の作動が先行し横隔膜が従たるものとして従う。
つまり骨盤隔膜が作動する量に横隔膜の動きの制約が生じているため、
骨盤隔膜の使い方が呼吸のキーになるといえるだろう。
声帯隔膜は、骨盤隔膜と横隔膜の動く方向の逆向きとなる。
声帯隔膜により呼吸の出入りを制限等は加えられるが、
息を入れたり出したりするためのポンプ力はないため、
これもまた骨盤隔膜の動作の様子として、
胴体部分の下端が骨盤隔膜で上端が声帯隔膜となって、
双方の機能パフォーマンスの連関性は高いものとなる。
頭部の位置が理想ポジションから離れれば声帯が閉じていたり斜めっていれば、
声帯を構成する筋肉や顎二腹筋の余分な緊張を強いて声帯を痛めます。
そのような声帯の制限は骨盤隔膜の緊張に飛び火して、
それが横隔膜の作動を制限させることとなります。
声帯隔膜は頭の位置や首の状態、胸の開き具合や肩の位置で、
外的にその状態をチェックすることができるように思います。
ただしこの知識はアマチュアのボーカル志望であれば、
かえって歌をうたうための足かせになってしまうので、
最初から指摘されてしまうのも、なんだかなぁ〜。。。
と我ながら思います。
こんなことばかり考えてたら、歌う楽しさがなくなる。
それじゃ、ちっとも楽しい気分を味わえませんものね。
ただ専門的になさっておられる方にもオススメですが、
発声時の横隔膜に手を置くことで振動の状態をモニターすることはおすすめですし、
骨盤隔膜や声帯隔膜にも自身の独自性を感づくために前後左右立体的に手を当てて
そこに生じている振動を感じ取り、ときにはそれが倍音のようなうなり、うねりに。
細分化した感じ方をすることで、楽しみ方も大きく広がるのかもしれません。
発声時に自分の体の各所を触れて振動の様子を把握すれば、
自分の呼吸の質の良し悪しもわかってくると思います。
そこらへんのより詳細は、上記の本の全編の呼吸関係の詳細解説をどうぞ。 ^-^
「歌を歌ってみたいんですけどぉ」と、
去年辺りからずっと申されております。
私は「がんばってくださいね!応援してますから」
という気持ちでいるのです。
では、ここで簡単な呼吸をする際の解剖学的な隔膜の動きを認識してみましょう。
自然呼吸法の本
こちらの本に、下図のような隔膜の動きを示す図がある。
地面に対して
骨格が垂直性を現し、
隔膜が水平面を保つ。
それは大まかな胴体のみにかかわるものを下からかいつまんで述べれば
骨盤隔膜 と 横隔膜 と 声帯隔膜
のように並べられたものがあるだろう。
それらがひとつの隔膜が水平性を乱せば、
隔膜の水平性はすべて同様に乱れている。
そのような興味深い連関性を示すものだ。
呼吸時の隔膜の上下動の向きは下図のようになっている。
骨盤隔膜と横隔膜が同方向を向く動きを示し、
骨盤隔膜の作動が先行し横隔膜が従たるものとして従う。
つまり骨盤隔膜が作動する量に横隔膜の動きの制約が生じているため、
骨盤隔膜の使い方が呼吸のキーになるといえるだろう。
声帯隔膜は、骨盤隔膜と横隔膜の動く方向の逆向きとなる。
声帯隔膜により呼吸の出入りを制限等は加えられるが、
息を入れたり出したりするためのポンプ力はないため、
これもまた骨盤隔膜の動作の様子として、
胴体部分の下端が骨盤隔膜で上端が声帯隔膜となって、
双方の機能パフォーマンスの連関性は高いものとなる。
頭部の位置が理想ポジションから離れれば声帯が閉じていたり斜めっていれば、
声帯を構成する筋肉や顎二腹筋の余分な緊張を強いて声帯を痛めます。
そのような声帯の制限は骨盤隔膜の緊張に飛び火して、
それが横隔膜の作動を制限させることとなります。
声帯隔膜は頭の位置や首の状態、胸の開き具合や肩の位置で、
外的にその状態をチェックすることができるように思います。
ただしこの知識はアマチュアのボーカル志望であれば、
かえって歌をうたうための足かせになってしまうので、
最初から指摘されてしまうのも、なんだかなぁ〜。。。
と我ながら思います。
こんなことばかり考えてたら、歌う楽しさがなくなる。
それじゃ、ちっとも楽しい気分を味わえませんものね。
ただ専門的になさっておられる方にもオススメですが、
発声時の横隔膜に手を置くことで振動の状態をモニターすることはおすすめですし、
骨盤隔膜や声帯隔膜にも自身の独自性を感づくために前後左右立体的に手を当てて
そこに生じている振動を感じ取り、ときにはそれが倍音のようなうなり、うねりに。
細分化した感じ方をすることで、楽しみ方も大きく広がるのかもしれません。
発声時に自分の体の各所を触れて振動の様子を把握すれば、
自分の呼吸の質の良し悪しもわかってくると思います。
そこらへんのより詳細は、上記の本の全編の呼吸関係の詳細解説をどうぞ。 ^-^
2017年03月10日
ひと呼吸ごとの上顎のうごき
頭蓋骨がひと呼吸ごとに、
どのような動きをするのか?
上顎の動きがよくわかる映像がユーチューブにあったので、
興味のある方はぜひ、参照してみてくださいね。
へぇ〜〜って、感動する方もおられるはず!^-^
Biodynamic Craniosacral Therapy: The Hard Palate - Orbital Hold
https://youtu.be/8A_rhl8DsgI?t=1m46s
ちなみに、
恥骨結合部分が開閉することで腹部が呼吸をし、
胸鎖関節部分が開閉することで肺が呼吸ができ、
上顎の左右の開きにより脳が呼吸ができる感じです。
これら、恥骨結合・胸鎖関節・上顎部の3つともスムースに骨が動く人は、
良い呼吸ができている人といえるでしょう。
どのような動きをするのか?
上顎の動きがよくわかる映像がユーチューブにあったので、
興味のある方はぜひ、参照してみてくださいね。
へぇ〜〜って、感動する方もおられるはず!^-^
Biodynamic Craniosacral Therapy: The Hard Palate - Orbital Hold
https://youtu.be/8A_rhl8DsgI?t=1m46s
ちなみに、
恥骨結合部分が開閉することで腹部が呼吸をし、
胸鎖関節部分が開閉することで肺が呼吸ができ、
上顎の左右の開きにより脳が呼吸ができる感じです。
これら、恥骨結合・胸鎖関節・上顎部の3つともスムースに骨が動く人は、
良い呼吸ができている人といえるでしょう。
2017年02月04日
隔膜を感じ整えることへ
『中央構造線断層帯』をご存知だろうか?
九州から関東まで貫く断層帯だ。
その断層帯の上には、多くの神社仏閣や神社、
それに聖地と呼ばれる場や、
ゼロ磁場とも呼ばれるヒーリングスポットなどが点在している。
それは九州熊本の幣立神宮や愛媛の石鎚山、
和歌山の高野山然り、三重県の伊勢神宮しかり、
愛知の豊川稲荷や長野の諏訪大社、そして千葉の香取神宮に茨城の鹿島神宮。
断層帯では、上下2つのプレートがぶつかり合っている。
それがもしぶつかり合う力のベクトルがそれぞれが直行しない場合は、
断層面部分からプレートがずれだせば、動きが生じることだろう。
ぶつかり合う2つの重なるプレートの力が拮抗していれば静止している。
それではひとつの実験です。
胸の前で合掌し合わせた両手に精一杯のパワーで圧してみよう。
すると重なる手と手は動かずにフリーズしているが、
強い力の場が合わせられた手と手の間に生じていることもわかるだろう。
そんな2つのプレートが合わさった場所でも特別なところに、
上に挙げたような神社仏閣や聖地やゼロ磁場が点在する。
水晶や花崗岩等が地中でぶつかることで、強い地場エネルギーがほとばしる。
そのような地に、聖地といわれるような祭祀すべきものと感じ祀ったのだろう。
ふたつのプレートが重なる場に、
力が吊り合い動かない状態だが特別な力が生じる場がでてくる。
その重なりの状態により磁場エネルギーの様子がより強まることがあるのだろう。
そして私の目には、
人体にも中央構造線断層帯のような2つのプレートの重なり合いを感じられる。
人体にてみてとっている断層帯とは、
重力という天地を直行する力により創りだされたものだ。
それは『 隔膜 』という名で呼ばれている。
隔膜とは地面に対し水平を保つ筋肉の層です。
たとえば、代表的に知られているものとしては、
ひとつには横隔膜などがあるだろう。
人体の断層帯といえるような隔膜には
下図のような隔膜が人体には点在しているのだ。
(図 隔膜イメージ)
すべての隔膜は呼吸により上下動するという特徴がある。
それこそ隔膜を挟んで上下に2つのボディユニットが、
あたかもプレートが静止を拒み押し合いしながら生命の息吹をあらわす。
隔膜の存在は、
2つのプレートが重なり合わさる断層帯としての特別な力を秘めた性質を持つ。
実際に私は図の隔膜の位置を瞬時に読むことで、
その人の生命力の高低や改善点などを把握する。
そしてそれはチャクラ等の生命の役割の判断と同様に、
それぞれの各隔膜も個性的な役割が存在しているようだ。
ひとつ、隔膜を活かすためには条件がある。
2つの部位を断層で重ねて一体化させるには
パーツごとの軸が重力線で一括りにできるようあわされなければならない。
2つの部位の軸が一体化するような構造体にすればいいということだ。
そこに私の施術の人体への構造体へのこだわりと成果の秘密がある。
少し特殊なところを考察すれば、
胴体部分と左右の脚部というものは、
ふたつに脚部へと力が分解された上で釣り合うようになり、
複雑なかさなりをそこに見出して形成しなければならない。
ただここも力学的に考えるならば中学生レベルの知識で説明がつく。
胴体の腹部と胸部をつなぐ横隔膜のような
シンプルに上下に連なる部位を想像してもらったほうがわかりやすいだろう。
下図を観察していただければとお願いしたい。
(下図 軸が直行したケースとずれたケース)
重力により正しく重ねあわせられた左図は上下で釣り合う様子が見えるだろう。
それに対し右図は重なる部位の軸がずれて直行していないため、間に挟まれた隔膜部分はやや斜めになってしまうような傾斜状態に陥って、上に位置する部位が角膜上を滑り落ちていく。
このときになにが起きているのか?
呼吸が、隔膜が傾斜している状態に比例してしづらくなっているのだ。
それにより生命力が低減してしまっているように感じられる。
そして不安定な重なりがあるならば、
確実に傾斜で落ち続けようとする上にある部位を支えるため、
滑り落ちないような手当を滑り落ち防止担当に無理やり任命された筋肉部位が
隔膜が傾斜し続けるあいだ、
ずっと、筋硬化を強い続けて筋膜の癒着を創りだす元凶となってしまう。
対して左図の上下が厳密に釣り合いがとれた状態では、
あたかも中央構造線断層帯で見えるようなパワースポットが身に発動し、
優れたその自然体からすばらしい肉体的なエネルギーを発揮するようだ。
そんなエネルギーの高まりを感じるために、
自らの体内の隔膜の聖地にたどりつこうとしやすい場に足を運ぶようにしている。
それは私が神社仏閣で手を合わせたり、
気の力を身体内部で強めるように意図したエクササイズや気を鎮めるときだ。
私にはそのような自他に備わる力を
直感的といえるのだが感覚的に察知しているよう感じている。
人体の隔膜を断層帯ととらえていくたとえは、
見方としてはあまり聞かない独特なのかもしれない。
これは私個人の蓄積した知恵からは生じた見方で、
私には手触り感覚でで感じられ、
利用価値は高くしっくりくるものだ。
2017年02月03日
体から語りかけてくる声を聞くことができるのは、ダメなことなの?
体からは多くのメッセージを語りかけてくる。
私たちはその声を聞くことで、
危機や不利益を回避できます。
施術を受けることで、お客様にとって予想外のことが起きたと感じることがある。
それは、なにか?
・以前より歪みが感じとれるようになって、
体の左右差が気になってしかたがない
・体の関節の詰まりが気になってしまう
・筋肉の張りが気持ち悪いほど感じる・・・
そのような、今までも感じていたか、またはまったく感じていなかったか。
さまざまな場合があるのだが、
どちらかというと、
「ネガティブな印象を持った負担感」を得たように感じられる人がでてくるときがある。
それは、なぜか?
実際は、今まで、自分の体の奥底から聞こえてくるべき声を聞けない体になっていたから、
それらの状況が無視され続けていただけのことです。
すでに体内に炎症が生じるような硬い筋肉の部位は、
痛覚からくる筋の張りやつねられたり熱を持ったり等の
様々な訴えを立て続けに重要な要改善点を伝えるメッセージとして教えてくれようとしています。
そのメッセージのボリュームは必要に応じて大きさは決まっている。
その警報音を受け取ることをあきらめ耳をふさいでいる自分がいる。
またはメッセージはヴィジュアル的に感じ取る人もいるようですね。
そこから先は「赤信号」になって渡れない道。
それなのに信号を見ることなしに進みだした。
自動車にはアクセルとブレーキの2つが備わっていて、
はじめて速度調整が可能で安全な運転ができるのです。
「前にすすめ!」というのがアクセルで、
「ちょっと待て!」がブレーキです。
実際は体の内側に自分であずかり知らないといえる気づかないうちに作っていくしこりたち。
それがさらに上乗せしてできてしまうような使い方をすれば、
どのような解決策を施すでしょう?
健康な体から語りかけてくる声を聞くことのできる人ほど、
「ちょっと待て!」と減速のブレーキを踏むものでしょう。
本能的にかけたブレーキを踏む背景には意味があるのです。
しっかりした理由です。
その理由に対して気をくばることで、
再度、快適にアクセルを踏んで走り出せるようにするのが、
私には正解だと思えます。
ただ「ちょっと待て!」というブレーキを踏むやり方とは、
体の内側で痛みを感じるとか、
張りを感じるとか、
歪みを感じるとか、
様々な負担感をともなう伝え方なのです。
その負担感に対して無視をしようとか、
強制的になかったことにしようとする。
そういった対処をしようとするときは、
かえってその後に、
もっと痛みを強く張りを強く歪み感を強くして改善を訴えてくれるのです。
それは良質な身体的操作上の指導員を雇っているかのようです。
ただその無視や強制的になかったようにしたり、
または負担感を減少させる手立てを講じないと、
やがて、
体から語りかけてくる声が聞こえなくなります。
その状態に陥った方が、
いざ、体の状態が改善してきたというときには、
また、体の声を聞き届けられるようになります。
つまり、
不健康な体から語りかけてくる声を聞くことのできない人でありつづけること。
体からの警報に対して、耳を、目を、注意を向けられずに、
ブレーキを踏もうとする動作をとらないで突っ走りだすか、
または過剰にブレーキを踏んで動きを抑止しすぎるように。
そのような状態から、ひと皮むけてきた状態ですね。
私には経験上、最初に体の外側にある骨格筋の表層部が虚脱や緊張などの異常なテンションを表し、
その後に徐々に深層筋部分へまで異常が湿潤化していくように観察しています。
そしてその後に、深層筋というとちょっとイメージしづらいかもしれないが、
体内の胃や肝臓や肺や心臓や大腸や小腸や腎臓や、、、その他すべての臓器たちは筋肉組織で作られ、
それこそ最奥部の深層筋と言えるもので、
そこにまで臓器の筋組織の異常具合が湿潤化していくようだと私は考えています。
ざっくりした筋肉の凝り化する進み具合のイメージですが、
表層筋 -> 中層筋 -> 深層筋 -> 内臓筋
のように、
筋膜の癒着の進み具合に比例して問題が奥まった方向へ進行していきます。
この並びは左側が一番リリースが楽で、右へ進むにつれて困難になります。
ただスピリチュアル系のことからの受け売りではありませんが、
たとえばダメージを受け取った深層筋等に対して、
人格を持ったものと同等のものとして尊重し続けながら
そのものへと語りかけていくようにしていくこと。
友として名を呼び、ねぎらい、思いやる気持ちをあらわすようにしていく。
そのような今までの活躍や今の活躍、そして今後のお世話いただくことに
心からの敬意を払う親近感を持った感情から言葉かけをし続けてみるとき。
ときどき、
あたかも、
そう言葉をかけ語りかけた体の部位から、
返事が聞こえてきたような感じをえられるときがあります。
そういったときに、
私がその部位を触れて筋の状態をチェックさせていただくと、
まれにですが、驚くほどその部位が緊張から解放されたかのようなゆるさをあらわすときがあります。
私は、そういったことも含めて、
体から語りかけてくる声を聞くことは。
たとえ、ネガティブな負担を蓄積した層にアクセスして痛みや負担を感じたとしても、
身を守るためのお役を持った友として受け止めて行きたいと思います。
そんなときに、
「この痛みで私に何を伝えようとしてくれているの?」
「できれば、もうちょっとわかりやすく教えてくれないかな」
とお願いすることもいいでしょう。
インナードクターと呼ばれるものが、
私たちの内部に存在し続けました。
だからお医者様がいなかった原始時代でも、私たちの先祖は生き抜けたわけです。
そこの部分を友として、協力してその課題に取り組み乗り越えることができれば「体は若返り」ます。
やはり体から語りかけてくる声を聞き賢明な対応を心がけたいですね。
反対に、そのことを不安や恐怖として耳を閉ざしてしまうように感情を濁すならば。
ついつい痛かったり息苦しかったりだるくなったりした生きた心地がしないときは、
問題解決のための理知を持った人でも、粛々と理詰めで動けなくなるものでしょう。
本能的な危機感からくる焦りなどは半端ないものですから、起きることも当然です。
人生とは、ときとして楽しいことばかりで埋められたものではありません。
ただ事の大小はありますが、大事なこととは。
日頃から自分の体から語りかけてくる声をどう聞くか、
そして自身の体に敬意を払い正当な扱いをしていきたいと声をかけるか。
しずかに部屋で座禅を組みながら考えると、
そのようなメッセージを受け取ることがあります。 ^-^
2016年09月26日
体内にあるしこりが溶ける基礎体力。私は昔、なかったなぁ ^-^;
一昨日前、
施術をさせていただいていて。
かなり体の重心取りがうまくなって、
大腰筋の使い方が向上なさっている。
そして長距離のマラソンをしている。
状況として
身体的な筋肉の柔軟性はある。
スポーツ心臓をお持ちである。
足すことの、
本人の身体操作の研究心が高い。
走りのフォームなどをも含めて、
独自に試行錯誤されています。
そのような体力的にはとても余裕がある方が施術を受けてくれたとき。
体の奥深いところの変化が一気にドバッと出ることがあります。
どのようなことかというと、
おもしろいことを話してくれました。
つい先日、
とあるマラソン大会にて10キロマラソンをなさった際には、
これ以上ない風雨に見舞われた最悪な競技環境だったそうだ。
それはもう、私がその聞いていたら、
私ならばまちがいなく棄権するかも。
そんなように感じられるほど大変で。。。
フルマラソンを走ることもできる人であるにもかかわらず、
相当につかれたそうでした。
その疲労のピークは、
大会が終わった日の、
翌日に起きたという。
朝起きてみて体が重い。。。
どっと体がつかれきって調子が悪くてしんどかった。
自身でも、驚くほどのしんどさだったようです。
(本当に大変でしたよね〜)
「このまま数日も続いてしまったら・・・
仕事にならないし、どうしようか・・・・」
と不安になられたかもしれません。
それが不思議な事につらかったのはお昼ごろがピーク。
午後に差し掛かった頃にはだいぶ楽になったといいます。
以降は私のお客様のお体をつぶさに観察させていただいたうえでの、
推測なのですが。
少しお耳をかしていただければ、
ありがたいです。 ^-^
こちらのお客様。
以前はあった大腿直筋の不要な筋肉量が落ちてきております。
身体の操作方法を工夫して改良しているのが体に現れている。
大腰筋のコリも消えてきました。
以前は大腰筋を施術中にリリースされるとき。
その張りが強くて軽く押されるだけでも「うぅっ」となった。
それがほとんど無反応で施術のとき楽な状態で過ごせている。
それに内臓が柔軟性を帯びる。
腹直筋がまだ中央部に硬さがあるのは確かだが、
当初の1/5ほどの硬さがのこるばかりです。
あとはみぞおちを緩めて下部肋骨の動きが
さらにスムースに可動できるようにしたい。
そんな欲求が私にはむくむく出てきます。
大腰筋や腹部の内臓の筋肉などがコリがあれば、
それでコアの筋肉が使える資格がないも同然で。
一般の方でもその言い方はなりたつものですが、
特に長距離ランナーとしては如実にいえてます。
そのようなコアが
すでにコアの筋肉群を使う要点を体で理解なさっておられる場合。
わずか半日分だけのドーンとしたしんどさで。
泥のようなだるさを感じた一過性の状態を過ぎれば、
体の内奥のシステムがさらに刷新されてしまうなど。
私からすれば、
本当に羨ましく感じることがおきてしまいます。
そのお客様の身体的特徴として、
一回ごとに血液を送る量が一般の人よりも多いスポーツ心臓を持つ(動脈の血のめぐりの強さ)
筋肉ポンプの力(特に脚部が重要)で心臓にまで血液を押し返す力が強い(静脈の血の返しがいい状態)
このふたつの血の循環効率のパワフルさがあると、
身体的な体の深部のしこりを大きく解かしていき、
多大な変化をどっと起こすことが際立ってできる。
特にコアの筋肉をがっつり使い倒すときには、
「泥のように眠くなって意識が飛ぶ」ような状態に陥ります。
つまりおそらくのこと風雨が台風が寄せてきたほどの強さで、
そのなかをがっつりりと走り抜ける10キロメートル。
重心が高ければ風や雨に横殴りになってよれよれで進めずに。
重心を低くして走っていったほうが進みやすいのでしょうか。
するといつも以上に腰を回転させて一歩を出すほうがいいし。
それって、大腰筋を活かした走りの基本ですので。
そうやってコアを大事に動かし
それでコアの部分を使い倒すと、
全身に行き渡る血行は促進され、
いつもとはレベルが違う深部まで血が行き渡りだす。
そのような現象が起きてきます。
走っているときは、
走るための筋肉にそちらの血液は優先して向かいますが、
それが走り終えたとき。
そして走っているときの感覚がまだまだ身体に残るとき。
今度は体の中にあるしこりという炎症を持った体の筋に、
どっとそれらの血流が分配されてしこりを溶かしていく。
筋肉的には酷使したから、
超回復力を示す流れです。
それがいつしか自分の中にあるしこり部分にも血液が回されて
ついでに古傷状態になり筋膜の癒着した炎症部分も溶かします。
これはかなり「お得!」なことなんです。
自力で血液で筋膜の癒着をした炎症が溶かされるならば、
筋膜リリーステクニックでリリースする以上にキレイに
そしてしっかり筋膜がキレイに剥がれてくれるようです。
実に後々にわたってしなやかに生まれ変われるのですね。
その筋肉が、命を取り戻すといった感じでしょうか。
ちなみに、、、
上述した方のように血流がよい人の場合。
血液のめぐりが行き届き、
しこりになっている患部にどんどん当てていける。
その作業が順番的に自力でできれば最良です。
一部は、私のようなボディワークをさせて頂き、
代理をさせていただくこともできるのですが、
それでもお客様のメリットは自力で蘇ること。
そのように私もなって欲しいですし、
そのステップに行くための踏み台が
私達のような仕事でしょう。
一人で痛みを抱えて行き詰まりになるようなつらいときは、
代理をさせていただくようなボディワークを優先するのも
選択としては私は良好なものだと思います。
ですが実際には、
自身の調整力が整えることはあるのは、
原因は施術者がお客様の調整力を肩代わりできません。
とどのつまりは、
習慣的な体の使い方からくる誤用、そして悪用により、
自らの体を傷つけてしまったり、苦しんでいるものは、
そのようになるような体験を積み重ねで作り上げる。
ほとんどの骨格筋のコリが引き金になった慢性的状態というものは、
自分では気づきづらい合理的で楽な体の操作から離れたことから起きるのです。
自分自身でどのような状態が理想の体の使い方かという良質な体の使い方を知りイマジネーションを増やす。
そこから自己管理をしていくという必要があるのです。
つまり施術者がチェックできるというのも、
1ヶ月に一度程度や一年に一度では少ない。
絶対量がそれだけでは少なすぎます。
だから願うことは自分を客観視して、
管理監督できるように自分にどのよな状態が良質かを体験的に判断し積み上げるというルールを与え、
きちっと組み上げていくことが大事。
なかなか簡単なことじゃないですが、
そうすることは、
生きるに際して必要であり、
最短距離で自分が生きて結果をだす。
自分がより良く生きる道筋をつける。
忙しく感じていて、
自己管理ができず、
やってみても成果が上がらなくてやめてしまいたくなる。
そこで自己管理の力を身に付けることができなくなると、
私としては、、、日々の業務として、、、
とりあえず施術を受けて頂いているときは注意してみて、
やってみるのもいいかもしれません。
意外に私が施術前にお客様の立つ姿を見させていただく。
するとその自己管理の見方を別の面からも観る考え方の層を増やすことができます。
そのようなときにお客様自身がどのように自分の体の使い方の着眼点を持っているかをお聴かせいただくと、
私自身がとても気づかせていただくことも多々ありますので。
ちょっと未来の自分はひとりきりで自己管理をすると迷路にハマる時もありますが、
施術に通っている際はぜひ積極的に、私に質問などを投げかけてください。
そのときは、できるだけ丁寧に回答したいと思います。
もしその場で答えられなければ、調べてきますし。
そうして体の使い方の誤用が抑えられる方向に進めるように、
できるだけ最短?の自己構築をしていくためのお役立ちとして
一緒になって考えて行ければいいと思っています。
あと、、、泥のようにだるくなっているとき。
体の中でどのようなことがおきているかです。
血の熱で筋膜癒着部分の周囲のしこりにある水分を温めていきます。
筋膜の癒着を起こす過程では多くの熱が外に逃げて冷えきった状態。
それは板ゼラチンにほどよく類似した固まりのようなしこりです。
それを溶かしだす。
イメージしてください。
ちょっとカチカチになっている板ゼラチンも、
お湯をかけてかき混ぜれば溶け出しますよね。
それと同じ要領で、体の中のしこりは解かれるのです。
血液の暖かさを有効に活用していくのです。
またそうすることで、患部に血流をふんだんにすると、
患部に血液が運んできてくれた栄養素を受け取られて、
まずはすでにダメージが大きい組織は解かして廃棄し、
その後に体を創りだす建築部材としてのタンパク質等
患部には満ち満ちてきて患部の改善が早く確実になる。
そして昨日の方は、
その作業をわずかな時間で済ましてしまっているとは。
心臓のポンプ力が強靭だとすれば、
体内に送り出す血の力が強まるし。
つまりここでは動脈の流れですね。
それは、いわば板ゼラチンを溶かすときの撹拌棒の回転のしっかりさ加減ということ。
低速でかき回せば溶けづらいが、
ガーッと高速で回して遠心力が、
もう、ハンパない? ^-^;
ならば溶けやすいでしょう。
あとは筋肉ポンプという静脈血の戻りの力です。
脚部の太ももやふくらはぎ部分が血に熱を伝え温める主たる機能を持っているものです。
足にあるべきマッスルパワーが貧弱であれば、
心臓に血が帰ってきませんから血圧異常になるのは必定ですね。
たとえばそれは一見すると脚部の筋量がありボリュームもある。
ならば相当強力に使えそうだなと思えても。。。
だが脚部がコリがひどくて・・・となれば、
膝関節や股関節、足首や鼠径部などで止血して流れを抑制され、
静脈の流れが悪くなって心臓に血が帰ってくる量が減じられる。
そのような静脈の血管を塞ぐ部分をしっかりゆるめるのは大切な仕事です。
そのような下地になるいくつものコンディションが整っているような人は、
まるで子どもや赤ちゃんがいきなり高熱を発したら、
一晩でケロッと平熱に戻ったというような大きな変化になるし、
そのような過酷な変化にも耐えられるようになっている。
ただ、
まだまだ心臓の力も弱く、脚部の筋肉のパワーも十分ではなかった。
そのようなときは、
一気にどっと体の内側の奥までを書き換える力がないから、
低温のお湯に板ゼラチンを入れてゆっくり撹拌棒でかき混ぜる感じ。
なかなか早急な変化はおきません。
だけど実際はその方の体の中にしてみれば、
大きな負担分を確実に外へと排除しているかのような除去作業をしているので、
大きな変化は起きているのです。
ですがお客様自身の肉体上に見て取れるような改善が現れるのには、
それから先まで、まだまだ負担分のしこりをゆっくりなくすまでに、
時間をかけていかなければならないのです。
私自身、このような後者の体力がない人のバージョンで体を整えていきましたから。
さぁ、これはこれで、泥のように意識が低下してだるくなって、しんどい。 ^-^
それを、私はだいたい8ヶ月位かけて乗り越えたというゆっくりした人でしたから。
いったんはこれで体が良くなったぞーと思えても、
まだまだ、その先があったことを直後に思い知る。
そのような連続です。
そのような波は未だに続いています。
体内で起きる体の内側のしこりを解くという作業が、
体内のしこりの量の多さに比例して手間や暇がかかるのです。
ただコアが使えると一気に静脈血の帰りがよくなってきます。
それでより短期間に、体の内側の筋膜リリースが進んでいく。
すると外面上はいつもとは変わらないように見えていても、
内面的には血の流れ方がまったく違いその変化について戸惑い、
次の安定できる状態に変化が落ち着くまでつらいですよね〜。
「泥のようにだるくなる・眠くなる」状態に入ります。
私は数ヶ月も意識もうろうに近くなった。
そうとう長い間、ボーッとして思考力が落ちてしまったことも。
生きているか死んでいるかわからないほどに、
だるさがピークが続いたときも味わいました。
私の場合は、「泥のように・・・・」としか形容できない状態の連続。
ひどいときは眠すぎてだるすぎて吐き気が、
または横たわったら起きるのがほんとうにしんどい。
体力がほんとうになかったものですからいたしかたありません。
それにもまして、
実験として自分のコアをどのペースで緩めればどうなるのかを調べてみたかった。
だから少し早めのペースで自分の大腰筋を緩めて試していたということもあって、
相当にきつかったのです。。。
ただ同様に私のように体力がないお客様が同様な変化が起きると、
私はすでにそれを体験しているから共感力がにじみ出てきますね。
施術者として、じつにありがたいことです。 ^-^;
ちなみに、
一気に大きな変化をさせようとしても、
心臓の強さや筋肉のパワーがなければ、
それは私はムチャな話です。
焦りから先走りたくなる気持ちもわかる。
ただ焦りが先走っているときは、
体の治りは確実に悪いものです。
それは経験上、そう思えるのですが。
あるお客様が、施術の圧が痛くてもすぐに解いて欲しいと言い続けていたときには、
体の戻りが早くて日頃の生活上での緊張が抜けていないことを感じられたのです。
そうするとやはり一喜一憂で気持ちが安定しない。
その振れ幅は体が辛い時ほど大きくなるものですが、
一喜一憂のなかでも「一憂」に支配されやすくなる。
それがそのお客様があるとき、
「私は、ずいぶん急いで体を治さなきゃいけない理由があったから必死だったんです。早く治りたいって。
でも、私の中にあるしこりとかずいぶんあるんだなって、自分で自分のマッサージをするようになって、
わかってきたんですよ。
だから、時間がかかるのもしかたがないことだなと思えるようになってきました。
時間がかかってもいいからしっかり解いてくださいね」
と、落ち着いた口調でおっしゃられた日に。
自分の体の中の状態を今まで観たり感じたりするのが悲しく悔しく切なく感じてしまい、
どうしてもそこから一刻も早く逃れることが本能的にしたくてならないことだったはず。
それは常日頃からいたたまれない自分の体という逃れ得ないものから
不快感を感じ続けて緊張してきたという状態だったのでしょう。
詳しくいろいろとお話をお伺いするにつけ、
心中、お察しすることは容易にできるような大変な状況でもありましたから。
ですが自分でマッサージをする日課を持つようになり、
自分の体に正面切って向き合ったときに、
どれほどまで多くの負担が自分の体に積み込まれていたのかを現状認識できた時。
体の不調や不快さも落ち着いて納得することができるようになってきた。
そして同時に、自分で解くようになってみたら、
自分でもできることがあることがわかってきた。
そのときにしこりとの格闘から、
いつしかしこりという自己との会話が始まったのでしょうか。
その後に出てきた、
焦らずに施術を受けていこうと思いますという宣言だったと思います。
ただ、
不思議なほどに、そのように語る彼女は、
両肩の設置場がずれていた線がちょうどよいところまで移行しており、
重心も丹田にもうちょっとというところまできていました。
もうひとりの自分といえる「内なる医者(インナードクター)」と呼ばれるものと出会えたのでしょうか。
あせらず現状をとらえること。
そして慈しみの言葉をかけることから始める。
私にも体調があまり優れなくなったときには、
自分の内側のもうひとりの自分に問いかけて、
主観を捨てた冷静な判断を引き出すときがあります。
そのときのお客様も、
「現状はつらくても、よくがんばって生きてきたよね、私!」
という言葉が、すなおに出てきたのかもしれません。。。
本当にそうだったのでしょう、、、。
私も含めてですが、
もともと体のかしこに動脈や静脈を圧迫する状態があり、
脚力や心臓のポンプ力が弱くて代謝力が不十分であると。
私のところにおいで頂くお客様の過半数はそのような状況でしょう。
そうなると、体質改善のできるだけの体の変化が訪れ始めると。
よくて数日、はたまた半年間も、体質が変わるまで、
ぬるま湯に硬い板ゼラチンを入れて低速で撹拌棒をまわして溶かすような作業が始まります。
スマーティなどの遠赤外線ドーム型サウナに入ると、
体の改善スピードが上がるというアドバイスをするのは、
物理的に冷えて固まった筋膜部分を外部熱で熱することで
温かいお湯につけて板ゼラチンを溶かすほうが早く溶けるという理にほかなりません。
ただ時間がかかったとしても、
どうにかこうにか血圧等のバイタルサインが相応に良い状態にまで改善できれば。
そこで体質的な安定が図られ、体力も回復力も以前よりも増していることに気づくでしょう。
またそうなるにも、姿勢が悪けでは至りづらいわけですから。
それはもともと体の使い方の誤用で関節の使い方が悪ければ、
早々に撹拌棒を回転させて板ゼラチンを溶かす行為を手放し、
いつまでも現状からステップアップできない状態に陥ります。
低空飛行から抜けだして、
安定した高さで飛行する。
その体験をしたら、以前の状態がどれだけつらかったのか。
思い知るときがあります。
私がまさにそうでしたから。
そして貴重な人生の中の時間を過ごすうえで、
もし肉体的にもう少し安定した状態であったら、
あの局面でどうがんばれただろうかとか。。。
ほんとうに、自分の子供の頃や青年時代などの体力や気力が続かなかったときを後悔しました。
「もったいないことをたくさんし過ぎた」と後悔した思いが沸き起こったことを覚えています。
ただ今更悔やんでも仕方がないから、
これからをどうするか、でしょうね。
あとは、蛇足です。
【 蛇足 その1 】
それに体の使い方はいったんはわかったと納得して使い方を改善し改良してみても、
いつぞやの悪癖が入った体の使い方が馴染みが深くてそちらに近づこうとしていく。
そのような、気をゆるめたときの罠が仕掛けてあるようです。
【 蛇足 その2 】
施術を受けていただくお客様で初回のとき。
体力的にかなり優秀な方だなとお見受けしたとき。
そしてどこか明確なネックがない場合には、
初回で体力値が十分であるからそこで卒業。
そのようにして自己管理を徹底するように、
と助言させていただくことが多くあります。
あなただったら自力で自己管理をすれば、
それででも十分がんばっていけるはずだ!
と言ってくれる人がいるというのも。。。
悪くないことでしょう。 ^-^
そのような説得をさせていただいて同意していただけたときには、
もし体的に不安なところが新たに出てきたら、
施術の予約を受け付けさせていただきますし。
自力で頑張れれば、それは素敵なことですよね。
ただそのような体力的に十分で
ご近所の施術院でも対応できるかもしれなくても。
それでもボディワイズにおいで頂ける場合の多くは、
自分自身の体へのこだわりや目標設定が実に明瞭。
そのような人たちがほとんどのようです。
体の変化の山を登るというのは、
各人が自分の山を登るものです。
決して同じ山ではない。
山の高さが高くとも、低くとも。
自分にふさわしい山頂を目指して登り出す足をあきらめずに亀の歩みのごとく出し続ける人は、
あとで来た道を振り返ったときに「ずいぶん高くまで登ってきたな」と驚くことでしょう。
どうぞ、あせらずに、そしてあきらめずに。
自分のペースで向き合っていきましょうね。
施術をさせていただいていて。
かなり体の重心取りがうまくなって、
大腰筋の使い方が向上なさっている。
そして長距離のマラソンをしている。
状況として
身体的な筋肉の柔軟性はある。
スポーツ心臓をお持ちである。
足すことの、
本人の身体操作の研究心が高い。
走りのフォームなどをも含めて、
独自に試行錯誤されています。
そのような体力的にはとても余裕がある方が施術を受けてくれたとき。
体の奥深いところの変化が一気にドバッと出ることがあります。
どのようなことかというと、
おもしろいことを話してくれました。
つい先日、
とあるマラソン大会にて10キロマラソンをなさった際には、
これ以上ない風雨に見舞われた最悪な競技環境だったそうだ。
それはもう、私がその聞いていたら、
私ならばまちがいなく棄権するかも。
そんなように感じられるほど大変で。。。
フルマラソンを走ることもできる人であるにもかかわらず、
相当につかれたそうでした。
その疲労のピークは、
大会が終わった日の、
翌日に起きたという。
朝起きてみて体が重い。。。
どっと体がつかれきって調子が悪くてしんどかった。
自身でも、驚くほどのしんどさだったようです。
(本当に大変でしたよね〜)
「このまま数日も続いてしまったら・・・
仕事にならないし、どうしようか・・・・」
と不安になられたかもしれません。
それが不思議な事につらかったのはお昼ごろがピーク。
午後に差し掛かった頃にはだいぶ楽になったといいます。
以降は私のお客様のお体をつぶさに観察させていただいたうえでの、
推測なのですが。
少しお耳をかしていただければ、
ありがたいです。 ^-^
こちらのお客様。
以前はあった大腿直筋の不要な筋肉量が落ちてきております。
身体の操作方法を工夫して改良しているのが体に現れている。
大腰筋のコリも消えてきました。
以前は大腰筋を施術中にリリースされるとき。
その張りが強くて軽く押されるだけでも「うぅっ」となった。
それがほとんど無反応で施術のとき楽な状態で過ごせている。
それに内臓が柔軟性を帯びる。
腹直筋がまだ中央部に硬さがあるのは確かだが、
当初の1/5ほどの硬さがのこるばかりです。
あとはみぞおちを緩めて下部肋骨の動きが
さらにスムースに可動できるようにしたい。
そんな欲求が私にはむくむく出てきます。
大腰筋や腹部の内臓の筋肉などがコリがあれば、
それでコアの筋肉が使える資格がないも同然で。
一般の方でもその言い方はなりたつものですが、
特に長距離ランナーとしては如実にいえてます。
そのようなコアが
すでにコアの筋肉群を使う要点を体で理解なさっておられる場合。
わずか半日分だけのドーンとしたしんどさで。
泥のようなだるさを感じた一過性の状態を過ぎれば、
体の内奥のシステムがさらに刷新されてしまうなど。
私からすれば、
本当に羨ましく感じることがおきてしまいます。
そのお客様の身体的特徴として、
一回ごとに血液を送る量が一般の人よりも多いスポーツ心臓を持つ(動脈の血のめぐりの強さ)
筋肉ポンプの力(特に脚部が重要)で心臓にまで血液を押し返す力が強い(静脈の血の返しがいい状態)
このふたつの血の循環効率のパワフルさがあると、
身体的な体の深部のしこりを大きく解かしていき、
多大な変化をどっと起こすことが際立ってできる。
特にコアの筋肉をがっつり使い倒すときには、
「泥のように眠くなって意識が飛ぶ」ような状態に陥ります。
つまりおそらくのこと風雨が台風が寄せてきたほどの強さで、
そのなかをがっつりりと走り抜ける10キロメートル。
重心が高ければ風や雨に横殴りになってよれよれで進めずに。
重心を低くして走っていったほうが進みやすいのでしょうか。
するといつも以上に腰を回転させて一歩を出すほうがいいし。
それって、大腰筋を活かした走りの基本ですので。
そうやってコアを大事に動かし
それでコアの部分を使い倒すと、
全身に行き渡る血行は促進され、
いつもとはレベルが違う深部まで血が行き渡りだす。
そのような現象が起きてきます。
走っているときは、
走るための筋肉にそちらの血液は優先して向かいますが、
それが走り終えたとき。
そして走っているときの感覚がまだまだ身体に残るとき。
今度は体の中にあるしこりという炎症を持った体の筋に、
どっとそれらの血流が分配されてしこりを溶かしていく。
筋肉的には酷使したから、
超回復力を示す流れです。
それがいつしか自分の中にあるしこり部分にも血液が回されて
ついでに古傷状態になり筋膜の癒着した炎症部分も溶かします。
これはかなり「お得!」なことなんです。
自力で血液で筋膜の癒着をした炎症が溶かされるならば、
筋膜リリーステクニックでリリースする以上にキレイに
そしてしっかり筋膜がキレイに剥がれてくれるようです。
実に後々にわたってしなやかに生まれ変われるのですね。
その筋肉が、命を取り戻すといった感じでしょうか。
ちなみに、、、
上述した方のように血流がよい人の場合。
血液のめぐりが行き届き、
しこりになっている患部にどんどん当てていける。
その作業が順番的に自力でできれば最良です。
一部は、私のようなボディワークをさせて頂き、
代理をさせていただくこともできるのですが、
それでもお客様のメリットは自力で蘇ること。
そのように私もなって欲しいですし、
そのステップに行くための踏み台が
私達のような仕事でしょう。
一人で痛みを抱えて行き詰まりになるようなつらいときは、
代理をさせていただくようなボディワークを優先するのも
選択としては私は良好なものだと思います。
ですが実際には、
自身の調整力が整えることはあるのは、
原因は施術者がお客様の調整力を肩代わりできません。
とどのつまりは、
習慣的な体の使い方からくる誤用、そして悪用により、
自らの体を傷つけてしまったり、苦しんでいるものは、
そのようになるような体験を積み重ねで作り上げる。
ほとんどの骨格筋のコリが引き金になった慢性的状態というものは、
自分では気づきづらい合理的で楽な体の操作から離れたことから起きるのです。
自分自身でどのような状態が理想の体の使い方かという良質な体の使い方を知りイマジネーションを増やす。
そこから自己管理をしていくという必要があるのです。
つまり施術者がチェックできるというのも、
1ヶ月に一度程度や一年に一度では少ない。
絶対量がそれだけでは少なすぎます。
だから願うことは自分を客観視して、
管理監督できるように自分にどのよな状態が良質かを体験的に判断し積み上げるというルールを与え、
きちっと組み上げていくことが大事。
なかなか簡単なことじゃないですが、
そうすることは、
生きるに際して必要であり、
最短距離で自分が生きて結果をだす。
自分がより良く生きる道筋をつける。
忙しく感じていて、
自己管理ができず、
やってみても成果が上がらなくてやめてしまいたくなる。
そこで自己管理の力を身に付けることができなくなると、
私としては、、、日々の業務として、、、
とりあえず施術を受けて頂いているときは注意してみて、
やってみるのもいいかもしれません。
意外に私が施術前にお客様の立つ姿を見させていただく。
するとその自己管理の見方を別の面からも観る考え方の層を増やすことができます。
そのようなときにお客様自身がどのように自分の体の使い方の着眼点を持っているかをお聴かせいただくと、
私自身がとても気づかせていただくことも多々ありますので。
ちょっと未来の自分はひとりきりで自己管理をすると迷路にハマる時もありますが、
施術に通っている際はぜひ積極的に、私に質問などを投げかけてください。
そのときは、できるだけ丁寧に回答したいと思います。
もしその場で答えられなければ、調べてきますし。
そうして体の使い方の誤用が抑えられる方向に進めるように、
できるだけ最短?の自己構築をしていくためのお役立ちとして
一緒になって考えて行ければいいと思っています。
あと、、、泥のようにだるくなっているとき。
体の中でどのようなことがおきているかです。
血の熱で筋膜癒着部分の周囲のしこりにある水分を温めていきます。
筋膜の癒着を起こす過程では多くの熱が外に逃げて冷えきった状態。
それは板ゼラチンにほどよく類似した固まりのようなしこりです。
それを溶かしだす。
イメージしてください。
ちょっとカチカチになっている板ゼラチンも、
お湯をかけてかき混ぜれば溶け出しますよね。
それと同じ要領で、体の中のしこりは解かれるのです。
血液の暖かさを有効に活用していくのです。
またそうすることで、患部に血流をふんだんにすると、
患部に血液が運んできてくれた栄養素を受け取られて、
まずはすでにダメージが大きい組織は解かして廃棄し、
その後に体を創りだす建築部材としてのタンパク質等
患部には満ち満ちてきて患部の改善が早く確実になる。
そして昨日の方は、
その作業をわずかな時間で済ましてしまっているとは。
心臓のポンプ力が強靭だとすれば、
体内に送り出す血の力が強まるし。
つまりここでは動脈の流れですね。
それは、いわば板ゼラチンを溶かすときの撹拌棒の回転のしっかりさ加減ということ。
低速でかき回せば溶けづらいが、
ガーッと高速で回して遠心力が、
もう、ハンパない? ^-^;
ならば溶けやすいでしょう。
あとは筋肉ポンプという静脈血の戻りの力です。
脚部の太ももやふくらはぎ部分が血に熱を伝え温める主たる機能を持っているものです。
足にあるべきマッスルパワーが貧弱であれば、
心臓に血が帰ってきませんから血圧異常になるのは必定ですね。
たとえばそれは一見すると脚部の筋量がありボリュームもある。
ならば相当強力に使えそうだなと思えても。。。
だが脚部がコリがひどくて・・・となれば、
膝関節や股関節、足首や鼠径部などで止血して流れを抑制され、
静脈の流れが悪くなって心臓に血が帰ってくる量が減じられる。
そのような静脈の血管を塞ぐ部分をしっかりゆるめるのは大切な仕事です。
そのような下地になるいくつものコンディションが整っているような人は、
まるで子どもや赤ちゃんがいきなり高熱を発したら、
一晩でケロッと平熱に戻ったというような大きな変化になるし、
そのような過酷な変化にも耐えられるようになっている。
ただ、
まだまだ心臓の力も弱く、脚部の筋肉のパワーも十分ではなかった。
そのようなときは、
一気にどっと体の内側の奥までを書き換える力がないから、
低温のお湯に板ゼラチンを入れてゆっくり撹拌棒でかき混ぜる感じ。
なかなか早急な変化はおきません。
だけど実際はその方の体の中にしてみれば、
大きな負担分を確実に外へと排除しているかのような除去作業をしているので、
大きな変化は起きているのです。
ですがお客様自身の肉体上に見て取れるような改善が現れるのには、
それから先まで、まだまだ負担分のしこりをゆっくりなくすまでに、
時間をかけていかなければならないのです。
私自身、このような後者の体力がない人のバージョンで体を整えていきましたから。
さぁ、これはこれで、泥のように意識が低下してだるくなって、しんどい。 ^-^
それを、私はだいたい8ヶ月位かけて乗り越えたというゆっくりした人でしたから。
いったんはこれで体が良くなったぞーと思えても、
まだまだ、その先があったことを直後に思い知る。
そのような連続です。
そのような波は未だに続いています。
体内で起きる体の内側のしこりを解くという作業が、
体内のしこりの量の多さに比例して手間や暇がかかるのです。
ただコアが使えると一気に静脈血の帰りがよくなってきます。
それでより短期間に、体の内側の筋膜リリースが進んでいく。
すると外面上はいつもとは変わらないように見えていても、
内面的には血の流れ方がまったく違いその変化について戸惑い、
次の安定できる状態に変化が落ち着くまでつらいですよね〜。
「泥のようにだるくなる・眠くなる」状態に入ります。
私は数ヶ月も意識もうろうに近くなった。
そうとう長い間、ボーッとして思考力が落ちてしまったことも。
生きているか死んでいるかわからないほどに、
だるさがピークが続いたときも味わいました。
私の場合は、「泥のように・・・・」としか形容できない状態の連続。
ひどいときは眠すぎてだるすぎて吐き気が、
または横たわったら起きるのがほんとうにしんどい。
体力がほんとうになかったものですからいたしかたありません。
それにもまして、
実験として自分のコアをどのペースで緩めればどうなるのかを調べてみたかった。
だから少し早めのペースで自分の大腰筋を緩めて試していたということもあって、
相当にきつかったのです。。。
ただ同様に私のように体力がないお客様が同様な変化が起きると、
私はすでにそれを体験しているから共感力がにじみ出てきますね。
施術者として、じつにありがたいことです。 ^-^;
ちなみに、
一気に大きな変化をさせようとしても、
心臓の強さや筋肉のパワーがなければ、
それは私はムチャな話です。
焦りから先走りたくなる気持ちもわかる。
ただ焦りが先走っているときは、
体の治りは確実に悪いものです。
それは経験上、そう思えるのですが。
あるお客様が、施術の圧が痛くてもすぐに解いて欲しいと言い続けていたときには、
体の戻りが早くて日頃の生活上での緊張が抜けていないことを感じられたのです。
そうするとやはり一喜一憂で気持ちが安定しない。
その振れ幅は体が辛い時ほど大きくなるものですが、
一喜一憂のなかでも「一憂」に支配されやすくなる。
それがそのお客様があるとき、
「私は、ずいぶん急いで体を治さなきゃいけない理由があったから必死だったんです。早く治りたいって。
でも、私の中にあるしこりとかずいぶんあるんだなって、自分で自分のマッサージをするようになって、
わかってきたんですよ。
だから、時間がかかるのもしかたがないことだなと思えるようになってきました。
時間がかかってもいいからしっかり解いてくださいね」
と、落ち着いた口調でおっしゃられた日に。
自分の体の中の状態を今まで観たり感じたりするのが悲しく悔しく切なく感じてしまい、
どうしてもそこから一刻も早く逃れることが本能的にしたくてならないことだったはず。
それは常日頃からいたたまれない自分の体という逃れ得ないものから
不快感を感じ続けて緊張してきたという状態だったのでしょう。
詳しくいろいろとお話をお伺いするにつけ、
心中、お察しすることは容易にできるような大変な状況でもありましたから。
ですが自分でマッサージをする日課を持つようになり、
自分の体に正面切って向き合ったときに、
どれほどまで多くの負担が自分の体に積み込まれていたのかを現状認識できた時。
体の不調や不快さも落ち着いて納得することができるようになってきた。
そして同時に、自分で解くようになってみたら、
自分でもできることがあることがわかってきた。
そのときにしこりとの格闘から、
いつしかしこりという自己との会話が始まったのでしょうか。
その後に出てきた、
焦らずに施術を受けていこうと思いますという宣言だったと思います。
ただ、
不思議なほどに、そのように語る彼女は、
両肩の設置場がずれていた線がちょうどよいところまで移行しており、
重心も丹田にもうちょっとというところまできていました。
もうひとりの自分といえる「内なる医者(インナードクター)」と呼ばれるものと出会えたのでしょうか。
あせらず現状をとらえること。
そして慈しみの言葉をかけることから始める。
私にも体調があまり優れなくなったときには、
自分の内側のもうひとりの自分に問いかけて、
主観を捨てた冷静な判断を引き出すときがあります。
そのときのお客様も、
「現状はつらくても、よくがんばって生きてきたよね、私!」
という言葉が、すなおに出てきたのかもしれません。。。
本当にそうだったのでしょう、、、。
私も含めてですが、
もともと体のかしこに動脈や静脈を圧迫する状態があり、
脚力や心臓のポンプ力が弱くて代謝力が不十分であると。
私のところにおいで頂くお客様の過半数はそのような状況でしょう。
そうなると、体質改善のできるだけの体の変化が訪れ始めると。
よくて数日、はたまた半年間も、体質が変わるまで、
ぬるま湯に硬い板ゼラチンを入れて低速で撹拌棒をまわして溶かすような作業が始まります。
スマーティなどの遠赤外線ドーム型サウナに入ると、
体の改善スピードが上がるというアドバイスをするのは、
物理的に冷えて固まった筋膜部分を外部熱で熱することで
温かいお湯につけて板ゼラチンを溶かすほうが早く溶けるという理にほかなりません。
ただ時間がかかったとしても、
どうにかこうにか血圧等のバイタルサインが相応に良い状態にまで改善できれば。
そこで体質的な安定が図られ、体力も回復力も以前よりも増していることに気づくでしょう。
またそうなるにも、姿勢が悪けでは至りづらいわけですから。
それはもともと体の使い方の誤用で関節の使い方が悪ければ、
早々に撹拌棒を回転させて板ゼラチンを溶かす行為を手放し、
いつまでも現状からステップアップできない状態に陥ります。
低空飛行から抜けだして、
安定した高さで飛行する。
その体験をしたら、以前の状態がどれだけつらかったのか。
思い知るときがあります。
私がまさにそうでしたから。
そして貴重な人生の中の時間を過ごすうえで、
もし肉体的にもう少し安定した状態であったら、
あの局面でどうがんばれただろうかとか。。。
ほんとうに、自分の子供の頃や青年時代などの体力や気力が続かなかったときを後悔しました。
「もったいないことをたくさんし過ぎた」と後悔した思いが沸き起こったことを覚えています。
ただ今更悔やんでも仕方がないから、
これからをどうするか、でしょうね。
あとは、蛇足です。
【 蛇足 その1 】
それに体の使い方はいったんはわかったと納得して使い方を改善し改良してみても、
いつぞやの悪癖が入った体の使い方が馴染みが深くてそちらに近づこうとしていく。
そのような、気をゆるめたときの罠が仕掛けてあるようです。
【 蛇足 その2 】
施術を受けていただくお客様で初回のとき。
体力的にかなり優秀な方だなとお見受けしたとき。
そしてどこか明確なネックがない場合には、
初回で体力値が十分であるからそこで卒業。
そのようにして自己管理を徹底するように、
と助言させていただくことが多くあります。
あなただったら自力で自己管理をすれば、
それででも十分がんばっていけるはずだ!
と言ってくれる人がいるというのも。。。
悪くないことでしょう。 ^-^
そのような説得をさせていただいて同意していただけたときには、
もし体的に不安なところが新たに出てきたら、
施術の予約を受け付けさせていただきますし。
自力で頑張れれば、それは素敵なことですよね。
ただそのような体力的に十分で
ご近所の施術院でも対応できるかもしれなくても。
それでもボディワイズにおいで頂ける場合の多くは、
自分自身の体へのこだわりや目標設定が実に明瞭。
そのような人たちがほとんどのようです。
体の変化の山を登るというのは、
各人が自分の山を登るものです。
決して同じ山ではない。
山の高さが高くとも、低くとも。
自分にふさわしい山頂を目指して登り出す足をあきらめずに亀の歩みのごとく出し続ける人は、
あとで来た道を振り返ったときに「ずいぶん高くまで登ってきたな」と驚くことでしょう。
どうぞ、あせらずに、そしてあきらめずに。
自分のペースで向き合っていきましょうね。
2016年09月16日
人体を「3連やじろべえ」として眺め
私達、施術をするものは、
なにを、どうみているか?
それは、10も20もある。
そしてそれは現在も臨床をする上で、
増加していくものです。
見方が少し変われば深まり、
見つかるものが本質に近づいても、
私にはその本質といわれるものも、
たったひとつのおもいこみの象徴。
そのように感じられてなりません。
ただそのことについて
一般論として説明して、
ひとつの見方を理解していただくことも大切です。
そのひとつについて述べると、
体の構造体としての見方がどうかという問題があります。
人体を、語る前に以下の上中下の3つ、たてに積まれたやじろべえを観て欲しい。
三連やじろべえ
左のやじろべえは、垂直に立ち並べてあります。
安定していますね。
右のやじろべえは、一番下のやじろべえを軽く押してみたところ。
すると下のやじろべえの動きが、中程のやじろべえに伝わります。
そして中程のやじろべえ自身は、
どうにか倒れないようにバランスを取ろうとしていくのです。
自らが揺れていき次第にまた、安定した状態に近づいていく。
そのような立ち続けようとしていくやじろべえの力は、
その上に位置する頂点のやじろべえも同様の仕組みで
同様の動きをしていくように揺れながら徐々に安定に向かいます。
ただ、
ちょっと、ここでまってください!
もし右のような下のやじろべえが斜めってずれた並びで固定すればどうでしょう。
もう、元通りに戻ろうとはしませんよね。。。
下のやじろべえの傾斜に対応したまま、
その上に乗るやじろべえごとに斜めっているままズレ補正に走ります。
地面に接するやじろべえが揺れて傾斜ができれば、
それが上に位置するやじろべえに影響を与えるのです。
実際、リアルに実験して見たければ、
以下のサイトを参考にして自作してほしい。
親・子・孫 やじろべえの曲芸
http://ppd.jsf.or.jp/jikken/jikken/35/diy01.html
人体もこれと同じことなんですね。
足のかかとやつま先から、その上に連なるやじろべえを想像し、
それが数秒もすれば理想状態の安定体のやじろべえになり落ち着けば理想。
呼吸により、前後に揺れるところはあるものの、
それは律動的に前後に揺れ動く中間位に理想が含まれている。
足のかかとやつま先から、その上に連なるやじろべえを想像し、
それが数秒してもずれたままであって固定したやじろべえをみつければ、
どの部位がどのようにずれているものなのかを見つけていく。
ただ人間の場合は左右に重りがあるだけのやじろべえと考えれば単純化しすぎた見立てです。
左右の重りと同様に前後にも重りがあるというやじろべえがこさえてあると透視できますと、
そこで立体像のゆがみの見立てができるように進化していきます。
単純な人体の曲がりを観る図ですが。
右図の歪んだものをみたとき。
足元が違います、右足がもちあがっていますね。
その部分が地面に落ち着かなければ、
けっしてその上にある胴体や首や頭などが理想姿勢に近づくことがない。
それは三連したやじろべえを思い出してください。
そのまんまなんですよ、人体も。。。
だから私たちは地面に近い部分のズレがどうであるかを、
ミリ単位で気にしています。
そこから些細なものでも良いから情報を読み取ります。
そこがすでに斜めっている場合が多いのですが、
そのことに自分自身で気づけているときが少ないのです。
私自身にもそれは言えていることなので、
少しずつ改善させるように気を配ります。
ただ、
肩が凝っているとか腰が痛いとか、首に張りが強いなどという方の中に、
すでに数日も、または数年もその状態が繰り返される慢性化した人には、
つい自分の痛いところにしか目が行かない人が。
ほんとうに多いのです。
慢性的な体を支える肩や腰や首等々の姿勢筋が問題があるという人たち。
三連のやじろべえといえるような足元が、
すでに傾き続けたまま固定されています。
足裏の地面との接地部分、足首、膝、そして股関節などにも、
それぞれひとつずつやじろべえが入り、
それぞれがバランスを取って理想姿勢を目指そうとするのが
健康に生きるための本分です。
地面に近い部分がずれていれば、
上部のやじろべえをずらす原因になる。
そして不思議とやじろべえのずれるにも、
それぞれ落ち着くようなパターンが有る。
そのパターンごとに、症状がでています。
たとえば、ある特定部位の腰痛持ち方が、
どのような足元のやじろべえのずれがあるのだろうか。
それも類推することもできる。
ただ忘れてはいけないことは、
地面に接したやじろべえの傾斜しっぱなしがあれば、
その上に位置するやじろべえは
合目的的にずれることでバランスを取ろうとして機能するのです。
上部のやじろべえが斜めっていたり、中心軸からずれていても、
それは縦にならべられたやじろべえとして観ます。
下にあるやじろべえの、
全体のやじろべえの動きを立体視して落とし所を見分けた超微妙な調整。
そこがあっていこそ、
上部のやじろべえの調整が意味が出るのです。
冷静に観察すれば、
やじろべえの場合は、下にあるやじろべえを正せば、
その上にあるやじろべえは自動的に理想姿勢の安定に突き進むものです。
ですが人体はそうは行きません。
すでに歪んだ状態のやじろべえ化した状態が長年続きますと、
その歪んだ状態を恒常的に保っていくための上下のやじろべえの接地部分が固定化される。
それは全体の部位にかかわるやじろべえにより、固定化の影響の大小はそれぞれですが、
アンバランスのなかにバランスを求める工夫の末に歪みが固定化したやじろべえになる。
だからそうなるとやじろべえ同士を切り離していくという作業が必要になるんですね。
そこに筋膜リリースという手が使われると考えてください。
人体の見方のひとつとして、
このようなやじろべえを模して考えることもありますが。
これは子供にもわかりやすく伝えようとする語り方です。
施術者同士では人体の筋肉連鎖をしずかに見つめていき、
そちらのほうが驚きがさらに増すことで手技に使えます。
ただしこちらをリアルに理解するには施術の経験が必須。
私にはそう思えてなりません。
それは施術でひとつの筋連鎖を崩しますと、
それが遠位まで影響する理を知らねばならず、
日頃の施術で筋肉の連鎖を意識して見ながら、
観察と試行錯誤を加えていくことでしずかに、
そして直感的に中身が自分なりにわかってくるものです。
手技療法とオステオパシーにおけるトリガーポイントと筋肉連鎖 (GAIA BOOKS)
上記の本をみれば幾つもの筋肉の連鎖の見方はあり、
たいへんに参考になり学ぶところが多いのですが、
筋肉連鎖はそれだけじゃないなと、私は思います。
機能する人体を見つめれば、
数学的で幾何学的。
それにエネルギーの流れが感じられる。
それらを独自に考慮しながら、
多様な筋肉連鎖を含めていく。
人体の構造体としての思慮を深めることが、
私にはそれこそが私の施術の力の一面に相違ありません。
最後に、皆様へのお願い。
三連のやじろべえを意識して、
みなさまも自分の体を捉える見方を身につけてください。
それが人体の歪みを読み解くための、
基本中の基本の話になります。
これを頭に入れずには、
身体操作の難たるかということは語りづらい。
それにお体を長期に患っておられるお客様の場合は、特にです。
底辺のやじろべえのずれを見過ごせば、
まるで亡霊が迷いついてくるがごとく、
永遠に影響を与え続けてしまうのです。
ほんとうに、、、人体を見つめるというのは難しいよね〜。 ^-^;
なにを、どうみているか?
それは、10も20もある。
そしてそれは現在も臨床をする上で、
増加していくものです。
見方が少し変われば深まり、
見つかるものが本質に近づいても、
私にはその本質といわれるものも、
たったひとつのおもいこみの象徴。
そのように感じられてなりません。
ただそのことについて
一般論として説明して、
ひとつの見方を理解していただくことも大切です。
そのひとつについて述べると、
体の構造体としての見方がどうかという問題があります。
人体を、語る前に以下の上中下の3つ、たてに積まれたやじろべえを観て欲しい。
三連やじろべえ
左のやじろべえは、垂直に立ち並べてあります。
安定していますね。
右のやじろべえは、一番下のやじろべえを軽く押してみたところ。
すると下のやじろべえの動きが、中程のやじろべえに伝わります。
そして中程のやじろべえ自身は、
どうにか倒れないようにバランスを取ろうとしていくのです。
自らが揺れていき次第にまた、安定した状態に近づいていく。
そのような立ち続けようとしていくやじろべえの力は、
その上に位置する頂点のやじろべえも同様の仕組みで
同様の動きをしていくように揺れながら徐々に安定に向かいます。
ただ、
ちょっと、ここでまってください!
もし右のような下のやじろべえが斜めってずれた並びで固定すればどうでしょう。
もう、元通りに戻ろうとはしませんよね。。。
下のやじろべえの傾斜に対応したまま、
その上に乗るやじろべえごとに斜めっているままズレ補正に走ります。
地面に接するやじろべえが揺れて傾斜ができれば、
それが上に位置するやじろべえに影響を与えるのです。
実際、リアルに実験して見たければ、
以下のサイトを参考にして自作してほしい。
親・子・孫 やじろべえの曲芸
http://ppd.jsf.or.jp/jikken/jikken/35/diy01.html
人体もこれと同じことなんですね。
足のかかとやつま先から、その上に連なるやじろべえを想像し、
それが数秒もすれば理想状態の安定体のやじろべえになり落ち着けば理想。
呼吸により、前後に揺れるところはあるものの、
それは律動的に前後に揺れ動く中間位に理想が含まれている。
足のかかとやつま先から、その上に連なるやじろべえを想像し、
それが数秒してもずれたままであって固定したやじろべえをみつければ、
どの部位がどのようにずれているものなのかを見つけていく。
ただ人間の場合は左右に重りがあるだけのやじろべえと考えれば単純化しすぎた見立てです。
左右の重りと同様に前後にも重りがあるというやじろべえがこさえてあると透視できますと、
そこで立体像のゆがみの見立てができるように進化していきます。
単純な人体の曲がりを観る図ですが。
右図の歪んだものをみたとき。
足元が違います、右足がもちあがっていますね。
その部分が地面に落ち着かなければ、
けっしてその上にある胴体や首や頭などが理想姿勢に近づくことがない。
それは三連したやじろべえを思い出してください。
そのまんまなんですよ、人体も。。。
だから私たちは地面に近い部分のズレがどうであるかを、
ミリ単位で気にしています。
そこから些細なものでも良いから情報を読み取ります。
そこがすでに斜めっている場合が多いのですが、
そのことに自分自身で気づけているときが少ないのです。
私自身にもそれは言えていることなので、
少しずつ改善させるように気を配ります。
ただ、
肩が凝っているとか腰が痛いとか、首に張りが強いなどという方の中に、
すでに数日も、または数年もその状態が繰り返される慢性化した人には、
つい自分の痛いところにしか目が行かない人が。
ほんとうに多いのです。
慢性的な体を支える肩や腰や首等々の姿勢筋が問題があるという人たち。
三連のやじろべえといえるような足元が、
すでに傾き続けたまま固定されています。
足裏の地面との接地部分、足首、膝、そして股関節などにも、
それぞれひとつずつやじろべえが入り、
それぞれがバランスを取って理想姿勢を目指そうとするのが
健康に生きるための本分です。
地面に近い部分がずれていれば、
上部のやじろべえをずらす原因になる。
そして不思議とやじろべえのずれるにも、
それぞれ落ち着くようなパターンが有る。
そのパターンごとに、症状がでています。
たとえば、ある特定部位の腰痛持ち方が、
どのような足元のやじろべえのずれがあるのだろうか。
それも類推することもできる。
ただ忘れてはいけないことは、
地面に接したやじろべえの傾斜しっぱなしがあれば、
その上に位置するやじろべえは
合目的的にずれることでバランスを取ろうとして機能するのです。
上部のやじろべえが斜めっていたり、中心軸からずれていても、
それは縦にならべられたやじろべえとして観ます。
下にあるやじろべえの、
全体のやじろべえの動きを立体視して落とし所を見分けた超微妙な調整。
そこがあっていこそ、
上部のやじろべえの調整が意味が出るのです。
冷静に観察すれば、
やじろべえの場合は、下にあるやじろべえを正せば、
その上にあるやじろべえは自動的に理想姿勢の安定に突き進むものです。
ですが人体はそうは行きません。
すでに歪んだ状態のやじろべえ化した状態が長年続きますと、
その歪んだ状態を恒常的に保っていくための上下のやじろべえの接地部分が固定化される。
それは全体の部位にかかわるやじろべえにより、固定化の影響の大小はそれぞれですが、
アンバランスのなかにバランスを求める工夫の末に歪みが固定化したやじろべえになる。
だからそうなるとやじろべえ同士を切り離していくという作業が必要になるんですね。
そこに筋膜リリースという手が使われると考えてください。
人体の見方のひとつとして、
このようなやじろべえを模して考えることもありますが。
これは子供にもわかりやすく伝えようとする語り方です。
施術者同士では人体の筋肉連鎖をしずかに見つめていき、
そちらのほうが驚きがさらに増すことで手技に使えます。
ただしこちらをリアルに理解するには施術の経験が必須。
私にはそう思えてなりません。
それは施術でひとつの筋連鎖を崩しますと、
それが遠位まで影響する理を知らねばならず、
日頃の施術で筋肉の連鎖を意識して見ながら、
観察と試行錯誤を加えていくことでしずかに、
そして直感的に中身が自分なりにわかってくるものです。
手技療法とオステオパシーにおけるトリガーポイントと筋肉連鎖 (GAIA BOOKS)
上記の本をみれば幾つもの筋肉の連鎖の見方はあり、
たいへんに参考になり学ぶところが多いのですが、
筋肉連鎖はそれだけじゃないなと、私は思います。
機能する人体を見つめれば、
数学的で幾何学的。
それにエネルギーの流れが感じられる。
それらを独自に考慮しながら、
多様な筋肉連鎖を含めていく。
人体の構造体としての思慮を深めることが、
私にはそれこそが私の施術の力の一面に相違ありません。
最後に、皆様へのお願い。
三連のやじろべえを意識して、
みなさまも自分の体を捉える見方を身につけてください。
それが人体の歪みを読み解くための、
基本中の基本の話になります。
これを頭に入れずには、
身体操作の難たるかということは語りづらい。
それにお体を長期に患っておられるお客様の場合は、特にです。
底辺のやじろべえのずれを見過ごせば、
まるで亡霊が迷いついてくるがごとく、
永遠に影響を与え続けてしまうのです。
ほんとうに、、、人体を見つめるというのは難しいよね〜。 ^-^;
2016年08月17日
自然体で立つときは、膝は伸ばそう
私が立つときの姿勢をチェックするとき。
「ちょっと膝が曲がっているようですね。
もうちょっとハムストリングやアキレス腱側を伸ばしましょうか!」
という指摘をさせていただくときがあります。
お客様の中には、
かえって膝が伸びている状態は、
いつもの姿勢ではない姿勢を強いられていて、
快適な状態だとは言えないものでしょうから。
変なことをいうなと、
訝しく思えるかもしれません。
異常に、余計な緊張を感じてしまう。
ならば膝を少し緩めて曲げる程度のほうが自分には楽だと感じるという場合もあります。
膝をちょっと曲げて立つというようにしたほうが、
機能を優先し歪曲を選択した状態といえるのでしょう。
いつもの慣れ親しんだ状態を維持するときは、
すでにそのような姿勢でも立つことができるように、
シコリ化が進んでいます。
しこりのおかげで、
楽にそれで立つことができるようなパターンに変わってしまっている。
そうなるとかえって膝を曲げて立つために特化した膝上のしこりは、
まっすぐに膝を伸ばそうとするときの妨げをする器官に変わり果て、
理想的な膝を伸展させた状態が窮屈な状態としか感じられません。
かえって膝を曲げっぱなしで筋緊張を強いて居続ける状態のほうが違和感を感じない。
いったん場当たり的な力みを筋肉に入れて筋緊張を作り、
その力に頼りきって体を支えるという選択を取ったなら。
残念ながら、
自らがその問題に気づき修正をするようなことはしない。
それは自分が本能的に選択した筋緊張を創りだして支えるというやり方を、
すでに何千回も、、、いや、何万回も繰り返し続けてきた行為だからです。
姿勢筋は体の垂直性を無視して立ち、
そのような姿勢運動をするようにと、
何ら他の最良のやり方を考えようと言う疑問も持たずに、
同じアライメントが崩れた状態の選択を繰り返すのです。
わかりやすく言えば、
「ちょっと膝を曲げたほうが、私は楽なんですよね」という状態は、
電信柱を斜めに立てているようなものですから、
揺れに対して弱い方向が出てしまうんですよね。
人体が自然体で重力線にそって立つ状態では
骨格部分に垂直性を維持できていることが必要な部位があります。
たとえば家で考えれば、柱が斜めっていては地震に弱くなります。
家の柱は屋根を支える脚部のようなもので、
人間にとってみれば足のようなものですね。
この足が2つに分断され中程で折れ曲がって、
ぐにゃぐにゃと曲がり角度が動いてしまうなら相当に不安定な状態だということはわかりますね。
一階しかない平屋を建てるのに、その柱の中ほどが折れ曲がっていて曲がっている関節部がゆるいならば、
それはもう不安定極まりないだけじゃなく、
壁もすぐにボロボロになって崩壊しますよ。
とても住めた家じゃありませんよね。。。
というようなイメージをいだいたりします。
ここでもうちょっと興味深いところへと見方を広げていきましょう。
『新マニピュレーションアプローチ<<下肢>>』
という本がありまして、
体の各部の姿勢と感情の現れについて解説しているページがあります。
人は、そのときの心理状態により
膝を伸ばして立ったり、
膝を曲げ気味で立ったりしています。
ちなみに、
これは太極拳などの膝を緩めて少し曲げて立つといった目的的に沿った立ち方をするというものではなくて、
知らず知らずにしてしまう姿勢の状態のことを指します。
太極拳の場合などは応用系のその運動に適したものに変化させた立ち方なのですから、
それを自然体で立つという状態と混同すると、微妙に話が噛み合わなくなりますので。 ^-^
■ 膝が伸びて下腿が開き気味で下肢が外旋しているとき。
以下の様な心の状態であることを示しています。
・自信
・野心
・魅了
・行動したいという欲求
・挑戦
・自己顕示
・確信
(その他は割愛します)
■ 膝が屈曲気味で、下肢が内旋しているとき。
以下の様な心の状態であることを示しています。
・自信のなさ
・優柔不断
・不安
・庇護して欲しいという欲求
・対決への恐れ
・もろさ
・弱さ
(その他は割愛します)
というようなことを、
膝の伸展や屈曲の状態をチェックできるんだよ〜とおっしゃられるのです。
するとどうも膝が伸びていたほうが感情面は安定してるんじゃなかろうか?
そんな気になってくることでしょう。
そして実際に膝を理想状態で立てていなかった方が、
うまく伸展させて立てるようになったときに性格が変わっていたということを目の当たりにしたことは、
なんどもありますから。
本人もそういえば昔の自分とは、
物事の考え方や受け止め方が変わってきたとかおっしゃられることもございます。
むろん、膝は膝単独で屈曲したままになっているわけではないので、
頚椎や腰部の前弯の改善や股関節の問題や足首の柔軟性などなど、
その他にもいくつもの膝を曲げてどうにかバランスをとらざるを得ない状態から抜けださせる必要がある。
つまり膝は、体の各部の歪みなどで生じた垂直性のズレが生じた問題をダイナミックにその負担を肩代わりする。
全身の歪みは膝に出ると言っても過言じゃない。
それゆえに膝は膝だけをみて直せないし、
一時的対処に過ぎないことを繰り返せばかえって半月板やら膝周囲の靭帯を痛めて劣化を促進させることに。
だから全身を直すのと平行して膝を適量ずつ治していくという見方をしていきます。
そしてそうやった末に、
膝は伸びて下肢が外旋するという状態を創り出せるのですね。
「ちょっと膝が曲がっているようですね。
もうちょっとハムストリングやアキレス腱側を伸ばしましょうか!」
という指摘をさせていただくときがあります。
お客様の中には、
かえって膝が伸びている状態は、
いつもの姿勢ではない姿勢を強いられていて、
快適な状態だとは言えないものでしょうから。
変なことをいうなと、
訝しく思えるかもしれません。
異常に、余計な緊張を感じてしまう。
ならば膝を少し緩めて曲げる程度のほうが自分には楽だと感じるという場合もあります。
膝をちょっと曲げて立つというようにしたほうが、
機能を優先し歪曲を選択した状態といえるのでしょう。
いつもの慣れ親しんだ状態を維持するときは、
すでにそのような姿勢でも立つことができるように、
シコリ化が進んでいます。
しこりのおかげで、
楽にそれで立つことができるようなパターンに変わってしまっている。
そうなるとかえって膝を曲げて立つために特化した膝上のしこりは、
まっすぐに膝を伸ばそうとするときの妨げをする器官に変わり果て、
理想的な膝を伸展させた状態が窮屈な状態としか感じられません。
かえって膝を曲げっぱなしで筋緊張を強いて居続ける状態のほうが違和感を感じない。
いったん場当たり的な力みを筋肉に入れて筋緊張を作り、
その力に頼りきって体を支えるという選択を取ったなら。
残念ながら、
自らがその問題に気づき修正をするようなことはしない。
それは自分が本能的に選択した筋緊張を創りだして支えるというやり方を、
すでに何千回も、、、いや、何万回も繰り返し続けてきた行為だからです。
姿勢筋は体の垂直性を無視して立ち、
そのような姿勢運動をするようにと、
何ら他の最良のやり方を考えようと言う疑問も持たずに、
同じアライメントが崩れた状態の選択を繰り返すのです。
わかりやすく言えば、
「ちょっと膝を曲げたほうが、私は楽なんですよね」という状態は、
電信柱を斜めに立てているようなものですから、
揺れに対して弱い方向が出てしまうんですよね。
人体が自然体で重力線にそって立つ状態では
骨格部分に垂直性を維持できていることが必要な部位があります。
たとえば家で考えれば、柱が斜めっていては地震に弱くなります。
家の柱は屋根を支える脚部のようなもので、
人間にとってみれば足のようなものですね。
この足が2つに分断され中程で折れ曲がって、
ぐにゃぐにゃと曲がり角度が動いてしまうなら相当に不安定な状態だということはわかりますね。
一階しかない平屋を建てるのに、その柱の中ほどが折れ曲がっていて曲がっている関節部がゆるいならば、
それはもう不安定極まりないだけじゃなく、
壁もすぐにボロボロになって崩壊しますよ。
とても住めた家じゃありませんよね。。。
というようなイメージをいだいたりします。
ここでもうちょっと興味深いところへと見方を広げていきましょう。
『新マニピュレーションアプローチ<<下肢>>』
という本がありまして、
体の各部の姿勢と感情の現れについて解説しているページがあります。
人は、そのときの心理状態により
膝を伸ばして立ったり、
膝を曲げ気味で立ったりしています。
ちなみに、
これは太極拳などの膝を緩めて少し曲げて立つといった目的的に沿った立ち方をするというものではなくて、
知らず知らずにしてしまう姿勢の状態のことを指します。
太極拳の場合などは応用系のその運動に適したものに変化させた立ち方なのですから、
それを自然体で立つという状態と混同すると、微妙に話が噛み合わなくなりますので。 ^-^
■ 膝が伸びて下腿が開き気味で下肢が外旋しているとき。
以下の様な心の状態であることを示しています。
・自信
・野心
・魅了
・行動したいという欲求
・挑戦
・自己顕示
・確信
(その他は割愛します)
■ 膝が屈曲気味で、下肢が内旋しているとき。
以下の様な心の状態であることを示しています。
・自信のなさ
・優柔不断
・不安
・庇護して欲しいという欲求
・対決への恐れ
・もろさ
・弱さ
(その他は割愛します)
というようなことを、
膝の伸展や屈曲の状態をチェックできるんだよ〜とおっしゃられるのです。
するとどうも膝が伸びていたほうが感情面は安定してるんじゃなかろうか?
そんな気になってくることでしょう。
そして実際に膝を理想状態で立てていなかった方が、
うまく伸展させて立てるようになったときに性格が変わっていたということを目の当たりにしたことは、
なんどもありますから。
本人もそういえば昔の自分とは、
物事の考え方や受け止め方が変わってきたとかおっしゃられることもございます。
むろん、膝は膝単独で屈曲したままになっているわけではないので、
頚椎や腰部の前弯の改善や股関節の問題や足首の柔軟性などなど、
その他にもいくつもの膝を曲げてどうにかバランスをとらざるを得ない状態から抜けださせる必要がある。
つまり膝は、体の各部の歪みなどで生じた垂直性のズレが生じた問題をダイナミックにその負担を肩代わりする。
全身の歪みは膝に出ると言っても過言じゃない。
それゆえに膝は膝だけをみて直せないし、
一時的対処に過ぎないことを繰り返せばかえって半月板やら膝周囲の靭帯を痛めて劣化を促進させることに。
だから全身を直すのと平行して膝を適量ずつ治していくという見方をしていきます。
そしてそうやった末に、
膝は伸びて下肢が外旋するという状態を創り出せるのですね。
2016年04月04日
筋肉レベルと脳力レベルは比例する?
昨日、施術をさせていただいた方から聞いた話です。
マッサージをする仕事をしてはいないものの、興味があって勉強しておられる。
その過程で、2人の興味深い共通項を持った男性のマッサージをした経験がおありとのこと。
若くして出世街道を歩む男性と、ニートでパチプロをする男性。
どちらも才能豊かで独自の分野で開花しているとのこと。
筋肉の質が、とにかく、いい。
柔軟性高く、良質な凝りの少ない状態だという。
私も、才能がダントツに豊かな人達の体を触り、
同様な感想を持ちます。
小憎らしいほど、いい筋肉なのだ。
こわばりや凝りや緊張のないナチュラルな筋肉。
そんな筋肉はしなやかな脳を持ちます。
それはナチュラルなしたたかな筋肉の一部に、
大脳部分があるということなのだろう。
そう思うしかない事例を、
私も数多く見てきました。
それがあるから、
以前から施術を受け続けていただけるお客様が、
筋肉レベルが向上していくにしたがい発展する。
脳の部分の能力向上も図られていると見てます。
実際にそういえばかつて施術を受ける前と今では違ったところがあるな、、、
と感じていただける方も、少なからずおられると思います。
(こんど、お客様に、変化はあったかを具体的に聴取しておきます。)
その意味では、ボディワークを永続的に受けるのことは、無駄になりません。
健康的なシーンで恒常するライフスタイルに投資することになると思います。
話を戻しますね。
その昨日のお客様は、もう一歩、深く入り込んでいたんですね。
その脅威の出世頭の男性と、パチプロ男性の体の中に僅かにある筋肉が凝っている部分。
それが「まったく同じ所に、同じような凝る位置が存在していた」と教えてくれた。
冷静に事物を見渡せる観察眼を持っている証拠ですね。
施術をするものは、
ある程度は体の問題発生パターンがあるので、
定石で勝負できる施術のノウハウが活きるところもある。
ただ、、、その実、そんなに臨床は単純なものじゃない。
いくらでも定石を踏み出した体の問題部分なんて存在し、
そんなイレギュラーばかりの状態に対し差しで勝負する。
何を見て、触って、聞いて、匂いを嗅いで、何を図って、どう補助線を引いて、
その生理学的な人体を観るに留めず、
物理学的な側面をもつ人体をも把握するのか。
私には難しい数学や物理の問題は解けないが、
自然則や数理に則った定理を知り、
それを当てはめて問題を解く行為は数学や物理とさほど変わらないのが施術だ。
そんな気がしてならない。
体からのメッセージは、体表レベルでもいくらでも出ているものだ。
いくらでも問題部分を吸い上げることなんてできるはずじゃないか。
それらの問題部分が点在していて、
線に結ばれずに意味が読めないでいるときには、
当たりをつけて仮説検証を繰り返して見方を深めることに徹します。
するといつか、
「あっ、なんじゃ、これってそういう意味だったの!関連性があったじゃないの!!」
と、びっくりするような気づきが訪れるのです。
降ってくるような衝撃です。
ただ、あとでよく出来た施術書を読むと、そのことがちょろっと書いてあることもある。
それ、ときどきあるんです。
以前に目を通していたが、そのときは意味がわからずにいて、
書かれた文章のバックグラウンドが見えてこない
薄っぺらな文字の羅列。
言葉がそれでは暗記できても、活用できるシロモノではない。
そのような良書を読むにも、
読めるほどの背景知識が必要だということです。
それも自前で衝撃的な気付きとして得たものじゃなければ、
私には浅い知識を盲信すれば停滞と手痛いことが訪れると。
本から読んだだけの「半端な知識」も多く持っていますが、
結果的に使えてないし使っていなくて。。。
自分で試行錯誤をしていって、そこで得たものに信頼の重きを置いています。
そんな試行錯誤の原点は、
お客様自身の人体上のベストコンディションの基準を想像して思い描いてから、
そことの差異を体表やもう少し奥、そして体から発せられる諸々の情報を感じ、
施術水面下でアイデアを尽くしてさらに暖かくなれる体に移り変える工夫をします。
そんなときにも必要な原点が、
「アレッ、ここ、ちょっとこの人の特徴じゃないの?」と気づく力です。
出世頭の若者とパチプロ男性を列して体をチェックすることから得られるものは?
そんなことを、具体的に思考してみると面白い発見ができるだろう。
人間は、自分自身の体を自分から切り離した客観視をするのは難しい。
主観が極まれば最大の理解者になる。
極め方が甘ければ最大の誤解の迷宮を用意するものとなる。
意外と客観視することができる立場だからこそ、
見えてくるものがあるのです。
余談ですが、、、
昨日来たお客様は多くの施術院に通われてみた結果。
しっかり体の状態を見てくれるところとそうでもないところがあると痛感したといいます。
後者のようなしっかり見てくれない治療院にて、
「あなたは、別に悪いところないじゃないですか」と施術院に言われて、
「えぇ・・・そんなことないよ〜、(悪いところないのに、こんなところくるはずないじゃないの)」
というところもあれば、
そのお客様が訴える前に、自分が言いたかったところを言い当ててくれさえする治療院もあったという。
そうなると、どちらに通いたくなるでしょうか?
昨日のお客様自身、自分の状態を察知する体性感覚が鋭いという特徴を持っておられる。
そのため、どこに自分の不具合があるのかという具体的な部位の特定ができているだけ、
ちょっとやそっとじゃごまかされないぞ!という印象でした。
施術院巡りをして、すでに目利き力がプロ級になってきている。 ^-^;
私も施術に気を抜くつもりはありませんが、そのようなお客様であれば気が引き締まりますね。
2016年03月05日
石灰化と筋膜の硬化との違いって?
昨日の夜に、お客様とのやりとりのなかから
筋肉の石灰化というところについて
メールを書かせていただいて送付したところ。
今朝、読み返してみたら、、、
難が多くて訂正が必要かと思いブログに書かせていただこうかと考えました。
以下は、訂正後です。
■ 「 筋肉が石灰化 」につきまして
確かに「石灰化レベル」まで筋肉状態が硬化して状態が悪化してしまうこともあります。
石灰化とはカルシウムの沈着の総称であり、体中どこにでも起こるものです。
(実は「石灰化」について、メールでは大胆に割愛してしまったのです。そこが気になっていて、リライトを決意しました。。。^-^;)
石灰化がおきる理由についてですが、
摂取カルシウムが少なすぎて、骨から溶け出していくことから起こる状態ですね。
私たちが普段、食事などから摂取しているカルシウムですが、
不足すると、自分の骨を溶かして補おうとする働きが起こります。
その量は、カルシウムが豊富な骨にとっては「少し」でも、人体全体では「非常に多量」。血液中にカルシウムがあふれることになるのです。
あふれたカルシウムは骨や血管、細胞に沈着してしまう。
血液中のカルシウムは一定値(血液100ml中10mg)に保つ必要があるため、
余分なカルシウムは骨や血管、細胞に沈着し、石灰化の原因となります。
たとえばどのような部位に余分なカルシウムが沈着するかといえば、
・骨にカルシウムが沈着してトゲができ神経を直撃することもあります。
・血管に沈着し、動脈硬化の一因にもなります
・軟骨や腱、内臓にも蓄積、石灰化する
この軟骨や腱などに、付着したものは物理的に剥がすような圧をかけることでリリースが図れるので、
こちらの部位に対して、手技を施すこともあります。
余談ですが、内臓にカルシウムが沈着することで乳房のがんなどになることは知られていますよね。
石灰化した臓器は締め付けがきついため血管やリンパ管を圧迫して体液の流通を妨げ冷やしてしまう。
それががん化をはかるという仕組みです。
ということで、
石灰化の条件が「カルシウムが不足」しているといった問題があるのです。
私もときどき上記の設定を頭からぽーんと抜け落として、
石灰化と筋膜の硬化をごっちゃに言葉にすることがあります。
内容はしっかり頭のなかで違いは理解しているものの、
そこは気をつけなければと、反省します。
筋肉をオーバーユース(過剰な使いすぎ)により筋膜が硬化したというものと
軟骨や腱が石灰化したというのは、
別物だと考えてくださいね。
そこをコンセンサスを一致させてから話を進めるようにしたほうがすっきり説明も伝わります。
主に筋膜リリースで取り扱えやすいものといえば次のようになります。
筋肉は、たとえば大腿直筋の大きな筋肉一本レベルで観ることもできますが、
そちらも筋束という筋肉のたばが集まって出来たものです。
その筋束は髪の毛ほどの太さしかない筋繊維というものが集合し束ねられて構成されているのです。
つまり、下記のように細分化して観察することができます。
筋肉 > 筋束 > 筋繊維
筋膜の組成成分は、ゼラチン(コラーゲン)です。
筋膜は筋肉の周りにも、筋束の周りにも、筋繊維の周りにも、
すべてウインナーソーセージの皮のように包むことで補強しているのです。
筋繊維中のタンパク質は外圧から弱くダメージを受ければ、簡単にちぎれるなど壊れてしまうので
そうならないように筋膜という柔軟性に富む組織でコーティングすることで、
外圧からの衝撃や筋の過剰な伸びすぎや萎縮にも抵抗してくれているのです。
つまり(筋繊維、筋繊維、筋肉)は、すべて筋膜という膜でコーティングされています。
筋肉の使い方が粗かったり、ストレス等も手伝って筋肉内部への血行不良を起こすとき。
筋膜は衰え消えずに筋繊維等のタンパク質でできた筋肉の組織部分が
ほっそりと勢力を落として繊維の存在感が弱まります。
するとその周りを取り巻く筋膜のコラーゲン組織が存在感を増していく状態になります。
そのような劣悪な環境になれば筋繊維部分にも血流が悪くなり代謝が弱まって行く。
それに従い筋膜のコラーゲン組織部分への体液が流れ込みづらくなり変質が始まります。
筋膜のコラーゲン組織部分は、体液の暖かさを持った熱で溶かされているときは柔軟性を保ちます。
ですが暖かな体液を筋膜が接する部分から得られて溶かれたゲル状の状態でいられないときには、
冷めてしまい硬化しはじめます。
それと同時に体液が少なくなった枯れた状態になっていきます。
それって、いわば、ゼラチンでできたぷるぷるのゼリーを、わざと干からびさせると、
水分を失いボリューム感が薄まり縮み硬化して板ゼラチンのような硬さに変化します。
そのようなイメージをお持ちいただくと、理解しやすいかもしれませんね。
ちなみに血圧が弱い人ほど、このような問題状態に陥りやすいですから注意が必要です。
結局は筋肉の大きな外周のみが軽く板ゼラチン状になっている程度ならば緩みやすいのですが、
筋束が一本ずつ硬化した状態になると、
骨に近い深部層の筋肉部位には普通のハンドマッサージでは歯が立ちにくくなります。
そしてさらに筋繊維の一本一本を取り巻く筋膜が板ゼラチン化して周囲が数センチも連なれば
スチールのような冷たさや硬さに変質していきます。
こうなるとハンドマッサージでは、歯がたたないような気がします。
筋繊維が硬化してタンパク質部分は細く弱化して筋膜のコラーゲン組織も水分枯れ状態へ。
そのような割れやすい板ゼラチン化した筋膜では組織が壊れやすい状況に陥っています。
下手にいじればぷちぷちと筋繊維は簡単に断裂し、当然、断裂した筋繊維は一生涯元通りにはなりませんので、
後に悪影響が響くことが予想されます。
そしてたまたまこのような筋繊維レベルで筋膜が硬化した状態の方々の中に、
同時進行したカルシウムが沈着した石灰化をも併せ持つ人の確率が高まるようなのです。
(ここの筋繊維レベルの筋膜硬化と石灰化が同時に起きるケースが散見され、
筋膜の硬化と石灰化が両方とも起きているか、どちらか一方しか起きていない問題か、
別けて呼ぶにも石灰化と呼ぶのが検査ができない民間医療ではそう呼ぶことは独自に調べられていないからできないのだが、
経験したかつての類似したお客様の身体のデータから、石灰化が同時に起きていると考えられることもある。
そのような相乗り状態が生じるものですから、説明をしきるのがややこしく手間がかかるので、ごっちゃに呼びやすくなるのでしょうか)
石灰化という事態以外に、筋膜というコラーゲン組織が硬化した状態が人体内部で起きています。
石灰化は筋膜の硬化とは別の流れで起きるものです。
そこを混同すると、リリースの際に手技手段の採用ミスが起きてしまうでしょう。
石灰化したものは、カルシウムが沈着した状態です。
そちらを手技でリリースするのは、
相当な工夫をしていなければ、
かえってリリースの際に筋組織が破壊される量が多すぎてダメージが後まで残るので
相当な学習実績と対処のしかたに自信がない場合には触らないほうがいいといえる状態じゃないでしょうか。
(そのような場合には温熱療法として、遠赤外線効果の高いスマーティなどのサウナを定期的にかかることや、
食事療法など、
圧をかけてリリースする手技以外の方法で改善への道を歩めば問題は少なくなります。)
手技療法での施術をする先生方には
筋膜の膜組織のゼラチン部分が枯れて集まり硬化した状態を、
体内の血液の流れをせき止めて硬化した筋膜部分に流れにくくなって冷えている状態を改善させるようにしたり、
トリガーポイントのような体内で筋膜の硬化が団子状になっていたりして留め金を打たれた状態部分を緩めるなど、
いくつか安全性もそこそこあるといえるような対処をする法をとる方々。
それぞれが特徴的なアプローチをしているようです。
ただ筋膜の癒着の深度が強ければリリースが相応に難題がいくつも控えていたり、
改善するまでの長い期間がかかります。
決して簡単にリリースできるものだと、非現実的な見方をしないほうがいいでしょう。
長い年月をかけて筋膜の癒着が進行してきた場合は、その10分の1の時間をかける。
本当に硬化が著しい状態では、その期間で解ければいい施術者だともいえると思います。
そのように考えておいたほうが無難でしょう。
筋膜が癒着が進みすぎて体調が思わしくない方々の場合は特に、以下の様な過程を通るようです。
筋膜が緩められる過程で、体内には廃棄溶液化した酸化した体液が溜まっていて、
そちらを体内から排泄し切るまでは相当に手間暇がかかるものですし、
それがつつがなく終わらなければ体質が向上し安定化させることが難しいといえるでしょう。
だいたい筋膜の癒着のイメージを通して石灰化との違いがあることは、ご理解いただけましたでしょうか。
カルシウムが沈着する状態を脱するためにはどうすればいいのか。
そのような視点で食生活や運動習慣、それにストレス対策なども、
独自にしていかれるといい対策を積極的に採用して実行すること。
それがなければ手技で石灰化部分を一部に対処できたとしても、
早々に後々からカルシウムが沈着。
それを繰り返すことになります。
厳しくそこは取り締まってほしいですね。
内臓へのカルシウムが沈着するとがん化にも、大きく影響が出るようですから、
石灰化を防ぐという意識で生活をすることで、がん化の対策にもなるのでしょう。 ^-^
(T様、以上のようなことで、昨夜書いたメール内容を訂正させてください)
筋肉の石灰化というところについて
メールを書かせていただいて送付したところ。
今朝、読み返してみたら、、、
難が多くて訂正が必要かと思いブログに書かせていただこうかと考えました。
以下は、訂正後です。
■ 「 筋肉が石灰化 」につきまして
確かに「石灰化レベル」まで筋肉状態が硬化して状態が悪化してしまうこともあります。
石灰化とはカルシウムの沈着の総称であり、体中どこにでも起こるものです。
(実は「石灰化」について、メールでは大胆に割愛してしまったのです。そこが気になっていて、リライトを決意しました。。。^-^;)
石灰化がおきる理由についてですが、
摂取カルシウムが少なすぎて、骨から溶け出していくことから起こる状態ですね。
私たちが普段、食事などから摂取しているカルシウムですが、
不足すると、自分の骨を溶かして補おうとする働きが起こります。
その量は、カルシウムが豊富な骨にとっては「少し」でも、人体全体では「非常に多量」。血液中にカルシウムがあふれることになるのです。
あふれたカルシウムは骨や血管、細胞に沈着してしまう。
血液中のカルシウムは一定値(血液100ml中10mg)に保つ必要があるため、
余分なカルシウムは骨や血管、細胞に沈着し、石灰化の原因となります。
たとえばどのような部位に余分なカルシウムが沈着するかといえば、
・骨にカルシウムが沈着してトゲができ神経を直撃することもあります。
・血管に沈着し、動脈硬化の一因にもなります
・軟骨や腱、内臓にも蓄積、石灰化する
この軟骨や腱などに、付着したものは物理的に剥がすような圧をかけることでリリースが図れるので、
こちらの部位に対して、手技を施すこともあります。
余談ですが、内臓にカルシウムが沈着することで乳房のがんなどになることは知られていますよね。
石灰化した臓器は締め付けがきついため血管やリンパ管を圧迫して体液の流通を妨げ冷やしてしまう。
それががん化をはかるという仕組みです。
ということで、
石灰化の条件が「カルシウムが不足」しているといった問題があるのです。
私もときどき上記の設定を頭からぽーんと抜け落として、
石灰化と筋膜の硬化をごっちゃに言葉にすることがあります。
内容はしっかり頭のなかで違いは理解しているものの、
そこは気をつけなければと、反省します。
筋肉をオーバーユース(過剰な使いすぎ)により筋膜が硬化したというものと
軟骨や腱が石灰化したというのは、
別物だと考えてくださいね。
そこをコンセンサスを一致させてから話を進めるようにしたほうがすっきり説明も伝わります。
主に筋膜リリースで取り扱えやすいものといえば次のようになります。
筋肉は、たとえば大腿直筋の大きな筋肉一本レベルで観ることもできますが、
そちらも筋束という筋肉のたばが集まって出来たものです。
その筋束は髪の毛ほどの太さしかない筋繊維というものが集合し束ねられて構成されているのです。
つまり、下記のように細分化して観察することができます。
筋肉 > 筋束 > 筋繊維
筋膜の組成成分は、ゼラチン(コラーゲン)です。
筋膜は筋肉の周りにも、筋束の周りにも、筋繊維の周りにも、
すべてウインナーソーセージの皮のように包むことで補強しているのです。
筋繊維中のタンパク質は外圧から弱くダメージを受ければ、簡単にちぎれるなど壊れてしまうので
そうならないように筋膜という柔軟性に富む組織でコーティングすることで、
外圧からの衝撃や筋の過剰な伸びすぎや萎縮にも抵抗してくれているのです。
つまり(筋繊維、筋繊維、筋肉)は、すべて筋膜という膜でコーティングされています。
筋肉の使い方が粗かったり、ストレス等も手伝って筋肉内部への血行不良を起こすとき。
筋膜は衰え消えずに筋繊維等のタンパク質でできた筋肉の組織部分が
ほっそりと勢力を落として繊維の存在感が弱まります。
するとその周りを取り巻く筋膜のコラーゲン組織が存在感を増していく状態になります。
そのような劣悪な環境になれば筋繊維部分にも血流が悪くなり代謝が弱まって行く。
それに従い筋膜のコラーゲン組織部分への体液が流れ込みづらくなり変質が始まります。
筋膜のコラーゲン組織部分は、体液の暖かさを持った熱で溶かされているときは柔軟性を保ちます。
ですが暖かな体液を筋膜が接する部分から得られて溶かれたゲル状の状態でいられないときには、
冷めてしまい硬化しはじめます。
それと同時に体液が少なくなった枯れた状態になっていきます。
それって、いわば、ゼラチンでできたぷるぷるのゼリーを、わざと干からびさせると、
水分を失いボリューム感が薄まり縮み硬化して板ゼラチンのような硬さに変化します。
そのようなイメージをお持ちいただくと、理解しやすいかもしれませんね。
ちなみに血圧が弱い人ほど、このような問題状態に陥りやすいですから注意が必要です。
結局は筋肉の大きな外周のみが軽く板ゼラチン状になっている程度ならば緩みやすいのですが、
筋束が一本ずつ硬化した状態になると、
骨に近い深部層の筋肉部位には普通のハンドマッサージでは歯が立ちにくくなります。
そしてさらに筋繊維の一本一本を取り巻く筋膜が板ゼラチン化して周囲が数センチも連なれば
スチールのような冷たさや硬さに変質していきます。
こうなるとハンドマッサージでは、歯がたたないような気がします。
筋繊維が硬化してタンパク質部分は細く弱化して筋膜のコラーゲン組織も水分枯れ状態へ。
そのような割れやすい板ゼラチン化した筋膜では組織が壊れやすい状況に陥っています。
下手にいじればぷちぷちと筋繊維は簡単に断裂し、当然、断裂した筋繊維は一生涯元通りにはなりませんので、
後に悪影響が響くことが予想されます。
そしてたまたまこのような筋繊維レベルで筋膜が硬化した状態の方々の中に、
同時進行したカルシウムが沈着した石灰化をも併せ持つ人の確率が高まるようなのです。
(ここの筋繊維レベルの筋膜硬化と石灰化が同時に起きるケースが散見され、
筋膜の硬化と石灰化が両方とも起きているか、どちらか一方しか起きていない問題か、
別けて呼ぶにも石灰化と呼ぶのが検査ができない民間医療ではそう呼ぶことは独自に調べられていないからできないのだが、
経験したかつての類似したお客様の身体のデータから、石灰化が同時に起きていると考えられることもある。
そのような相乗り状態が生じるものですから、説明をしきるのがややこしく手間がかかるので、ごっちゃに呼びやすくなるのでしょうか)
石灰化という事態以外に、筋膜というコラーゲン組織が硬化した状態が人体内部で起きています。
石灰化は筋膜の硬化とは別の流れで起きるものです。
そこを混同すると、リリースの際に手技手段の採用ミスが起きてしまうでしょう。
石灰化したものは、カルシウムが沈着した状態です。
そちらを手技でリリースするのは、
相当な工夫をしていなければ、
かえってリリースの際に筋組織が破壊される量が多すぎてダメージが後まで残るので
相当な学習実績と対処のしかたに自信がない場合には触らないほうがいいといえる状態じゃないでしょうか。
(そのような場合には温熱療法として、遠赤外線効果の高いスマーティなどのサウナを定期的にかかることや、
食事療法など、
圧をかけてリリースする手技以外の方法で改善への道を歩めば問題は少なくなります。)
手技療法での施術をする先生方には
筋膜の膜組織のゼラチン部分が枯れて集まり硬化した状態を、
体内の血液の流れをせき止めて硬化した筋膜部分に流れにくくなって冷えている状態を改善させるようにしたり、
トリガーポイントのような体内で筋膜の硬化が団子状になっていたりして留め金を打たれた状態部分を緩めるなど、
いくつか安全性もそこそこあるといえるような対処をする法をとる方々。
それぞれが特徴的なアプローチをしているようです。
ただ筋膜の癒着の深度が強ければリリースが相応に難題がいくつも控えていたり、
改善するまでの長い期間がかかります。
決して簡単にリリースできるものだと、非現実的な見方をしないほうがいいでしょう。
長い年月をかけて筋膜の癒着が進行してきた場合は、その10分の1の時間をかける。
本当に硬化が著しい状態では、その期間で解ければいい施術者だともいえると思います。
そのように考えておいたほうが無難でしょう。
筋膜が癒着が進みすぎて体調が思わしくない方々の場合は特に、以下の様な過程を通るようです。
筋膜が緩められる過程で、体内には廃棄溶液化した酸化した体液が溜まっていて、
そちらを体内から排泄し切るまでは相当に手間暇がかかるものですし、
それがつつがなく終わらなければ体質が向上し安定化させることが難しいといえるでしょう。
だいたい筋膜の癒着のイメージを通して石灰化との違いがあることは、ご理解いただけましたでしょうか。
カルシウムが沈着する状態を脱するためにはどうすればいいのか。
そのような視点で食生活や運動習慣、それにストレス対策なども、
独自にしていかれるといい対策を積極的に採用して実行すること。
それがなければ手技で石灰化部分を一部に対処できたとしても、
早々に後々からカルシウムが沈着。
それを繰り返すことになります。
厳しくそこは取り締まってほしいですね。
内臓へのカルシウムが沈着するとがん化にも、大きく影響が出るようですから、
石灰化を防ぐという意識で生活をすることで、がん化の対策にもなるのでしょう。 ^-^
(T様、以上のようなことで、昨夜書いたメール内容を訂正させてください)
2016年01月08日
頭脳を休めて腹脳を生かす作戦へ転向できないか、探ってみる
今年の正月に出歩いた際に。
これほど認知症という言葉が出てきたときはなかった。
目黒不動尊の大晦日のお参りのときには、
認知症の母が迷子になったという女性から助けを求められた。
一昨日前、
私が大井鹿島神社に詣でたとき。
寒さが増し夜に差し掛かるころ。
そちらでは目を疑う光景だった。
2時間以上も、
わずか数センチしか身動きを取らない80代ほどの男性。
カーディガンだけでダウンジャケットなどは着ていない。
神社の神主が拝殿を閉める際に気になさっておられた。
私は御札やお守りをお焚きあげする炎越しに見守るしかなかった。
すでに幾人の参拝する人々に声をかけられてもいた男性。
一切、無反応のままで、私がそうしても眼の焦点がこちらに向くことはなかった。
そして夜中の2時など歩き続けて帰宅途中。
そのような類似した印象をうける方々を目にした。
今まで神社仏閣史跡巡りでは、
思い起こせばこのような経験が皆無だったのです。
そのことに気付きました。
だからいきなりなぜ、
こうも気になってしまうことに出会うのだろうか。
偶然か?
それとも、
なにかを暗示するものなのか。
私の頭が混乱をきたした年末年始でした。
一人で考えこむタイプなものでして。。。
胎児が卵子と精子が結びつき、
成長する進化の過程でおこることですが、
生きるのに必須条件な腹部の消化器官が
まっさきに発生します。
小腸がぐにゃぐにゃっといくのはまだ先ですが、
そ消化吸収して体を生かす力を得た後に、
あたかも小腸とそっくりさんの頭脳が現れます。
小腸のぐにゃぐにゃっとした白子のような形状は、
大脳の形状に合い通じるところがあると思った人もいるのでは。
中医学では、相似する器官同士に相関があると考えるようです。
腎臓の形はそら豆に似ていて、そら豆は耳の形にも似てるよね。
じゃ、耳も腎臓も骨を立てる、そんな機能を同様に持っている。
そんな見立てをしていったり。
その手の相関関係がありそうなものは、
じっくりと体を観察すればいくつも見つかります。
そして言い得て妙と思えるほどの相関を見出していけるものです。
腹部の小腸と大脳の相似形相関の深さを考察していく。
その考察が進めば進むほど
腹部の小腸を、気功等をしておられると腹脳という呼び名で呼ぶことも妥当だと思えるところがあります。
そこにはみていかなければならない、
大切な優先順位的問題があります。
それは腹脳が上位本店優位で、
頭脳はサブ的存在の出張機関。
そう心得ることの大切さです。
頭脳を、感情や思考でフル回転させますと、
大脳にはそれに必要な血液の増量が起こります。
通常でも心臓からの1/3ほど血液は頭部に流れます。
それが感情ストレスが溜まったり、頭脳労働が過酷に長時間に渡れば、
腹脳の出張機関としてこじんまりとした作りでしかない頭脳ですから。
オーバーワーク気味になればオーバーヒートしていく代物でしかない。
おそらくですが、
頭脳と腹脳をパワー比でみれば、
頭脳 < 腹脳
という不等式が成り立つでしょう。
頭脳を休めるため、
頭脳労働が激しい方々は感情の使いすぎというものも含め、
情報断食や瞑想や、感情の整理などをしていく必要がある。
私が神社仏閣史跡巡りをするのは、
平素の状態から離れた情報断食をしたいからです。
だからひとりきりだったり気の使わずにいれる一部の人と。
というと人からは「独りきりでは寂しくないんですか?」といわれそうです。
ですがな〜んにも、考えないようにするためのお参りです。
とにかく、聖地では心身ともに新生するため、
忘れますし切り捨てますし切り替えるのです。
(ただちゃんと御祭神には心から参拝出来たことの感謝を伝えるのは忘れてません!)
私にはそのような時間も必要です。
自宅にこもるという手もありますが、
インターネットやら見ずに溜まった取り置きのビデオ録画ものや、
たまりに溜まりきった書籍群。
それらから逃避する参拝時間が思索を深め純化させるように感じられる。
それがなければ、今の私はいません。 ^-^
そして腹脳を活性化させるためには、
横隔膜を使った呼吸が必要であって、
それには大腰筋の使用が正常に起こなされることが大事ですよね。
大腰筋が強烈に横隔膜を上下動させてくれることにより、
腹式呼吸での代謝が活性化していくのです。
電気的性質を持っている空気を取り入れて、
それを体の機構を活性化させる力にします。
脳というものは神経。
神経は「電気」で情報をビビビッと送る仕組みですから。
横隔膜下の▽形の部分のみぞおちに、
十分な空気を吸い電気を蓄電していかなければ、
大脳も腹脳も機能しづらくなるのですよね。
特に大脳は横隔膜より上方に位置しており、
腹脳のように直下にあるものとは違います。
だからきっちり大腰筋を使えたウォーキングやランニング等々。
できるといいことですよね。
ただ大腰筋を使うということは、
日頃大腿直筋ばかり使う人には、
高度にスキルフルな難事業です。
つねにさらにスマートに大腰筋を活かせるように研究をしていくことが望まれるものでしょう。
いい加減さが全面に出た適当さでは、
結果的に成果よりもダメージが残り、
大腰筋を使っているはずが体を壊す。
そんな人も多くおられますから注意が必要です。
もしわかりづらいと言う方は、
行動系のボディワークをレッスンしてくれるところへ数度でも通ってみることをおすすめします。
または合気道や中国武術等でも、
動ける人はやはりコアになる深層筋を活かして動作しているので、
常人とは動きの質が異なって見えてきます。
ただ、達人が少数で常人が大多数ではありますが、
本来は生まれたての人間の殆どは達人であったと。
私は信じていますし、
生まれてきてからへんてこな動きの癖があるものを教えこまれたもので、
そのような間違えた学習ではなく、
正当に体を飛躍させる学習を得たとき、
人は水を得た魚のようになるでしょう。
少し脱線しました。 ^-^
また横隔膜の上下動前に起きる骨盤隔膜の上下動は、
仙骨の前後の動きがスムースであったときに起こる。
仙骨の活性化した動きが後頭骨の動きを同期して起こしてくれる。
それで頭蓋骨の縫合部分を解き緩めてくれる。
ひと呼吸ごとに頭蓋骨は前後に伸びたり左右に伸びたりできるようになるのです。
そのような仕組みで、頭脳はひと呼吸ごとマッサージをして気持ちよくなれます。
それが健康な脳を維持するのにも必須条件だと言えるでしょうね。
そうなるには頭部の骨相が正されているかどうかに関わります。
後頭部や前頭部、頭頂部などが絶壁だったりいびつであれば、
球形に近づけるよう正すための、何らかの努力が必要でしょう。
脳のマッサージが怠っておられることは避けるべきです。
つまり非力な出張所住まいの頭脳に多くの労をかけてはならない。
できうるだけ休ませる腹積もりで計算していかなければならない。
現時点の私の施術の力では、
認知症が進行なさった方の施術では成果がだせるほどではありません。
ただお客様として、今まで認知症の方がお見えになられたことがない。
そうであるから、どうも言えないとも言えそうですが、
ですが、数時間も暗がりとなった神社境内で、
震えもせずじっと立ち尽くす男性を見ていて、
どうもできない自分を感じられて切なかった。
現時点の私の施術は、
認知症になっておられない方々が、
その後も調子のいい状態でキープすることができるようなサポートはできるのでは?
そのようなところが、
どうにかという位置関係であるのだろう。
ただ、この問題とは身体的な問題だけではないような気がする。
現代社会は高度にシステム化された。
今のような時代ほど、
大自然に立ち向かって生きていたころには考えもしなかったことが頭をもたげてくるといいます。
生きる意味を問いわからなくなり地団駄を踏んでしまったり落胆をしてしまう。
自分らしい道を求めたいが、そうは行っていなさそう。
そこからくる苦悩やつらさから逃げたくもなってくる。
そういうときは
アウシュヴィッツの生還者である心理学者ビクトール・フランクルの、
いくつかの大事な言葉を思い出されてきます。。。
今は、フランクルの書を読んで勇気づけられることも大事な時代かもしれません。
生きる意味を深く問う。
そこからフランクルの冷静で暖かな瞳が見据えた像をどのように理解すればいいのか。
そんな気がしてきます。
(ただいま、フランクルの本をちょっとずつ読むぞ!という段でして。偉そうなことはいえません ^-^;)
肉体的なストレスも、大腿直筋を使って歩き続ければかならずそれに比してかかり続け、
加齢にともなってそれは雪だるま上にのしかかってくるものですが。。。
それ以上にきつい感情を傷つけて血を流すほどのストレスがあるのかもしれないですね。
意識の表面には登ってきませんが、水面下で頭脳の感情をつかさどる領域の脳に負荷をかけ続けてる。
そのようなことがあれば、それも取り除いておきたい問題なのでしょう。
いまのところ、そうする有効な手立てを私自身は身につけておりません。
ですが、心身一如として考えれば、
私は体をサポートさせていただき、
ペアで心をサポートしてくれる人、
どこかに求めるといいのでしょう。
そのようなことを切に感じてます。
ただ、心理学では、自分が認識した世界が大きくなって目の前に現れてくるものだともいいますから。
心身ともに生じるストレスばかりに目を配りすぎるよりも、
根源的に感じられる楽しみや喜びに火をつけて生きること。
そんな目論見を、懸命に打ち出して生きる人が増えること。
それで世の中全体のバランスが底上げされるのもいいのでしょうね。
2015年12月19日
内臓は大海のごとく波打つのが自然
お腹を触ってみてみると、「硬いな〜」と驚く人も。
腹部の表層部が硬い人もいるし、
腹部の深層部が硬い人もいるし。
腹部の浅いところも深いところも、
かなり窮屈な状態ですね。
腹部が硬化しているとき。
内臓同士が癒着したり
腹壁と内臓が癒着したり
椎骨と癒着したり。
血液が腹部に多量に停滞してたまりだすときもある。
内臓疾患が起きている人の殆どは、
事前に内臓の硬さが目立つようだ。
では、腹部の硬さから問題を分析してみましょう。
東洋医学では『腹診』という診察方法があります。
腹部の問題箇所の特定位置に該当する内臓の問題点を見つけられるスグレモノなのです。
たとえば、
みぞおちが硬くて、にっちもさっちもいかない。
「心臓に問題がでているな」と考えるわけです。
腹部が柔らかさがなければ、
食事療法も消化に支障が来され、
どんなに肩や背中やさまざまな骨格筋を緩めるマッサージをしてもすぐに戻る。
腹式呼吸がしづらくて、呼吸代謝が密やかに効率悪化をうみ、自律神経系に問題が生じる。
また腹式呼吸が極端にしづらければ、それ自体が不眠状態に陥る原因ともなるだろう。
そして腹部に滞留した多量の血液があるなら、血液の循環が支障が出る。
血液が循環できないような分量が全体の割合の6割を越えてしまうなら、
血は少量しか四肢や末端まで届かなくなり冷え性にもなるだろう。
そして血流の悪化からくる体の冷えは、癌体質にもつながります。
癌になっている人のお腹を幾度も触ったことがあるから、
改善しづらい非常に強い問題がある人の場合には気をつけなければなりません。
胸腺からでるナチュラルキラー細胞を血で運べないようなエリアができてしまう。
そうなるようなウイークポイントは、血液循環に関係する血液量が減れば減るほどきつくなってくる。
だから癌になっている人でも、初期段階で血液循環能力が高い人は、
さらに輪をかけて血液循環をスムース化していき胸腺を賦活すれば、
かなりの確率で解法に向かうこともある。
腹部の血のたまりをみれば、、、いろいろな情報が手に取るようにわかるのです。
また内臓が最奥部にある深層筋そのものだから、
こちらへ対してアプローチを怠ることがあれば芯からくる不調が変化しない。
だがコアにかかる部分のリリースほど、難易度は飛躍して高まる。
だから相当に慎重に計画性を持って緩めなていかなければ、
下手にリリースを強制的にすれば体調悪化を招きますから。
それで施術者のなかにも、
腹部リリースは深いところまでは難しいから手を出さないという人もいます。
その気持、わかります。
私にしても内臓部分のリリースは、硬化が著しい場合は、怖くて仕方がない。
まるで鉄筋のような状態になって、緩まないような状態に陥っているときも。
そこからどうにかして緩ませるような曲芸のようなことも、
ひたすら安全にリリースするための手順を遂行して、
数十のステップに別けてゆるめていってとけるところです。
他者による腹部マッサージの短絡的な解き方は、
すでに炎症が強くなっている臓器の状態であれば事故の元となりやすいのですから、、、。
問題意識を持ってかなりの臨床例を積まなければ難しい。
ただ、先日、お腹が施術を初回受けたときには硬化が著しかった方が、
ずいぶん和らいできて、それが結果的にメリットになった方がおられた。
もしも硬いお腹で癒着をしまくっている状態であれば、
それは、多くの不測のリスクが潜在しているといっていいだろう。
健康管理には、私は、腹部の緩みがあるかどうかという点を、
かなり重視するようにしています。
ここに手抜かりがあるものは、
自分が得た経験則上、どのような療法をしても改善しないかしづらい。
たとえば、
漢方も、、、生薬も、、、生命力をアップさせようとしても困難です。
内臓が受け付けない。
内臓をユルユルに仕上げていけば、
それからは体調管理が飛躍的に安定し下方へ下る恐れが少なくなる。
極論で申し上げれば、腹診がなされずにスルーしていては、
その人の現状を正確に把握しておられるとは言いがたいと。
私はそのように感じられてならない。
腹は大海のごとく、
液状化した臓器が占めるもの。
呼吸により、波が打ち寄せ引いていくもの。
それが自然体の素養そのもの。
基本中の基本。
そうなるように内臓が強化され安定化しないかぎり、
人の生命力の根底は成り立ちはしない。
少しでも内臓のユニットごとに自分の位置を正しく守り、
癒着させず、癒着しづらい姿勢を保たせていこう。
そして腹式呼吸という内臓マッサージがしやすくなるように、
コアの筋肉や骨盤底筋や臀部の筋力や腸骨や仙骨の力を整えていこう。
そうすると私がいずれそのような生薬等に精通したときには、
内臓のコンディションを読んで改善を施し、
それと同時並行でアドバイスができるようになるから、
そういったところは強みなんですね。
そんなところにまで進んでみたい。
腹部の表層部が硬い人もいるし、
腹部の深層部が硬い人もいるし。
腹部の浅いところも深いところも、
かなり窮屈な状態ですね。
腹部が硬化しているとき。
内臓同士が癒着したり
腹壁と内臓が癒着したり
椎骨と癒着したり。
血液が腹部に多量に停滞してたまりだすときもある。
内臓疾患が起きている人の殆どは、
事前に内臓の硬さが目立つようだ。
では、腹部の硬さから問題を分析してみましょう。
東洋医学では『腹診』という診察方法があります。
腹部の問題箇所の特定位置に該当する内臓の問題点を見つけられるスグレモノなのです。
たとえば、
みぞおちが硬くて、にっちもさっちもいかない。
「心臓に問題がでているな」と考えるわけです。
腹部が柔らかさがなければ、
食事療法も消化に支障が来され、
どんなに肩や背中やさまざまな骨格筋を緩めるマッサージをしてもすぐに戻る。
腹式呼吸がしづらくて、呼吸代謝が密やかに効率悪化をうみ、自律神経系に問題が生じる。
また腹式呼吸が極端にしづらければ、それ自体が不眠状態に陥る原因ともなるだろう。
そして腹部に滞留した多量の血液があるなら、血液の循環が支障が出る。
血液が循環できないような分量が全体の割合の6割を越えてしまうなら、
血は少量しか四肢や末端まで届かなくなり冷え性にもなるだろう。
そして血流の悪化からくる体の冷えは、癌体質にもつながります。
癌になっている人のお腹を幾度も触ったことがあるから、
改善しづらい非常に強い問題がある人の場合には気をつけなければなりません。
胸腺からでるナチュラルキラー細胞を血で運べないようなエリアができてしまう。
そうなるようなウイークポイントは、血液循環に関係する血液量が減れば減るほどきつくなってくる。
だから癌になっている人でも、初期段階で血液循環能力が高い人は、
さらに輪をかけて血液循環をスムース化していき胸腺を賦活すれば、
かなりの確率で解法に向かうこともある。
腹部の血のたまりをみれば、、、いろいろな情報が手に取るようにわかるのです。
また内臓が最奥部にある深層筋そのものだから、
こちらへ対してアプローチを怠ることがあれば芯からくる不調が変化しない。
だがコアにかかる部分のリリースほど、難易度は飛躍して高まる。
だから相当に慎重に計画性を持って緩めなていかなければ、
下手にリリースを強制的にすれば体調悪化を招きますから。
それで施術者のなかにも、
腹部リリースは深いところまでは難しいから手を出さないという人もいます。
その気持、わかります。
私にしても内臓部分のリリースは、硬化が著しい場合は、怖くて仕方がない。
まるで鉄筋のような状態になって、緩まないような状態に陥っているときも。
そこからどうにかして緩ませるような曲芸のようなことも、
ひたすら安全にリリースするための手順を遂行して、
数十のステップに別けてゆるめていってとけるところです。
他者による腹部マッサージの短絡的な解き方は、
すでに炎症が強くなっている臓器の状態であれば事故の元となりやすいのですから、、、。
問題意識を持ってかなりの臨床例を積まなければ難しい。
ただ、先日、お腹が施術を初回受けたときには硬化が著しかった方が、
ずいぶん和らいできて、それが結果的にメリットになった方がおられた。
もしも硬いお腹で癒着をしまくっている状態であれば、
それは、多くの不測のリスクが潜在しているといっていいだろう。
健康管理には、私は、腹部の緩みがあるかどうかという点を、
かなり重視するようにしています。
ここに手抜かりがあるものは、
自分が得た経験則上、どのような療法をしても改善しないかしづらい。
たとえば、
漢方も、、、生薬も、、、生命力をアップさせようとしても困難です。
内臓が受け付けない。
内臓をユルユルに仕上げていけば、
それからは体調管理が飛躍的に安定し下方へ下る恐れが少なくなる。
極論で申し上げれば、腹診がなされずにスルーしていては、
その人の現状を正確に把握しておられるとは言いがたいと。
私はそのように感じられてならない。
腹は大海のごとく、
液状化した臓器が占めるもの。
呼吸により、波が打ち寄せ引いていくもの。
それが自然体の素養そのもの。
基本中の基本。
そうなるように内臓が強化され安定化しないかぎり、
人の生命力の根底は成り立ちはしない。
少しでも内臓のユニットごとに自分の位置を正しく守り、
癒着させず、癒着しづらい姿勢を保たせていこう。
そして腹式呼吸という内臓マッサージがしやすくなるように、
コアの筋肉や骨盤底筋や臀部の筋力や腸骨や仙骨の力を整えていこう。
そうすると私がいずれそのような生薬等に精通したときには、
内臓のコンディションを読んで改善を施し、
それと同時並行でアドバイスができるようになるから、
そういったところは強みなんですね。
そんなところにまで進んでみたい。