2017年09月06日

動き方のノウハウ理解は本よりも直接指導が、わかりいい。

一昨日前に、
Z-HEALTH を学んだ宮崎さんと、夜に秋葉原で会食。

宮崎北斗さんの Z-HEALTH 関係のページ
http://hktmyzk.tokyo/z-health/


人間には必然的に備えられている運動反射等をベースにした動きのプログラムについて具体的アプローチ法や、
様々な脳が気づかぬうちに獲得した動きの盲点から生じた制限に気づくことの可能性について教えていただた。

メールで「 Z-HEALTH って どのような可能性があるのか」など、
宮崎さんからわかりやすく説明をしていただいていたのです。

ただ私の動きのプログラムを学ぶ目的は、
実際に自分でトライしてそれにより得た経験から関わっていただいているお客様や友人の役に立ちたい。
...ということなんです。

何かの変革を自身のなかで動かしてブレイクスルーをするためには、
文章で理論を解説していただくことも価値を潜在的に感じますが。。。

そこだけでは必要十分な目的を達成することはできませんでした。
実際にお会いして話をする時間を通して、学ばせていただく必要を感じました。

動きのトレーニングは文章から学ぶのもいいし映像から読み解くのもいいでしょう。

ですが動きのノウハウの伝授で効率がいい学びの機会とは、
目の前で直伝で話を聞かせてもらい、
疑問点があれば簡単に質問をさせていただける参加感覚がある状況ですよね。

そのことをつくづく感じました。 ^-^





印象的だったひとつのことは、
ときおりというよりひっきりなしに
宮崎さんが右の手首を「グニャリ、ぐるぐる、グニャリ、ぐるぐる、グニャリ・・・」
と円を描くように動かしています。


いったい、それって、なにをなさっておられるものかな。。。 
競馬の騎手の特殊トレーニングの一環なのだろうか?

ただ他に知りたいこともあって、
手のぐるぐるに話がそれるのもよくないと思いまして、
気にはなるものの特に質問もせずスルーさせていただきました。

脳梗塞後の後遺症をどのようにしたら改善基調に乗せることができるか?

そこの質問をドーンとさせていただくことは、
その日の課題として欠かせないテーマでして。
その部分についてのアドバイスもいただきまして、
今後の私の思考する参考にさせていただければと感謝しています。

ただ後に、手首のぐるぐるの答えが Z-HEALTH のアプローチに関係していたと聞き、
「あっ、そういうのに役立つんですね。そういうことだったか」と納得。 ^-^


私の学んできた動きのノウハウで考えてみて体験してみたこともないことを、
Z-HEALTHのスキルにはあるようだと実感できて有りがたかったです。





ちなみに。
そのとき、彼自身、これからどうしても《Z-HEALTH》を通して、
健康問題を多くの人に改善していただく支援ができないかとか、
新たな運動指導の方法として提示できないかという考えのもと、
以下の様なセミナーも開催させていただいて、
ご縁ある方に、体験してもらいたいとのこと。


日本初上陸!《Z-HEALTH》 神経から身体のバランスを整える!
Z-HEALTHプラクティショナー兼現役プロアスリートの講師が日本初上陸のボディメンテナンスの方法を指導します!
https://www.street-academy.com/myclass/26586

実際目の前で解説をしていただき動きを見せていただいて、
そこから「あぁそうか。そういうのって、気が付かなかったよな」という経験をすることができました。
おそらくそのような実践的な動きを通して参加者に、
感覚器からのインプット、脳での処理、そして運動器へのアウトプットという、
一見当たり前にも見えるところのなかに存在している、
動きの出力前に起きる滞りがちな盲点部分に手を加えた指摘を受けて感じられる動き方の指導に、
それぞれの参加者が、どう、それを受け取るのか。

私もその反応が興味深いところですね。



個人的に、宮崎さんに対して
Z-HEALTHに関わって、自分がその技術を使い何を縁ある人に伝えることができるのだろうかと模索し、
セミナー開催という手で具体的な行動に落とし込んで、
その経験からその後のパフォーマンスを挙げていこうとしている。

そのような姿に、私もいつかなにかしてみたいものだな、勇気をもらえた感じがしました。



彼にしかできない切り口でZ-HEALTHを提供してくれることに、期待したいですね。

posted by スズキ at 04:25| Comment(0) | 体の使い方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月05日

筋着くんと筋肉スパッツ、そしてイケメンくん頭部モデルが練習台に

昨日、ボウエンテクニックの練習会に参加させていただきました。
セミナー参加して聞き漏らしていたことが山のようにあったので、
同期の方々に親切に教えていただける機会をいただいて感謝です。 ^-^

和気あいあいする雰囲気で楽しく学べる場で、気に入っています。
講習を受けるそれぞれの方々が前向きで賢明な姿勢で学び続けて、
自身のものにしていこうという活気があります。

私自身、他の講習生の方のうちの2人対極というのは語弊がありますが、
教えてくれる講師の手のタッチを正確に理解し身につけ進化する方と、
体幹から手部を触覚鋭く精密に円の操作に似たタッチをする方と、
それぞれの施術での動きを観ると、
それぞれのよさに引っ張られて自身を見事に見失いました。 ^-^;

そのようなプチパニックをどうするかというのも、
浅い知識量で考え過ぎている今の時期のたのしい感覚ですよね。


結果として、
学びつつやり続けて行く過程で
「自分の理解が深まったとき」に解けるものです。
もう少し深めて煮詰めないといけないですね。

そこが少し見えてきたら、
施術をお受けいただいている方を限定で、
無料でボウエンテクニックの体験会をします。

といっても、よーく考えれば実験台になってくださいという感じですが。

^-^

おそらく直接、ボウエンテクニックを私の現状の施術に乗り入れるのは、
外形上は好ましく無いと思うのですが、その内部や背景を知るに連れて、
相乗効果もでてくるでしょう。

あとはボウエンテクニックというものは、
非常に受ける人に負担のない手技ですから、
介護を受けておられる方などにもいいでしょう。
私の現状の施術では、そのような方々の受け入れはできる手技ではなかったのすが。

これからは、前向きにそのようなシーンを見据えていく時代がくるのだと思います。
そんなところを思考してでの、ボウエンテクニックの練習です。




練習会当日朝にテキストを手にしつつ、
下の写真にあるモデルで練習しました。

解剖着スタイル人形等身大 横から.jpg

解剖着スタイル人形等身大 後ろ.jpg

解剖着スタイル人形等身大 頭上から.jpg


どこの筋肉に狙いを持ってアプローチをするのか。
そこに意識を向けるべきトレーニングの場合には、
正確な筋肉の模様があるとわかりやすいですよ〜。


ただ間違ってはならないのは、
パーティーグッズ仮装のための「進撃の巨人」きぐるみモデルのでは、
解剖学的にへんてこな部分がありますから、それを使っちゃいけません。
もともと仮装用パーティーグッズクォリティなのですから! ^-^

posted by スズキ at 12:28| Comment(0) | 体の使い方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月14日

脳は生き残りのために活躍する

先だって、ブログに取り上げさせていただきましたZ-health。

脳機能特性をというところを細かく専門用語を並べて語るも、
施術者仲間からはピンと来ないというつれない反応でした。 ^-^;

私自身、脳機能の特性をというところでは、
フェルデンクライスメソッドの脳のプログラミングを押すボディワークや
アプライド・キネシオロジー等の神経系を通じた施術を学んできたおかげで、
その魅力を感じているのですが、
脳機能のレンズを通して動きを変えるというアプローチを
どういうものかということを伝えることまでは思いが至りません。

相当に解剖生理学的視野がなければ、語ることができないのです。
残念ながら、私にはそこが十分ではありません。



とりあえずZ-healthとはイメージが異なりますが、
私の言葉でどのように脳と動きとの関係性を見ているのかを語りたいと思います。
m__m



5分の使い方で人生は変わる

こちらの本を読んでいたら、
興味深いエピソードが紹介されていた。

この本の著者の小山氏。
若かりしときに事業で失敗して路上生活をしたことがあるそうです。
そのときの体験。

今日明日を生きるために食事を手に入れるなどのことが関心事となり、
早々に自身の身を清潔にすることは忘れてしまっていました。
公園の水道で体を洗うこともできたはずですが、
脳はすでに体を清潔に保たなくても生きていけることを知り、
そちらへ関心を保つ必要がなくなっていった。

生き残るためには、
身奇麗にするより
他に緊急で必要なことがある。
だったら、そちらへと関心を寄せて対処していったほうがいい。

すると脳はいつしか風呂に入らなくても平気になってくるどころか、
風呂にはいることが億劫どころか苦痛に思えるようになってしまう。



今の自分にとって大事なものは何かを脳は基準を設け判断している。



そしてそのフィルターから、
今を生き残ることが大事だ。

生き残るために優先順位が低いことに関心を寄せることは、
ネガティブな結果の訪れへと近づいたことと本能的に悟り、
そうするのに抵抗しようとブレーキを踏む行動に出ていく。

人に対して未来に向けて何かをおこなうことの大切さを説くこともできるが、
現状の土台が崩れそうであれば、
脳は躊躇なくブレーキを踏む。


このような脳の生存確保のための機能があることを、
念頭にいれて行動をつくり上げるようにしているでしょうか。

現状の差し迫った二者択一の選択肢があるならば、
基本安全策を選択するようにできているものです。



たとえばですが。。。
体の使い方について学んだ時のこと。

写真に立位姿勢を撮影してビフォア・アフターを客観視した。
立つという体の使い方を新たに学んだときのリアクションで、
「これは、画期的な身体機能を活用できる所作ですね!」
と満面の笑みを浮かべたとしましょう。


それは他者から得たアドバイスを元に、
自分で動きを試行した結果に得られた戦利品のようなものです。

ですが今までの自身が繰り返してきた姿勢。
それも、体の歪みを人は誰しも持っている。
その歪みを強力に補正するよう工夫を重ね続けて得た姿勢です。

ビフォア・アフターのビフォアの姿勢が
即座に過去のものとして葬られるものでしょうか?


それは、難しいものだということは察することができるでしょう。

いったん骨盤部分が無意識のうちに左右どちらかか両方かの腸骨が前傾しだしたなどの歪みが生じれば、
相当な質の良いエクササイズを取り入れていたり、
身体感覚に鋭敏でかつ骨格でバランスを再構成する感覚に優れた者以外は、
気づかないうちに歪みを残したまま体の傾斜をただ支えるというだけの補正で対処するようになります。

それはどういうことかといえば、
たとえば家の土台が軟弱だったり老朽化した立て付けが悪い家であったりすれば、
傾斜しだすこともあるでしょう。
とりあえずあなたならば家が傾斜しだしたらどうしますか?
私ならば、倒壊を免れるために有無も言わさぬうちに血相を変えてつっかえ棒を探し出しますね。
悠長に「あぁ〜、家が傾いて倒れていくぅ」と眺めているようなことはしません。

つねに倒壊の恐れを感じ続けているのです。
それが歪んだ状態の骨格を持っているということなのです。

今も刻々と歪みの状態は新たな局面をむかえるよう変化が続き、
新たな支え棒を必要としているのです。

歪みが歪みを呼び込みさらに複雑な筋骨格系のアンバランス方向へ向かいだして、
現状維持をすることが困難になる仕組みです。

回り始めたマイナスのスパイラルが広がるにしても、
それはしかたがないのです。

運動系の身体操作という野生で生き残るには緊急かつ必須の事項だと、
私たちの本能、そして脳が高い優先順位だとして判断していますから。


体のバランスを根本的かつ深刻に見失ったようなときには、
相当念入りに体の傾斜が複雑に生じてそれを支え続ける体になっています。
一度、そこにまで達すると、自力で体の歪みを改善させて体調を良化させることが難しくなってきます。
自分の脳が良かれと判断して、
傾斜した体を支え続けるための部材をしこりとして用意する緊急避難的措置を行うのですから。

その脳の得た生存確保の基準は相当に高いものですから、
その高さを超えるものは容易には現れることはないはず。。。

ただ、、、
本当の体の理想形は、
体の深部にしこりを配置させて歪みを補正する状態ではありません。
不用意なしこりをはびこらせれば、多くのデメリットが生じます。
関節の可動域を減少させていき、
体内の体液の流動性を停滞させたり、
神経を圧迫させたり内臓諸器官に負担を強いてみたり。。。

ですが、それらが生じてしまったとしても、
体が支えを失って傾斜し動けなくなるより、
ずっとマシな快適な状況なのです。

そのことを把握しておけば、
なぜ、自分が新たな体の使い方を覚えようと、
何十回も何百回も慣れるまで体にいいというエクササイズをしてみても、
思うように改善できないのか?

その理由がわかってくるでしょう。


たとえば、私が自分自身によくやる手ですが、
身体操作上の不備や未熟を感じた部分を得て、
新たな身体操作法を身につけるようなときは。

自力で体の動きを紙に図示したりメンタルビジョンにシミュレートさせていきます。
徹底的に繰り返しアイデアを出し、
そのアイデアに加筆訂正を加えて、
最終的な見方を深めていきます。

そのような絵を脳内に腑に落ちるまで描ききるだけです。

そして「新たなイメージ通り動くのが当然だ」と感じ始めれば。
つまり生き残るためにはこちらの身体操作にすべきだと感じた。
すると、すでに脳内の身体操作ビジョンの基準は
過去のものから新たなものへと書き換えられていくのでしょう。

その場合には、不思議に思われますが、
体は勝手に新たなビジョン通りに動き、
練習などは一切不要ですね。
新たなビジョンに印象の楔が深く突き刺されば、
過去の不適切な身体操作には逆行することはない。


身体操作方法を教えてくれる先生や師範のような他者から教えられたことは、
先生が言わんとしている言葉が伝わるかどうかの適切さは一般的に十分でも、
先生と生徒が共通言語で話ができていないときも多い。
先生の言葉は意味内容は簡略化されていたり、
ねじ曲がっていることが多いように思います。
それ以前に、先生が説明をしても身体操作上、
体ができていない人には、
自身の体で容易に言われたことは再現できず。
そんな自身にフィットせぬものなどが容易に脳のなかで取り入れるべき優先順位が高いものとして、
慣れ親しんだ以前の身体操作法を捨ててしまうようなことは起こりはしないのです。
そのような点を理解することができていれば、
本当に身につけるべきものかどうかを判断を


結果として腑に落ちてはいませんから、
脳内ではそれに魅力を感じきれません。

先生の解説等を元にして内容を咀嚼しないかぎりは
自分のものにしたくもないよそ者の不自由なツールでしかないのです。
脳内にある過去の動きの基準を引き下ろすべきだという信念は芽生えていないならば、
一時的には講習会等で得た動きができていたとしても、
やがて過去の動き方に舞い戻るでしょう。

実際のところ、
新たな動き方へ変化させるという場合には不測の事態に陥り、
ダメージを身体へ与えるリスクが想像以上に大きくあるものです。
そのようなリスクテイクを無計画で不用意にしていくならば、
早々にミスの連続が祟ります。
そこへの対処法や改善法を熟知しておらねば、
体は崩壊した状態へ流れ着くでしょう。

そのようなリスクテイクを、脳は好まずに、
今までの生き抜けてきた実績のある過去の使い方に固執する。
それが得策と考えているのです。


動き方を改善させるという内容は以上のような性質があるようです。


ただ逆に考えれば、脳の特性をよく把握していけば、
脳に気に入られる手順や手はずで、
うまく改善させるプログラムを書き込むことができるものですよね。


そのように考えてみると、
脳機能を把握して作り上げていくムーブメントアプローチは、
魅力的なものにもなりそうですね。
posted by スズキ at 09:34| Comment(0) | 体の使い方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月06日

他動的な助けを借りて、体幹に接する筋肉から手足を動かして、脳内手続き記憶を構築しよう!

腕を動かすには、どこの筋肉を動かそうか?

デスクワークを長時間なさっておられると、
姿勢よく直立不動で胴体をキープできるかといえば、
そうもなかなかいかないものです。

だんだんと、肩が前へ、上へと移行して、
いつしか腕と胸の前側の付け根が詰まり始めます。

この姿勢は呼吸をするにも浅い呼吸しかできない。
いわば、不良姿勢の典型として呼ばれるものです。

ならば肩が前に回りこんで肩甲骨と肋骨の間が窮屈になっている状態を
うまくリセットするにはどうすればいいのか?

肩を意識的に後ろへと引いて持って行こうとするのがいいのだろうか?
でも、それを実際にやってみたところで、
そのようにする意識が薄れた瞬間に、
先程までの肩が前に回りこんだ位置に毎度のように舞い戻るように見える。。。

では、では。。。
そんな、強烈な肩が前に行こうとするパターンを打ち破るには、
必要に迫られてどのような新たな操作パターンを入れていけばいいのだろう。


最近、数名のお客様にトライしてみていただいているのは、
肩甲骨と胸椎を結ぶ菱形筋という筋肉や腕と中部下部脊椎を結ぶ広背筋の筋肉を、
リズミカルに施術者の私がお客様の体に触れて、
背骨の方へ筋肉が縮む方向へ他動的に縮める動作を、
30回ほど繰り返していくというやり方をしてます。
私がお客様の菱形筋を縮めていくときに「ここ!こんな感じに縮めて!」「ここ、縮めて!」
などと必ず声掛けをしていきます。
そこ、ひじょうに重要な脳への再プログラミングをする際のポイントとなりますので。

わりとやってみると、いつも使っていなかったなぁという感じになっていれば、
他動的に動かされるという補助がツイているのにもかかわらず、
真面目にやってみると結構疲れるものです。 ^-^



今日、施術をお受けいただいたお客様には鍼灸師の免許ホルダーの方がおられ、
自身も体を意識的に巧みに操作を加え鍛えておられる方です。

お客様の右側の菱形筋を私が背後で縮める動作をすれば、
胸の前で菱形筋に前後で拮抗するような位置にある大胸筋を
伸びやかに伸長させればいいとわかってくれていました。

菱形筋が縮み肩甲骨が背骨の方に近づいた次の筋肉の動きは大胸筋の伸張へとつながっていく。

そうやって体の前後が連携して動くときに、
肩を動かす感覚で肩を使うのではなく、
胸や背中の筋を伸長させたり収縮させることが腕や肩を力ませずに動かす動作になるのだと気づきます。
腕や肩で動かそうとする動きは、
体幹に通じる筋肉の動作が無視されて腕や肩を動かそうとなさられる場合が多く、
そうなると末端から先に動かすという窮屈で呼吸を奪う動きに必ずなってしまう。

そんなことを理解するのにも、
しっかりと菱形筋から動き出しを創って、
その動きがどのように周囲の動きに連動されてゆくのかを観察するのは有意義なことだといえるでしょう。


その動きをやる際に重要であるのは、
頭部の位置が、しっかり胸鎖乳突筋の筋交いの筋肉の浮き上がりが出るところへ持っていくこと。
それができる立ち方がかなえられている人でなければ、
うまくこの操作ができてこないのです。

しっかりと体幹を先行して整えられた状態である方に対して頭の位置を正して、
この動きのトレーニングをさせていただくとやり方の要領が見えてくるのです。



ちなみに、菱形筋を縮める操作と大胸筋を肩側へ向けて伸ばす操作は、
ほぼ同時に動いているように見えたり感じたりしやすいのだが、
同時に動かす意識は、非常に良くないと思います。

同時に動かそうと幾本もの筋を捌くと、
たとえ拮抗している筋肉でさえ、
一本ごとの筋パワーの発揮が感覚的に十分操れない状態に終止してしまう。
特に、最初に新しい筋肉の操作を練習して覚えようとするときには、
一つの筋肉を取り上げてどのような動きをもって最良となるかを割り出し経験させ、
次の連携している筋肉へ、同様に筋肉の操作手順を練磨させていく。
それを連続しておこなうようにしていけば、
最後にはそれらの筋肉を連綿と連続して動かしても1つずつの筋肉の機能が他の筋肉にぶつかって、
フリーズするようなことがなく力を発揮させることができるようになります。

一時期に、一筋肉を操作の限度とする。
ということを合気柔術の先生から教わったことがあります。
やってみると、まことに、そのとおりだと頷くところです。

筋肉は、同時に幾つかの筋肉を意識して操作するのが苦手で、
1つずつ順繰りに動かすようにできている。
それぞれの筋肉の操作性を最大化しパワーも必要十分量を確保するのが上等とされるので。
その動作の連携が非常にスムースに進行するとは、
次の筋肉から次の筋肉、そしてまた次の筋肉へと動きの連携が1/10秒以下で切り替わっていくと、
ほぼほぼ同時に動かしているように外見上は見えてしまっている。

だが実際は、自身の意識では、
いつでも、一つの筋肉を動かしたら次に行って、を繰り返しているに過ぎない。

そのようなことも重要ですよね。


あとは鍼灸師のお客様には、もうちょっとだけ無茶ぶりで菱形筋や広背筋の筋肉を
上中下の3つのパートに分割してそれぞれのパートごとに動きを作り出して、
その動きの違いを感じ取ろうと言うことも。。。 ^-^

なかなか、どうして、早々にその要領もつかんでおられる様子でした。


あとは、同様に足を動かすときに、
腕に対して広背筋の操作に似ているのが、足の大腰筋。
腕に対して菱形筋の操作に似ているのが、臀部の股関節周りの外旋六筋。

足のほうは腕と比べればずっと操作が感覚的にやっかいなものですが、
同様に他動的に動かして動きの正確な流れを把握していただきました。

足のほうはなかなかできているかどうかが不安になるところですが、
まずは大体の筋の起始と終点と機能の方を把握しておいて、
それに即した動きをイメージしてやっていくことで、
およその正解に近いところがでてくるのかもしれないです。
ただ、、、脚部の外旋六筋の操作が、、、かなり難しい。 ^-^;

相当な運動操作性を誇る方々でもない限りは、
ピンとくる人はいないと思いますので、
ここは感覚先行型で動きを作り出すよりも、
イメージでどうなるのかを分析的にみていく。

まぁ、、、他動的に私が代わりに外旋六筋のひとつの筋肉の梨状筋はこのように縮むという流れを、
やってみてということをさせていただけるのであれば、
感覚的にも動きの正解が感じ取りやすいものであるのだが、
自分一人で操作をしていくと難しくなるのだろう。

そしてここまで実際にこのようなトレーニングをしていただくと、
今まではそれほど菱形筋に意識が行かなかったり広背筋の縮む方向をピンと着ていなかったりしたのが、
正確になっていく。
それだけでも背中全体の神経がいつもと比べて幾倍もの量、活発に働こうとしていっていることに気づく。

また外旋六筋の一本ずつの動きを細分化して股関節の動きをイメージしていくことで、
いつもより股関節が深く入り込み出しますし、
大腰筋の鼠径部で引っかかっている仕組みを把握しつつ動きを意識していけば、
大腰筋の操作が腸骨ごと上方に脚部の骨を持ち上げる結果となることにも気づくだろう。


なかなかやってみるとおもしろい成果を感じられるでしょう。

文章だけでは、どのような操作をしているのかがわかりづらいと思いますので、
施術にお通いいただいてるお客様で興味がある方がおられれば、
「他動的に動かされるって、どんな感じのものなんですか?」とおたずねください。
やってみるとちょっと数十分それだけでかかりますが、
意義深い体験となるかもしれません。 ^-^
posted by スズキ at 03:54| Comment(0) | 体の使い方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月11日

促通反復療法って、多くの方の身体操作の熟練性をあげるために役立つと感じました!

もともと協調的な身体の連動が苦手な運動音痴だった私のようなものには、
身体の操縦術として新たな視点を拡張することが大切ですし、価値がある。

研究課題のひとつとして

フェルデンクライス・メソッドの、
手を使った動きの指示誘導をして合理的な動き方を身につけさせる機能的統合。

これは実際にフェルデンクライス・メソッドの先生にお願いするのが一番いい。
体験から入ると、腑に落ちる点が多く得るものも大きい。
補助的に知識を得たいのならばYouTubeなどで、
海外の方が多くの映像がアップされています。
関心がある方はご覧いただければと思います。
また洋書ですがテキストもあります。

そちらを私はここ半年、メインで見続けてきたんです。

その延長線上としての考えで、
片麻痺の方のために心強い促通法という身体訓練の方法の本。
こちらに添付してあるDVDを繰り返し視聴しています。


片麻痺回復のための運動療法 第3版 促通反復療法「川平法」の理論と実際

今は、いつもするように映像を流し見をしていて、
毎回ごとに、1つ2つと気づいた点や感じた点を、
こころに留めておくという作業をしているところ。

促通反復療法とは、
麻痺をしている患部を含んだ動きを促進させる方法。
術者が患者の麻痺を起こした部位の動きを作り出す。
そのときには協調運動から丁寧に創り上げていって、
末端部分だけの操作に終始しがちな手抜かりのあるよくない操作法から脱却した動きの方法を伝えている。

意識を向けるべき方向へ声掛けをして動作を助けたり、
患者様の体をタップして動作を促したり、
患者の筋を伸長させて動きを促す伸張反射を活かすのも秀逸で
歩行時には転倒の危険を回避するようサポートしながら安心できる動作を促したり。

そうすることで脳に動作全体の運動へ注意を向けさせて、
繰り返しこれを反復し続ければ良好な動きの操作が身につく。

ただそれは片麻痺以外の方が、この方法で動き方を学ばれても、
動き方の質が向上することで、省エネで無理やムダのない身体機能の合理的活動ができるようになるだろう。

そのようなものだと言える側面もあると見て取れたところも収穫だった。
学ぶところの多い臨床家のノウハウといえるところも散見することができ勉強になりました。


また・・・やはりテキストだけでは学べないなぁと痛感するところです。
DVDの映像は促通法の操作の感じやタイミングを観て学ぶには必要だ。


またより関心がある方は下記のサイトをごらんいただければと思います。
川平先端リハラボ: 促通反復療法研究所
http://kawahira.org/
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2017年05月18日

「仙骨・尾骨は歩くときには回転軸に関係する感じですね」をもっと咀嚼してみてください



歩き方をお伝えするとき。
仙骨と恥骨へ手をそれぞれ添えてもらい、
骨盤を前後に挟み込んだ手で
骨盤を回転させて歩いてもらうことがあります。

これはすでに臀部や腰部や腹部、そして脚部が中層から深層上部まで解けてきた方の場合ですが、
実際に理想的な身体操作から骨盤内のボール状にイメージした下丹田を回転させると、
歩幅は広がり太ももの前側の筋肉に力を入れずに一歩ずつ前進できることに気づくでしょう。

(※ 仙骨周りに癒着があったり仙腸関節の可動が悪ければ、この感覚を味わうのは難しい。)


慣れないうちは違和感を感じるかもしれません。
ですが大腰筋等のコアの筋肉を活かす者たちは、
匠にこの体幹の操作から足の運びをかなえます。

利き足が過剰に使われてしまうことにより、
片側の大腿直筋が育ちすぎていたり、
脚部の左右の筋肉の太さ自体違ってしまったりしたとき。

そのときは、特に丁寧に骨盤の前後を手で挟んで骨盤を操作する感覚を味わうようにといいます。

これは地面に対して垂直に釣り合いを持って立つグラウンディングをするにおいても、
非常に重要な要素となります。

丁寧にこの骨盤操作による歩き方を練習していき、
脚部の筋硬化の左右差を実感してからそれを改善しようと感覚を鋭敏にして、
動きの回転軸を感じつつ力みを抜いていくようにしていただくことも大事です。


実際にこの動作をしていれば気づかれると思います。
尾骨が左右に一定の周期で振られる振り子感覚がつかめれば、
後ろから人に押していただいている感覚を得たり、
あたかも椅子にでも座りつつも歩を進めている感じを得たり。

不思議な感覚を味わえるようになります。

これは体の背面にあるパワフルなエンジンを積んだ筋肉群が働き出す場合に感じる状態で、
深層筋や背中側の筋肉などは伸筋に属するもので、
動かしていたとしても動かしている使用感がない。
どこかの第三者が自分に力を与えてくれるという、
そんな錯覚を覚えるでしょう。


それにこれにより拮抗筋上、無駄なブレーキをかけつつアクセルを踏んで前に歩くようなことを避けられ、
省エネモードの効率のいい歩行が可能となっていきます。


この実感をつかむには、
それぞれの腑に落ち方がずいぶん違っていて、
ごくあっさりと理解し実践して行く人もいますが、
それは多くはありません。

それぞれが相当な試行錯誤を繰り返して研究実践して行く過程で、
自分の内側でぽっかりと盲点になっていたところを発見していく。
そのような盲点は人それぞれ場所や意識や力みなど千差万別です。

ただ貴重なターニングポイントを自ら見つけ出すことができると。
いかにも「な〜んだ、こんなことだったんだ」と、
今まで説明をされていたことばに意味が付帯され、
目から鱗が落ちるた瞬間に動きの質が向上します。

そのような事を向かえられた方々は、
「動き方を変えるって、画期的じゃないですか!」
と、ぶっ飛んだほどの驚きで、
動き方を磨きをかけて変え続ければ、
人生は宝の山を得たのだという意味。

直感できるかもしれません。



ちょっと視点を変えて考えていけば。。。

施術は人から受ける必要があるものの、
体の動かし方は、自分ひとりで工夫して磨きをかけて変えられるものでもあります。

施術では他人に自分の車のハンドルを握ってもらい運転を代行してもらう感じです。
私の個人的な感じ方では、よっぽど優れた施術家の施術でも、
自分の運転する車のハンドルを安易に任せられないものです。

それはなぜかというと、
体の操作を磨くときには、自分が自分の車のハンドルを持ち操作することですから、
そのような操作可能な状態であれば、必ず運転技術に工夫を加えて、
さらにうまく操作可能な状態にする気持ちがあるからです。
そちらに価値を見出したとき、
身体の内部から活気づきます。

どのみち、他人がもしうまく施術をしてくれたとしても、
それ自体は、一月に一回だけ数時間ほど施術を受ける人ならば、
99%の時間は自分で体の負担を蓄積しないように工夫せねばなりません。

それは施術の戻りがあるといいますが、
多くは施術をする前の体の使い方のパターンを
体を現状の歪みを創りだすものとして身につけておられるからなのです。

実は、フェルデンクライス・メソッド的な動き方を熟知しておられる方が、
一端は体が硬くてうまく身体操作をするにも様々な動きづらさからうまくいかなかった動作ができだすと、
明らかに体の状態の戻りがあるという後退よりも、
体の状態が自然にさらに改善していくのです。

そのような方々を、私は12名ほど存じあげております。
各人の初期段階の身体状況にもよりますが、
結果的に一様に優れた改善と定着がなされ、
続々とより深部へと筋肉の癒着部位を解き進めることができます。


優れた合理的な動き方を変える修行をしている人は、
私の施術を受けていただくことを契機に、
体のコンディションが向上しやすい筆頭。

そんなこともございますが、
実際はそこまでの身体操作の予備知識をお持ちの方々は少数派です。

だから、
私としてはたとえば歩き方を分析的に読み、
どのように歩き方の練習をすればいいのか、
自分なりに考えて伝えさせていただきます。


ただ、それと同時にというか、
それ以上に、自分なりに、
たとえばマラソンをしていれば、
走る際の自分の気に入ったお手本を吟味して見つけ出し、
そこからどのようなところが自分に活かせるかなどを考えながら観察するのか。

そういった自分自身が独自に興味関心を抱いて、
動き方の他者観察をしたり、
それを自分のなかで活かしてみたり。

たとえ、現状の捉えられる運動の知恵や知識量が欠けていたとしても、
自分の脳で汗を流したものほど、新たな発見も多いし気づきが定着しやすいものです。

要領よく、他者の言葉や理論をハックするのも悪いことではありませんが、
多くは先駆者の完コピは不可能で抜けたところが多く、
結局は似て非なるものができあがることが多いのです。
先駆者の遺稿などは良いヒントにはなりますが、
丁寧過ぎる直伝であったとしても、
自らがそれを受け取るだけのレベルにまで成長できていなければ、
理解したまでには遠く至ることはないでしょう。

なので、、、
体の使い方の知識量を増やすよりも、
体を使っての体験量を増やしてみる。


ということで、
たとえば...
恥骨と仙骨を左右の手で挟んでみて、
手で動かすウォーキングの練習をして、
その体験から自分なりに感じたことを
動き方のパターンのメモリーバンクに書き込んでみてください。

仙骨・尾骨は歩くときには回転軸に関係する感じですね・・・という印象も、
受け取ることができるかもしれません。
ですが、それだけではなく、他にも様々なことを、
その動きの様子や、動きを改善させて磨きをかける試行錯誤のプロセスから、
多くの感覚的な体験や、さらなる進化への発見などもなさるかもしれません。


そんなことを、、、たとえば、私はフェルデンクライス・メソッドのような
身体をやさしく操作するボディワークメソッドで学んだわけですが、
その研究過程で理想的だなと思え夢がかなったとき、
「なに」がそこで起きたものなのかを言葉で述べてみる。

すると思い付きは一過性で忘却の彼方に去るのがほとんどでしょう。
ですがたとえば他人にどんなことを発見したか説明してみたり、
または自分で発見したものを文章化してメモしたり図示したり。
そうすることで血に肉にしていくこともできます。

そのように動き方のプロセスを再検証して、
もしもさらなる理想形があると発見すれば、
そちらへ意識を向けて膨らませることも大事ですね。


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2017年05月12日

「指導」か、「尽くす」かの違い。

最近、つとに、考えていること。

私は「先生」といわれると違和感を感じ、
居心地の悪い思いをいたしています。
ただ、年齢が進むに連れて、
考えが「私がなにを大事にしたい人なのか」ということに意識の焦点を当てるようになってから。
呼称は気にならなくなってきました。

ただ多くは「鈴木さん」とお客様には呼ばれていて、
先生と呼んでおられるのは 1/100 くらいの割合ですし。 ^-^;



私の場合には、先生という呼称に含まれたものには。
体の状態や使い方についての見立てを伝え指導もする側の人間という期待があるのでしょう。

指導者側として、
すでに多少は先んじて量を学んでいる。
それは、、、そうじゃないと、こちらに足をお運びいただけなくなる、
窮地に立たされることになりますもので、こちらだって必死なんです。 ^-^;;;


ただ「指導」という言葉にも、私は違和感を感じてしまうのです。。。
もちろん一般化された呼称の「指導者」というものにも。。。


指導する側は、
相手の立ち位置よりも高いところから見下ろす気持ちになるときもありそうです。

それは、やはり残念なことですが、
多くのお客様から過去そのような不快な経験をしたという指摘もあります。
おそらく私自身も、その加害者になってしまったこともあると思って反省しています。


上から下を観る目線。
つまり上下関係を感じながら
指導しようとする者を観てしまうこともあるでしょう。

そのような気持ちでいる自覚がなかったとしても、
そうされた相手は、そのように感じられるならば。。。

そこには伝えようとする側が
お伝えの仕方の資質をあげる必要もあるでしょう。



「指導する」という教える過程で、
上から目線で見下して観られた者は、
どのような反応を内的に起こすのでしょうか?

指導者に指導される側の生徒役としては、
その上下関係を受け入れて自分の意志を殺したり滅して話を聴くのか。
または自身のプライドを保つために対抗しはねつけようとするだろう。

私のところのような施術をする場ではなく、
体の使い方を伝えることがメインの場に費用を負担して来ていただけたお客様は、
すでに指導を受ける準備ができているだろうと思うのは勝手な期待の丸投げです。
実情は、そう甘くはない場合もあるようです。

いずれにせよ、
伝えられる側の自尊心が傷つけられてしまっていたとしたら、
ガラガラピシャッっとシャッターが締め切られるでしょう。
貴重な学ぼうとする意志、きっかけが損なわれます。


「スワーミー・ヴィヴェーカナンダのメッセージ 立ち上がれ 目覚めよ 」
という私が日頃愛読している実質40ページ弱の本のなかに書かれた一節を思い出します。
( 少し宗教書的な書き方ですが、意味部分を察していただければさいわいです )

『 君たちの信者仲間を指導しようとしないで、彼らに尽くしなさい。
  無慈悲な指導熱は、幾多の立派な舟を人生の大海に沈めてきたのだ。』


上下関係を作ろうとする本能が、
少なからず人間にはあるようです。

それが自分にあるとすれば、
それを、まずは捨て去ることです。

無論、ここで意図するものは、
おべんちゃらや甘言の言葉を尽くせというものではありません。

やる気が育っていなければ、
そこでは厳しさも必要です。
もっと正面からそれに対し向き合うよう迫るのです。

ただ、ここで間違ってはならないことがあります。

相手の考えを存分に聞く前に、
「自分だったらこうする」と情報不足のまま、
思い付きの考えを正解として押し付けること。

その自分の考えを優先して相手を操作しようとしてみても、
不協和音程度のノイズが聞かれるだけで、
芳しい成果などは期待できないでしょう。

「指導」とは、ときに自身のやり方を他者に押し付ける方法です。
受け取る側が納得できた「自分が考え抜き気づいたアイデア」とはフィットしないものならば、
いくらがんばって指導をしようとしても深く胸に刺さりません。

単純にありものの教科書の内容をつたえるというものでしたら、
そのカリキュラムに則って進行することが最良ですが、
体の使い方についてはそれほど単純なものでもない。

本人が、ほぼほぼ、自覚がない盲点のような部分が、
内側に埋設されていて、
それを他者に掘られるのは無理矢理感があって傷つくものですし、
新たなトラウマにもなりかねないものです。
だったら指導者の示唆を含めたヒントを頼りに自分で探し当てる。
そのようにして見つけたものは、無から何かを生み出す苦しみもなく、
比較的スムースに成長して指導者や師に追いつき追いぬくこともできる。
ずいぶん時間の節約にもなりますよね。


そのようなときに指導する側がおこなう仕事といえば、
どのようなことがあるものでしょうか?

腑に落ちるまで相手の考えや感情を出し尽くさせるような聞き役に回ってみるのもいいでしょう。

自分が考えた末に導き出された答えからならば、
人はそこから非常に多くを学び取ることができます。
十分な行動を促す動機を持つことができるでしょう。

正面から、まず自分自身がその課題に向かい合うこと。
人は、向きあう気構えが固まって肚が括られた瞬間に、
想像以上の成長をとげることだってあるんです。

ただ向き合う気持ちが育たぬうちに
他者から知恵を丸投げされて暗記しても、
自分の価値観を揺るがすほどの深慮や決断にはつながりませんから。

今までの自分のスタイルを変える必要も骨身にしみて感じられない。
切迫感も緊張感もその場限りになってしまうかもしれません。

農業では土づくり、土壌づくりが大事だといい、
耕してたり、水はけを考えたり、種を植える前の準備が大事で、
そこへ労を惜しまないことがいい作物を収穫する秘訣だと思います。

「指導する前」に必要な心の受け入れ体制を整える手助けをする。
そこが人の中に種を植える前の土壌づくりですね。

もしそのようなことが指導する前段階に設置するよう心がければ、
指導を受ける側は、自らの足で立ち上がり、目覚めると思います。

そんな過程を通ったときに、
「たまには他人のやり方を採用してもいいかな」
という気分になれるものなのでしょう。

それが、自分の動き方のくせに固執する傾向から羽化の瞬間です。

そのようなお膳立てに力を尽くすことは、
忍耐力も必要な損な役回りだと感じるでしょうか?

すんなりとうまくいく場合もあるでしょう。
ですが、そういうケースばかりではないことを思い知ることも。


ただ考えてみてください。


後に訪れる変化の偉大さから考慮すれば、
霞んで消え失せる幻のようなものかもしれません。
そこからなんら苦痛を感じる以前に、
喜びに満ちた今後へと向かう者と出会えた充実感。
後々に訪れる意義深い成功を納められた後を十分に知る。

そのような者が立つ地は、尊い。


「立ち上がれ 目覚めよ」の本の一節にある、内容の「尽くす」とは、
そこまで付き合い続けようと決心すること。
そこまで「尽くす」ことで始まるのでしょう。


農家が手塩にかけて自分の育てた農作物に愛情をかけた分だけ、
その農作物は実りを大きくしてくれるものです。

その農作物が、水を好むかどうか、水がやり過ぎでは根腐れがおきるなど、
そのものの現状をどれだけ把握して世話をするか。
その甲斐甲斐しく気を配り愛情をかけ尽くす分だけ、
自らが育つ力を発揮しやすくなったときを迎えて育つ農作物のように、
人が指導され成就するのも、さほど変わりがないように思えるのです。


いずれそのような「尽くす」段階で、
体の使い方を伝えるということに向き合いたいですね。

私にとって、
コーチングの音声テープを、数年間、耳に入れ続けて、
去年はスクールに通ったのも、そこにコーチングの考えが生きるからです。




ここまで書いてきて感じたことですが、
私は土を耕す人になりたいんでしょう。
そこに価値観を置いて活動をしていく。


日本人の体の操作が、
幕末以降にいきなり悪くなってきたというマイナスのカルマ。
以前にはなかった病の起きる起因の一端はここにあるでしょう。
それにあまんじて子々孫々までつたえてさらに悪化をたどるか、
そのカルマを打ち壊して、新たに土壌を耕して種を植えるのか。


きっと土を耕す人にならなければ、
理想を語りづらいところもでてくるものなのでしょう。
そんな気がいたしております。

posted by スズキ at 05:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 体の使い方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月05日

ひとまずは肘の使い方を巧みに

ここ数週間、
【 肘の使い方を再検証 】しています。

手を使うときに、
手先に先に意識がとられれば根無し草。
猛烈な力が底に宿ることはございません。

手の関節を解剖学的にざっくりとだけわかりいいところを見れば、


胸鎖関節、肩鎖関節、肩関節、肘関節、手首関節、手部関節、指の関節、、、
のような
「中心から、末端へ」という流れがあります。

力をどのように流せばいいのかといえば、
体幹から末端へという流れが関節をつなぎつつ操作できる妙があります。
すると、
正確に考えつつやっていけば、

胸鎖関節、肩鎖関節、肩関節、肘関節、手首関節、手部関節、指の関節、、、
といった流れをひとつずつの関節を胸鎖関節から順番に指の関節まで逐一操作をする必要がでてきますね。

フェルデンクライス・メソッドなどでは、
まさにそのようなひとつずつの関節に意識をして使う操作感に焦点を当てて試行錯誤を加えていき、
画期的なまでにスムースな腕の使い方の実現をかなえるようにするきっかけづくりを与えてくれる。

体の操作には、あまり関心がないかまたは初学者で、
体を使いこなせていない場合の一般的な例では、

下記の< > 内をすっ飛ばして、( )内を真っ先に意識している。
<胸鎖関節、肩鎖関節、肩関節、肘関節、手首関節、手部関節、>(指の関節)、、、
反射的にそうなりやすいのだろう。
指の触覚感が強烈で真っ先にそこへ神経を向けてしまいやすい。
ただ、そこが「トラップ」といわれるような致命的な罠になる。

私もでしたが多くの人たちは、
このトラップに気づかずにハマっているのです。
そこから抜けだした人には、
見事にこのトラップにハマっているかどうかの、
状況はありありと感知することができるのです。
なので、武術で相手の力量を観るにも最適です。
もしこのトラップを抜けだしたものぶつかれば、
足腰が立たないようになっていく結果でしょう。
信じられない程の地の力が発揮できるのですね。。。

そしてそれは施術をするときにも、
もちろんそのトラップにかかっているかどうか。

大きい成果の差に出てきますが、
そこは水面下で行われる操作ですから、
ほぼほぼ、見抜ける人は少ないでしょう。

具体的に言えば、
つまり指の関節を握るという操作を < > 内の関節の操作をすっ飛ばしておこなえば、
生理的に三角筋に不要な力みがでて筋拘縮が起きて力みが入ってしまう結果が出てきます。

力みが入った身体操作では、
思い通りの精密な圧の質や方向などを創りだすことができない以前の問題で、
触覚や気を察知する感度が鈍る触診となるので正しい情報収集ができません。
それでは理想の対応が難しいものですよね。


ですが< > 内の関節をひとつずつ動きを制動していくことは、
レベルが高すぎる精妙な操作になっていくものですから。
私にもそこは容易に登れる坂道じゃありません。


まずは肩甲骨の動きに直接動作を与えることが可能な肘の操作に、
注力して肘の動かし方のノウハウを見つけられるように務めよう。
 
そのようなことを、私自身、ここ数週間しているのですが、、、。
肘を利用した施術をするときには、
いつもよりも体を低く折り曲げて
重心を落とす操作をすることへ。

それにより、
これまた以前よりも力の浸透力は、
飛躍していっている。

無論、お客様にはおそらく負担感はない操作の延長線上で起こしている圧の生じさせ方を工夫しています。
だからそのことに気づかれている方もおられないのですが、
私にはその変化にはなにかの手応えを掴んでいます。

ただ、私自身にかかる肉体的な影響として。
不用意にいつもと違った筋肉の部分を使用しているわけではなく、
施術姿勢を変えてはいるのですが、
いつも以上に意識を精密化して操作するだけで、
まったく肉体にかかる負荷の様子が変わります。

今のままでは体がいきなりゴツくなりそうですし、
驚異的な眠気やだるさなどが襲ってくる。
足が攣りそうになったり、
腰がピキッとなってみたり、久々ですね。。。

本来は重心移動をたくみにして、
体全体の動作の一部としウエイトシフトから圧を作り出せなければならないものの。
足元がふにゃふにゃなベッドのためと足場にブロックがゴロゴロしているため困難。
そこをどのようにクリアできるものか。

いろいろとできるところの底上げを思案中です。


この肘の使い方を高いレベルで会得できなければ、
最近、研究中の「てい鍼」を持っても
自分が思うようには使いこなせないかもしれない。


それは私の勝手な思い込みかもしれませんが、
てい鍼づくりと同時並行的に、
それを使いこなせる体づくり。
そこに着手しています。




そんなこんなで。
最近では、お客様が「肘の使い方って?」などと、
禅問答的な話をさせていただくことが多くあって。


もちろん、
すでにこの部位に意識を落とし込めるレベルの方にだけ、
「そちらへ注目をしてください」と申し上げております。
部分的に参考になっていただける点を掴んでいただければという願いはあります。

ですがお客様にしてみれば「突然、そこか!?」

と、驚かれる方もいたでしょう。
ご迷惑をお掛けしているところです。

posted by スズキ at 12:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 体の使い方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月28日

背中に空気を入れるって大切なんですね!

昨日の施術でのこと。

バレエ教師から4年にもわたって、
マンツーマン制でバレエを習っている女性のお客様。

数年に渡り施術を受けていただいているお客様で、
お体の動きはバレエレッスンを受け続けてもおられてますので、
着々と状態は上向いていっていることが私には手に取るように分かります。

もう一歩、先へと進めれば化けるはずだろうと。
そう期待していました。

ここでの化けるとは、
「自然体で立つこと」を意味しているのですが、
実際はそれができるって本当に難しいものです。
ほんとうに重箱の隅をつつく感触で、
私はその状態を感じ取りますから。

一般の方には、その一般の方では十分なレベル。
動きを極める方には、その方に十分なレベル。

それを私の胸の内で設定しております。

バレエレッスンをなさっておられることも
しっかり自身の体を隅から隅まで整えて動かしたいという思いからだとおっしゃられますから、
すると、動きを極める方のレベルを得たい方だとお見受けいたしますので、
点数がかなり高めで合格点となるものです。

そういった高いハードルを設定させていただいています。

だから、、、、
私がこちらのお客様の立ち方を手直しをしなかったのは、
長いお付き合いでも、昨日が初めてです。 ^-^ v
ついに、やったね!と感動。

そんな私の内心をよそに、

本人の表情を見ると、
あまりにもあっけなくそっけなく立っておられるのです。

^-^; すごいことなさっておられるという自覚がなさそう。。。

その姿は、まさに地面との付き合いを理想的にかなえて、
自然との交わりにムリやムダや無茶がない。
手本と呼ばせてほしいレベルでした。


私が町中で歩く人を観て、
「この人はすごいな」と感じられる人は、
ほんのほんの一握りです。



なぜ、いきなり私が立ち方の手直しをまったくしない状況になったのか?

理由は教えていただきわかりましたが、
記事にする合意をいただいていないので
詳しいことをお伝えできません。

それが残なんなのですが、、、。


ざっくりと、だけお伝えさせていただきます。


先月にそのお客様が体に負担を感じ私の施術を受ける来急性があって施術をさせていただきました。

一度の施術で、ここまで改善できればいいだろう、というところまでリカバリーできました。
わりあい深部にまでかなり強烈なこわばりを仕込んでおられた様子でしたから、
痛みや不快感も強くなっていてバレエレッスンを受けるのもしんどかったところでしょう。

そして別れ際に、
私が「まだ、ムリをしないでおきましょうね」といったからか、
それ以上にご本人が慎重派で安全第一だったからか。。。


次回のバレエレッスンを受ける際に
お客様は負担をかからないメニューにしてくださいね!と先生にリクエスト。

バレエ教師をなさっておられる方は、
その要望に応えて、
背中で呼吸をする」というレッスンに体を慣らす準備運動に取り入れていただけたそうです。

丁寧に、骨盤部や腰部や背部などを5箇所ほどに分けて
それぞれ時間をかけて順々に背中の意図する部位へ呼吸した空気を送り込む。

あとで気づいたのですが、
お話の内容をお伺いしてだいたいはわかったつもりになりましたが、
どんな感じでやってみたのかを「実演」してもらえばよかったなぁ。 ^-^;


それを幾度かのレッスンのはじまりになさっておられたとのこと。

もともとそのお客様は、私が施術前に立ち方を手直しをさせていただくといっても、
微調整ですませられるところまで上り詰めていた方です。
わずかだけ私の手で、「こっちですよ!」と腰部を吊り、
それでほぼほぼOKでしたから。
私が夢見ていた自然体で立つ状態には非常に接近しておられました。


ただ最後の最後、
いつも手直しをされるのは気分的に嫌なものですよね。
かなりいい感じになってるよねといわれつつでも、
私だったら、やっぱり、また手直しされたか、、、。

と、なってしまったでしょう。

そうであったものの、
ご本人の体調不良と、背中に空気を入れる感じのエクササイズに力点を置いたところが連携し、
ついに自然体を手に入れておられました。

私も腰部の後ろ側を浮袋を膨らます感じで膨らましてみて、
というアドバイスはしたことがありました。
ですがそれだけでは足らなかったのだということを教えていただき、
痛感させていいただきました。


背中の部分を幾つかにセグメント分けして
丁寧に手順を考えて空気をいれていくこと。

こちらのお客様は、
すでにグラウンディングがほぼほぼできていたから、
だからすんなりと体の中心軸の位置取りを変更するのも容易だった。
それも手伝っておきた奇跡のようなものだと思います。
体の軸の見当がついておられない方には、
ここまでのことは起こらないと思います。


ただ背中側へ及ぼす呼吸で胴体内部に息を目的箇所に入れて膨らませることの大事さは。
それは背中の起立筋側の伸筋を伸長させるエクササイズとして、
さらに積極的に取り組んでいこうと訴えて行くべきと感じます。

このやり方を少し練りこめば、
万人向けの健康法のひとつを
作り出せそうな気がしました。 


ちなみに、
この自然体で立たれているご本人の談として、
「3ヶ月後に今の立ち方が継続できていたら、自分でも認めようと考えてます」と慎重。

ただ、私は、一度でも、この一般の方が感じる立ち方とは異質な感覚を得られたことは、
すでに大きすぎる福音を与えてもらえているように感じます。

いくつも福音はあるんですが、
たとえば腎の気の活性化が当然のように起きてくれる。
すると今まで以上に若々しくという印象が際立ちます。
精力や体力も若返っていくんです。
この自然体で立てば当然そうなる。


「老後の人生設計」も、長寿の相に背骨が変わる流れから、好転すると思うんですよね。 ^-^



このたびはこのお客様は、
一時的に体に負担を蓄積してつらい日々を過ごすほど頑張られてきたのです。
失敗を許容して進むことがなければ、伸び悩むことを知っていたのでしょう。
得てして失敗を取るかどうかの判断は、
本能の直感レベルがものをいいますね。
まさに今回は野生のカンを武器に開拓なさられました。



最後に余談ですが。。。
体が痛いぞーとなったときに、私のことを思い出して、
何かあればボディワイズさんにメンテを頼むから、とおっしゃっていただけました。
私といたしましても、そのような対応をさせていただくのなら
うれしいかぎりです。 m__m


posted by スズキ at 17:39| Comment(2) | TrackBack(0) | 体の使い方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月13日

手を挙げるだけでも、13000もの動作命令を必要とする・・・

サイエンスZERO』というNHKの番組は、ビデオ録画をして観ております。
ものの見方や考え方など、
目からウロコが落ちる感じの率直さで、短い時間で伝えてくれるすばらしい番組。 ^-^

気に入っています。

[NHK] サイエンスZERO - 人間とは何か? アンドロイド研究最前線。

観た方もおられるでしょう。

そこで二松学舎大学を卒業した夏目漱石のアンドロイドが語る。
きっと目の前でみたらすごいんでしょうね。

夏目漱石のデス・マスクから顔の型を取り、
夏目漱石の孫の夏目房之介さんが漱石の骨格とにているからナレーションをして。



そこを観ても、漱石だなという雰囲気が醸し出されていました。


(時間がある方は、下の映像を見てみてくださいね)


[NHK] サイエンスZERO - 人間とは何か? アンドロイド研究最前線 (2017.01... 投稿者 TrialerTeaser



ただそれ以上に驚いたのが、
漱石の手が少しあげるだけ。
たったそれだけの動作でも1万3千もの動作命令がなされているそうです。

有意味的な内容を、そこまで叩き込んでいけるまで分析していく努力。

漱石の手を挙げる = 手の部分の挙上動作 + 体全体で手の挙上をかなえるバランスをとり支える動作
簡単にみれば、このようなものでしょうか。
そして昔のアンドロイドでは、
後半の(+ 体全体で手の挙上をかなえるバランスをとり支える動作)が入っていなかったのです。
いかにも作り物的な動作。
人体の操作も、部分を見て手だけを挙げると操作をみれば、
このような操作になりかねません。

そこで、一つの動作を成り立たせる陰と陽で例えれば陰となる部分をあぶり出したのです。

すごい知恵ですね。

人間らしく見えるよう研究していく職人たちには、
ほんのささやかな腕を上げるだけでも軸の変化や重心の移動、対になる部分の動きなど、
さまざまな影になる操作があることに気付き、
その操作が完遂できたときに、
見た目がいつも私たちが見ている腕の操作をしているなと全体像を把握できることを知っているのでしょう。

私が、動作命令のソースを見たら。。。目が点になるでしょう。

一見にして手を挙上するだけの操作でも、
それほどの影で幾多の動作命令を私たちはしているのです。
それは無自覚的にできてしまっている操作ですが、
アンドロイドがその動作命令をされないと動かないと同様に、
私たちの場合も動作命令がされることで動くというのは同様。

「動きの巧みさ」を語るには、
動作の素地づくりをするべき。
それには動きのある部分を観るのは当然だが、
そこより先に起きる準備が体内に先に起きてくることが大事。

太極拳等での教えは、
陰陽の語るところは、
陰の動作に陽の動作が上に乗るように作りだすようにいいます。

手が上がってから、それを支えるための動作をあとづけでなすのは、
軸を失した操作で下手とされ、
手が上がる手前に準備動作を終えてから手を上げるのが上品ですね。

この上品な動きはよくよく練られた修行をなさった末に保ち進むものです。

だから動きは局所だけを観るのは下品で、
かならず全体の動きを俯瞰して観て局所にクローズアップして、精度を見て取り、また俯瞰してを繰り返す。
そこを連綿と繰り返して雑味をすりつぶして、
より合理的な自身の身体と向き合った末の自然体を手に入れます。

まずは、そのようなイメージで動作の一挙手一投足を再検討する。

一見面倒なものですが、
一定期間、その動作を練るような修練をなされれば、
いったん上質な動きを知れば、その後の豊かな感情の起こりや操作についてなどにも、
滞りも減るように感じています。

様々な方面で、自身の生活上の豊かさが上がると思います。




そういえば、と脱線をしますが。^-^;


昨日施術をお受けいただきました私と同業者の先生。

今までの勤め先から独立なさるそうです。
新たな船出を勇気と希望とやる気が武器。
独立をするとわかりますが、
日本には四季がありますように、
春や夏の季節もありますが
秋や冬の寒々としたところをしのぐときもあります。
それは経済的なものとして来る場合もありますし、
家族や自身の身体的問題として出るときもあります。

たいがいはその冬の時代が、
勉強したり新たな情報を得て変化対応する時期です。
そこを前向きに捉えて時を過ごすことが大事です。
体験から得られる教訓は、深く胸に刻まれることで、
自分を磨き大きくすることになるでしょう。

という彼が、お店を借りようと思ったとき、
それも真剣に借りようと思って町中をみたときには、
あそこの歯医者の立地は看板が見づらくて入りづらいよな、等々、
いろいろなことを考えながら目に飛び込んでくるようになったそうです。

店舗を借りる至上命題を持ったときに、
脳に「人生に関わることだから、最良物件を見つけてください」という、
緊張感漂う明瞭な質問をしたとしたら、
いつもならば同じ町中を歩いても気にもとめなかったことが、
一気に自分にとって意味を持って飛び込んできたという経験をしている。

そのようにおっしゃっておられました。

人生に関わることだから・・・と、必死に緊張感を持った時には、
脳内にアドレナリンがでるので、突出した注意力が発揮されます。

または追求してみて楽しくてしかたがないという時にも、
そんな脳内麻薬物質がでてきて、固定した感覚や感性を
別のチャンネルにひねりをかえて受信できるようになります。


私も基本は、施術をしているときに集中力を高める際に、
意図的に脳内にアドレナリンがでているかどうかが大事。
そのように感じています。

そのときに、
ものの見方が固定された盲点を持つ状態から移行できます。

気づきがえられやすくなるのですね。

人が、今まで行い続けていた無意識になさる動きのプログラムを書き換えるときには、
脳内麻薬物質の作用がてきめんに効いてくるかどうかがポイント。
そのときに実は、
感情の面が集中して、
どうしてもそうすべきなんだ!と積極的に惜しみなくそちらに意識を向けきる、
そんな実感を得られた人は幸いなんです。

「なぜ、そうするのか?」
「なぜ、そうしたいのか?」

そこの理由が自分の価値観にまで掘り下げて繋げられたときに、
脳内麻薬物質がでてきます。

そこに繋がっていなければ、やる気は早々に30秒ほどでやせ細るようにして、
いつもの状態に帰郷するよう設定されているものです。


私には、
「ぜひ、影になり動作を支える陰の動きをものにしたい!
それは、なぜならば、・・・」
というところに自身の未来肉体像に希望を込めた思いを口にすること。
感情として、うれしくなる状態になれるからとか、そんな苦しくて辛い状態に陥るのは絶対にやだとか。。。
気持ちを込めて語ってみて誰かに聴いてもらう。
または自問自答でもいいし、語り終えた後に、
「そうだね、あなたはそう考えているんだね。その望み、かなうといいね」といったいただけるとき。

不思議なほど、意識のトンガリは胸に深く突き刺さるもののようです。

そこからのが、改革の始まりだろうと思うのです。
posted by スズキ at 11:32| Comment(2) | TrackBack(0) | 体の使い方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月12日

背負ったカイトを高らかに飛ばそう!

「背中側の首の筋肉」エリアは、
どの広さの範囲を持っているのか?

という質問に対して、
首の骨があるところの後ろ、
頸部の裏側のみが背中側の首の筋肉だとお答えなさる方も多いものでしょう。

解剖学の勉強をなさったことがある方は、
頭骨後ろ側下部に付着する『僧帽筋』が全部首の筋肉という認識でしょう。

凧揚げのカイトのような形をしている僧帽筋。


僧帽筋はカイトのように空に飛ばせ.png
僧帽筋は後方かつやや上方へ向けて飛ばすこと。
それで肩甲骨を肋骨から引き離し間を開けます。
そのときに両肩は、
なだらかに肩甲骨が腕の重さを得て下げられていく。

僧帽筋は凧揚げの凧を後方へ上げるかのように空中に舞わせること。
まさしくそのような一度空に舞った凧は、ゆっくりと地面に着地するとき。
背中が落ち着いた状態になりおさまる。

胸郭の形状も正常化され作られやすく
横隔膜の裏面の付け根といえるのか、
大腰筋の付着部上端が少し上に持ち上がるため、
姿勢も中心軸が整えられていき
呼吸も楽になっていくだろう。

胸の前側で胸郭を長期間的に整えていくような設定はできない仕組みだから、
この僧帽筋の凧揚げは重要だ。

そこができていれば、
グラウンディングの体感を感じやすくなるでしょう。
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2017年03月15日

メガネを変えてみたら、脳のデバイスドライバーがうまく書き換えられず、難儀中

個人的なことで、すいません。

私は視力が弱くてメガネをかけています。

「鼻の穴、メガネでふさがってるよ」と、
今年に入り副鼻腔炎をチェックしていただく際に、医師に指摘されました。

ガラスレンズが分厚いため重さがかさみ、
鼻の穴の通り道をふさいでしまうほどで。
あとはメガネがずり落ちないように、
いろいろと工夫をこらす結果からの
悪影響もでていました。

フェイスマッサージの実施研究により、
思惑通りに副鼻腔炎もおさまりました。
そして視力の改善が少し図られていき、
軽さが際立つメガネを手に入れました。

すると理想的な感じで、
鼻の穴をメガネが乗っかる重量で押しつぶすこともなく、
呼吸がしやすくなりました。 ^-^;
めでたし、めでたしですね。

「ほぉ〜、こんなに、眼鏡によって違いが出るんだ」と関心しています。


ただ、ひとつだけ気にかかることがありました。

以前つくったメガネは眼鏡市場でした。
メガネを作る際にした検眼が微妙でして、
数ヶ月してもレンズを通した像がゆがむ。
そんな見え方が微妙な状態が続きました。

そのような不具合さも、
1年、2年、3年と続くと脳がレンズから通しみることができた像に対して修正をかけてくれて、
周囲の状況を把握できるように改善してくれるようです。
そんな感じの状態で物を観ていたのでは、
眼精疲労の原因になりますよね。
猛反省です。


今回は五反田東京卸売りセンター(TOC)のオリゾンというメガネ店で丁寧に検眼していただき、
見え方が以前と比べてフラットで同程度の度の入ったレンズでも目が良くなり細かいところまで見える。。。



ですが悲しいかな、
以前の変な見え方を脳が修正をかけて像をみるクセ付けがされてしまっていて。
その脳内の湾曲した世界を修正してものを見るという作業が大仕事だったよう。

たとえれば、
体の全体のそれぞれのパーツを「デバイス」という呼び名で呼ばせていただければわかりやすい。
パソコンは、記録装置としてのハードディスクや、ディスプレイ、マウス、キーボード等の
デバイスと呼ばれているそれぞれのパーツに別れていて、それらが一つの仕事をするよう
調整され統合的な操作が可能となるように、
「デバイスドライバー」と呼ばれるソフトウエアが
ハードディスクにインストールされている必要があります。

人間も、それはさほど変わりがないんですね。
眼球というデバイスパーツを動かすためには、
脳に眼球を動かすためのデバイスドライバーが組み込まれているんです。
パソコンでは、新たなマウスを買ってきて取り替えたら新たなデバイスドライバーを
インストールして使うような仕組みになっていますよね。
それは今まで使っていたデバイスドライバーでは、新たなマウスが機能制限を受けてしまったり、
最悪動かすことができないという現象が起きるからです。

それと同じように体の部分的なパーツも状態が変われば
「デバイスドライバーを再インストールする必要」が出るときがあります。




今のメガネでみると、
ものがくっきりしっかり見えているのですが、
数歩も歩けば動きのある像にて船酔い感から。


施術をするときは、
膝を起点にし上半身を動きを制御しています。
すると船酔い感は耐えられるような状況です。
だから仕事上は問題ないのですが、

日常生活上、突如、しばし、その場で立ち尽くす。。。


しばらくすれば慣れると思いますが、
そこまで我慢を続けるしかありません。

今回のことでわかったことは、
目のレンズから取り込まれた外部情報は、
そのままの像が脳の視覚野に描き出され
立体物を認識するものではなく、
脳が逐一関与して修正をかけていきます。
脳が受像後の映像に対して修正プログラムを作り補正を加えたあとの情報を、
私たちは認識している。

プレーンな外部からの像を目がとらえていると思えていたとしても、
実体は勘違いがあるのでしょう。
それは右利きの人は、
多くが効き目が右側になり、右視力が低下しやすい傾向があります。

私も右目のほうが視力が悪いんですね。

そうであったとしても、だいたい両目でものを見るときには、
左右の目が同じほどの視力を持って情報を吸い上げています。
そんな、、、誤認の上でものを見ている状態です。

目というデバイスはプレーンな器具でしかありませんが、
脳がデバイスドライバーとなり目の機能を制御していく。
それらがセットで活躍できるようになるまで、
脳のデバイスドライバーの調整やリプログラミングなど、
手間がかかるものですね。


同時に、私が今、感じているのは、
脳がこしらえた目の機能を発揮させるデバイスドライバーが、
メガネのレンズで相当に操作されているという部分だけではなくて、
今年から数ヶ月もトライし続けているヘッド&フェイスマッサージ。
こちらにより頭蓋骨の形状をミリ単位で修正をかけていく作業でも
メガネを新調して脳のデバイスドライバーを書き換えるようなことが起きていたのだろうか?
という疑問です。

10分から15分までとヘッド&フェイスマッサージによるアプローチ時間を制限し、
日々繰り返すというやり方でリリースし続けてきたわけですが、
そのときは目の視力が向上していく感じは徐々にアップして目の疲れも素直に改善へ。

その視力の改善曲線がかなり変化したのだが、
それでも緩やかで穏やかな変化であって
脳がその変化をデバイスドライバーの一部修正で対応できたようだ。

それが突然、メガネの視力の変化だけではなく視軸やレンズの凹凸変更など、
多くの状態変化が起きたと際には、
その変化量の急激さにより脳が今まで使っていたデバイスドライバーが役に立たなくなる。
するとしばらくは役立たないデバイスドライバーをちまちま補正をかけて省エネで使う工夫をするが、
やがてそのデバイスドライバーのプログラムをあきらめて再度、一から設計をし直すような再構築へ。

つまり急激な状態の変化には、
その変化した状態が理想的でいて機能的な状態に向かったとしても、
脳がその変化に追いついていけないという現象が起きてしまいます。


それは今回の私のメガネの買い替えもそうですが、
施術を受けて大きな体の軸の変化や変更を強いられたり、
体内の血液の流れを改善という大変革を強いられたりすると?

そのとき脳が手足や胴体、頭等の動かすためのプログラムも然り、
体を自然に鎧化させてつっかえ棒をつくり支えるプログラムを幾重にも組み込まれたとき、
または、
容易に体の状態が大きく変化変容させられるような柔軟性の豊かな状態であればあるほど。

脳の体の四肢等を運動させて立位や座位などの姿勢維持や歩行や走行などの運動も
急激な変化をともなうようなときには。
今まで組み込んだデバイスドライバーの変化に対応させる修正作業ではすまなくて、
体の中では今までのデバイスドライバーを一部か全部を捨てて、
再設計をし始めて使い方を新たな状況に合わせて変化させます。

それが正常かつ理想的な体の変化対応の力といえるでしょう。
この場合に知恵が体の使い方の要諦を多く理解して実用可能なほど身についていれば、
大きなデバイスドライバーというソフトの機能発揮の実情に合わせた最適化がされて
大ばけ小ばけしていけるような仕組みです。

つまり体の四肢が勝手に動きや姿勢を創りだすのではなく、
脳が運動神経系を制御することでそれらは動かされていき、
それらを動かすためのデバイスドライバーのような存在を、
私たちはどのように再インストールできるのかにかかっているのですね。


人により、
体の使い方のノウハウが認識されておらず、
今までの体の状態というデバイス面を書き換えられたとしても、
新たなデバイスドライバーを作らずに以前のデバイスドライバーに執着をせざるを得ないこともあります。

私が目に合わないメガネを無理矢理にかけて、
それで新調した理想のメガネを手に入れたが船酔い感で喘いでいた場合に、
取る方法は2つあります。

ひとつは、新たなメガネを使いこなせるように工夫してならすための努力を積むこと。

それは船酔い感を乗り越える苦しみや不快感があります。
ただし理性がこちらのメガネはよく考えられた信頼感があると捉えている。
そのおかげで安心して頭の位置、方向け、胸の張り方、首筋の状態変更、胸の左右への開き具合など、
さまざまな今までのメガネではせざるを得なかった体への歪みを塗りこんだ情報面の設定の変更をする。
これをしていけば、よりスムースに新たなメガネは自分の体の一部として馴染んでいくことでしょう。

もうひとつは、昔かけていた不具合の多く気になるメガネにかけもどす。
こうすれば、船酔い感は現時点であえいでいる消えます。
だがそうすることの損失は大きく、その理知に欠けた安直さは慎むべき。
「肉体」というハードを所有するユーザーとしての自分の課題として、
その局面を打開できるよう取り組み、
将来を見据えてほしい。。。

自分に何が必要で、何が不要か。
そこを今現在の、表面で起きる快・不快に迷わされず、
ディープに自分の心を未来へと送り出し、
そこで起きる感情の動きに息吹を感じてほしい。




体の部分的な筋膜が癒着し続けていたときに作っていた脳に書き込まれたデバイスドライバー。
「デバイスドライバーを再インストールする必要」が出るときがあります。
新たなデバイスドライバーを設計する技量も必要だが、
人体の設計思想にマッチしたものとして磨きがかけられた末のデバイスドライバーを再インストールしたら。


それで、私は少なからず人生観が変わりました。

そこに気づけた人は、幸せです。







最後に。。
歯を食いしばってでも、前向きに倒れそうになる振る舞いが必要があるときもでてくるときもあります。。。

体の使い方を教えるお仕事をしてなさりますお客様に、
先日、木刀の素振りっていいんです、あなたに必要です!と勧めました。

すると、鹿島神道流の重さのある木刀を買い込み素振りをして体を鍛え、
その途中で呼吸ができないほどくるしんだという人がいます。
ただそれでもまた再開してがんばってみるとおっしゃっておられました。

見上げた根性です。 期待してますよ!!   ^-^


ほんとうに、、、苦しいんですよね。。。
私も、そのようになった覚えがあります。
手の木刀を握る部位からタコが取れて血が滲むし
頭痛や吐き気で体調を崩しましたから。

ただそのような苦しさは、工夫により消えるものです。
工夫しているときに、体の変化が道の正誤を判定してくれるでしょう。

それは多くの剣の使い手が世にいることを思えば、物の道理でしょう。

研究に時間をかけて良いのです。
すぐに仕上げたりしなくていい。

時間は、たんと、ありますから、
一歩ずつ手の内側を納め、
体の細部の処さを俯瞰して眺め、
自身を鼓舞し続ける。

ダイエットでも、体重計がほんのわずかな体重差を図れるものを用意して、
理想は10グラム単位で少なくとも100グラム単位でわかるもので自分の変化状況を読み取るのです。
500グラム単位などでは話になりません。

多くは大雑把に自分の体内に生じている変化を捉えていませんから、
それで行く道の方向性を示す体の中のリトルドクターの声が聞こえていない。
小さな変化を感じ取り方向性を見出し、それを積み上げていくならば、
一ヶ月もそれが安定的に続いていけば、自分の現状を正確に把握でき、
磨き方がわかってくるようになります。

私は他者が見たら微妙な状態変化より自分を読み方向を安定して知り、
精妙に作動できるデバイスドライバーを自分の脳に描こうとしました。
実際、そのデバイスドライバーは思考の手を途中で離れ、
右脳によるヴィジュアル描画の際に触角感覚が同時進行で働き
その過程でプログラムが組み立てられていく実感があります。
そのプログラムが入った瞬間、
動きは変わります。

そのプログラムをするための要件抽出やらが、大変難儀するんですが、
そこの学習をするための観察眼を必要とするところを手抜かりがあれば、
偽物の成長が待っているだけでしょう。
やがて破綻をきたすのは目に見えています。

実利にあうような成長を、各個人が自分の内側を見つめて精妙な動作デバイスドライバーを作れば、
必ず誰もが手に入るものだと思います。

運動の方法を教えてくれる先生方の説も聞いてみて参考にするのは大切ですが、
地道な自分を知る探求の過程がなければ、
私にはその変化はあまりおもしろいものだとは感じられません。
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2017年03月04日

体の前後左右のバランスを整える腸健康法【後ろ歩き】の達人発見!!

ウソのようなほんとうの話。

後ろ歩きをするだけで、
体の左右差が小さくなる、
体の前後のブレが小さくなる、
よって姿勢が整えられる。

後ろ歩きのような、かつてあまりしたことがないような動作をするときには、
よちよち歩きをし始めた赤ん坊のように注意深くバランスを取りつつ、
どのように歩けば危なくないか重心が取れているか、そして快適かを、
体の感覚器官を総動員して極めようとする。

それが体のフォームが整えられた状態なんですね!

でも、、、。
ひとりきりで車道や歩道で後ろ歩きは人や車にぶつかってしまい危険。
で、広めの公園等で歩くのもひとりきりでもない限りは難しいだろう。


でも、、、。

高野山の奥の院ガイドさん。

そのガイドっぷりの楽しさもすばらしき一品ですが、

その後ろ歩きはお見事!!

周囲の特徴ある墓石、シロアリくんやらキリンビールの企業碑やらが立ち並ぶ公園墓地では、
墓石を眺め位置確認をしつつ後ろ歩きを続けている。
気配で自分の真後ろに人がいないとわかるから、
振り返ってみんなの進行方向を確認することもない。
普通に前に向かい歩くほどの歩調で後ろ歩きをする。

私がこのガイドさんを見ると、
体のバランスが絶妙に整えられている。

姿勢が整えられる状態では背筋が自然に背中側の伸筋が伸びることで息を吸い、緩むことで息を吐く。
すると胴体内部の脈管系が理想的に上下の重力にそって体液を流す滝のように落ち、
下脚からは筋ポンプにより噴水で空中に水が舞い上がるように勢い良く飛翔する。

これぞ、健康長寿の証です。


https://youtu.be/9yWurMT7jhk
【世界遺産】 高野山 奥の院  完全ガイド付き @  World Heritage Sites in Japan 【koyasan】



https://youtu.be/u7FG6W0YyG8
【世界遺産】 高野山 奥の院    完全ガイド付きA World Heritage Sites in Japan 【koyasan】




余談ですが、
姿勢と呼吸の関係について。

肛門を上に引き上げると自然に背中の起立筋が上へと伸び上がろうとする。
(※正確に言うと、骨盤底筋全体を前後左右を把握して肛門挙筋だけではなく内閉鎖筋を使うのが正解)
(私の感覚的には骨盤隔膜といえるような骨盤の下端を形成する隔膜部分を引き上げる感覚です)
(ただ他の気功の本や丹田呼吸法の本、ヨガなどでは直腸を発生学上に原始的なものとなされて)
(「肛門を」と解説しているところがほとんどだが、)
(個人的には内閉鎖筋を使って骨盤隔膜を持ち上げるのが正解だと、今(2017年3月4日現在)の私は考えています)
その状態に置いてから、次に横隔膜を下方に下げて下腹部内部を圧縮しよう。


私が座禅をするとき。
座すとき注意する点は、
簡単にわかりやすく言えば肛門部を上に持ち上げた状態で3分間ほど維持すること。
それで首筋や肩に蓄積した緊張が徐々に抜け落ちていくことが感じられる。

すると気づけば、
下腹部あたりが「実」で、肩や首辺りは「虚」のような状態になった感覚を味わえる人もいます。

体の深層筋がある程度緩んでいる人は、このような「上虚下実」を姿勢の基本とします。


ただし一つだけ注意が必要です。
肛門を上に引き上げる操作をするときに、
すでに「尾骨が曲がりがきつい方のとき、偏差が出てくるときがある。
そこは注意深く自分の体にあわせて研究していく必要があるでしょう。
調整を先行させる必要があり無理をしてはならない人もおられるのです。


ただし尾骨がある程度の歪みがあったとしても、
その周囲の関節や大殿筋や外旋六筋群などの筋や尾骨を取り巻く靭帯群が緩んでおれば、
この丹田呼吸法は一定以上の成果は期待できるでしょう。

すでにボディワイズのほうである程度その周囲をリリースを受けていれば、
丹田呼吸法をやってみて姿勢や呼吸の快適性を求めることもできるでしょう。



これがベーシックな『胆力』と申しましょうか。

肚に圧縮した力を呼吸をするときに風車を回すイメージで気を回転させて流したり、
流動的に動かすことで、全身の制動を統合させることが武道では求められています。
または姿勢に気を配らなければならない楽器などをしておられる方にもいいですよ。

肚(下腹部の圧縮部分)に注意を払い活かすこと。
呼吸力とか、気を揺り動かしたりまわしてみたり。

実に繊細極まりない操作ができるようになるよう、
修練を長年にかけてしていくわけですね。


体の中心部の真ん中に設置してある会陰部(肛門部)を意識し、
中心軸の下端のマークとして、そこを把持して作動させるのか。
そちらを使うような意識領域を脳に習得させていくことで、
一般の方々がなさる動きは手足で尽きる意識とは異なるステージにあがることとなるでしょう。


posted by スズキ at 11:23| Comment(5) | TrackBack(0) | 体の使い方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月26日

動き方の『気づき』だけでは体は変えられない



人の行動が変わるきっかけとなるのが、
「あっ、そうか!!」というような気づきをえたことによると思われます。

たとえば、
立ち居振る舞いのなかで、
この「あっ、そうか!!」とかアハ体験とかいわれるような感情が動くような発見をするほど、
そこへの関心が深いものでなければそのものの内的理解の深さは浅いものですから、
気づき得たとしても記憶の領域に刺さりにくい。

それは実際はそのものの自覚によって左右されるものですから、
以降、少しずつ自身の身を立てる気持ちで理解を深めるように。

他者が与えることができる理解は、
自分の知識レベルがそれに見合った分だけ受け取れる仕組みになっています。

それは簡単なことですよね。
小学一年生に、大学一年生の高等な物理の問題を解けといわれても目を白黒させるでしょう。
そのときどきにあった自分の学びの進ちょく状況にあったものしか受け取れないようにできているものです。
それは別に「良い・悪い」の問題ではなくて、
少しずつステップアップしていくかどうかの課題を自身が取り組むかどうかでしょう。
今の自分にあったテキストを、それぞれが選べばいい。
たとえ今は習熟度が小学一年生でも、学ぶ熱意があれば飛び級だってあるでしょうし。
あきらかに高度な知恵や知識を得られるようになれば、身の処し方も変わってきます。
体の使い方の学習は義務教育じゃありませんから、
どのステージに自分がいればいいかについては自分が選ぶ問題です。

私の体の使い方の指導も、
強く打てば強く響き、弱く打てば弱く響く。
それが正解で、無理矢理にでも高いところを学ばなければならない、
という押し付けが行き過ぎるのはよくないように考えています。

そこは私はじっくりと自分の状態を知り、
そこから表面上の知識ではなく体験をともなった学習でペースを守って進んでいくようにしたほうがいい。

時間がかかったとしても、他者から受け売りの知恵や知識は、
自身で噛み砕いてみなければ意味がないし役立たないでしょう。

プールで泳いだ経験がないのに、座学の本だけで泳ぎをマスターするのはせよというところですよね。




もしあなたが身体操作の知識や知恵や体験値が身に備えられた人へと移行できたとき。

動き方の良質なやり方の模索をするときに、
いくつもの気づきを得るでしょう。
動きの基礎を得られてくると、
自然に体の操作をこうすればいいんじゃないかとひらめき出すのです。

自分で得た気づきは、
そのまま自分の脳に書き込まれて、
スムースにそれが使えるようになることもあります。
そのような『気づき』って、大事だといいますよね。

でも気づいただけではイメージしただけで実践がなければ、
やはり定着率は低いですね。

そして他の人から教えてもらった動きから『あっ、そうか!!』というときがクセモノです。

一瞬腑に落ちて、気づいてわかったような気がするのですが、
それがそのまま身につくかといえばそうではないのです。

私にも経験がありますが、
本で読んでみて感心した身体操作も、
早々に記憶のメモリーから消去されてしまう。
結局、本を読んだ時間がかなり浅い利益しかなかった。


そんなときに、コーチングを学んで知ったことですが。
セルフコーチングを自身でする気構えがあるかどうか。

そこ、重要です!


身体操作も、
気づくことが大事、大事と叫ばれることもありますが、
コーチングの世界では、
気づきが人を変えるとは考えない。

それはどういうことか?

気づいたとしても、そこから得た知恵や知識は、
自身の意識をシフトさせる瞬間を与えるだけの
印象を得るには弱いのです。


人が気付きから得た身体操作の変化を定着させるために、
結果として後にどれだけの時間をそれに割り当てたのか?
というところを重視するのですね。

コーチングセッションを受けていただければ、
そのようなときは、
「やってみて、どう感じた?」 
そして
「さらにそれを改善するには?」
という流れを重視します。


そのような体験学習に十分な時間をかけたものが成果を生む気付きと呼ぶべきものといえる。


一見すると、そんなの当たり前じゃないかといわれそうですが、
気づき知っただけで満足して終える人がほとんどなんです。
そのアイデアが時期に記憶からこぼれ落ちるか、
メモを取ってもやがては死んだ知識に成り下がるか。

そのような扱いになってしまった経験て、ありませんか?


おそらく、私自身、アイデアを思いつくことは相応に量がでてくるときもあるのですが、
そのようなものを気づいても、
自分の体にそれを体験させて身に染み込ませて改良を加えるほどまでは、、、。
正直に言えばできていなかったことも多いと思います。


気づいたあと時間をどのように使うかが、気付きの価値を左右するものです。


コーチングを継続的に契約するときは、
気付きが得られたとクライアントが言えば、
もし実際にやることが困難な難しさをともなうものならば今日明日にできる簡単なステップに分けて、
それをやってみたら次回のセッションかまたは早々に連絡をいただけますかと間髪入れずに頼みます。

そのようにコーチという人を介することで、
気づいたあとにそれをもとにした行動に時間を費やす大切さを学ぶことができるでしょう。

単純ですが、このような体験学習に慣れていくと、考え方の進度は一様に早くなり深まり、
無理なく自分の得たかったものが身に備わる経験をするはずです。

気づいてもそれが意識から流れ去りつつけたもったいない状態であった不毛の大地から、
気づきから自分の意識を大きくシフトさせるほどの大きな変革にまで繋げられるもへと。
コーチングセッションを受けて、それを体験していくことで人が成長するということは、
ここにもひみつの一端があるのです。

数度のコーチングセッションから
気づいてからそれを噛み砕いて実践する時間を費やす約束をして実行する習慣を持つことが、
どれほど自身に大きな見返りをもたらすかを体験してびっくりしたり喜ばしく感じられたり。
私も、そこは実感しました。

違いは大きいですね。


芸能人の武井壮さんは、
自身の身体トレーニング法も、
独自の気付きから多くの成果をえているそうですね。
そのようにテレビで見たことがあります。

武井氏は自分で気づいたことをそのまま流さず、
独自に後のトレーニングメニューに落とし込み、
確実に気づきから飛躍するタイプだと思います。

本来は武井壮さんのようにセルフコーチングが、
自主的にできるような精神力や意志力があれば
どれほどすばらしいことでしょう。


習慣の改善や実行性をともなわなければ意味のない気付きもあるでしょう。
もちろん、気づきの効果的な活かし方は体の動きの修養以外にも同様に言えます。
気づいたあと、それに対して気付きに基づいた課題を出してそれを実施すること。


何事でも「アウェアネス(=気づき)」は大事ですが、
気づいただけではではなにも動かないし、生まれない。


気づきを得た後に時間をどう使用するかが、
単に気づきを得るよりも何十倍も大事です。
posted by スズキ at 05:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 体の使い方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月13日

オーケストライクな脊椎ムーブメントは首の黒子が作る

オーケストラが、
すばらしい演奏を披露してくれるには。

楽団を構成するものたちが、
それぞれ独自の役割を持ち、
課せられた仕事に専念する姿がある。

たとえば東京フィルハーモニー交響楽団には、
多くの楽団員が在籍しているでしょう。
なかでも指揮者は花形の職業でしょう。
楽団のホームページをみれば指揮者の存在感は大きく扱われ、
ドーンと全面おしされていますね。
すると指揮者がいて、あとは楽団員がいて、というように早合点したくなります。
ですがそれだけでは、いい演奏会が実現できないようです。
実際は「これまでの定期演奏会に登壇した指揮者一覧」という東京フィルハーモニー交響楽団の
ホームページをみれば、
多くの指揮者の方々が掲載されています。

定期演奏会で指揮をする指揮者は、
常任されているわけではありませんから、
比較的短期間での楽団との関わりになる。
楽団員のひとりひとりの状況をつぶさに把握して人間関係を何年も前からの知り合いであるかのように、
互いを知るようなことも難しいでしょう。

それに楽団員も数多くの定期演奏会に登壇する指揮者について、
常任の指揮者と同様でいこうとするのにも無理があるでしょう。

すると
「指揮者」と「数十名もの壇上に上がる楽団員」との間に、
中間管理機構として「バンドマスター(=バンマス)」という縁の下の力持ちが必要になります。
「指揮者」と「数十名もの壇上に上がる楽団員」の両者をサブリーダーとして双方の情報を把握し、
中間地点で掌握、情報を適切に編集しつつ中継し伝えます。
そのような遂行する役目を担う存在がなければ、
大所帯のオーケストラは統一感ある成立にまで
短期間でクォリティ高くなれるまでたどり着けないのでしょう。

つまり

指揮者 ←→ バンマス ←→ 楽団員

指揮者-バンマス-楽団員.jpg

このような仕組みになっていることを把握してくださいね。


次に、人体の脊椎操作をオーケストラの指揮命令系統と同様にたとえて考えてみましょう。

指揮者 ←→ バンマス ←→ 楽団員

それに呼応するのが


頭(=指揮者) ←→ 首(=バンマス) ←→ 背部(=楽団員)

ボディ指揮系統のレトリック.jpg

となるでしょう。

首が頭部の進行方向の指揮を背部に伝えます。
背部の支が頭部を支える力を首が中立ちます。

頭と背部の中間管理職として首が双方を熟知してベストな連携をしてくれる。

そして首には頭部のもつ脊椎操作をかなえるコンダクター役を擬似的にかなえる強力なパワーを持ち、
同時に背部の頭部を支える仕事の直接的仕事を操作的にかなえているのもここの部分に集約されます。

つまり頭部や背部に直接置き換わるものではないが、
その両者の機能をかなりの割合で併せ持つ存在が首。

両者の役割を身をもって知っている首だから、
うまく脊椎全体の統合的操作の裏ボス的存在。



優れたバンマスがいるすばらしいオーケストラのシンフォニーを聴きたくありませんか。
それと同様にあなたの首が頭部と背部を絶妙に関連付け一体感を醸しだしたときのシンフォニー。
超絶かっこいい自然体を体験してみたくありませんか?



それをかなえるのがの役目なのです。




首は、精神的ストレスが募り緊張すればすくんでみたり、
スマホを頭を前にたれて覗き込み操作を続ければ負担を蓄積していきます。
デスクワークのお仕事で、やんごとない状況で疲労していく場合もあるでしょう。
すでに首の深部に負担をもつ方が多くおられるのだと、お客様に教えていただきました。。。



首の役割を、
頭部との関係と、
背部との関係と分けて分析をなさってください。
そして不断にオーケストラの名演奏を奏でつづける裏方として首を機能させるよう訓練していってください。

首のお役から目を離さないことです。
頭部への伸びやかさと中心軸を感じ創りだしつづけるのです。

自律神経系の良否も、この意識から効いてくるといえるものだから。

最後に、参考までに。
私がヤムナボールを利用してヘッドマッサージをし続けて感じていることは、
首の緊張は頭部の頭皮や表情筋、特に顎関節周りの筋肉の凝り化が強ければ、
その強さに比例して快適性を失うようだと感じられました。
首に意識を向けにくい方で、
相応にすでに筋膜リリースを受けて緩んでいる方や、
もともと柔軟性が高い方々はヘッドマッサージが首への意識を高める助けになるでしょう。

ただ腰背部の筋や臀部などの筋肉群が硬化が著しい方の場合は、
深めにヘッドマッサージを取り組みすぎると、
かえって頭皮が胴体部分の硬化萎縮した筋肉群に引き下げられて、
頭部の縫合の開きが悪化するものです。
ですからそのような背部が硬い傾向がある方々は、
逆効果になる恐れもあります。
先行して背部の筋膜リリースを受けることをお勧めします。
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2016年12月14日

椅子の座り方

骨格で体を支えることが姿勢を整える秘訣です。

たとえば自転車に乗るときは、
「サドル」に腰掛けます。

そしてサドルを作るときに大事なことは、
お尻全体で座るのではなくて、
座骨という骨がサドルにしっかり乗せられていること。
だからスポーティな自転車のサドルは細くて小さくて。
それでも座骨がしっかり密着できる設計なら問題なし。

そのように、言われています。

それと同様に、
椅子に腰掛けるときにひじょうに重要な部分は、
椅子の座面に座骨を腰部をゆるめ伸ばしながら垂直に当てること。
そして脛骨を垂直にしつつ足裏のかかと部分にある踵骨を当てる。

これが骨格で体を支える座り姿勢ですね。

椅子の座り方.jpg
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2016年11月20日

無意識操作から自覚的な動きへ移行しよう



私が文字を書くときは、
右利きですから右手で書きます。

文字を書く際は、
ペンをなんとなしに文字を書くための体勢で握ります。
この握り方をすればもっとも書きやすいという状態に、
無意識のうちに握っています。
無意識に勝手にペンが文字を書いてくれているようで、
なんらストレスをためてしまうこともありませんよね。

自分の名前を書くときには、
スラスラスラッと。
そんなにうまい字ではないですが流暢に書くものです。
そのときのペンを動かす操作は単純なものではなくて、
けっこう複雑な操作をしているんですね。

たとえば右手を怪我をしてしまって、
役所に提出する書類を左手で文字を書かなければならなくなったとき。

利き手ではない左手で文字を書こうとすると、
いやっというほど思うように書けないことを痛感しますね。

ペンを握るにも握り方がわからない。

それは右手でペンを握れている人です。
だから、すでにその人は
それを手本にして考えてみればできそうですが、
どうも右手でどう握っているのか思い出せない。

仕方がないから、
たどたどしく左手なりの持ち方を工夫し始めるのです。

そのときな無意識状態で握れている状況じゃないですね。

自覚して「どう握ればいいのか」をやっきになって探す。
思うように動いてくれない左手やその指先にイラつくし、
書けた文字もみみずがのたくったようなひどいものです。

この状態はかなりストレスを感じる状態。

すでに利き手では文字の書き方を知っているのですが、
普段、使っていない身体の一部は通用しない。
特別な動きをさせようとするときには、
はじめから無意識状態で流暢に動いてくれるようなことなどないのです。

自覚的にどのようにして体を操作すればいいのかを、
事細かに操作手順を検証して積み重ねて動かすこと。

そのようなストレスフルな訓練を繰り返していくと、
やがては左手でも右手で文字を書くようなレベルへ。

自覚的な動きを繰り返す修練量に比例して、
やがては無意識に動き使えだしていきます。


ここまで書きましたことは、
いわれてみれば当然のこと。

どなたも承知のことでしょう。


今日、マラソンに情熱を傾けるお客様の施術をさせていただくとき、
以前の身体状況と大幅に筋肉の質や姿勢の様子など、大幅な変化があります。

こちらのお客様は、自分の身体感覚をフルに活かしつつ
合理的な身体操作のフォームを追求しておられますから。

大腰筋や腸骨筋、臀部を含む股関節周りの筋肉や腰方形筋等、
腹部のコアやコアの周辺に位置するコアをパッケージする筋肉に活躍の跡を見て取ることができます。

以前は大腿直筋や外側広筋がランで使われていたため膝に負担がきていましたが、
そのようなことは、もう、なくなってしまって膝に苦痛を感じることはなくなったそうです。
それは施術を受け始めた当初のような大腿直筋が硬化して足部の骨格部のハイアーチの固定が消えている。
そのようなところからも、
相当に自覚的に骨盤を感じながら体幹を操作しておられる。
コアを活かして大腰筋を使っているかどうか、、、というのは、
大腰筋事態が使えているかどうかは筋肉を操作している際の筋感覚がない筋肉ですから
自覚して操作している感じは乏しいものです。

だから「大腰筋を使えているかどうかはわかりませんよ〜」とおっしゃられるのですが、
大腰筋の柔軟性や太さなどをチェックすれば使えています。 ^-^

施術を受けていただいた当初の身体操作をする際の「屈筋群の非効率的な筋肉の操作」というものから、
自覚的にコアの部分の動きも研究なされて『伸筋群の効率的な筋肉の操作』へと。

筋肉の使い方をチェンジしていかれたのですね。

変え始めは、どのようにすればいいかは、皆目検討もつかない感じです。
ほんとうにこれでいいのか、、、。

それは他人の動きをみても、
その概要はまねたり外形をコピーするのはできても、
身体内部にある筋肉の筋操作は見えるものではない。

だからどなたでも恐る恐るの不安感があるものです。

多くは「トライ・アンド・エラー」を繰り返しつつ、
積極的にやってみて得られた体験からデータを得て、
データを一定量以上に取り揃えることができたとき。

その体験データをいくつか組み合わせ総合化すると、
自分でも納得できるような動きができてくるのです。

そのような自覚的な動きをする労をおしまなければ、
やがては、、、
ちょっとだけ「私って、天才かも!?」と思うけど。。。

これが正解とか究極とか、、、
そんな空論を語って自他をだまくらかす必要はなく、
修行にゴールはない。
ひとつ上れば、違った景色が見えてくる。

完成形など、成功事例を得たと思ってそれを後生大事にしているのは、
極めてつまらないものの考え方ですよね。

つねに今の自分は、今以上の自分になれる伸びしろがあるのですから。


ちなみに、私がかつて読んだことがある合気道の本には、
体の操作として、つぎのようなステップがあると書かれていました。


「屈筋操作」→「コアを含む伸筋操作」→「重みによる身体操作」

すると、こちらのお客様は伸筋操作について、理解が深まっておられる。
姿勢に勢いが出てくるので、ちょっと見でもすぐにわかります。

ならば、→「重みによる身体操作」について、
少しだけ理解を深めるためのきっかけになる説明をさせていただきました。
私の独特な理解からの視点ですから、
たぶんにわかりづらい点もありますし、
一般的な論じ方とは違っているでしょう。

最初からこれが正解だと決めつけることなく、
広い視野を持ってさまざまな見方をしてほしい。

そのような意味もあり、
ほんの参考までにということでして。 ^-^

身体の重みを利用して動くためには、
筋肉を意図して利用する身体操作より、
もっと体が統合された動きができること。

どのように体をユニットに分けておいて、
それらを独自の機能を発揮させつつ組み合わせ、
全体を理想的な状態で統合化できるものなのか。


私の頭のなかにはその概念はありますが、私の体ではできません。

それはまだまだ私の体が追いついていかないところもありますし、
視野が固定され広がりが狭くなり、理解が足らない証拠でしょう。

もし重みを使いこなせて人生を送れるのならば。。。

私は自分の内部環境を悪化させる屈筋群を主体にして「多くの病」を得る次元から、
別のステージにステップアップできるのだろうなと思い期待します。

ですが、私も未だに緊張時には屈筋群を使ってしまってボロボロに。
そんなことを繰り返しては、「いかん、いかん!」と自重してます。^-^;;

本日、おいでになられたお客様もそうなのですし、
他の身体の柔軟性が以前のレベルとは異なってきた人たちは、
以前の自分の体の内側に硬化なコルセットで締め上げて支えていた身体操作状態からぬけ出すには、
いったんは、無自覚で動ける状態を捨ててしまわなければなりません。

自覚的に現在の体を感じて動きを創りだすのです。
そうとうなストレスフルな状態を体験するかもしれません。
そのストレスに負けて、無自覚で使える以前の状態に戻る。
そんな選択をしたくなります。。。

それをぐっと、こらえてください!!

屈筋群を使うことを覚えている方が、
無意識に操作される以前の身体操作に頼ったとき。
パターン化された悪癖のある身体操作の罠からは、
抜け出せないのです。


次の伸筋を使いこなす操作ステップに進めません。


左手で文字を書くときのように、最初は、書きづらくてしかたなくとも、
やがて、新たな身体を動かす操作法がパターン化していくにつれ無意識操作が可能になります。

それまでは、
意図的に動くこと。
自覚的に動くこと。


そして究極は、
無意識に昨日思いついた操作に身体が操縦されるされるよりも、
いつもさらにステップアップできるような身体操作になれるよう、
自覚的に生きることでしょう。
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2016年11月09日

筋肉をポップする練習で、意識的な筋弛緩力を磨く

ヒップホップダンスをなさっておられる男性の昨日の施術にて。

施術の前に立ち方をチェックさせていただいたとき。

肩、首を軽く触れる。
すると「むむっ!表層筋から中層筋の上部まで、しなやかにゆるくなっているぞ!」

前回とは時間が空いていたのですが、
あきらかに柔軟性が増していました。

そのことにちょっと驚く。

話を聴いてみると、
最近、ポップの練習をなさっておられるとのこと。

その言葉で納得。

筋肉を弛緩させた状態を作り、
その状態から急に筋緊張状態を作り出す。
ポーンと弾けるような、ポップする感じ。

それによりマイケル・ジャクソンのムーンウォークのような不思議な動作をすることができる。

そのための練習です。


ポップの練習をするときには、まず、筋肉を深く弛緩させること。
ここからはじめなければ、いい動きはかなえられない。

そう、まずはポップする筋肉の筋弛緩状態をつくろう!

それ自体が、練習メニューの準備段階。
だから筋緊張を解いて弛緩させるため、
体の各部位の筋肉が硬化しているとき、
無意識に無駄に力みが入っていやしないか?
そのようなものは、
見つけることができなければ筋硬化した状態がずっとずっと続くものだ。

無意識にしてしまう筋硬化症のようなものだ。
その呪縛をとくことはできる。

無自覚に習慣的にしてしまっている、
ミスアライメントを作り出す筋肉を、
ひとつひとつ順繰りに見つけ出して、
ことごとく弛緩させていく設定変更。
体全体を一巡すればできるのですね。

意識的にそのような練習をするとき、
無意識に作りし筋緊張を解くきっかけがえられる。


意図してそのような部位を見つけ出して、
「おっ!ここの筋肉は無駄な緊張が入ってこわばっているぞ!脱力、脱力!!」
といった感じで、筋弛緩状態を感じ体験し、
その状態へ日頃からいようというように筋弛緩イメージを自分の体中に埋め込んでいく。

ポップする練習は、腕だけではなく、足も、肩も、首も、胸も。。。
筋肉がある部分は全部そっくりそのままポップする練習対象になっている。


すると、昨日、私が施術でチェックさせていただいたように、
「おぉ、いい感じだね」というような、すばらしい変化が起きるのでしょう。


そして案の定、自然体で立つという、体を前傾させて立つのが当然になって感じている人は、
まっすぐに立つ際に、後ろに倒れるような恐怖を持つ錯覚を覚えるのだが、
それもなんていうことなくクリアして立てていた。

ポップの力が身につくと、
これもまた無重力感あふれて見えるようなムーブメントが可能に。
そしてダンス中にバランスが崩れても、
リカバリーができるようになっていく。


ただ、「かかとで立つ」へ解説を移そうとした際に、
私自身がそこをわかりやすい言葉で伝えられなくて、
そこがもどかしいと感じられたところがありました。

私自身の課題も見つかりましたが、
いい感じの立ち方をなされておられ、
うれしいところでした。


またポッピングについて、
ご存じない方もおられるでしょう。

YouTubeでポッピングの教則ビデオがアップされているので、
興味がある方はご覧いただければ幸いです。



アニメーション・ダンスの基礎
posted by スズキ at 08:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 体の使い方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月04日

< おもさに貞く > 体の左右差を減らしませんか?

立位姿勢では、上半身は重力により左右どちらかに傾斜している人が多いようです。

多くは右側の腸骨が前傾するようです。

理由は所々ありますが、
生理的な原因があります。
それは人体の重さの左右差にも関係があります。
腹部右側の肝臓の重さは常に左側の半身を2〜4キログラムも凌駕するため、
右の腸骨に強く下方に落としてしまわれるようにのしかかるような構造です。

そして右側腸骨が前傾すると、
自然に右側の腰部の反りが強くなり右膝裏側が少し曲がりだす。
すると右膝が左膝よりも曲がりやすい性状を保ちだしてしまう。

それで右脚の屈筋群が使われすぎるようになってしまう。
これで右利きの出来上がりですね。

そして同時にこの時点で、状態の軽度か重度の大小はありますが、
すでに器質的な状態といってしまいたくなるような
左右や前後の脊椎の側湾状態が作られていくのです。

このような考察を通してみていただければ、
右側の肝臓が腸骨にのしかかる感覚を弱めることができればな〜という発想。

それが生まれてきますね。

今日は、そのような対策のアイデア。

そのひとつを紹介しましょう。

上半身のぶらあげ_001.jpg

上図をごらんください。

立位にて骨盤から上半身を前傾させていきましょう。

その際に、
重力により自分の上半身が吊るし下げられている感覚を感じてください。

それは頭だけがつりさげられているわけじゃないですよ。

頭も首も、肩も腕も、そして胸部や内臓部分も。
それらすべてがつりさげられている。

そして筋肉の無駄な力を緩めてください。

徐々に首の頚椎が伸びていくでしょう。
背中もさらに長くなっていくでしょう。

脇も伸びて肋骨のつまりが消えていく。
上半身、すべてが、そっくりそのまま、
伸びやかに伸びていくのです。

そうです。
頭部が、振り子時計につるされた重りのような役割になり、
自身の脊椎を伸ばす役割を果たしてくれていることに気づいてください。

このさいの筋肉の硬直を緩めていきます。

筋肉の硬直が抜け切れないと左右差が感じられるかもしれません。
しばらくこの上半身を重力で引き伸ばしてくれる感覚を味わえば
その左右差の強さも、時期に弱まっていくことでしょう。
そうなるまで、繰り返し、このエクササイズをなさる必要がある人もおられるでしょう。

そしてやがて、上体を吊り下げているときには体の左右差がすっかりなくなった感じがしてくるでしょう。

上半身がつりさげられのびていく感覚と、
しばらくするともうこれ以上はのびなさそうだなという逆さ吊り状態を。

それを味わってください。

自分の感覚をフルに動員してどのような状況であるのかを観察しまくってください。


そして、
ここでゆっくりと上半身を立てていきます。

そのときに先程まで上半身をぶら下げていたときの吊り下げられた感覚の余韻が、
まだあるはずです。
その余韻に加えて、先程までの逆さ吊りをされたときの頭上方向へ吸い上げられるような感覚を、
実感を持って先ほどの上半身をぶら下げていたときの状態に今現在もいるというイメージを持ち、
その感覚を再現していってください。

脊椎が側弯したり詰まったりすれば興奮状態が強くなります。
脊椎がつまり縮んだ状態では交感神経が優位な状態となるので、
屈筋群が先行して動き始めるという癖がつけられていくでしょう。

それが
脊椎が伸びやかに伸びて胴体の上下のボリュームが増し、
つぶされたマッチ箱のような状態から正常化していくと
骨格の並びが順列的に理想位置に並ぶ構造となっていく。
胴体や首・頭部の立体感が表現できているようになると、
骨格の理想的なフレーム位置にいれば伸筋が操作しやすくなる。
無駄な筋肉の緊張を創って骨格の歪みの修正をする必要が減る。
その分だけ副交感神経へのスイッチをいれる権利も手にできる。

きれいに上半身が頭上に吊るしあげられたかのような感触です。

この状態を私たちは上体のぶらあげと呼んでいます。

イメージで重力方向設定することで、
脊柱起立筋等の伸筋群はそれに反応し、
あたかも上体を吊り下げているかのような状態を再現してくれる仕組みがあります。
それに体が気づけば、いいことが起きる。

私が、個人的に敬愛している野口体操の野口三千三先生。
彼は、

野口体操 おもさに貞く
という本を著しました。

おもさにきく感覚。それこそが力です。
それこそが動作や姿勢のすべてを成り立たせるキーになります。

posted by スズキ at 10:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 体の使い方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月24日

伸筋の操作感を身につけよう!

合気道をするときや太極拳をするとき。
または木刀を振り回そうというときも。
それだけでなく道具を使いこなすとき。

体の使い方が「屈筋モード」は、
よくないといわれています。

たとえば腕を使うときです。

かなづちで釘を打ち込むと、
腕に入る力みが強すぎます。

そんな方が打ち付けた釘は、
クニャって、途中で曲がる。

そのときにどのような操作をしているかというと、
大胸筋という胸の前にある筋肉を使っていますし、
三角筋という肩パットが入る部分にも力みがある。

日本人は、ほんとうに今でも器用だから、、、
屈筋を使っていても小手先での発力により独自のかっこいいテクニックを発揮できる。
かなり高度な技術を習得して実力を発揮しているかのうように見せかける人もいます。

それほど優れた才能を持っている人もみうけられるのですが。
でも、実は高度に屈筋モードでスキルフルに操作し続けたら、
体にも技術の伸びにもツケが回ってくるものだと言われています。


下図の左側が腕の屈筋部分を示してあります。

伸筋と屈筋の様子の違い.jpg

では上図の右側を見てください。

腕の筋肉。
実際は腕の骨に付着点を持つ筋肉はすべて腕の筋肉に属するものですから。
背中側に僧帽筋、広背筋、上腕三頭筋は腕の骨に付着しています。
だからそれらはすべて腕の筋肉なんです。

腕の筋肉といわれると、
本能的に図の左側の屈筋エリアにばかり意識が行くのは、
屈筋の役割が腕をどちらの方向へ向けて動かすかという
繊細な方向ぎめをする役割があるので。
センシティブに感じ取る感覚神経回路がしっかりしてる。
思うように動かすにも操作感が実感できる神経の発達があるほうが意図的に楽に動きます。

すると図の左側の腕の屈筋の筋肉群の存在は実感しやすいのです。
そうなるとおかしなことがでてきます。
気づけば、繊細な動作をするために力みを抜いていたほうがセンシティブな感受性が高い屈筋群を力ませて、
屈筋群の筋力で腕を動かそうとしているというミスを犯しがちです。

屈筋は伸筋に比較すれば非力な存在ですし、
屈筋に力みがくればセンサー力が台無しになります。
繊細な操作力が失われ、
非力な筋肉をいじめるような使い方をすれば、
伸筋パワーの1/10も出ないにもかかわらず極端に疲労が増していく。

ただ、そうしてしまいたくなる理由があります。
図の右側の腕の伸筋の筋肉群は「操作実感が持ちづらい」特徴があるためです。

筋肉がある程度くっきりしている人は、
胸の筋肉の大胸筋はピクピクッ動かせるでしょ?
腕っぷしの力こぶだってぽっこりふくらませるのもできますよね。

じゃ、背中の広背筋をピクピクッって動かしてみてください。

できますか?
かなり難しいでしょ。

では、上腕三頭筋をぽっこりふくらませてみてください。

できますか?
かなり難しいでしょ。

つまり普段使いの一般の方がなさる脳の使い方ではコントロールが難しいというのが「伸筋」なんです。

ただ合気道をなさっておられる方々など。
日々、そんなコントロールが難しい伸筋を使いこなそうと修練するんです。

私も、かつて必死に、しました。
どうやればいいのか、手持ちの資料もあまりない時代でしたから、
ほとんどが試行錯誤で探っていくようなものでした。

だから痛い目にも多数あいました。

ですが少しずつでも前向きに進む。

そんな地道な思いを持って粘り続けることこそ。
その自分自身への語りかける意識があってこそ、
開眼していくようなものだろうと感じています。

そしてそれは楽器などを奏でるときにも、そう。

屈筋に微塵でも力こぶが作られた状態であれば、
「上腕三頭筋」が使われていない証拠です。

一箇所でも過度に屈筋を使えば、
もう、その状態は重心が乱れた死にたいといわれています。
そこは、本当にシビアすぎるほどシビアな課題になります。

ただ、実は救われるところもあります。
たとえばひとつでもしっかりと伸筋の一部を意図的に使いこなすエクササイズをすれば、
他の伸筋群もつられて操作感の感知力が増していくようです。
私の場合は、そうでした。

じゃぁ、どのような伸筋を操作するトレーニングをすればいいのか?

私にはその資料がありませんでしたから、即興で作りました。

伸筋を使っていくやり方のひとつのパターンだと思ってください。

伸筋モードのカンタントレーニング方法.jpg

通常は拍手というものは、手のひらでうちますよね。

それを両手の手の甲を打ち付ける感じで、
かるくぱちんっとクラップをしましょう。

手の甲で両手を打つときは伸筋が伸びる。
この動作は、そこを利用したわけですね。


手首に力を入れすぎないように、軽く当てに行くときに動きをつけてしならせます。
上腕三頭筋を伸筋らしく伸ばして使うイメージで、
はじめはやってみるとやりやすいでしょう。

手を胸の前で交差したところから手の甲で拍手しようとするとき、
胸を真ん中から開く感じがするかもしれません。

上腕三頭筋や広背筋の動きや肩甲骨の開閉がわかるでしょう。


伸筋を伸ばして手の甲で拍手。
そこからまた両手で ☓ のクロス状にするときは「手や手首を脱力」して移行しましょう。
この拍手の場合は、通常の拍手では大胸筋の腕の付け根部分が固まる反応がでて呼吸が軽くしづらくなるが、
伸筋の操作の場合は呼吸を阻害する反応は徹底して起きません。


ここが大事なんです。


いつしか手の甲で拍手をする要領を身につけると、
「通常の拍手をするときにも、
手の甲を当てて拍手をしたときに操作した筋肉を使って操作できる」ようになるんです。 ^-^


ここも大事なんです。

だから筋トレをしようというのが目的ではなく、
このような状態を作り出すためのエクササイズだと思ってくださいね。

カンタンな手の甲で打つ拍手ですが、
いろいろと自分なりにやり方を試行錯誤して。
動きのバリエーションを増やしていきましょう。

そうすることも伸筋の操作感を増やすのに役立ちますよ。

また、やり過ぎると手の甲は筋肉の厚みなどがあるような部分じゃないから痛みが出やすい。
性根をいれてやってみようという人は、手袋着用にしていただいたほうがいいでしょう。


posted by スズキ at 13:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 体の使い方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする