2018年01月08日

「昔の術には、『不思議さ』があった」

一昨年、年末に合気柔術のセミナーを受けた際。

そちらで岡本師範がおっしゃられていた言葉に、
印象に残ったフレーズがありました。

「昔の術には、『不思議さ』があった」

術理として、術の不思議さを解き明かす研究をなさっておられる方からの口から出た言葉です。

そこに込められた思いは不思議さに惹かれる、若々しさが感じられてすばらしい。

術理があるから再現性があることは無論のこと、
これからも進化し続けていかれるのでしょう。


セミナーではたくさんの知恵を授けられたものの、
受け取る側の私の理解力や進化の進捗状況というものもあります。
内容的に多くの人にその不思議さを知っていただきたいものですが、
そこは興味を深めたいと思えば岡本師範のセミナーに通って欲しい。

それが間を介して又聞きをすると、
どうしても途中の中継で話がずれてしまいますので。


ですが「ここだけは、必須として接してほしい」という立ち方を教えて頂きまして。

以前にこちらのブログでも、
腱や靭帯等を意識した立ち方を伝えてみてという話をさせていただきました。

一般的なグラウディングというものとは印象は違っています。
体を支えるシステムをいくつか見方を変えていくもので、
基本、バレエをなさっておられる方々がなさる立ち方ですね。

そこをもうちょっとシンプルに一般の人にもわかりやすくなるよう、
伸ばしたり張ったりする靭帯や腱を他動的に指示して意識させることで、
少しずつこんな立ち方もあるんだなと体験してもらうようなやり方です。

個人差はあるが、すでに体が十二分に整えられていればいいが、
そうでなくとも施術で体の状態を十分に整えられたところまでいければ、
いつもの屈筋を使うことがない立ち方ができていることに気づくだろう。

個人的な考えではあるが、
あまり体が整えられていないのに、
このやり方の立ち方を、他者から強制されて覚えこませられるのは危険もあるでしょう。
かえって深層の脈管を詰めてしまわれるように感じられるので。
そのリスクを取るつもりで試行錯誤を加えて進むことは修行となりますから、
私はそれはよくないことだとか単なる後悔になるだろうとは思いませんが。
ある程度の専門的な知識や身体操作ができていない方がいきなりやり過ぎると、
予想外の部分に痛みがでるようなこともあるでしょう。

そしてあんまり理想状態で立てはしないから「な〜んだ、こんなもんか」で終わりますから。

体ができてきた人がトライしてみると、
身に染みこんでくる伝えようとするものの教授量が多いので、
それでその後の身体操作のプログラムを書き換えていけるほどの印象を与えてくれるでしょう。

私自身、まだその立ち方の指導がうまく要領がわかっていないため、
お客様が多々迷宮に入られるようなこともありますが。
いままで、私も施術中に立ち方を伝えるとき、
個人的に背面の筋肉が必要でそちらの抗重力筋を使えばいいので、、、
等々の説明は試行錯誤し続けてしてきましたし、
自分の内側では長い年月をかけて首も長くなったし、
年齢が行っても年々身長が伸び続けているものですから。。。
勘の悪い思いつきで体づくりをしてきたわけではないと思います。

ですがシンプルに、わかりやすく、腱や靭帯等を活かした立ち方の伝え方として、
明らかに岡本師範がなさっている教授法のほうが秀逸。

それでしっかりセミナーの際に学習した内容を噛み砕いて
徐々に多くのお客様に伝えていくようにしております。


屈筋という老化した際には、
誰もが萎えていく筋肉の誤用を廃し、
理想的な勢いを持った姿勢を得ること。

それができずに、
多くの人びとが腰痛や肩こり等から体の歪みの全般まで、
つらい思いを引きずった人生を送っている側面がある。

そこに気づいて身体操作のプログラムを書き直すこと。
それが健康寿命を長くするための、重要な鍵となります。

合気道等の師範が老後にも壮健なままで技のキレの進化を止めない。
それこそが「不思議さがある術」に秘められた大きな成果といえるのでしょう。


要はこの立ち方は合気柔術での軸を作る際の立ち方なので、
あまり聞き慣れないし見慣れないと思います。
この軸のつくりで、一気に人を投げることもできるし、合気をかけることもできます。
「いつもの自分じゃないようだ・・・」とつぶやいてしまうような、
ちょっとした超人になったかのように、
自分を錯覚するような体験もできます。

もちろんそのための練習は必要ですが。

尋常じゃない力が、一瞬後に相手の体を通せるというのも不思議ですが、、、。
でも人体を「筋力一辺倒の視線」から目をそらして活かす発想があれば、
そこには多様なツールが体の内側に備え付けられていたことに気づきます。
その多様なツールの探検隊になるというのが、
不思議さの追求になるわけです。


合気柔術のなんたるか、、、というのは、とりあえず関心ある人も少ないでしょうし、
ここの場ではそれを語るのもどん引きなさられる方々の顔が浮かびますのでよしますが。 ^-^;

「こういう立ち方のバリエーションもあるんだな」と多くの方々が貴重な体験をなされ認知し、
定着させていってほしいとお願いできれば。

posted by スズキ at 10:39| Comment(0) | 体の使い方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月23日

姿勢選択の自由(こちらがゴールであり、はじまりでもある)

地面に対して垂直に立つという「グラウディング」のイメージが
知的かつ実践的に深まることが大事なことだと思います。

ただここで私がイメージする状態とは、
一般的にいわれる「身体を上下に引っ張る」という、
アバウトで必要な情報が抜け落ちているレベルの話ではありません。

外形はどのようなものか。
先日、私が合気柔術セミナーで教えていただいた合気をかけようとする際の立ち方。
そちらによく似ています。

全身の骨格と腱と靭帯を柱とし、
大腰筋含む姿勢制御筋で倒壊を防ぐ姿勢補正力を発揮させて立つ。
それに近しいところがあります。
このような立ち方をするときに、
身体的な基礎力が養成されていること。
それは全身の筋膜単位の相互関係で体の局所から全体を統括できていることもひとつ挙げられます。
局所の動きを体の全体で支える吊り帯が体の中で自然に作られて作用する状態を作り出すのです。

この状態は「屈筋群」を一部でも利用してしまえば機能できません。
「伸筋群」を巧みに意図的に使えばできるところでもあります。
実際は「伸筋群」と呼ばれる筋肉も、筋力を使うならば疲労が蓄積するので、
そこの作用も出し惜しみすべきだと言われます。
自身の身体の重さを運動のエネルギーへと転化。
それにより筋疲労が大幅減にもなりうるのです。

ただ、重みを利用する前に、
個人的には無意識に「屈筋群」ばかりを使う状態から
「伸筋群」の利用意識を持って身体操作を再構成させていくこと。
まずはそこができていなければ、話にならないような気がします。

なのでまずは日ごろから「伸筋群」を使えるよう修練が必要です。
それはたとえば木刀の素振りを工夫して「伸筋群」を有意義に利用して繰り出すようなことが
自身の身に「伸筋群」の動作を運動神経系にしみこませていくトレーニングを積んでいくのです。
そこでは100回素振りをすれば100通りの工夫をいれた打ち込みがなされる必要があります。
まんぜんとワンパターンの素振りの動作を繰り返してはなりません。。。

そんなことを注意しながら「伸筋群」の利用感覚を磨いていきます。

そのような姿勢を整えつつ行う素振りで基礎力が身についていくと、
自分の身体が地球とのどのようなかかわりを持つかという関係性も感じてくることでしょう。


ただし、ここまでの状態を自在に自身の体を制御して作り出せる人はあまり多くはありません。

ひとりのお客様で、
日ごろから素振りを修練のひとつの項目として取り入れておられ、
サトルムーブメント系の自身の体とのおしゃべりが上手な人がおられます。
その方に私がいくつかの腱や靭帯を使う意識を誘導していくと、
まさに伸筋を巧みに使う状態で立たれていました。

私はその姿勢が理想系で正確さにも驚きました。
今まであまり見たことがない私好みの姿勢です。

姿勢選択にかかわる仕事にこだわり続けて、何かの結実を感じた。


グラウディングは身体と脳を直結し、
身体的機能美を表現する土台になる。
そしてそれは潜在的に鋭敏な重力に対しての感受性を高めてくれるものです。

人間としての生命力の根源を探りだすには、
そこがたどり着くべきゴールでもあり、そこからがはじまりでもある。

または別の言葉で表現すれば、
身体的運動能力の性能を発揮するためのゴールでもあり、はじまりでもあるといえるでしょう。

私は今まで、
施術とは体を動かしやすくするための下地作りだといい続けてきました。

実際は、身体の運動能力が機能的な身体操作の上で操作されておらねば、
そこから自明の理のごとく肉体へネガティブな負担の蓄積がおこるから。
そこに手あてをすることで、永続的に調子のいい身体状況を維持したい。

そこに手抜かりがあれば、真の健康を手に入れることはできないと思う。

そのようなこだわりを持ちながらも、
どのような取り組みとして機能的な身体操作を学べるものなのか。
私自身もいまだに自得の成果を言語に落としこめてはおらず、
日々の研究で試行錯誤を繰り返し固定したアイデアにはならない。

そんな状態が続いている何十年のことでしたので、
みごとにお客様が「伸筋群」を活かして立つ瞬間を目撃したとき。
うれしいものでした。



ここからはあまり私自身が口に出して言うべきではないとはわかっていますが、、、。

基本的には私が動き方を伝えることで、
そこから金銭的な利潤が私に生じるわけではありません。
別料金をいただいて体の使い方を伝えるかどうかを選択してもらっているわけではありません。
おそらく施術だけおこない体の使い方については、概要をプリントして渡していくのでもいい。
一般的にそのようになさっておられる施術院は多く、
それでも十二分に丁寧だとお客様は認めていただけているケースを多数知っています。
そのようにすれば数時間かけてひとつのことを積み重ねて解説することもなく、
長くても10分程度でおつたえすることができるものです。


施術者として、施術だけでけっこう体力的にハードなため、
ときには解説中に意識が遠のくこともあってしんどいとき。
微妙に声が出ていなかったりかすれていたり、
目線を上方に向けて考えるふりをして呼吸を整えてみたり。
お客様も施術を受けていただいた後に、
血行が激しくなって頭がボーっとしていることがありますが、
私も疲労で同様な状態に陥っていることもあります。


ときには「体の使い方など教えてくれなどとは頼んだ覚えはない」と怒鳴られたこともある。
「あんたは、施術だけやってればいいんです。余計なことに時間を使われて迷惑だ」という。
多分にそのような考えの方は、私の施術を受け続けてほしいとは思わないので、
以降の施術の依頼は私からお断りさせていただきましたが。。。
ただ私のガラスの心がずたずたにひびが入ったのは確かです。

そのようなとき。
自問自答で、「はたしてこうすることが自身のしあわせに、つながっているのだろうか?」
真剣に思い悩み、苦しく感じることもあります。


そのようなドタバタした状態ではありますが、
私の体の使い方へのアドバイスは最初から完成したような完成度の高いものではなくて、
ひたすら研究して徐々に理解を深め構築したものをお客様に伝えていくことの繰り返し。
それを愚直に続けていきあきらめずに進んでいくしかない。

おそらく私と同様なことを粘り強くなさっておられる方も、
どこかにはおられると思います。

ただ私が得ようと目的としていた最終地点と同じ方はいない。
そのような気がいたしております。

伸筋群を活かした立ち方をお客様がなさり、
今年一年の締めくくりに、
私が狙っていた何十年もの立脚の夢がかなえられた感じです。
形を見ることができて、浮かばれました。。。



私にとって施術とは、
このような姿勢で立つという選択ができるようにするための、
有用性の高い道具となります。

私自身、ほんとうにからだが誰よりも弱くてへたれだったが、
どうにか立ち方を靭帯や腱を使い、
同時に地球との感覚的な接点を深め、
かつ瞑想上のイメージにより肉付けした立ち方ができるようになったとき。
まだまだ未熟ではあったが、実際に私自身の身長は4〜5センチは伸びて、
頭部の形状も変わってきた。
それに免疫力もあがったし。
そのときに月に何度も風邪をひいて寝込んでしまっていた弱かった状態に、
さよならをつげることができた。。。

そのような変化を自身の内部で感じてはいたが、
それがどのようにおきたかを人に言語で伝えることは難しい。
そこは外見のすりよせで伝えるだけでは意味がない、
内部感覚からその詳細で言語化が難しいものを共有できるかどうか。
そのようなところで難儀し続けてきたのです。


今回のお客様の立ち方の様子が起きたのは、
こちらのお客様の感性の鋭さや日ごろからの伸筋を用いた修練の賜物があってのことだと思います。

残念ですが、今はまだ他のお客様に容易に再現性がでていくものではないでしょう。

ただし私の中では、今までの伝えようとしてもうまく成果がでないときから、
ひとつ大きなステップを上るための知恵が増したのは確かだと思えています。
この経験値はそのお客様にいただいたものでもあり、
同時に他の今まで接していただいたお客様にもかかる感謝の念が募るものです。。。

個人的なことですが、
最近、ちょっと二胡を習いにいこうかなと考えているのですが、
私自身の立ち方の状態の気づきが少なからず増したものですし、
以前に独習で挫折したところから変われそうな気がしています。



新たな姿勢を受け入れ選択できるようになることで、
私の施術の締めくくりという「ゴール」となりますが、
お客様にとりまして新たな自身の身体操作を再構築して活かしきるための「スタート」になるのです。


posted by スズキ at 06:29| Comment(0) | 体の使い方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月15日

活きた手の内の作り方は二胡を弾くのにも役立つようです ^-^

手の内の作り方。

私の「はてなブログ」のほうへ miitsuさんから合気柔術関係のコメントをいただきました。
その彼にも役立てばと思い書かせていただきます。

手の内の作り方は合気をかけるために大事な基本となるところですが、
なかなか詳細までは語っているところは少ないようなので、
講習会での聞きかじった内容と、
そしてもうちょっと私なりに膨らませたところをもたせた形で解説しますね。

ただ文章だけで正確に手の内の作り方を描くのはちょっと酷なことなので、
なんとなくそういうことかという程度の概要イメージをつかんでくれれば幸いです。

^-^



「手掌腱膜」という、
手のひらのたなごころ辺りにある腱が膜のように手首から指先方向へ広がる扇状の部分。
こちらを分解的に使い込む握り方です。

まずは手掌腱膜の扇を開くかのように、
手のひらと手の指もをぴーんと開きます。
手掌腱膜部分を伸ばす際に、手の甲側の伸筋群の腱部分が浮かび上がるような感じにするといい。

そしてこの時の手の裏の甲側伸筋をそらす感じを維持し続けてください。

この状態で、小指と薬指を90度位の角度で内側に握るかのように、
手掌腱膜の腱を動かす意識で移動させていきます。
キーになるのが「尺骨を肘方向へ引く感じ」にします。
またずっと手の甲側に反らす感じも維持したままです。
その手の甲側に反らす力を働かせつつも、
握りこむ力のほうが少し優っているため、
握る状態に至った感じでしょうね。

このときに大切なことは、中指、人差し指、親指は、
小指と薬指の動きに引きづられないようにその場で維持することが必要です。

次に、親指の伸筋にあたる部位の腱を伸ばし
人差し指の爪の方向へ指紋を押印するかのような動作にも似た動きで
親指を人差し指に近づけていきます。
そのときに自然に人差し指が内側にある程度曲がりはじめるでしょう。
流れに任せた適量程度ならば、そうなったとしても問題ありません。
親指が腱の力で発力し始めたときの根本部分は、
肘から手首まで伸びる「橈骨の力」を親指の力の源泉として利用すると、
手のタバコくぼ当たりを親指が伸びる側方向へと開く感じとなるでしょう。

この親指を動かすムーブメントをしているときには、
その他の指や手のひら部分の手掌腱膜部分は動かさずにその場でキープします。


この形状の安定体で「手の内」を創り練っていくこと。

これが合気柔術の岡本師範がおっしゃっておられた「茶巾絞り」の手です。

指先の向くベクトルの方向を観察すれば、
親指は橈骨の延長線方向、
人差し指と中指は背屈方向、
薬指と小指は内側に屈曲方向。
そのように手の内のなかは、
3つのベクトルを持ちます。

この手の内部分にどちらにも偏りいつくことのない3つのベクトルの力を創りだすことが、
合気柔術での合気をかける際に必要な手となります。

この一見すると複雑なベクトルをもつ方向性を表すのですが、
橈骨を支えとして前方へつきだして、
尺骨をバランサーとして後方へと引く意識を持てば、
それはさほどイメージするのは難しくなく自然の手掌の形状づくりの送りとなるでしょう。

手先をこの状態で作っておくようにすると、
それが契機となり、肘内側や肩内側の腱を膨らみを持たせた状態にするのも容易になります。

肘が、空中でぐらぐらと動きを持ってしまうことで、
それで手先の位置が乱れて制御できなくなるのです。
それも「茶巾絞り」の手先であれば手先があたかも空中に漂うかのような軽さをあたえられ、
肘をその手先の空中のここに止めるという意識で固定させれば肘もそれにしたがい固定できます。

ちなみに、
この手の内を何度も何度も創りだす練習をすると、
なかなかそれぞれの指を独立させて動かす難しさ。

それにもまして指先だけで操作しようと言う、
小手先も先だけの手抜きの操作をしがちです。

指の筋肉自体は肘から伸びているのですから、
しっかりその指の筋肉の起始と終点の長い距離をイメージし動作するのがまっとうな動かし方です。


最初は、この茶巾絞りの手の内を創りだすには、
慎重に正確な動きを心がければほんとうにぎこちなくて、
不要なまでの筋の力みが入り込みぷるぷると震えますし。

手先をいつもとは違った操作を巧みにしようと意図した動きをさせることにより、
「なんでなんだ〜」と叫びたくなるほど、眠くなったりだるくなったりし始める。
恥ずかしいことに手の指が思う方向へ動かしたり静止したりするのに手こずって、
なんどか手の指がつりまくりました。けっこう、痛かった〜。 ^-^ 。。。

でもこのような正確な手の作りを自然にでるようになれば、
くっきりと明瞭な手の形を外見上さほど創らなくても、
手の内側の世界できっちり作りこみができていればいける。

すると中国武術でいう勾手の手の型をきっちり創らなくても合気の技がかけられやすくなる。
手先の茶巾絞りができれば、合気をかけるための基礎の一端が得られたことになるのですね。
またこの手の型を取れば、全身を腱や靭帯で伸長させて立脚させる姿勢が容易とれるように。
そのように合気をかけるための体を仕込む下準備が、手先によりなされているのです。

茶巾絞りの手の内について。
メリットはそれだけでなく、
全身的に体をしなやかで優雅に動かせる伸筋優位のスイッチが入るという点もあります。
姿勢のよさを、こんなところで叶えてくれるというのか!って、これまた驚きますよね。


この茶巾絞りの手の型を何度となく練習していくと。
やっぱり、容易にできるようになれるのも人間です。 
みなさまも、合気柔術のセミナーに通うなど為さり、
ぜひ、詳細を知って身に付けるよう努めましょう!

私が仕事で得た手の内を活かせたメリットには、
正業の施術中の圧の強弱や方向などの巧みさが、
格段に意図した操作ができるようになりました。
おかげで自作てい鍼を、本当に巧みに使えるようになってきたと思います。 ^-^


それだけではなく。
私は二胡という中国由来の楽器を持っているのですが。

その二胡の弓を動かすときや弦を押さえる際も、巧みさが格段に増したのです。
(楽譜等読めないので、二胡が弾けるとは、恥ずかしくて口に出せません  ^-^;;;;)

二胡を教室等で習ったことがなかったのですが、
ここは恥を忍んででも、この手の内が演奏に生きるのかどうかを知りたくなって、
ぜひどちらかのスクールで習ってみようという気になりました。 ^-^
posted by スズキ at 23:28| Comment(0) | 体の使い方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月10日

弓状靭帯と大腰筋の操作の連関について。

弓状靭帯と大腰筋の操作の連関について。

合気柔術のセミナーにておそわったこと。


横隔膜下の下部に弓状靭帯という靭帯があります。
その人体は大腰筋の上部と接触している。

つまり横隔膜と大腰筋との動きの関係性があって、
大腰筋を動かす感覚は以外に持ち出しづらくとも、
横隔膜を上下させることは腹式呼吸をするときに
感覚的にも容易にできるものです。

すると、、、大腰筋を動かせ!!という意識から、
横隔膜下の弓状靭帯を呼吸筋操作で動かせと変えたら。。。

おぅ、なーるほどね、こんな大腰筋操作の仕方もあるんだと実感しました。

つまり大腰筋の上端部分を上へ引き上げるという操作を大腰筋に意識して、
頑張って引き上げようとしてもちょっとやりづらいんですよね。

それが横隔膜の背部の脊椎部分に付着している弓状靭帯を持ち上げるのはできるもんですよね。

だからそこに意識の焦点を当てれば、大腰筋操作が楽ちんになっていくということ。
大腰筋はどちらかと言うと脚部を動かすという題目があって、
脚部の小転子の付着部分のほうに意識が取られがちとなる。
すると上方に引き上げるという大腰筋の操作がイメージがうまく描けなかった。
どうしても下方への伸びがイメージで強く、
上方への引き上げがうまく説明で描いてつたえられなかった。

ただ自分では弓状靭帯で引き上げるということができていたが、
実はこの靭帯を自在に上げたり下げたり奥まっていかせたりと、
操作を巧みにすれば、呼吸力と言えるおもしろい力が発力できるようになっていく。

バレエとかでは、胃の後ろ側を上に引き上げるのよ!
とよく聞いていたが、
そこってもしかしたら存在する組織は弓状関節部分を指していたのかな。

「弓状靭帯の利用」、、、あんまし考えていなかったなぁ。


posted by スズキ at 12:45| Comment(0) | 体の使い方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月04日

力を発揮するには、体の中心から末端へと連携させた身体操作をすること


体の使い方の中心から末端へという法則が大事だなという簡単な実験。

(a) 両者が向かい合い、両手を前に出して手を合わせる姿勢を取ります。
その状態で「手の力だけで、こちらを力強く押してみてくださいませんか?」
とお願いをします。

対面して手で相手を押す1.jpg

(b)すると、ふたつの状況が起こります。
中心から末端へという流れで体を使えていない人は【2】へ。
中心から末端へという流れで体を使えている人は【3】になります。
対面して手で相手を押す 残念 2.jpg   対面して手で相手を押す どーん 3.jpg

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

この腕力を発揮できるかどうかは
筋力があるかないかの問題ではありません。



それは相当に筋肉隆々の人でも、中心から末端へという流れが表現できていなければ【2】の、
頑張って押しているのに力が発揮できなくて悩みます。

もちろん筋力不足で私が押せないわけではないのです。
ただ末端部分だけの操作で力を発揮させようとしたからです。
だからちょっと体の中心から末端へと身体部位を連携させて連続した動きを教えれば、
「ドゴーン!」と相手が吹き飛ばされてしまうわけです。



それに対して「筋力が私はなくって・・・」という方でも、
中心から末端へという流れで身体操作ができていれば【3】の、
「ドゴーン!!!」といういう力で弾き飛ばしてきます。

自分は非力だからと思っていたお客様とこちらをトライしたら、
私が重心を奪われてあわや背後にある柱に頭を打ちそうに。。。
本人は力がないという自覚があるからナチュラルに言われた通りの体の操作をしたら、
なんとなく私が立っていられなくなって後方へと「わぁぉっ!」とバランスを崩して、
あわやというときがありました。 ^-^;



ポイントは、
脊椎を中心として付着点を持つ筋肉部分からの動きを、
どう最初に作り出していくよう努めるか。

手で言えば、たとえば、ひとつのルートを仮想的に挙げるとすれば、

 菱形筋を伸長させ、

 肩甲骨の動きを誇張させ、

 上腕三頭筋を伸長させて、

 尺骨側の筋を伸ばす。


そのような手順です。
もちろんこれは手の使い方のバリエーションのひとつで、
工夫次第ではさらに応用例は増えるでしょう。
ただこの使い方が一番伝えるのにシンプルで、
了解していただきやすいようです。

ただやっぱり動き自体は、直伝で伝えないと、
うまくはポイントが伝わらないようですので、
施術を受けているお客様のなかで
この遊びのような手の操作の実験を受けたことがないなぁという方がいたら、
ぜひ、施術においでいただいた際におっしゃってくださいね。

うまくその操作ができるものがファシリテーター的に伝えようとすると、
難なく「あっ、面白いじゃん!」となるようですから。


文字で書くだけでは、体使いの専門知識がないと難しいかもしれませんが、
バレエやダンス、武道等をなさっておられる方々にはピンとくるのでしょう。

また二胡やバイオリンのような弦楽器の演奏をする際に、
弓を動かす際に大きな気づきをえられることもあるようです。
私としては二胡の弓を弾くときの音の強弱の表現や繊細さまで違ってきて、喜んでいます。
二胡は楽譜が読めずに弾けませんが、なんとなく音のなりがよくなっただけでもうれしい。 ^-^





実は、このエクササイズを教えていただいたのは「ロルファーのたちばな」さん。
彼が所有のケトルベルを5分ほど前後に振り続けて肩甲骨の操作をしやすくしてから、
手押しの実験をさせていただいた感じです。

私はケトルベルを持っていなくて、
いくつか自己流にアレンジさせてもらいましたが、
原型はたちばなさんが【腰 痛 ─エビデンスに基づく予防とリハビリテーション─【原著第3版】〔Web 動画つき〕】の本から持ってきてくれたエクササイズにあります。

たちばなさんが所有しているその本を、
ちらっとみせていただいたら、
丁寧に読み込んでいると思えし付箋やアンダーラインがびっしり。

私もたちばなさんのブログを再度確認してから本を購入してみたんですが、
読み進めるにはハードルが高いと体感上感じている時期です。
今後、こちらの本を刺激的な本として読める日がくることを期待しています。

やはり、本を読む際には、何をそこに求めているかということを脳に明記してからでなければ、
表面上の字面を追うだけの砂をかむほどのつぎはぎだらけの浅い理解に留まるものです。
目的や目標が明確になっていないから読み込む取り組みにエネルギーが湧いていないのでしょう。
そこの点は自覚的に反省したほうがいいと思っています。

たちばなさんのセッションから、いい感じの刺激を受けて、
それを遣唐使が唐から日本へ持ってきて伝えたような感じ。
そのような出処でありました。 ^-^ 多謝。
posted by スズキ at 13:29| Comment(0) | 体の使い方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月06日

動き方のノウハウ理解は本よりも直接指導が、わかりいい。

一昨日前に、
Z-HEALTH を学んだ宮崎さんと、夜に秋葉原で会食。

宮崎北斗さんの Z-HEALTH 関係のページ
http://hktmyzk.tokyo/z-health/


人間には必然的に備えられている運動反射等をベースにした動きのプログラムについて具体的アプローチ法や、
様々な脳が気づかぬうちに獲得した動きの盲点から生じた制限に気づくことの可能性について教えていただた。

メールで「 Z-HEALTH って どのような可能性があるのか」など、
宮崎さんからわかりやすく説明をしていただいていたのです。

ただ私の動きのプログラムを学ぶ目的は、
実際に自分でトライしてそれにより得た経験から関わっていただいているお客様や友人の役に立ちたい。
...ということなんです。

何かの変革を自身のなかで動かしてブレイクスルーをするためには、
文章で理論を解説していただくことも価値を潜在的に感じますが。。。

そこだけでは必要十分な目的を達成することはできませんでした。
実際にお会いして話をする時間を通して、学ばせていただく必要を感じました。

動きのトレーニングは文章から学ぶのもいいし映像から読み解くのもいいでしょう。

ですが動きのノウハウの伝授で効率がいい学びの機会とは、
目の前で直伝で話を聞かせてもらい、
疑問点があれば簡単に質問をさせていただける参加感覚がある状況ですよね。

そのことをつくづく感じました。 ^-^





印象的だったひとつのことは、
ときおりというよりひっきりなしに
宮崎さんが右の手首を「グニャリ、ぐるぐる、グニャリ、ぐるぐる、グニャリ・・・」
と円を描くように動かしています。


いったい、それって、なにをなさっておられるものかな。。。 
競馬の騎手の特殊トレーニングの一環なのだろうか?

ただ他に知りたいこともあって、
手のぐるぐるに話がそれるのもよくないと思いまして、
気にはなるものの特に質問もせずスルーさせていただきました。

脳梗塞後の後遺症をどのようにしたら改善基調に乗せることができるか?

そこの質問をドーンとさせていただくことは、
その日の課題として欠かせないテーマでして。
その部分についてのアドバイスもいただきまして、
今後の私の思考する参考にさせていただければと感謝しています。

ただ後に、手首のぐるぐるの答えが Z-HEALTH のアプローチに関係していたと聞き、
「あっ、そういうのに役立つんですね。そういうことだったか」と納得。 ^-^


私の学んできた動きのノウハウで考えてみて体験してみたこともないことを、
Z-HEALTHのスキルにはあるようだと実感できて有りがたかったです。





ちなみに。
そのとき、彼自身、これからどうしても《Z-HEALTH》を通して、
健康問題を多くの人に改善していただく支援ができないかとか、
新たな運動指導の方法として提示できないかという考えのもと、
以下の様なセミナーも開催させていただいて、
ご縁ある方に、体験してもらいたいとのこと。


日本初上陸!《Z-HEALTH》 神経から身体のバランスを整える!
Z-HEALTHプラクティショナー兼現役プロアスリートの講師が日本初上陸のボディメンテナンスの方法を指導します!
https://www.street-academy.com/myclass/26586

実際目の前で解説をしていただき動きを見せていただいて、
そこから「あぁそうか。そういうのって、気が付かなかったよな」という経験をすることができました。
おそらくそのような実践的な動きを通して参加者に、
感覚器からのインプット、脳での処理、そして運動器へのアウトプットという、
一見当たり前にも見えるところのなかに存在している、
動きの出力前に起きる滞りがちな盲点部分に手を加えた指摘を受けて感じられる動き方の指導に、
それぞれの参加者が、どう、それを受け取るのか。

私もその反応が興味深いところですね。



個人的に、宮崎さんに対して
Z-HEALTHに関わって、自分がその技術を使い何を縁ある人に伝えることができるのだろうかと模索し、
セミナー開催という手で具体的な行動に落とし込んで、
その経験からその後のパフォーマンスを挙げていこうとしている。

そのような姿に、私もいつかなにかしてみたいものだな、勇気をもらえた感じがしました。



彼にしかできない切り口でZ-HEALTHを提供してくれることに、期待したいですね。

posted by スズキ at 04:25| Comment(0) | 体の使い方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月05日

筋着くんと筋肉スパッツ、そしてイケメンくん頭部モデルが練習台に

昨日、ボウエンテクニックの練習会に参加させていただきました。
セミナー参加して聞き漏らしていたことが山のようにあったので、
同期の方々に親切に教えていただける機会をいただいて感謝です。 ^-^

和気あいあいする雰囲気で楽しく学べる場で、気に入っています。
講習を受けるそれぞれの方々が前向きで賢明な姿勢で学び続けて、
自身のものにしていこうという活気があります。

私自身、他の講習生の方のうちの2人対極というのは語弊がありますが、
教えてくれる講師の手のタッチを正確に理解し身につけ進化する方と、
体幹から手部を触覚鋭く精密に円の操作に似たタッチをする方と、
それぞれの施術での動きを観ると、
それぞれのよさに引っ張られて自身を見事に見失いました。 ^-^;

そのようなプチパニックをどうするかというのも、
浅い知識量で考え過ぎている今の時期のたのしい感覚ですよね。


結果として、
学びつつやり続けて行く過程で
「自分の理解が深まったとき」に解けるものです。
もう少し深めて煮詰めないといけないですね。

そこが少し見えてきたら、
施術をお受けいただいている方を限定で、
無料でボウエンテクニックの体験会をします。

といっても、よーく考えれば実験台になってくださいという感じですが。

^-^

おそらく直接、ボウエンテクニックを私の現状の施術に乗り入れるのは、
外形上は好ましく無いと思うのですが、その内部や背景を知るに連れて、
相乗効果もでてくるでしょう。

あとはボウエンテクニックというものは、
非常に受ける人に負担のない手技ですから、
介護を受けておられる方などにもいいでしょう。
私の現状の施術では、そのような方々の受け入れはできる手技ではなかったのすが。

これからは、前向きにそのようなシーンを見据えていく時代がくるのだと思います。
そんなところを思考してでの、ボウエンテクニックの練習です。




練習会当日朝にテキストを手にしつつ、
下の写真にあるモデルで練習しました。

解剖着スタイル人形等身大 横から.jpg

解剖着スタイル人形等身大 後ろ.jpg

解剖着スタイル人形等身大 頭上から.jpg


どこの筋肉に狙いを持ってアプローチをするのか。
そこに意識を向けるべきトレーニングの場合には、
正確な筋肉の模様があるとわかりやすいですよ〜。


ただ間違ってはならないのは、
パーティーグッズ仮装のための「進撃の巨人」きぐるみモデルのでは、
解剖学的にへんてこな部分がありますから、それを使っちゃいけません。
もともと仮装用パーティーグッズクォリティなのですから! ^-^

posted by スズキ at 12:28| Comment(0) | 体の使い方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月14日

脳は生き残りのために活躍する

先だって、ブログに取り上げさせていただきましたZ-health。

脳機能特性をというところを細かく専門用語を並べて語るも、
施術者仲間からはピンと来ないというつれない反応でした。 ^-^;

私自身、脳機能の特性をというところでは、
フェルデンクライスメソッドの脳のプログラミングを押すボディワークや
アプライド・キネシオロジー等の神経系を通じた施術を学んできたおかげで、
その魅力を感じているのですが、
脳機能のレンズを通して動きを変えるというアプローチを
どういうものかということを伝えることまでは思いが至りません。

相当に解剖生理学的視野がなければ、語ることができないのです。
残念ながら、私にはそこが十分ではありません。



とりあえずZ-healthとはイメージが異なりますが、
私の言葉でどのように脳と動きとの関係性を見ているのかを語りたいと思います。
m__m



5分の使い方で人生は変わる

こちらの本を読んでいたら、
興味深いエピソードが紹介されていた。

この本の著者の小山氏。
若かりしときに事業で失敗して路上生活をしたことがあるそうです。
そのときの体験。

今日明日を生きるために食事を手に入れるなどのことが関心事となり、
早々に自身の身を清潔にすることは忘れてしまっていました。
公園の水道で体を洗うこともできたはずですが、
脳はすでに体を清潔に保たなくても生きていけることを知り、
そちらへ関心を保つ必要がなくなっていった。

生き残るためには、
身奇麗にするより
他に緊急で必要なことがある。
だったら、そちらへと関心を寄せて対処していったほうがいい。

すると脳はいつしか風呂に入らなくても平気になってくるどころか、
風呂にはいることが億劫どころか苦痛に思えるようになってしまう。



今の自分にとって大事なものは何かを脳は基準を設け判断している。



そしてそのフィルターから、
今を生き残ることが大事だ。

生き残るために優先順位が低いことに関心を寄せることは、
ネガティブな結果の訪れへと近づいたことと本能的に悟り、
そうするのに抵抗しようとブレーキを踏む行動に出ていく。

人に対して未来に向けて何かをおこなうことの大切さを説くこともできるが、
現状の土台が崩れそうであれば、
脳は躊躇なくブレーキを踏む。


このような脳の生存確保のための機能があることを、
念頭にいれて行動をつくり上げるようにしているでしょうか。

現状の差し迫った二者択一の選択肢があるならば、
基本安全策を選択するようにできているものです。



たとえばですが。。。
体の使い方について学んだ時のこと。

写真に立位姿勢を撮影してビフォア・アフターを客観視した。
立つという体の使い方を新たに学んだときのリアクションで、
「これは、画期的な身体機能を活用できる所作ですね!」
と満面の笑みを浮かべたとしましょう。


それは他者から得たアドバイスを元に、
自分で動きを試行した結果に得られた戦利品のようなものです。

ですが今までの自身が繰り返してきた姿勢。
それも、体の歪みを人は誰しも持っている。
その歪みを強力に補正するよう工夫を重ね続けて得た姿勢です。

ビフォア・アフターのビフォアの姿勢が
即座に過去のものとして葬られるものでしょうか?


それは、難しいものだということは察することができるでしょう。

いったん骨盤部分が無意識のうちに左右どちらかか両方かの腸骨が前傾しだしたなどの歪みが生じれば、
相当な質の良いエクササイズを取り入れていたり、
身体感覚に鋭敏でかつ骨格でバランスを再構成する感覚に優れた者以外は、
気づかないうちに歪みを残したまま体の傾斜をただ支えるというだけの補正で対処するようになります。

それはどういうことかといえば、
たとえば家の土台が軟弱だったり老朽化した立て付けが悪い家であったりすれば、
傾斜しだすこともあるでしょう。
とりあえずあなたならば家が傾斜しだしたらどうしますか?
私ならば、倒壊を免れるために有無も言わさぬうちに血相を変えてつっかえ棒を探し出しますね。
悠長に「あぁ〜、家が傾いて倒れていくぅ」と眺めているようなことはしません。

つねに倒壊の恐れを感じ続けているのです。
それが歪んだ状態の骨格を持っているということなのです。

今も刻々と歪みの状態は新たな局面をむかえるよう変化が続き、
新たな支え棒を必要としているのです。

歪みが歪みを呼び込みさらに複雑な筋骨格系のアンバランス方向へ向かいだして、
現状維持をすることが困難になる仕組みです。

回り始めたマイナスのスパイラルが広がるにしても、
それはしかたがないのです。

運動系の身体操作という野生で生き残るには緊急かつ必須の事項だと、
私たちの本能、そして脳が高い優先順位だとして判断していますから。


体のバランスを根本的かつ深刻に見失ったようなときには、
相当念入りに体の傾斜が複雑に生じてそれを支え続ける体になっています。
一度、そこにまで達すると、自力で体の歪みを改善させて体調を良化させることが難しくなってきます。
自分の脳が良かれと判断して、
傾斜した体を支え続けるための部材をしこりとして用意する緊急避難的措置を行うのですから。

その脳の得た生存確保の基準は相当に高いものですから、
その高さを超えるものは容易には現れることはないはず。。。

ただ、、、
本当の体の理想形は、
体の深部にしこりを配置させて歪みを補正する状態ではありません。
不用意なしこりをはびこらせれば、多くのデメリットが生じます。
関節の可動域を減少させていき、
体内の体液の流動性を停滞させたり、
神経を圧迫させたり内臓諸器官に負担を強いてみたり。。。

ですが、それらが生じてしまったとしても、
体が支えを失って傾斜し動けなくなるより、
ずっとマシな快適な状況なのです。

そのことを把握しておけば、
なぜ、自分が新たな体の使い方を覚えようと、
何十回も何百回も慣れるまで体にいいというエクササイズをしてみても、
思うように改善できないのか?

その理由がわかってくるでしょう。


たとえば、私が自分自身によくやる手ですが、
身体操作上の不備や未熟を感じた部分を得て、
新たな身体操作法を身につけるようなときは。

自力で体の動きを紙に図示したりメンタルビジョンにシミュレートさせていきます。
徹底的に繰り返しアイデアを出し、
そのアイデアに加筆訂正を加えて、
最終的な見方を深めていきます。

そのような絵を脳内に腑に落ちるまで描ききるだけです。

そして「新たなイメージ通り動くのが当然だ」と感じ始めれば。
つまり生き残るためにはこちらの身体操作にすべきだと感じた。
すると、すでに脳内の身体操作ビジョンの基準は
過去のものから新たなものへと書き換えられていくのでしょう。

その場合には、不思議に思われますが、
体は勝手に新たなビジョン通りに動き、
練習などは一切不要ですね。
新たなビジョンに印象の楔が深く突き刺されば、
過去の不適切な身体操作には逆行することはない。


身体操作方法を教えてくれる先生や師範のような他者から教えられたことは、
先生が言わんとしている言葉が伝わるかどうかの適切さは一般的に十分でも、
先生と生徒が共通言語で話ができていないときも多い。
先生の言葉は意味内容は簡略化されていたり、
ねじ曲がっていることが多いように思います。
それ以前に、先生が説明をしても身体操作上、
体ができていない人には、
自身の体で容易に言われたことは再現できず。
そんな自身にフィットせぬものなどが容易に脳のなかで取り入れるべき優先順位が高いものとして、
慣れ親しんだ以前の身体操作法を捨ててしまうようなことは起こりはしないのです。
そのような点を理解することができていれば、
本当に身につけるべきものかどうかを判断を


結果として腑に落ちてはいませんから、
脳内ではそれに魅力を感じきれません。

先生の解説等を元にして内容を咀嚼しないかぎりは
自分のものにしたくもないよそ者の不自由なツールでしかないのです。
脳内にある過去の動きの基準を引き下ろすべきだという信念は芽生えていないならば、
一時的には講習会等で得た動きができていたとしても、
やがて過去の動き方に舞い戻るでしょう。

実際のところ、
新たな動き方へ変化させるという場合には不測の事態に陥り、
ダメージを身体へ与えるリスクが想像以上に大きくあるものです。
そのようなリスクテイクを無計画で不用意にしていくならば、
早々にミスの連続が祟ります。
そこへの対処法や改善法を熟知しておらねば、
体は崩壊した状態へ流れ着くでしょう。

そのようなリスクテイクを、脳は好まずに、
今までの生き抜けてきた実績のある過去の使い方に固執する。
それが得策と考えているのです。


動き方を改善させるという内容は以上のような性質があるようです。


ただ逆に考えれば、脳の特性をよく把握していけば、
脳に気に入られる手順や手はずで、
うまく改善させるプログラムを書き込むことができるものですよね。


そのように考えてみると、
脳機能を把握して作り上げていくムーブメントアプローチは、
魅力的なものにもなりそうですね。
posted by スズキ at 09:34| Comment(0) | 体の使い方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月06日

他動的な助けを借りて、体幹に接する筋肉から手足を動かして、脳内手続き記憶を構築しよう!

腕を動かすには、どこの筋肉を動かそうか?

デスクワークを長時間なさっておられると、
姿勢よく直立不動で胴体をキープできるかといえば、
そうもなかなかいかないものです。

だんだんと、肩が前へ、上へと移行して、
いつしか腕と胸の前側の付け根が詰まり始めます。

この姿勢は呼吸をするにも浅い呼吸しかできない。
いわば、不良姿勢の典型として呼ばれるものです。

ならば肩が前に回りこんで肩甲骨と肋骨の間が窮屈になっている状態を
うまくリセットするにはどうすればいいのか?

肩を意識的に後ろへと引いて持って行こうとするのがいいのだろうか?
でも、それを実際にやってみたところで、
そのようにする意識が薄れた瞬間に、
先程までの肩が前に回りこんだ位置に毎度のように舞い戻るように見える。。。

では、では。。。
そんな、強烈な肩が前に行こうとするパターンを打ち破るには、
必要に迫られてどのような新たな操作パターンを入れていけばいいのだろう。


最近、数名のお客様にトライしてみていただいているのは、
肩甲骨と胸椎を結ぶ菱形筋という筋肉や腕と中部下部脊椎を結ぶ広背筋の筋肉を、
リズミカルに施術者の私がお客様の体に触れて、
背骨の方へ筋肉が縮む方向へ他動的に縮める動作を、
30回ほど繰り返していくというやり方をしてます。
私がお客様の菱形筋を縮めていくときに「ここ!こんな感じに縮めて!」「ここ、縮めて!」
などと必ず声掛けをしていきます。
そこ、ひじょうに重要な脳への再プログラミングをする際のポイントとなりますので。

わりとやってみると、いつも使っていなかったなぁという感じになっていれば、
他動的に動かされるという補助がツイているのにもかかわらず、
真面目にやってみると結構疲れるものです。 ^-^



今日、施術をお受けいただいたお客様には鍼灸師の免許ホルダーの方がおられ、
自身も体を意識的に巧みに操作を加え鍛えておられる方です。

お客様の右側の菱形筋を私が背後で縮める動作をすれば、
胸の前で菱形筋に前後で拮抗するような位置にある大胸筋を
伸びやかに伸長させればいいとわかってくれていました。

菱形筋が縮み肩甲骨が背骨の方に近づいた次の筋肉の動きは大胸筋の伸張へとつながっていく。

そうやって体の前後が連携して動くときに、
肩を動かす感覚で肩を使うのではなく、
胸や背中の筋を伸長させたり収縮させることが腕や肩を力ませずに動かす動作になるのだと気づきます。
腕や肩で動かそうとする動きは、
体幹に通じる筋肉の動作が無視されて腕や肩を動かそうとなさられる場合が多く、
そうなると末端から先に動かすという窮屈で呼吸を奪う動きに必ずなってしまう。

そんなことを理解するのにも、
しっかりと菱形筋から動き出しを創って、
その動きがどのように周囲の動きに連動されてゆくのかを観察するのは有意義なことだといえるでしょう。


その動きをやる際に重要であるのは、
頭部の位置が、しっかり胸鎖乳突筋の筋交いの筋肉の浮き上がりが出るところへ持っていくこと。
それができる立ち方がかなえられている人でなければ、
うまくこの操作ができてこないのです。

しっかりと体幹を先行して整えられた状態である方に対して頭の位置を正して、
この動きのトレーニングをさせていただくとやり方の要領が見えてくるのです。



ちなみに、菱形筋を縮める操作と大胸筋を肩側へ向けて伸ばす操作は、
ほぼ同時に動いているように見えたり感じたりしやすいのだが、
同時に動かす意識は、非常に良くないと思います。

同時に動かそうと幾本もの筋を捌くと、
たとえ拮抗している筋肉でさえ、
一本ごとの筋パワーの発揮が感覚的に十分操れない状態に終止してしまう。
特に、最初に新しい筋肉の操作を練習して覚えようとするときには、
一つの筋肉を取り上げてどのような動きをもって最良となるかを割り出し経験させ、
次の連携している筋肉へ、同様に筋肉の操作手順を練磨させていく。
それを連続しておこなうようにしていけば、
最後にはそれらの筋肉を連綿と連続して動かしても1つずつの筋肉の機能が他の筋肉にぶつかって、
フリーズするようなことがなく力を発揮させることができるようになります。

一時期に、一筋肉を操作の限度とする。
ということを合気柔術の先生から教わったことがあります。
やってみると、まことに、そのとおりだと頷くところです。

筋肉は、同時に幾つかの筋肉を意識して操作するのが苦手で、
1つずつ順繰りに動かすようにできている。
それぞれの筋肉の操作性を最大化しパワーも必要十分量を確保するのが上等とされるので。
その動作の連携が非常にスムースに進行するとは、
次の筋肉から次の筋肉、そしてまた次の筋肉へと動きの連携が1/10秒以下で切り替わっていくと、
ほぼほぼ同時に動かしているように外見上は見えてしまっている。

だが実際は、自身の意識では、
いつでも、一つの筋肉を動かしたら次に行って、を繰り返しているに過ぎない。

そのようなことも重要ですよね。


あとは鍼灸師のお客様には、もうちょっとだけ無茶ぶりで菱形筋や広背筋の筋肉を
上中下の3つのパートに分割してそれぞれのパートごとに動きを作り出して、
その動きの違いを感じ取ろうと言うことも。。。 ^-^

なかなか、どうして、早々にその要領もつかんでおられる様子でした。


あとは、同様に足を動かすときに、
腕に対して広背筋の操作に似ているのが、足の大腰筋。
腕に対して菱形筋の操作に似ているのが、臀部の股関節周りの外旋六筋。

足のほうは腕と比べればずっと操作が感覚的にやっかいなものですが、
同様に他動的に動かして動きの正確な流れを把握していただきました。

足のほうはなかなかできているかどうかが不安になるところですが、
まずは大体の筋の起始と終点と機能の方を把握しておいて、
それに即した動きをイメージしてやっていくことで、
およその正解に近いところがでてくるのかもしれないです。
ただ、、、脚部の外旋六筋の操作が、、、かなり難しい。 ^-^;

相当な運動操作性を誇る方々でもない限りは、
ピンとくる人はいないと思いますので、
ここは感覚先行型で動きを作り出すよりも、
イメージでどうなるのかを分析的にみていく。

まぁ、、、他動的に私が代わりに外旋六筋のひとつの筋肉の梨状筋はこのように縮むという流れを、
やってみてということをさせていただけるのであれば、
感覚的にも動きの正解が感じ取りやすいものであるのだが、
自分一人で操作をしていくと難しくなるのだろう。

そしてここまで実際にこのようなトレーニングをしていただくと、
今まではそれほど菱形筋に意識が行かなかったり広背筋の縮む方向をピンと着ていなかったりしたのが、
正確になっていく。
それだけでも背中全体の神経がいつもと比べて幾倍もの量、活発に働こうとしていっていることに気づく。

また外旋六筋の一本ずつの動きを細分化して股関節の動きをイメージしていくことで、
いつもより股関節が深く入り込み出しますし、
大腰筋の鼠径部で引っかかっている仕組みを把握しつつ動きを意識していけば、
大腰筋の操作が腸骨ごと上方に脚部の骨を持ち上げる結果となることにも気づくだろう。


なかなかやってみるとおもしろい成果を感じられるでしょう。

文章だけでは、どのような操作をしているのかがわかりづらいと思いますので、
施術にお通いいただいてるお客様で興味がある方がおられれば、
「他動的に動かされるって、どんな感じのものなんですか?」とおたずねください。
やってみるとちょっと数十分それだけでかかりますが、
意義深い体験となるかもしれません。 ^-^
posted by スズキ at 03:54| Comment(0) | 体の使い方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月11日

促通反復療法って、多くの方の身体操作の熟練性をあげるために役立つと感じました!

もともと協調的な身体の連動が苦手な運動音痴だった私のようなものには、
身体の操縦術として新たな視点を拡張することが大切ですし、価値がある。

研究課題のひとつとして

フェルデンクライス・メソッドの、
手を使った動きの指示誘導をして合理的な動き方を身につけさせる機能的統合。

これは実際にフェルデンクライス・メソッドの先生にお願いするのが一番いい。
体験から入ると、腑に落ちる点が多く得るものも大きい。
補助的に知識を得たいのならばYouTubeなどで、
海外の方が多くの映像がアップされています。
関心がある方はご覧いただければと思います。
また洋書ですがテキストもあります。

そちらを私はここ半年、メインで見続けてきたんです。

その延長線上としての考えで、
片麻痺の方のために心強い促通法という身体訓練の方法の本。
こちらに添付してあるDVDを繰り返し視聴しています。


片麻痺回復のための運動療法 第3版 促通反復療法「川平法」の理論と実際

今は、いつもするように映像を流し見をしていて、
毎回ごとに、1つ2つと気づいた点や感じた点を、
こころに留めておくという作業をしているところ。

促通反復療法とは、
麻痺をしている患部を含んだ動きを促進させる方法。
術者が患者の麻痺を起こした部位の動きを作り出す。
そのときには協調運動から丁寧に創り上げていって、
末端部分だけの操作に終始しがちな手抜かりのあるよくない操作法から脱却した動きの方法を伝えている。

意識を向けるべき方向へ声掛けをして動作を助けたり、
患者様の体をタップして動作を促したり、
患者の筋を伸長させて動きを促す伸張反射を活かすのも秀逸で
歩行時には転倒の危険を回避するようサポートしながら安心できる動作を促したり。

そうすることで脳に動作全体の運動へ注意を向けさせて、
繰り返しこれを反復し続ければ良好な動きの操作が身につく。

ただそれは片麻痺以外の方が、この方法で動き方を学ばれても、
動き方の質が向上することで、省エネで無理やムダのない身体機能の合理的活動ができるようになるだろう。

そのようなものだと言える側面もあると見て取れたところも収穫だった。
学ぶところの多い臨床家のノウハウといえるところも散見することができ勉強になりました。


また・・・やはりテキストだけでは学べないなぁと痛感するところです。
DVDの映像は促通法の操作の感じやタイミングを観て学ぶには必要だ。


またより関心がある方は下記のサイトをごらんいただければと思います。
川平先端リハラボ: 促通反復療法研究所
http://kawahira.org/
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2017年05月18日

「仙骨・尾骨は歩くときには回転軸に関係する感じですね」をもっと咀嚼してみてください



歩き方をお伝えするとき。
仙骨と恥骨へ手をそれぞれ添えてもらい、
骨盤を前後に挟み込んだ手で
骨盤を回転させて歩いてもらうことがあります。

これはすでに臀部や腰部や腹部、そして脚部が中層から深層上部まで解けてきた方の場合ですが、
実際に理想的な身体操作から骨盤内のボール状にイメージした下丹田を回転させると、
歩幅は広がり太ももの前側の筋肉に力を入れずに一歩ずつ前進できることに気づくでしょう。

(※ 仙骨周りに癒着があったり仙腸関節の可動が悪ければ、この感覚を味わうのは難しい。)


慣れないうちは違和感を感じるかもしれません。
ですが大腰筋等のコアの筋肉を活かす者たちは、
匠にこの体幹の操作から足の運びをかなえます。

利き足が過剰に使われてしまうことにより、
片側の大腿直筋が育ちすぎていたり、
脚部の左右の筋肉の太さ自体違ってしまったりしたとき。

そのときは、特に丁寧に骨盤の前後を手で挟んで骨盤を操作する感覚を味わうようにといいます。

これは地面に対して垂直に釣り合いを持って立つグラウンディングをするにおいても、
非常に重要な要素となります。

丁寧にこの骨盤操作による歩き方を練習していき、
脚部の筋硬化の左右差を実感してからそれを改善しようと感覚を鋭敏にして、
動きの回転軸を感じつつ力みを抜いていくようにしていただくことも大事です。


実際にこの動作をしていれば気づかれると思います。
尾骨が左右に一定の周期で振られる振り子感覚がつかめれば、
後ろから人に押していただいている感覚を得たり、
あたかも椅子にでも座りつつも歩を進めている感じを得たり。

不思議な感覚を味わえるようになります。

これは体の背面にあるパワフルなエンジンを積んだ筋肉群が働き出す場合に感じる状態で、
深層筋や背中側の筋肉などは伸筋に属するもので、
動かしていたとしても動かしている使用感がない。
どこかの第三者が自分に力を与えてくれるという、
そんな錯覚を覚えるでしょう。


それにこれにより拮抗筋上、無駄なブレーキをかけつつアクセルを踏んで前に歩くようなことを避けられ、
省エネモードの効率のいい歩行が可能となっていきます。


この実感をつかむには、
それぞれの腑に落ち方がずいぶん違っていて、
ごくあっさりと理解し実践して行く人もいますが、
それは多くはありません。

それぞれが相当な試行錯誤を繰り返して研究実践して行く過程で、
自分の内側でぽっかりと盲点になっていたところを発見していく。
そのような盲点は人それぞれ場所や意識や力みなど千差万別です。

ただ貴重なターニングポイントを自ら見つけ出すことができると。
いかにも「な〜んだ、こんなことだったんだ」と、
今まで説明をされていたことばに意味が付帯され、
目から鱗が落ちるた瞬間に動きの質が向上します。

そのような事を向かえられた方々は、
「動き方を変えるって、画期的じゃないですか!」
と、ぶっ飛んだほどの驚きで、
動き方を磨きをかけて変え続ければ、
人生は宝の山を得たのだという意味。

直感できるかもしれません。



ちょっと視点を変えて考えていけば。。。

施術は人から受ける必要があるものの、
体の動かし方は、自分ひとりで工夫して磨きをかけて変えられるものでもあります。

施術では他人に自分の車のハンドルを握ってもらい運転を代行してもらう感じです。
私の個人的な感じ方では、よっぽど優れた施術家の施術でも、
自分の運転する車のハンドルを安易に任せられないものです。

それはなぜかというと、
体の操作を磨くときには、自分が自分の車のハンドルを持ち操作することですから、
そのような操作可能な状態であれば、必ず運転技術に工夫を加えて、
さらにうまく操作可能な状態にする気持ちがあるからです。
そちらに価値を見出したとき、
身体の内部から活気づきます。

どのみち、他人がもしうまく施術をしてくれたとしても、
それ自体は、一月に一回だけ数時間ほど施術を受ける人ならば、
99%の時間は自分で体の負担を蓄積しないように工夫せねばなりません。

それは施術の戻りがあるといいますが、
多くは施術をする前の体の使い方のパターンを
体を現状の歪みを創りだすものとして身につけておられるからなのです。

実は、フェルデンクライス・メソッド的な動き方を熟知しておられる方が、
一端は体が硬くてうまく身体操作をするにも様々な動きづらさからうまくいかなかった動作ができだすと、
明らかに体の状態の戻りがあるという後退よりも、
体の状態が自然にさらに改善していくのです。

そのような方々を、私は12名ほど存じあげております。
各人の初期段階の身体状況にもよりますが、
結果的に一様に優れた改善と定着がなされ、
続々とより深部へと筋肉の癒着部位を解き進めることができます。


優れた合理的な動き方を変える修行をしている人は、
私の施術を受けていただくことを契機に、
体のコンディションが向上しやすい筆頭。

そんなこともございますが、
実際はそこまでの身体操作の予備知識をお持ちの方々は少数派です。

だから、
私としてはたとえば歩き方を分析的に読み、
どのように歩き方の練習をすればいいのか、
自分なりに考えて伝えさせていただきます。


ただ、それと同時にというか、
それ以上に、自分なりに、
たとえばマラソンをしていれば、
走る際の自分の気に入ったお手本を吟味して見つけ出し、
そこからどのようなところが自分に活かせるかなどを考えながら観察するのか。

そういった自分自身が独自に興味関心を抱いて、
動き方の他者観察をしたり、
それを自分のなかで活かしてみたり。

たとえ、現状の捉えられる運動の知恵や知識量が欠けていたとしても、
自分の脳で汗を流したものほど、新たな発見も多いし気づきが定着しやすいものです。

要領よく、他者の言葉や理論をハックするのも悪いことではありませんが、
多くは先駆者の完コピは不可能で抜けたところが多く、
結局は似て非なるものができあがることが多いのです。
先駆者の遺稿などは良いヒントにはなりますが、
丁寧過ぎる直伝であったとしても、
自らがそれを受け取るだけのレベルにまで成長できていなければ、
理解したまでには遠く至ることはないでしょう。

なので、、、
体の使い方の知識量を増やすよりも、
体を使っての体験量を増やしてみる。


ということで、
たとえば...
恥骨と仙骨を左右の手で挟んでみて、
手で動かすウォーキングの練習をして、
その体験から自分なりに感じたことを
動き方のパターンのメモリーバンクに書き込んでみてください。

仙骨・尾骨は歩くときには回転軸に関係する感じですね・・・という印象も、
受け取ることができるかもしれません。
ですが、それだけではなく、他にも様々なことを、
その動きの様子や、動きを改善させて磨きをかける試行錯誤のプロセスから、
多くの感覚的な体験や、さらなる進化への発見などもなさるかもしれません。


そんなことを、、、たとえば、私はフェルデンクライス・メソッドのような
身体をやさしく操作するボディワークメソッドで学んだわけですが、
その研究過程で理想的だなと思え夢がかなったとき、
「なに」がそこで起きたものなのかを言葉で述べてみる。

すると思い付きは一過性で忘却の彼方に去るのがほとんどでしょう。
ですがたとえば他人にどんなことを発見したか説明してみたり、
または自分で発見したものを文章化してメモしたり図示したり。
そうすることで血に肉にしていくこともできます。

そのように動き方のプロセスを再検証して、
もしもさらなる理想形があると発見すれば、
そちらへ意識を向けて膨らませることも大事ですね。


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2017年05月12日

「指導」か、「尽くす」かの違い。

最近、つとに、考えていること。

私は「先生」といわれると違和感を感じ、
居心地の悪い思いをいたしています。
ただ、年齢が進むに連れて、
考えが「私がなにを大事にしたい人なのか」ということに意識の焦点を当てるようになってから。
呼称は気にならなくなってきました。

ただ多くは「鈴木さん」とお客様には呼ばれていて、
先生と呼んでおられるのは 1/100 くらいの割合ですし。 ^-^;



私の場合には、先生という呼称に含まれたものには。
体の状態や使い方についての見立てを伝え指導もする側の人間という期待があるのでしょう。

指導者側として、
すでに多少は先んじて量を学んでいる。
それは、、、そうじゃないと、こちらに足をお運びいただけなくなる、
窮地に立たされることになりますもので、こちらだって必死なんです。 ^-^;;;


ただ「指導」という言葉にも、私は違和感を感じてしまうのです。。。
もちろん一般化された呼称の「指導者」というものにも。。。


指導する側は、
相手の立ち位置よりも高いところから見下ろす気持ちになるときもありそうです。

それは、やはり残念なことですが、
多くのお客様から過去そのような不快な経験をしたという指摘もあります。
おそらく私自身も、その加害者になってしまったこともあると思って反省しています。


上から下を観る目線。
つまり上下関係を感じながら
指導しようとする者を観てしまうこともあるでしょう。

そのような気持ちでいる自覚がなかったとしても、
そうされた相手は、そのように感じられるならば。。。

そこには伝えようとする側が
お伝えの仕方の資質をあげる必要もあるでしょう。



「指導する」という教える過程で、
上から目線で見下して観られた者は、
どのような反応を内的に起こすのでしょうか?

指導者に指導される側の生徒役としては、
その上下関係を受け入れて自分の意志を殺したり滅して話を聴くのか。
または自身のプライドを保つために対抗しはねつけようとするだろう。

私のところのような施術をする場ではなく、
体の使い方を伝えることがメインの場に費用を負担して来ていただけたお客様は、
すでに指導を受ける準備ができているだろうと思うのは勝手な期待の丸投げです。
実情は、そう甘くはない場合もあるようです。

いずれにせよ、
伝えられる側の自尊心が傷つけられてしまっていたとしたら、
ガラガラピシャッっとシャッターが締め切られるでしょう。
貴重な学ぼうとする意志、きっかけが損なわれます。


「スワーミー・ヴィヴェーカナンダのメッセージ 立ち上がれ 目覚めよ 」
という私が日頃愛読している実質40ページ弱の本のなかに書かれた一節を思い出します。
( 少し宗教書的な書き方ですが、意味部分を察していただければさいわいです )

『 君たちの信者仲間を指導しようとしないで、彼らに尽くしなさい。
  無慈悲な指導熱は、幾多の立派な舟を人生の大海に沈めてきたのだ。』


上下関係を作ろうとする本能が、
少なからず人間にはあるようです。

それが自分にあるとすれば、
それを、まずは捨て去ることです。

無論、ここで意図するものは、
おべんちゃらや甘言の言葉を尽くせというものではありません。

やる気が育っていなければ、
そこでは厳しさも必要です。
もっと正面からそれに対し向き合うよう迫るのです。

ただ、ここで間違ってはならないことがあります。

相手の考えを存分に聞く前に、
「自分だったらこうする」と情報不足のまま、
思い付きの考えを正解として押し付けること。

その自分の考えを優先して相手を操作しようとしてみても、
不協和音程度のノイズが聞かれるだけで、
芳しい成果などは期待できないでしょう。

「指導」とは、ときに自身のやり方を他者に押し付ける方法です。
受け取る側が納得できた「自分が考え抜き気づいたアイデア」とはフィットしないものならば、
いくらがんばって指導をしようとしても深く胸に刺さりません。

単純にありものの教科書の内容をつたえるというものでしたら、
そのカリキュラムに則って進行することが最良ですが、
体の使い方についてはそれほど単純なものでもない。

本人が、ほぼほぼ、自覚がない盲点のような部分が、
内側に埋設されていて、
それを他者に掘られるのは無理矢理感があって傷つくものですし、
新たなトラウマにもなりかねないものです。
だったら指導者の示唆を含めたヒントを頼りに自分で探し当てる。
そのようにして見つけたものは、無から何かを生み出す苦しみもなく、
比較的スムースに成長して指導者や師に追いつき追いぬくこともできる。
ずいぶん時間の節約にもなりますよね。


そのようなときに指導する側がおこなう仕事といえば、
どのようなことがあるものでしょうか?

腑に落ちるまで相手の考えや感情を出し尽くさせるような聞き役に回ってみるのもいいでしょう。

自分が考えた末に導き出された答えからならば、
人はそこから非常に多くを学び取ることができます。
十分な行動を促す動機を持つことができるでしょう。

正面から、まず自分自身がその課題に向かい合うこと。
人は、向きあう気構えが固まって肚が括られた瞬間に、
想像以上の成長をとげることだってあるんです。

ただ向き合う気持ちが育たぬうちに
他者から知恵を丸投げされて暗記しても、
自分の価値観を揺るがすほどの深慮や決断にはつながりませんから。

今までの自分のスタイルを変える必要も骨身にしみて感じられない。
切迫感も緊張感もその場限りになってしまうかもしれません。

農業では土づくり、土壌づくりが大事だといい、
耕してたり、水はけを考えたり、種を植える前の準備が大事で、
そこへ労を惜しまないことがいい作物を収穫する秘訣だと思います。

「指導する前」に必要な心の受け入れ体制を整える手助けをする。
そこが人の中に種を植える前の土壌づくりですね。

もしそのようなことが指導する前段階に設置するよう心がければ、
指導を受ける側は、自らの足で立ち上がり、目覚めると思います。

そんな過程を通ったときに、
「たまには他人のやり方を採用してもいいかな」
という気分になれるものなのでしょう。

それが、自分の動き方のくせに固執する傾向から羽化の瞬間です。

そのようなお膳立てに力を尽くすことは、
忍耐力も必要な損な役回りだと感じるでしょうか?

すんなりとうまくいく場合もあるでしょう。
ですが、そういうケースばかりではないことを思い知ることも。


ただ考えてみてください。


後に訪れる変化の偉大さから考慮すれば、
霞んで消え失せる幻のようなものかもしれません。
そこからなんら苦痛を感じる以前に、
喜びに満ちた今後へと向かう者と出会えた充実感。
後々に訪れる意義深い成功を納められた後を十分に知る。

そのような者が立つ地は、尊い。


「立ち上がれ 目覚めよ」の本の一節にある、内容の「尽くす」とは、
そこまで付き合い続けようと決心すること。
そこまで「尽くす」ことで始まるのでしょう。


農家が手塩にかけて自分の育てた農作物に愛情をかけた分だけ、
その農作物は実りを大きくしてくれるものです。

その農作物が、水を好むかどうか、水がやり過ぎでは根腐れがおきるなど、
そのものの現状をどれだけ把握して世話をするか。
その甲斐甲斐しく気を配り愛情をかけ尽くす分だけ、
自らが育つ力を発揮しやすくなったときを迎えて育つ農作物のように、
人が指導され成就するのも、さほど変わりがないように思えるのです。


いずれそのような「尽くす」段階で、
体の使い方を伝えるということに向き合いたいですね。

私にとって、
コーチングの音声テープを、数年間、耳に入れ続けて、
去年はスクールに通ったのも、そこにコーチングの考えが生きるからです。




ここまで書いてきて感じたことですが、
私は土を耕す人になりたいんでしょう。
そこに価値観を置いて活動をしていく。


日本人の体の操作が、
幕末以降にいきなり悪くなってきたというマイナスのカルマ。
以前にはなかった病の起きる起因の一端はここにあるでしょう。
それにあまんじて子々孫々までつたえてさらに悪化をたどるか、
そのカルマを打ち壊して、新たに土壌を耕して種を植えるのか。


きっと土を耕す人にならなければ、
理想を語りづらいところもでてくるものなのでしょう。
そんな気がいたしております。

posted by スズキ at 05:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 体の使い方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月05日

ひとまずは肘の使い方を巧みに

ここ数週間、
【 肘の使い方を再検証 】しています。

手を使うときに、
手先に先に意識がとられれば根無し草。
猛烈な力が底に宿ることはございません。

手の関節を解剖学的にざっくりとだけわかりいいところを見れば、


胸鎖関節、肩鎖関節、肩関節、肘関節、手首関節、手部関節、指の関節、、、
のような
「中心から、末端へ」という流れがあります。

力をどのように流せばいいのかといえば、
体幹から末端へという流れが関節をつなぎつつ操作できる妙があります。
すると、
正確に考えつつやっていけば、

胸鎖関節、肩鎖関節、肩関節、肘関節、手首関節、手部関節、指の関節、、、
といった流れをひとつずつの関節を胸鎖関節から順番に指の関節まで逐一操作をする必要がでてきますね。

フェルデンクライス・メソッドなどでは、
まさにそのようなひとつずつの関節に意識をして使う操作感に焦点を当てて試行錯誤を加えていき、
画期的なまでにスムースな腕の使い方の実現をかなえるようにするきっかけづくりを与えてくれる。

体の操作には、あまり関心がないかまたは初学者で、
体を使いこなせていない場合の一般的な例では、

下記の< > 内をすっ飛ばして、( )内を真っ先に意識している。
<胸鎖関節、肩鎖関節、肩関節、肘関節、手首関節、手部関節、>(指の関節)、、、
反射的にそうなりやすいのだろう。
指の触覚感が強烈で真っ先にそこへ神経を向けてしまいやすい。
ただ、そこが「トラップ」といわれるような致命的な罠になる。

私もでしたが多くの人たちは、
このトラップに気づかずにハマっているのです。
そこから抜けだした人には、
見事にこのトラップにハマっているかどうかの、
状況はありありと感知することができるのです。
なので、武術で相手の力量を観るにも最適です。
もしこのトラップを抜けだしたものぶつかれば、
足腰が立たないようになっていく結果でしょう。
信じられない程の地の力が発揮できるのですね。。。

そしてそれは施術をするときにも、
もちろんそのトラップにかかっているかどうか。

大きい成果の差に出てきますが、
そこは水面下で行われる操作ですから、
ほぼほぼ、見抜ける人は少ないでしょう。

具体的に言えば、
つまり指の関節を握るという操作を < > 内の関節の操作をすっ飛ばしておこなえば、
生理的に三角筋に不要な力みがでて筋拘縮が起きて力みが入ってしまう結果が出てきます。

力みが入った身体操作では、
思い通りの精密な圧の質や方向などを創りだすことができない以前の問題で、
触覚や気を察知する感度が鈍る触診となるので正しい情報収集ができません。
それでは理想の対応が難しいものですよね。


ですが< > 内の関節をひとつずつ動きを制動していくことは、
レベルが高すぎる精妙な操作になっていくものですから。
私にもそこは容易に登れる坂道じゃありません。


まずは肩甲骨の動きに直接動作を与えることが可能な肘の操作に、
注力して肘の動かし方のノウハウを見つけられるように務めよう。
 
そのようなことを、私自身、ここ数週間しているのですが、、、。
肘を利用した施術をするときには、
いつもよりも体を低く折り曲げて
重心を落とす操作をすることへ。

それにより、
これまた以前よりも力の浸透力は、
飛躍していっている。

無論、お客様にはおそらく負担感はない操作の延長線上で起こしている圧の生じさせ方を工夫しています。
だからそのことに気づかれている方もおられないのですが、
私にはその変化にはなにかの手応えを掴んでいます。

ただ、私自身にかかる肉体的な影響として。
不用意にいつもと違った筋肉の部分を使用しているわけではなく、
施術姿勢を変えてはいるのですが、
いつも以上に意識を精密化して操作するだけで、
まったく肉体にかかる負荷の様子が変わります。

今のままでは体がいきなりゴツくなりそうですし、
驚異的な眠気やだるさなどが襲ってくる。
足が攣りそうになったり、
腰がピキッとなってみたり、久々ですね。。。

本来は重心移動をたくみにして、
体全体の動作の一部としウエイトシフトから圧を作り出せなければならないものの。
足元がふにゃふにゃなベッドのためと足場にブロックがゴロゴロしているため困難。
そこをどのようにクリアできるものか。

いろいろとできるところの底上げを思案中です。


この肘の使い方を高いレベルで会得できなければ、
最近、研究中の「てい鍼」を持っても
自分が思うようには使いこなせないかもしれない。


それは私の勝手な思い込みかもしれませんが、
てい鍼づくりと同時並行的に、
それを使いこなせる体づくり。
そこに着手しています。




そんなこんなで。
最近では、お客様が「肘の使い方って?」などと、
禅問答的な話をさせていただくことが多くあって。


もちろん、
すでにこの部位に意識を落とし込めるレベルの方にだけ、
「そちらへ注目をしてください」と申し上げております。
部分的に参考になっていただける点を掴んでいただければという願いはあります。

ですがお客様にしてみれば「突然、そこか!?」

と、驚かれる方もいたでしょう。
ご迷惑をお掛けしているところです。

posted by スズキ at 12:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 体の使い方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月28日

背中に空気を入れるって大切なんですね!

昨日の施術でのこと。

バレエ教師から4年にもわたって、
マンツーマン制でバレエを習っている女性のお客様。

数年に渡り施術を受けていただいているお客様で、
お体の動きはバレエレッスンを受け続けてもおられてますので、
着々と状態は上向いていっていることが私には手に取るように分かります。

もう一歩、先へと進めれば化けるはずだろうと。
そう期待していました。

ここでの化けるとは、
「自然体で立つこと」を意味しているのですが、
実際はそれができるって本当に難しいものです。
ほんとうに重箱の隅をつつく感触で、
私はその状態を感じ取りますから。

一般の方には、その一般の方では十分なレベル。
動きを極める方には、その方に十分なレベル。

それを私の胸の内で設定しております。

バレエレッスンをなさっておられることも
しっかり自身の体を隅から隅まで整えて動かしたいという思いからだとおっしゃられますから、
すると、動きを極める方のレベルを得たい方だとお見受けいたしますので、
点数がかなり高めで合格点となるものです。

そういった高いハードルを設定させていただいています。

だから、、、、
私がこちらのお客様の立ち方を手直しをしなかったのは、
長いお付き合いでも、昨日が初めてです。 ^-^ v
ついに、やったね!と感動。

そんな私の内心をよそに、

本人の表情を見ると、
あまりにもあっけなくそっけなく立っておられるのです。

^-^; すごいことなさっておられるという自覚がなさそう。。。

その姿は、まさに地面との付き合いを理想的にかなえて、
自然との交わりにムリやムダや無茶がない。
手本と呼ばせてほしいレベルでした。


私が町中で歩く人を観て、
「この人はすごいな」と感じられる人は、
ほんのほんの一握りです。



なぜ、いきなり私が立ち方の手直しをまったくしない状況になったのか?

理由は教えていただきわかりましたが、
記事にする合意をいただいていないので
詳しいことをお伝えできません。

それが残なんなのですが、、、。


ざっくりと、だけお伝えさせていただきます。


先月にそのお客様が体に負担を感じ私の施術を受ける来急性があって施術をさせていただきました。

一度の施術で、ここまで改善できればいいだろう、というところまでリカバリーできました。
わりあい深部にまでかなり強烈なこわばりを仕込んでおられた様子でしたから、
痛みや不快感も強くなっていてバレエレッスンを受けるのもしんどかったところでしょう。

そして別れ際に、
私が「まだ、ムリをしないでおきましょうね」といったからか、
それ以上にご本人が慎重派で安全第一だったからか。。。


次回のバレエレッスンを受ける際に
お客様は負担をかからないメニューにしてくださいね!と先生にリクエスト。

バレエ教師をなさっておられる方は、
その要望に応えて、
背中で呼吸をする」というレッスンに体を慣らす準備運動に取り入れていただけたそうです。

丁寧に、骨盤部や腰部や背部などを5箇所ほどに分けて
それぞれ時間をかけて順々に背中の意図する部位へ呼吸した空気を送り込む。

あとで気づいたのですが、
お話の内容をお伺いしてだいたいはわかったつもりになりましたが、
どんな感じでやってみたのかを「実演」してもらえばよかったなぁ。 ^-^;


それを幾度かのレッスンのはじまりになさっておられたとのこと。

もともとそのお客様は、私が施術前に立ち方を手直しをさせていただくといっても、
微調整ですませられるところまで上り詰めていた方です。
わずかだけ私の手で、「こっちですよ!」と腰部を吊り、
それでほぼほぼOKでしたから。
私が夢見ていた自然体で立つ状態には非常に接近しておられました。


ただ最後の最後、
いつも手直しをされるのは気分的に嫌なものですよね。
かなりいい感じになってるよねといわれつつでも、
私だったら、やっぱり、また手直しされたか、、、。

と、なってしまったでしょう。

そうであったものの、
ご本人の体調不良と、背中に空気を入れる感じのエクササイズに力点を置いたところが連携し、
ついに自然体を手に入れておられました。

私も腰部の後ろ側を浮袋を膨らます感じで膨らましてみて、
というアドバイスはしたことがありました。
ですがそれだけでは足らなかったのだということを教えていただき、
痛感させていいただきました。


背中の部分を幾つかにセグメント分けして
丁寧に手順を考えて空気をいれていくこと。

こちらのお客様は、
すでにグラウンディングがほぼほぼできていたから、
だからすんなりと体の中心軸の位置取りを変更するのも容易だった。
それも手伝っておきた奇跡のようなものだと思います。
体の軸の見当がついておられない方には、
ここまでのことは起こらないと思います。


ただ背中側へ及ぼす呼吸で胴体内部に息を目的箇所に入れて膨らませることの大事さは。
それは背中の起立筋側の伸筋を伸長させるエクササイズとして、
さらに積極的に取り組んでいこうと訴えて行くべきと感じます。

このやり方を少し練りこめば、
万人向けの健康法のひとつを
作り出せそうな気がしました。 


ちなみに、
この自然体で立たれているご本人の談として、
「3ヶ月後に今の立ち方が継続できていたら、自分でも認めようと考えてます」と慎重。

ただ、私は、一度でも、この一般の方が感じる立ち方とは異質な感覚を得られたことは、
すでに大きすぎる福音を与えてもらえているように感じます。

いくつも福音はあるんですが、
たとえば腎の気の活性化が当然のように起きてくれる。
すると今まで以上に若々しくという印象が際立ちます。
精力や体力も若返っていくんです。
この自然体で立てば当然そうなる。


「老後の人生設計」も、長寿の相に背骨が変わる流れから、好転すると思うんですよね。 ^-^



このたびはこのお客様は、
一時的に体に負担を蓄積してつらい日々を過ごすほど頑張られてきたのです。
失敗を許容して進むことがなければ、伸び悩むことを知っていたのでしょう。
得てして失敗を取るかどうかの判断は、
本能の直感レベルがものをいいますね。
まさに今回は野生のカンを武器に開拓なさられました。



最後に余談ですが。。。
体が痛いぞーとなったときに、私のことを思い出して、
何かあればボディワイズさんにメンテを頼むから、とおっしゃっていただけました。
私といたしましても、そのような対応をさせていただくのなら
うれしいかぎりです。 m__m


posted by スズキ at 17:39| Comment(2) | TrackBack(0) | 体の使い方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月13日

手を挙げるだけでも、13000もの動作命令を必要とする・・・

サイエンスZERO』というNHKの番組は、ビデオ録画をして観ております。
ものの見方や考え方など、
目からウロコが落ちる感じの率直さで、短い時間で伝えてくれるすばらしい番組。 ^-^

気に入っています。

[NHK] サイエンスZERO - 人間とは何か? アンドロイド研究最前線。

観た方もおられるでしょう。

そこで二松学舎大学を卒業した夏目漱石のアンドロイドが語る。
きっと目の前でみたらすごいんでしょうね。

夏目漱石のデス・マスクから顔の型を取り、
夏目漱石の孫の夏目房之介さんが漱石の骨格とにているからナレーションをして。



そこを観ても、漱石だなという雰囲気が醸し出されていました。


(時間がある方は、下の映像を見てみてくださいね)


[NHK] サイエンスZERO - 人間とは何か? アンドロイド研究最前線 (2017.01... 投稿者 TrialerTeaser



ただそれ以上に驚いたのが、
漱石の手が少しあげるだけ。
たったそれだけの動作でも1万3千もの動作命令がなされているそうです。

有意味的な内容を、そこまで叩き込んでいけるまで分析していく努力。

漱石の手を挙げる = 手の部分の挙上動作 + 体全体で手の挙上をかなえるバランスをとり支える動作
簡単にみれば、このようなものでしょうか。
そして昔のアンドロイドでは、
後半の(+ 体全体で手の挙上をかなえるバランスをとり支える動作)が入っていなかったのです。
いかにも作り物的な動作。
人体の操作も、部分を見て手だけを挙げると操作をみれば、
このような操作になりかねません。

そこで、一つの動作を成り立たせる陰と陽で例えれば陰となる部分をあぶり出したのです。

すごい知恵ですね。

人間らしく見えるよう研究していく職人たちには、
ほんのささやかな腕を上げるだけでも軸の変化や重心の移動、対になる部分の動きなど、
さまざまな影になる操作があることに気付き、
その操作が完遂できたときに、
見た目がいつも私たちが見ている腕の操作をしているなと全体像を把握できることを知っているのでしょう。

私が、動作命令のソースを見たら。。。目が点になるでしょう。

一見にして手を挙上するだけの操作でも、
それほどの影で幾多の動作命令を私たちはしているのです。
それは無自覚的にできてしまっている操作ですが、
アンドロイドがその動作命令をされないと動かないと同様に、
私たちの場合も動作命令がされることで動くというのは同様。

「動きの巧みさ」を語るには、
動作の素地づくりをするべき。
それには動きのある部分を観るのは当然だが、
そこより先に起きる準備が体内に先に起きてくることが大事。

太極拳等での教えは、
陰陽の語るところは、
陰の動作に陽の動作が上に乗るように作りだすようにいいます。

手が上がってから、それを支えるための動作をあとづけでなすのは、
軸を失した操作で下手とされ、
手が上がる手前に準備動作を終えてから手を上げるのが上品ですね。

この上品な動きはよくよく練られた修行をなさった末に保ち進むものです。

だから動きは局所だけを観るのは下品で、
かならず全体の動きを俯瞰して観て局所にクローズアップして、精度を見て取り、また俯瞰してを繰り返す。
そこを連綿と繰り返して雑味をすりつぶして、
より合理的な自身の身体と向き合った末の自然体を手に入れます。

まずは、そのようなイメージで動作の一挙手一投足を再検討する。

一見面倒なものですが、
一定期間、その動作を練るような修練をなされれば、
いったん上質な動きを知れば、その後の豊かな感情の起こりや操作についてなどにも、
滞りも減るように感じています。

様々な方面で、自身の生活上の豊かさが上がると思います。




そういえば、と脱線をしますが。^-^;


昨日施術をお受けいただきました私と同業者の先生。

今までの勤め先から独立なさるそうです。
新たな船出を勇気と希望とやる気が武器。
独立をするとわかりますが、
日本には四季がありますように、
春や夏の季節もありますが
秋や冬の寒々としたところをしのぐときもあります。
それは経済的なものとして来る場合もありますし、
家族や自身の身体的問題として出るときもあります。

たいがいはその冬の時代が、
勉強したり新たな情報を得て変化対応する時期です。
そこを前向きに捉えて時を過ごすことが大事です。
体験から得られる教訓は、深く胸に刻まれることで、
自分を磨き大きくすることになるでしょう。

という彼が、お店を借りようと思ったとき、
それも真剣に借りようと思って町中をみたときには、
あそこの歯医者の立地は看板が見づらくて入りづらいよな、等々、
いろいろなことを考えながら目に飛び込んでくるようになったそうです。

店舗を借りる至上命題を持ったときに、
脳に「人生に関わることだから、最良物件を見つけてください」という、
緊張感漂う明瞭な質問をしたとしたら、
いつもならば同じ町中を歩いても気にもとめなかったことが、
一気に自分にとって意味を持って飛び込んできたという経験をしている。

そのようにおっしゃっておられました。

人生に関わることだから・・・と、必死に緊張感を持った時には、
脳内にアドレナリンがでるので、突出した注意力が発揮されます。

または追求してみて楽しくてしかたがないという時にも、
そんな脳内麻薬物質がでてきて、固定した感覚や感性を
別のチャンネルにひねりをかえて受信できるようになります。


私も基本は、施術をしているときに集中力を高める際に、
意図的に脳内にアドレナリンがでているかどうかが大事。
そのように感じています。

そのときに、
ものの見方が固定された盲点を持つ状態から移行できます。

気づきがえられやすくなるのですね。

人が、今まで行い続けていた無意識になさる動きのプログラムを書き換えるときには、
脳内麻薬物質の作用がてきめんに効いてくるかどうかがポイント。
そのときに実は、
感情の面が集中して、
どうしてもそうすべきなんだ!と積極的に惜しみなくそちらに意識を向けきる、
そんな実感を得られた人は幸いなんです。

「なぜ、そうするのか?」
「なぜ、そうしたいのか?」

そこの理由が自分の価値観にまで掘り下げて繋げられたときに、
脳内麻薬物質がでてきます。

そこに繋がっていなければ、やる気は早々に30秒ほどでやせ細るようにして、
いつもの状態に帰郷するよう設定されているものです。


私には、
「ぜひ、影になり動作を支える陰の動きをものにしたい!
それは、なぜならば、・・・」
というところに自身の未来肉体像に希望を込めた思いを口にすること。
感情として、うれしくなる状態になれるからとか、そんな苦しくて辛い状態に陥るのは絶対にやだとか。。。
気持ちを込めて語ってみて誰かに聴いてもらう。
または自問自答でもいいし、語り終えた後に、
「そうだね、あなたはそう考えているんだね。その望み、かなうといいね」といったいただけるとき。

不思議なほど、意識のトンガリは胸に深く突き刺さるもののようです。

そこからのが、改革の始まりだろうと思うのです。
posted by スズキ at 11:32| Comment(2) | TrackBack(0) | 体の使い方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月12日

背負ったカイトを高らかに飛ばそう!

「背中側の首の筋肉」エリアは、
どの広さの範囲を持っているのか?

という質問に対して、
首の骨があるところの後ろ、
頸部の裏側のみが背中側の首の筋肉だとお答えなさる方も多いものでしょう。

解剖学の勉強をなさったことがある方は、
頭骨後ろ側下部に付着する『僧帽筋』が全部首の筋肉という認識でしょう。

凧揚げのカイトのような形をしている僧帽筋。


僧帽筋はカイトのように空に飛ばせ.png
僧帽筋は後方かつやや上方へ向けて飛ばすこと。
それで肩甲骨を肋骨から引き離し間を開けます。
そのときに両肩は、
なだらかに肩甲骨が腕の重さを得て下げられていく。

僧帽筋は凧揚げの凧を後方へ上げるかのように空中に舞わせること。
まさしくそのような一度空に舞った凧は、ゆっくりと地面に着地するとき。
背中が落ち着いた状態になりおさまる。

胸郭の形状も正常化され作られやすく
横隔膜の裏面の付け根といえるのか、
大腰筋の付着部上端が少し上に持ち上がるため、
姿勢も中心軸が整えられていき
呼吸も楽になっていくだろう。

胸の前側で胸郭を長期間的に整えていくような設定はできない仕組みだから、
この僧帽筋の凧揚げは重要だ。

そこができていれば、
グラウンディングの体感を感じやすくなるでしょう。
posted by スズキ at 11:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 体の使い方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月15日

メガネを変えてみたら、脳のデバイスドライバーがうまく書き換えられず、難儀中

個人的なことで、すいません。

私は視力が弱くてメガネをかけています。

「鼻の穴、メガネでふさがってるよ」と、
今年に入り副鼻腔炎をチェックしていただく際に、医師に指摘されました。

ガラスレンズが分厚いため重さがかさみ、
鼻の穴の通り道をふさいでしまうほどで。
あとはメガネがずり落ちないように、
いろいろと工夫をこらす結果からの
悪影響もでていました。

フェイスマッサージの実施研究により、
思惑通りに副鼻腔炎もおさまりました。
そして視力の改善が少し図られていき、
軽さが際立つメガネを手に入れました。

すると理想的な感じで、
鼻の穴をメガネが乗っかる重量で押しつぶすこともなく、
呼吸がしやすくなりました。 ^-^;
めでたし、めでたしですね。

「ほぉ〜、こんなに、眼鏡によって違いが出るんだ」と関心しています。


ただ、ひとつだけ気にかかることがありました。

以前つくったメガネは眼鏡市場でした。
メガネを作る際にした検眼が微妙でして、
数ヶ月してもレンズを通した像がゆがむ。
そんな見え方が微妙な状態が続きました。

そのような不具合さも、
1年、2年、3年と続くと脳がレンズから通しみることができた像に対して修正をかけてくれて、
周囲の状況を把握できるように改善してくれるようです。
そんな感じの状態で物を観ていたのでは、
眼精疲労の原因になりますよね。
猛反省です。


今回は五反田東京卸売りセンター(TOC)のオリゾンというメガネ店で丁寧に検眼していただき、
見え方が以前と比べてフラットで同程度の度の入ったレンズでも目が良くなり細かいところまで見える。。。



ですが悲しいかな、
以前の変な見え方を脳が修正をかけて像をみるクセ付けがされてしまっていて。
その脳内の湾曲した世界を修正してものを見るという作業が大仕事だったよう。

たとえれば、
体の全体のそれぞれのパーツを「デバイス」という呼び名で呼ばせていただければわかりやすい。
パソコンは、記録装置としてのハードディスクや、ディスプレイ、マウス、キーボード等の
デバイスと呼ばれているそれぞれのパーツに別れていて、それらが一つの仕事をするよう
調整され統合的な操作が可能となるように、
「デバイスドライバー」と呼ばれるソフトウエアが
ハードディスクにインストールされている必要があります。

人間も、それはさほど変わりがないんですね。
眼球というデバイスパーツを動かすためには、
脳に眼球を動かすためのデバイスドライバーが組み込まれているんです。
パソコンでは、新たなマウスを買ってきて取り替えたら新たなデバイスドライバーを
インストールして使うような仕組みになっていますよね。
それは今まで使っていたデバイスドライバーでは、新たなマウスが機能制限を受けてしまったり、
最悪動かすことができないという現象が起きるからです。

それと同じように体の部分的なパーツも状態が変われば
「デバイスドライバーを再インストールする必要」が出るときがあります。




今のメガネでみると、
ものがくっきりしっかり見えているのですが、
数歩も歩けば動きのある像にて船酔い感から。


施術をするときは、
膝を起点にし上半身を動きを制御しています。
すると船酔い感は耐えられるような状況です。
だから仕事上は問題ないのですが、

日常生活上、突如、しばし、その場で立ち尽くす。。。


しばらくすれば慣れると思いますが、
そこまで我慢を続けるしかありません。

今回のことでわかったことは、
目のレンズから取り込まれた外部情報は、
そのままの像が脳の視覚野に描き出され
立体物を認識するものではなく、
脳が逐一関与して修正をかけていきます。
脳が受像後の映像に対して修正プログラムを作り補正を加えたあとの情報を、
私たちは認識している。

プレーンな外部からの像を目がとらえていると思えていたとしても、
実体は勘違いがあるのでしょう。
それは右利きの人は、
多くが効き目が右側になり、右視力が低下しやすい傾向があります。

私も右目のほうが視力が悪いんですね。

そうであったとしても、だいたい両目でものを見るときには、
左右の目が同じほどの視力を持って情報を吸い上げています。
そんな、、、誤認の上でものを見ている状態です。

目というデバイスはプレーンな器具でしかありませんが、
脳がデバイスドライバーとなり目の機能を制御していく。
それらがセットで活躍できるようになるまで、
脳のデバイスドライバーの調整やリプログラミングなど、
手間がかかるものですね。


同時に、私が今、感じているのは、
脳がこしらえた目の機能を発揮させるデバイスドライバーが、
メガネのレンズで相当に操作されているという部分だけではなくて、
今年から数ヶ月もトライし続けているヘッド&フェイスマッサージ。
こちらにより頭蓋骨の形状をミリ単位で修正をかけていく作業でも
メガネを新調して脳のデバイスドライバーを書き換えるようなことが起きていたのだろうか?
という疑問です。

10分から15分までとヘッド&フェイスマッサージによるアプローチ時間を制限し、
日々繰り返すというやり方でリリースし続けてきたわけですが、
そのときは目の視力が向上していく感じは徐々にアップして目の疲れも素直に改善へ。

その視力の改善曲線がかなり変化したのだが、
それでも緩やかで穏やかな変化であって
脳がその変化をデバイスドライバーの一部修正で対応できたようだ。

それが突然、メガネの視力の変化だけではなく視軸やレンズの凹凸変更など、
多くの状態変化が起きたと際には、
その変化量の急激さにより脳が今まで使っていたデバイスドライバーが役に立たなくなる。
するとしばらくは役立たないデバイスドライバーをちまちま補正をかけて省エネで使う工夫をするが、
やがてそのデバイスドライバーのプログラムをあきらめて再度、一から設計をし直すような再構築へ。

つまり急激な状態の変化には、
その変化した状態が理想的でいて機能的な状態に向かったとしても、
脳がその変化に追いついていけないという現象が起きてしまいます。


それは今回の私のメガネの買い替えもそうですが、
施術を受けて大きな体の軸の変化や変更を強いられたり、
体内の血液の流れを改善という大変革を強いられたりすると?

そのとき脳が手足や胴体、頭等の動かすためのプログラムも然り、
体を自然に鎧化させてつっかえ棒をつくり支えるプログラムを幾重にも組み込まれたとき、
または、
容易に体の状態が大きく変化変容させられるような柔軟性の豊かな状態であればあるほど。

脳の体の四肢等を運動させて立位や座位などの姿勢維持や歩行や走行などの運動も
急激な変化をともなうようなときには。
今まで組み込んだデバイスドライバーの変化に対応させる修正作業ではすまなくて、
体の中では今までのデバイスドライバーを一部か全部を捨てて、
再設計をし始めて使い方を新たな状況に合わせて変化させます。

それが正常かつ理想的な体の変化対応の力といえるでしょう。
この場合に知恵が体の使い方の要諦を多く理解して実用可能なほど身についていれば、
大きなデバイスドライバーというソフトの機能発揮の実情に合わせた最適化がされて
大ばけ小ばけしていけるような仕組みです。

つまり体の四肢が勝手に動きや姿勢を創りだすのではなく、
脳が運動神経系を制御することでそれらは動かされていき、
それらを動かすためのデバイスドライバーのような存在を、
私たちはどのように再インストールできるのかにかかっているのですね。


人により、
体の使い方のノウハウが認識されておらず、
今までの体の状態というデバイス面を書き換えられたとしても、
新たなデバイスドライバーを作らずに以前のデバイスドライバーに執着をせざるを得ないこともあります。

私が目に合わないメガネを無理矢理にかけて、
それで新調した理想のメガネを手に入れたが船酔い感で喘いでいた場合に、
取る方法は2つあります。

ひとつは、新たなメガネを使いこなせるように工夫してならすための努力を積むこと。

それは船酔い感を乗り越える苦しみや不快感があります。
ただし理性がこちらのメガネはよく考えられた信頼感があると捉えている。
そのおかげで安心して頭の位置、方向け、胸の張り方、首筋の状態変更、胸の左右への開き具合など、
さまざまな今までのメガネではせざるを得なかった体への歪みを塗りこんだ情報面の設定の変更をする。
これをしていけば、よりスムースに新たなメガネは自分の体の一部として馴染んでいくことでしょう。

もうひとつは、昔かけていた不具合の多く気になるメガネにかけもどす。
こうすれば、船酔い感は現時点であえいでいる消えます。
だがそうすることの損失は大きく、その理知に欠けた安直さは慎むべき。
「肉体」というハードを所有するユーザーとしての自分の課題として、
その局面を打開できるよう取り組み、
将来を見据えてほしい。。。

自分に何が必要で、何が不要か。
そこを今現在の、表面で起きる快・不快に迷わされず、
ディープに自分の心を未来へと送り出し、
そこで起きる感情の動きに息吹を感じてほしい。




体の部分的な筋膜が癒着し続けていたときに作っていた脳に書き込まれたデバイスドライバー。
「デバイスドライバーを再インストールする必要」が出るときがあります。
新たなデバイスドライバーを設計する技量も必要だが、
人体の設計思想にマッチしたものとして磨きがかけられた末のデバイスドライバーを再インストールしたら。


それで、私は少なからず人生観が変わりました。

そこに気づけた人は、幸せです。







最後に。。
歯を食いしばってでも、前向きに倒れそうになる振る舞いが必要があるときもでてくるときもあります。。。

体の使い方を教えるお仕事をしてなさりますお客様に、
先日、木刀の素振りっていいんです、あなたに必要です!と勧めました。

すると、鹿島神道流の重さのある木刀を買い込み素振りをして体を鍛え、
その途中で呼吸ができないほどくるしんだという人がいます。
ただそれでもまた再開してがんばってみるとおっしゃっておられました。

見上げた根性です。 期待してますよ!!   ^-^


ほんとうに、、、苦しいんですよね。。。
私も、そのようになった覚えがあります。
手の木刀を握る部位からタコが取れて血が滲むし
頭痛や吐き気で体調を崩しましたから。

ただそのような苦しさは、工夫により消えるものです。
工夫しているときに、体の変化が道の正誤を判定してくれるでしょう。

それは多くの剣の使い手が世にいることを思えば、物の道理でしょう。

研究に時間をかけて良いのです。
すぐに仕上げたりしなくていい。

時間は、たんと、ありますから、
一歩ずつ手の内側を納め、
体の細部の処さを俯瞰して眺め、
自身を鼓舞し続ける。

ダイエットでも、体重計がほんのわずかな体重差を図れるものを用意して、
理想は10グラム単位で少なくとも100グラム単位でわかるもので自分の変化状況を読み取るのです。
500グラム単位などでは話になりません。

多くは大雑把に自分の体内に生じている変化を捉えていませんから、
それで行く道の方向性を示す体の中のリトルドクターの声が聞こえていない。
小さな変化を感じ取り方向性を見出し、それを積み上げていくならば、
一ヶ月もそれが安定的に続いていけば、自分の現状を正確に把握でき、
磨き方がわかってくるようになります。

私は他者が見たら微妙な状態変化より自分を読み方向を安定して知り、
精妙に作動できるデバイスドライバーを自分の脳に描こうとしました。
実際、そのデバイスドライバーは思考の手を途中で離れ、
右脳によるヴィジュアル描画の際に触角感覚が同時進行で働き
その過程でプログラムが組み立てられていく実感があります。
そのプログラムが入った瞬間、
動きは変わります。

そのプログラムをするための要件抽出やらが、大変難儀するんですが、
そこの学習をするための観察眼を必要とするところを手抜かりがあれば、
偽物の成長が待っているだけでしょう。
やがて破綻をきたすのは目に見えています。

実利にあうような成長を、各個人が自分の内側を見つめて精妙な動作デバイスドライバーを作れば、
必ず誰もが手に入るものだと思います。

運動の方法を教えてくれる先生方の説も聞いてみて参考にするのは大切ですが、
地道な自分を知る探求の過程がなければ、
私にはその変化はあまりおもしろいものだとは感じられません。
posted by スズキ at 15:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 体の使い方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月04日

体の前後左右のバランスを整える腸健康法【後ろ歩き】の達人発見!!

ウソのようなほんとうの話。

後ろ歩きをするだけで、
体の左右差が小さくなる、
体の前後のブレが小さくなる、
よって姿勢が整えられる。

後ろ歩きのような、かつてあまりしたことがないような動作をするときには、
よちよち歩きをし始めた赤ん坊のように注意深くバランスを取りつつ、
どのように歩けば危なくないか重心が取れているか、そして快適かを、
体の感覚器官を総動員して極めようとする。

それが体のフォームが整えられた状態なんですね!

でも、、、。
ひとりきりで車道や歩道で後ろ歩きは人や車にぶつかってしまい危険。
で、広めの公園等で歩くのもひとりきりでもない限りは難しいだろう。


でも、、、。

高野山の奥の院ガイドさん。

そのガイドっぷりの楽しさもすばらしき一品ですが、

その後ろ歩きはお見事!!

周囲の特徴ある墓石、シロアリくんやらキリンビールの企業碑やらが立ち並ぶ公園墓地では、
墓石を眺め位置確認をしつつ後ろ歩きを続けている。
気配で自分の真後ろに人がいないとわかるから、
振り返ってみんなの進行方向を確認することもない。
普通に前に向かい歩くほどの歩調で後ろ歩きをする。

私がこのガイドさんを見ると、
体のバランスが絶妙に整えられている。

姿勢が整えられる状態では背筋が自然に背中側の伸筋が伸びることで息を吸い、緩むことで息を吐く。
すると胴体内部の脈管系が理想的に上下の重力にそって体液を流す滝のように落ち、
下脚からは筋ポンプにより噴水で空中に水が舞い上がるように勢い良く飛翔する。

これぞ、健康長寿の証です。


https://youtu.be/9yWurMT7jhk
【世界遺産】 高野山 奥の院  完全ガイド付き @  World Heritage Sites in Japan 【koyasan】



https://youtu.be/u7FG6W0YyG8
【世界遺産】 高野山 奥の院    完全ガイド付きA World Heritage Sites in Japan 【koyasan】




余談ですが、
姿勢と呼吸の関係について。

肛門を上に引き上げると自然に背中の起立筋が上へと伸び上がろうとする。
(※正確に言うと、骨盤底筋全体を前後左右を把握して肛門挙筋だけではなく内閉鎖筋を使うのが正解)
(私の感覚的には骨盤隔膜といえるような骨盤の下端を形成する隔膜部分を引き上げる感覚です)
(ただ他の気功の本や丹田呼吸法の本、ヨガなどでは直腸を発生学上に原始的なものとなされて)
(「肛門を」と解説しているところがほとんどだが、)
(個人的には内閉鎖筋を使って骨盤隔膜を持ち上げるのが正解だと、今(2017年3月4日現在)の私は考えています)
その状態に置いてから、次に横隔膜を下方に下げて下腹部内部を圧縮しよう。


私が座禅をするとき。
座すとき注意する点は、
簡単にわかりやすく言えば肛門部を上に持ち上げた状態で3分間ほど維持すること。
それで首筋や肩に蓄積した緊張が徐々に抜け落ちていくことが感じられる。

すると気づけば、
下腹部あたりが「実」で、肩や首辺りは「虚」のような状態になった感覚を味わえる人もいます。

体の深層筋がある程度緩んでいる人は、このような「上虚下実」を姿勢の基本とします。


ただし一つだけ注意が必要です。
肛門を上に引き上げる操作をするときに、
すでに「尾骨が曲がりがきつい方のとき、偏差が出てくるときがある。
そこは注意深く自分の体にあわせて研究していく必要があるでしょう。
調整を先行させる必要があり無理をしてはならない人もおられるのです。


ただし尾骨がある程度の歪みがあったとしても、
その周囲の関節や大殿筋や外旋六筋群などの筋や尾骨を取り巻く靭帯群が緩んでおれば、
この丹田呼吸法は一定以上の成果は期待できるでしょう。

すでにボディワイズのほうである程度その周囲をリリースを受けていれば、
丹田呼吸法をやってみて姿勢や呼吸の快適性を求めることもできるでしょう。



これがベーシックな『胆力』と申しましょうか。

肚に圧縮した力を呼吸をするときに風車を回すイメージで気を回転させて流したり、
流動的に動かすことで、全身の制動を統合させることが武道では求められています。
または姿勢に気を配らなければならない楽器などをしておられる方にもいいですよ。

肚(下腹部の圧縮部分)に注意を払い活かすこと。
呼吸力とか、気を揺り動かしたりまわしてみたり。

実に繊細極まりない操作ができるようになるよう、
修練を長年にかけてしていくわけですね。


体の中心部の真ん中に設置してある会陰部(肛門部)を意識し、
中心軸の下端のマークとして、そこを把持して作動させるのか。
そちらを使うような意識領域を脳に習得させていくことで、
一般の方々がなさる動きは手足で尽きる意識とは異なるステージにあがることとなるでしょう。


posted by スズキ at 11:23| Comment(5) | TrackBack(0) | 体の使い方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月26日

動き方の『気づき』だけでは体は変えられない



人の行動が変わるきっかけとなるのが、
「あっ、そうか!!」というような気づきをえたことによると思われます。

たとえば、
立ち居振る舞いのなかで、
この「あっ、そうか!!」とかアハ体験とかいわれるような感情が動くような発見をするほど、
そこへの関心が深いものでなければそのものの内的理解の深さは浅いものですから、
気づき得たとしても記憶の領域に刺さりにくい。

それは実際はそのものの自覚によって左右されるものですから、
以降、少しずつ自身の身を立てる気持ちで理解を深めるように。

他者が与えることができる理解は、
自分の知識レベルがそれに見合った分だけ受け取れる仕組みになっています。

それは簡単なことですよね。
小学一年生に、大学一年生の高等な物理の問題を解けといわれても目を白黒させるでしょう。
そのときどきにあった自分の学びの進ちょく状況にあったものしか受け取れないようにできているものです。
それは別に「良い・悪い」の問題ではなくて、
少しずつステップアップしていくかどうかの課題を自身が取り組むかどうかでしょう。
今の自分にあったテキストを、それぞれが選べばいい。
たとえ今は習熟度が小学一年生でも、学ぶ熱意があれば飛び級だってあるでしょうし。
あきらかに高度な知恵や知識を得られるようになれば、身の処し方も変わってきます。
体の使い方の学習は義務教育じゃありませんから、
どのステージに自分がいればいいかについては自分が選ぶ問題です。

私の体の使い方の指導も、
強く打てば強く響き、弱く打てば弱く響く。
それが正解で、無理矢理にでも高いところを学ばなければならない、
という押し付けが行き過ぎるのはよくないように考えています。

そこは私はじっくりと自分の状態を知り、
そこから表面上の知識ではなく体験をともなった学習でペースを守って進んでいくようにしたほうがいい。

時間がかかったとしても、他者から受け売りの知恵や知識は、
自身で噛み砕いてみなければ意味がないし役立たないでしょう。

プールで泳いだ経験がないのに、座学の本だけで泳ぎをマスターするのはせよというところですよね。




もしあなたが身体操作の知識や知恵や体験値が身に備えられた人へと移行できたとき。

動き方の良質なやり方の模索をするときに、
いくつもの気づきを得るでしょう。
動きの基礎を得られてくると、
自然に体の操作をこうすればいいんじゃないかとひらめき出すのです。

自分で得た気づきは、
そのまま自分の脳に書き込まれて、
スムースにそれが使えるようになることもあります。
そのような『気づき』って、大事だといいますよね。

でも気づいただけではイメージしただけで実践がなければ、
やはり定着率は低いですね。

そして他の人から教えてもらった動きから『あっ、そうか!!』というときがクセモノです。

一瞬腑に落ちて、気づいてわかったような気がするのですが、
それがそのまま身につくかといえばそうではないのです。

私にも経験がありますが、
本で読んでみて感心した身体操作も、
早々に記憶のメモリーから消去されてしまう。
結局、本を読んだ時間がかなり浅い利益しかなかった。


そんなときに、コーチングを学んで知ったことですが。
セルフコーチングを自身でする気構えがあるかどうか。

そこ、重要です!


身体操作も、
気づくことが大事、大事と叫ばれることもありますが、
コーチングの世界では、
気づきが人を変えるとは考えない。

それはどういうことか?

気づいたとしても、そこから得た知恵や知識は、
自身の意識をシフトさせる瞬間を与えるだけの
印象を得るには弱いのです。


人が気付きから得た身体操作の変化を定着させるために、
結果として後にどれだけの時間をそれに割り当てたのか?
というところを重視するのですね。

コーチングセッションを受けていただければ、
そのようなときは、
「やってみて、どう感じた?」 
そして
「さらにそれを改善するには?」
という流れを重視します。


そのような体験学習に十分な時間をかけたものが成果を生む気付きと呼ぶべきものといえる。


一見すると、そんなの当たり前じゃないかといわれそうですが、
気づき知っただけで満足して終える人がほとんどなんです。
そのアイデアが時期に記憶からこぼれ落ちるか、
メモを取ってもやがては死んだ知識に成り下がるか。

そのような扱いになってしまった経験て、ありませんか?


おそらく、私自身、アイデアを思いつくことは相応に量がでてくるときもあるのですが、
そのようなものを気づいても、
自分の体にそれを体験させて身に染み込ませて改良を加えるほどまでは、、、。
正直に言えばできていなかったことも多いと思います。


気づいたあと時間をどのように使うかが、気付きの価値を左右するものです。


コーチングを継続的に契約するときは、
気付きが得られたとクライアントが言えば、
もし実際にやることが困難な難しさをともなうものならば今日明日にできる簡単なステップに分けて、
それをやってみたら次回のセッションかまたは早々に連絡をいただけますかと間髪入れずに頼みます。

そのようにコーチという人を介することで、
気づいたあとにそれをもとにした行動に時間を費やす大切さを学ぶことができるでしょう。

単純ですが、このような体験学習に慣れていくと、考え方の進度は一様に早くなり深まり、
無理なく自分の得たかったものが身に備わる経験をするはずです。

気づいてもそれが意識から流れ去りつつけたもったいない状態であった不毛の大地から、
気づきから自分の意識を大きくシフトさせるほどの大きな変革にまで繋げられるもへと。
コーチングセッションを受けて、それを体験していくことで人が成長するということは、
ここにもひみつの一端があるのです。

数度のコーチングセッションから
気づいてからそれを噛み砕いて実践する時間を費やす約束をして実行する習慣を持つことが、
どれほど自身に大きな見返りをもたらすかを体験してびっくりしたり喜ばしく感じられたり。
私も、そこは実感しました。

違いは大きいですね。


芸能人の武井壮さんは、
自身の身体トレーニング法も、
独自の気付きから多くの成果をえているそうですね。
そのようにテレビで見たことがあります。

武井氏は自分で気づいたことをそのまま流さず、
独自に後のトレーニングメニューに落とし込み、
確実に気づきから飛躍するタイプだと思います。

本来は武井壮さんのようにセルフコーチングが、
自主的にできるような精神力や意志力があれば
どれほどすばらしいことでしょう。


習慣の改善や実行性をともなわなければ意味のない気付きもあるでしょう。
もちろん、気づきの効果的な活かし方は体の動きの修養以外にも同様に言えます。
気づいたあと、それに対して気付きに基づいた課題を出してそれを実施すること。


何事でも「アウェアネス(=気づき)」は大事ですが、
気づいただけではではなにも動かないし、生まれない。


気づきを得た後に時間をどう使用するかが、
単に気づきを得るよりも何十倍も大事です。
posted by スズキ at 05:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 体の使い方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月13日

オーケストライクな脊椎ムーブメントは首の黒子が作る

オーケストラが、
すばらしい演奏を披露してくれるには。

楽団を構成するものたちが、
それぞれ独自の役割を持ち、
課せられた仕事に専念する姿がある。

たとえば東京フィルハーモニー交響楽団には、
多くの楽団員が在籍しているでしょう。
なかでも指揮者は花形の職業でしょう。
楽団のホームページをみれば指揮者の存在感は大きく扱われ、
ドーンと全面おしされていますね。
すると指揮者がいて、あとは楽団員がいて、というように早合点したくなります。
ですがそれだけでは、いい演奏会が実現できないようです。
実際は「これまでの定期演奏会に登壇した指揮者一覧」という東京フィルハーモニー交響楽団の
ホームページをみれば、
多くの指揮者の方々が掲載されています。

定期演奏会で指揮をする指揮者は、
常任されているわけではありませんから、
比較的短期間での楽団との関わりになる。
楽団員のひとりひとりの状況をつぶさに把握して人間関係を何年も前からの知り合いであるかのように、
互いを知るようなことも難しいでしょう。

それに楽団員も数多くの定期演奏会に登壇する指揮者について、
常任の指揮者と同様でいこうとするのにも無理があるでしょう。

すると
「指揮者」と「数十名もの壇上に上がる楽団員」との間に、
中間管理機構として「バンドマスター(=バンマス)」という縁の下の力持ちが必要になります。
「指揮者」と「数十名もの壇上に上がる楽団員」の両者をサブリーダーとして双方の情報を把握し、
中間地点で掌握、情報を適切に編集しつつ中継し伝えます。
そのような遂行する役目を担う存在がなければ、
大所帯のオーケストラは統一感ある成立にまで
短期間でクォリティ高くなれるまでたどり着けないのでしょう。

つまり

指揮者 ←→ バンマス ←→ 楽団員

指揮者-バンマス-楽団員.jpg

このような仕組みになっていることを把握してくださいね。


次に、人体の脊椎操作をオーケストラの指揮命令系統と同様にたとえて考えてみましょう。

指揮者 ←→ バンマス ←→ 楽団員

それに呼応するのが


頭(=指揮者) ←→ 首(=バンマス) ←→ 背部(=楽団員)

ボディ指揮系統のレトリック.jpg

となるでしょう。

首が頭部の進行方向の指揮を背部に伝えます。
背部の支が頭部を支える力を首が中立ちます。

頭と背部の中間管理職として首が双方を熟知してベストな連携をしてくれる。

そして首には頭部のもつ脊椎操作をかなえるコンダクター役を擬似的にかなえる強力なパワーを持ち、
同時に背部の頭部を支える仕事の直接的仕事を操作的にかなえているのもここの部分に集約されます。

つまり頭部や背部に直接置き換わるものではないが、
その両者の機能をかなりの割合で併せ持つ存在が首。

両者の役割を身をもって知っている首だから、
うまく脊椎全体の統合的操作の裏ボス的存在。



優れたバンマスがいるすばらしいオーケストラのシンフォニーを聴きたくありませんか。
それと同様にあなたの首が頭部と背部を絶妙に関連付け一体感を醸しだしたときのシンフォニー。
超絶かっこいい自然体を体験してみたくありませんか?



それをかなえるのがの役目なのです。




首は、精神的ストレスが募り緊張すればすくんでみたり、
スマホを頭を前にたれて覗き込み操作を続ければ負担を蓄積していきます。
デスクワークのお仕事で、やんごとない状況で疲労していく場合もあるでしょう。
すでに首の深部に負担をもつ方が多くおられるのだと、お客様に教えていただきました。。。



首の役割を、
頭部との関係と、
背部との関係と分けて分析をなさってください。
そして不断にオーケストラの名演奏を奏でつづける裏方として首を機能させるよう訓練していってください。

首のお役から目を離さないことです。
頭部への伸びやかさと中心軸を感じ創りだしつづけるのです。

自律神経系の良否も、この意識から効いてくるといえるものだから。

最後に、参考までに。
私がヤムナボールを利用してヘッドマッサージをし続けて感じていることは、
首の緊張は頭部の頭皮や表情筋、特に顎関節周りの筋肉の凝り化が強ければ、
その強さに比例して快適性を失うようだと感じられました。
首に意識を向けにくい方で、
相応にすでに筋膜リリースを受けて緩んでいる方や、
もともと柔軟性が高い方々はヘッドマッサージが首への意識を高める助けになるでしょう。

ただ腰背部の筋や臀部などの筋肉群が硬化が著しい方の場合は、
深めにヘッドマッサージを取り組みすぎると、
かえって頭皮が胴体部分の硬化萎縮した筋肉群に引き下げられて、
頭部の縫合の開きが悪化するものです。
ですからそのような背部が硬い傾向がある方々は、
逆効果になる恐れもあります。
先行して背部の筋膜リリースを受けることをお勧めします。
posted by スズキ at 14:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 体の使い方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする