2024年09月07日

鎖骨の凝りがあれば、すなわち手がうまく使えてない証拠なんです。。。

みなさま、今日は東京、また暑い日となりましたね。
私の知り合いが、いきなり高熱で休養をとることとなりました。

中国の五行説では、木・火・土・金・水が代表的ですが、様々な事象を五つに分類し性状をとらえて理解する考え方があります。
日本の季節は四季にわかれ、春・夏・秋・冬ですが、
春や秋は過ごしやすい時期ですが、夏や冬は厳しい環境下で耐えて生きるときです。

五行思想では、夏にもうちょっと変わった長夏が加わり、春・夏・長夏・秋・冬となります。
夏の厳しい暑さが過ぎてホッとした頃に、夏で獲たダメージの蓄積が秋にどっと負債を支払うごとき風邪をひくことで体に休養を与えて休めようとします。
そのようなことがありますが、今年の夏や長夏はあまりに暑すぎたため、秋になり休養を得ようとして体が風邪をひいて休みたいという人も増えているのではないでしょうか。
皆様も体調管理でつらい発熱をなさらないよう気をつけてくださいね。



話が変わりますが、
手に不調を背負う方がおられます。
器質的に問題があるというわけではなく、
使い方にミスがあることに気づかれずに使い続けたうえでの不調です。
テニス肘、腱鞘炎、五十肩から指先や肩や手首等のしびれや痛みなどその他、様々、
使い方に問題があるようなら手に不調感がでてまいります。

私どもの方では長時間にわたる指導をさせていただくまでの講習会を開く時間的余裕がありません。
ですから基本の基の前段階で知っておいてほしいこととして、
伸筋と屈筋の別や腱を使おう等のわかりやすいところをお客様の様子をみてお伝えします。
ですがもともと手の使い方の癖は、肩甲骨、鎖骨が静止させて肘や前腕を動かそうとしておられる。
そうした使い方をすれば、必ず不調になるんです。。。



鎖骨、肩甲骨、上腕骨、前腕骨の順で動かすべきところを、
鎖骨と肩甲骨をフリーズさせるどころか強固に引き上げつつ固めて前腕ばかりを使う。
そのようにしていれば鎖骨に凝りがこびりつくわけです。

たとえば鎖骨を停止させたまま腕を使う癖がすごい方の場合、
鎖骨の上を通る広頚筋という筋肉が鎖骨に癒着するのです。
そうした癒着が進むことでさらに鎖骨が使い勝手が悪くなり、
そこを使いたいという気にはならなくなってしまう。
それは鎖骨の上にある広頚筋が癒着したと同時に、
鎖骨下の鎖骨下筋も鎖骨と肋骨の付着点間で癒着して動けなくされているため、
動かそうとする気配がなくなっていくのです。

そのようなときに鎖骨部分のそれらの癒着を触られたら、強い痛みを感じてしまう。
この時点で、手がうまく使えない使い手となってしまい肩こりや手の痛み等が出る。

手の使い方の基礎ができていて理想のままであれば、鎖骨をゴシゴシされても無痛ですし、
なんかすっきりした気持ちよさを感じるだけなんです。

そのことを忘れずに自分が得た手の不調を感じて、どのようなパターンで動かしていれば不調になるか、
他の不調と言っている人たちの様子を観察してください。
そして手の使い方の基礎ができている鎖骨の凝りがない人の様子を具体的に観察してください。
そこを自分で観察する気持ちがある人は、必ずや改善が図られる人たちです。
その差異を認められたぶんだけ、使い方の再学習ができるようになってきます。

チャットGTP などで、使い方のノウハウがサクサク語ってもらえるかもしれない時代です。
ですがわかったつもり程度の意識変化では、すでに何十年もの間、何百回、何千回、何万回繰り返された慣れ親しんだ癖ある手の使い方を手放せるほど、人間は革新的な脳を持ち合わせてはいません。
先生からノウハウを得て研究の指針とすることはおすすめできることですが、
それもしょせん、他人の浅知恵と思ってください。
自分の身体について徹底して深い理解ができるのは自分だけですから。
先生も、今現在の自分自身が必要とした研究成果を部分披露しているだけに過ぎません。
私がいうことも、そういった類のことです。

自分自身で、まずは答えを拙速に得なくてもいいというスタンスで思考と観察を深めていきましょう。
そうしていく段階で、ポツッとひとこと言葉が出ると思います。
「あぁ、あの使い方してたら肩も壊れるもんだな。。。」と。
なんだかバカバカしいことを至極丁寧に三度三度繰り返して傷つけてたかなったんだ、
自らを傷つけるなんて、そんなことをするのはまっぴらごめん。
そんな気持ちがふつふつ湧いてきたとき、癖が一つ手放せます。

ただ癖って一つきりではなく、多数ありますし、それぞれ個性的で、自分しかないくせもあるし。
そういったものを一つずつ、丁寧に取り除くことができた分だけ、自由と快適さを手に入れるのです。

そうやってトラブルが起きた理由が腑に落ちたとき、
人ははじめて今まで保守的に繰り返し続けた手の使い方の癖を捨ててくれるでしょう。

ちなみに、足の使い方も手の使い方同様に癖が入り込んでいて、
腕では鎖骨が凝りのトラブルがでるように、足では鼠径部に凝りがはびこりますので。
鼠径部にトラブルのような凝りがあるときは、もっと足の使い方を改善できる余地があるということを表しています。
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2024年08月21日

重力の中で動いたり、働いたりしていると、僕達の身体の機能は前へと引っ張られる傾向がある

人は重力の中で動いたり、働いたりしていると、
身体の機能は前へと引っ張られる傾向が出てきます。

たとえば長時間のデスクワーク中は、
自身の前や斜め前にあるパソコンに向かいます。
重い荷物を胸に抱えたり手に下げて運ぶときも、
自分の前側に重力を感じて働いております。
新聞を見るときも本を読むときもそうです。

私達の活動の大半は身体の前側で作業をおこない、
前へと引っ張られていく沼にはまりやすいのです。


すると気づかないうちに、
身体の前面が萎縮して凝りだしたため背中が丸まりだしていく。
(猫背、巻き肩)となりつづけてしまうのです。


だから施術による重要な改善点は、
ピサの斜塔化した倒壊傾向を含んだ身体をまっすぐ垂直に立つようにすること。
前へ引っ張られた身体を、
施術で後ろへと引っ張り戻すことが大事だといわれることもありますが、
自身の身体が前傾した状態が楽に感じて手放そうとできなくなった人に対し、
まっすぐ垂直に立つ経験をしていただいて、自分でどうしたいかを感じてもらう。


・呼吸はどう変わったか。
・足裏の重心はどこに落ちたか。
・目が捉える風景はどう変わったか。
・肩、首、腕や腰などには緊張の変化はあったか。
・そしてまっすぐな姿の自分と猫背巻き肩の自分の画像をみて、どう感じたか。


それらを含め快適か不快かを感じ取りましょう。

不快なままでいいわけがなく、
快適な身体で過ごしたかったと欲していく。
快適になる自由が与えられていたことに気づくこと。
またはそういった自由を自分の身体に認めてあげること。
そうした姿勢、センスが磨かれたならば、
身体は自然に癒しへと向かうでしょう。


各人が自分の身体の声を聞いて、
その声にしたがっていく。

そういった聞く力を取り戻していきましょう。
そこに気づけば生きる実感が増して、その光明を受け取った結果、自然治癒も始動します。


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2024年07月15日

ゆたかな身体を手に入れるには

自動車はドライバーの運転により、すぐに壊れもしますし、長く快適に乗ることもできます。
できたら長く快適に運転できるようなドライバーとなるドライビングテクニック。
きっちり学ぶ機会を得て、思う存分、ドライブしてみませんか?

それは人体の操縦者として、快適に活用し続ける姿と似ていることでしょう。




話が本題へ。

トレガーアプローチに、確か去年年末辺りか、関心を持ったことがあった。
それはハンモックを使いつつトレガーアプローチをしてみたら、どう?
そうした着想がひらめいてのこと。


そこの情熱はすでに冷めたものの、
当時、トレガーアプローチのファシリテーターさんに連絡をいれて、
セッションを受けられればとお願いしたいが男性は無理という返答。
そこで実際のセッションを受けることもなく、
後に何かございましたら、ということになり。


そうしたところ、数日前のこと。
トレガーアプローチのワークショップ(体験会)の開催を、
メールで連絡をしていただきました。

日程的には8月18日という日曜日だったため仕事の営業日。
それで参加を迷うところでしたが、
あたらしい体験知を受け取る時期と信じて参加申し込みしました。



私達は型通りのパターン化された動き方を持っています。
誰かに動き方を教わったわけではない。
でもなんとなく動けているから、
よしとしようというモードです。
(フェーズ1)としましょう。

特徴として、
無理・無駄・ムラある不合理な動き方でゴリゴリやってのける。
身体の中に凝りを作る人達の100%はそんな癖に翻弄され、
気づかないうちに、身体を壊して固めだした。
後天的に得た凝りの正体の過半数はこれです。


フェーズ1で起きることは、
外的要因により得た怪我ではなくて、
内的要因により作り出したトラブルです。
不合理な負担を強いる動作や所作、姿勢から得た身体トラブルは、
永遠にそれを変えるまで同じことを繰り返します。



内的要因で身体を壊してたと失敗に気づいたなら、
それを辞めてください。
ただし辞めるには代替え品を用意すべきでしょう。
そこまでを(フェーズ2)としましょう。

たとえば、
歩くと脚腰が痛くなる方がいたとします。
今までの歩き方のパターンを検証します。
そこから改善点を得て、ポイントを絞った変更の手を加えます。
歩く動作なんか不要で歩けなくていいのだというわけじゃない。
これが(フェーズ2A)としましょうか。

そのステップが更に大胆に推し進めれば、
原因論的な問題点の検証をしていく過程で、
さらにいびつな歩き方が誇張されるものと考え。
すっぱり、今までの歩き方を封印して、
まっさらな白紙の赤ちゃん脳に戻って、
良質な歩き方をひたすら観察させます。
観察して情報量が十分集まったあとに、
それを真似た動きをトライしてみます。
これを(フェーズ2B)としましょうね。

ただし(フェーズ2)では、
手本となるサンプルを目利き力で選べる程度で変わります。

目利き力が不十分なうちは
〈こっちの水は美味しいぞ、あっちの水はまずいぞ〉と、
不十分な知見を持ったもののいいなりになり混乱するでしょう。

そのようなときに、
3年かけてとか5年かけて探し求めた立派な師匠がいてくれたら、
いかに危機を回避して成長を約束してくれるでしょう。


(フェーズ2A)は、やがてやり尽くしてしまえば頭打ちするもので、
いつかは(フェーズ2B)へと歩みを進めなければなりません。
しっかり基礎を積んだうえで自然界を澄んだ眼で見れるか。
そういったセンスがあるかどうかなんでしょう。

(フェーズ1)にいる人は運動神経バツグンの人を除きビジター、
ビジターとは、自分の身体の操作に注意を向ける習慣は少なくて、
注意を向けても誰かに言われてしぶしぶ。
運動改善に興味関心が薄く主体性が欠けます。
ハードルを低く下げた運動注意を与えることが大切です。
ハードルが高ければ反発心が起こり、関係性をくじくからです。

(フェーズ2A)か(フェーズ2B)にいる人はカスタマイズした
行動を促進させるカスタマーと呼ばれるでしょう。
カスタマーでは、多少ハードルが高い無茶振りをされても、
いい刺激と捉えて成長の糧として取り組んでくれます。

ビジターから、そうそうカスタマーへと姿勢が変われれば上々。
ビジターにステイしている人よりもカスタマーにいる人のほうが、
施術を受けた上での変化に開きがあらわれてきます。




豊かな身体を手に入れるには、
(フェーズ2)以上へ常にとどまり、
身体を育て続けて刷新を受け入れる柔軟な姿勢が鍵となります。



最後に、
友人から頂戴いたしました月刊秘伝6月号の表紙の室伏広治氏。
筋骨隆々で端正な顔立ちです。
割れやすい紙風船を両手で挟んで、
腰部あたりでひねりを加えた空気を使った「全身トレ」中の姿です。
(フェーズ2B)の自身の脳を白紙にして
新たな絵を描く赤ちゃん脳の持ち主って、
こんなタイプの人なんだろうなと感じます。
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2024年07月14日

小手先の動きから脱せるよう、先師は『あなたがそこは自分で研究し、発見、習得せよ』と微笑んでいるのでしょう。



『〈小手先の動き〉じゃダメだ、ダメだ!!』
私はそう、一括され続けてきた。

体幹を活用して操作しようと模索したが、
うまくはいかなかった

研究から多少の向上は日々起こるのだが、
根本的なところが抜けていることがある。
体幹から操作する達人の動きを映像や実際に見れば、
自分が見当違いのままであることは明らかです。

たとえば、私はかつて呉氏八極拳の呉連枝老師の映像をみるや、
動きの完成度に驚きほれ込んで、DVDやVCDを中国書店ですべて購入。
時間があれば、しょっちゅうそれら映像を繰り返し視聴していました。
一度、呉連枝老師の講習会へ見学で足を運んだことがあります。
連綿とした身体操作をかなえる緻密かつ大胆にも繊細にも変化する所作。
実際に目の当たりにしたショックで、意識朦朧としながら帰宅しました。

これは20年ほど前のことです。



呉連枝老師の巨大な腕っぷしで、
信じられない爆発力を持って人を吹き飛ばす力も出す。
同時に私にさらさらさらっと筆で色紙を書いてくれたときの
細やかで流々とした筆さばきで見事な字句が綴ることができる。
小手先じゃないから、そうした両面を自在に操ることができる。

そうした呉連枝老師の姿を実際に目の当たりにすることができ、
ほんとうにそれが幸運でした。




『どうやったら小手先の動きから脱することができるのだろうか?』

いまも研究しています。
体感的に小手先の動作と体幹よりおきた動作の違いに気づくことがあります。




小手先の動作で施術をするときには手元がやっぱり気になってるんですよね。
そして体幹を忘れている。
胴体と手の主従関係を取り違えている。
非力感が否めないなか、より力をグイッっと発揮させたいとき。
手先の感覚は失われ呼吸が止まります。
さほど思ったほどの力がだせてません。
この状態で無理な力をお客様にかければ、
悲惨なことになりますから、
そこは自分の力量を判断しながら制御する必要がでてまいります。
当然、パフォーマンスは落ちます。


対して小手先の動作を離れ、理想の操作で施術ができるうようになるとき。
体幹の胸の中心の一点を上下左右前後と安定させる状態を得る。
この一点をわずかに操り、大胆にも繊細にも変化可能に動ける。
手先の柔らかさや緻密な操作、足の運び、腰部の回転が自動制御されだす。
すると小手先の動作ではかなわなかったリリースができてくる。
その感覚は、未熟なものの、なんとなくつかめました。

胸の中心部に設置した一点を精度を高めれば、
バランスを管理しつつわずかにそこを動かせば動作は起きる。
無念無想で物理的な正確さを極めたバランスに注意を向ける。
そうした精度が高まれば高まるほど、そこをほんのわずかに操作すれば、
さらに小手先の動きから遠くなっていく。

それがかなうと米粒に墨絵を描けるほど、
繊細な身体操作までかなえられるようだ。
私の身体内部の感じでは、
ギヤがある自転車を乗るような感じで、
操作上の必要に応じて
ギヤをローに入れたり
ハイに入れて操ることができる。





いま、私の施術が以前より衝撃や負担が少なくリリースが飛躍したのは
小手先の操作から抜けるヒントを得られたことが大きいのです。
施術技術の向上もありますが、年々高度な技術に取り組むこともあるし、
身体操作が向上したところから生み出される施術技術が7割方ですから。
小手先の操作をするしかない者が、
自身の身体理解の限界があります。
そこで発想する手技しかできていなかったが、
『小手先の操作を抜けたあとのお客様の動きは、
 本来はこうあるべきだから、そこへ送り届けよう』
そうした視線でお客様の身体を観察して改善点を発見し、
解決方法をチョイスして状態改善の道へと送り届けます。


小手先を使わないというための体幹からの操作が大事だ、
これはいろんな教則動画等を観て語られるも、
実直にそれをしたつもりがどうしてもしっくりこなかった。
だから先師たちは後進者に対し、
『あなたがそこは自分で研究し、発見、習得せよ』とする。
そうした課題を解く楽しみを残してくれたのだと思います。
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2024年07月13日

素の状態を知るトレーニングに禅、それともDAISOで買ってきた水平器を使う?

私の両親の墓は香取神宮から歩いて50分ほどの場にあるため、
墓参りのときは必ず香取神宮に参拝し、
香取神宮奥宮から目と鼻の先にある
天真正伝香取神道流の創始者 飯篠家直のお墓参りもするようにしております。

天真正伝香取神道流(てんしんしょうでんかとりしんとうりゅう)は、
室町時代中期に飯篠家直によって創始された武術流儀です。


武神として名高い経津主神を祀る香取神宮の近くに道場を構え、
かつて武勇を競う武芸者が手合わせを願い訪れたといいます。

当時の手合わせは、命を失う、身体が切り刻まれて半身不随。
それが当たり前にあったのですが、飯篠家直は戦わずして勝つ工夫をしていました。
生い茂る熊笹の上にゴザを敷きます。
普通、熊笹が茂っているとは言え人の重さが乗ればどうなるでしょう。
なだれ込むようにゴザごと地面に叩きつけられること必定。
それを軽々と飯篠家直は座して微動だにせず。
訪れた武者修行をする武芸者は一瞬にして常人ならざるものと悟り、
手合わせをせずに帰ったといいます。

まさに飯篠家直が理想とした【兵法とは、平和の法なり】を、
自ら圧倒した力を見せ、戦わずして勝つ兵法を良しとしました。


「真実の武道は人の心にあり、人の道である。
心の中が善であれば、武芸は人を助け世の中を平和にする。
したがって自分自身を完成された人間に近づける努力をしなければならない」
と門人たちに諭し、心身鍛練の術として武士から庶民まで広く教えたとされます。



ただ飯篠家直が不思議な能力を持つ得体のしれないものだから
手合わせを願うものが引いたというのは拙速です。
ただ、こんなのはできるはずがないから作り話だというのも、
自己の既成概念でしかモノが見れない自覚がない者です。
だってそこの熊笹の密生の度合いや、飯篠家直の体重や、
その他多くの様子を存じ上げもせず断言するのは乱暴です。
それでは思い込みがぽっと口に出るタイプの人の証明です。^^


身体の前後のバランス、左右のバランス(水平軸)、上下のバランス(垂直軸)を
極限まで歪曲化した癖を捨てて精妙にあわせられたならば、
小手先での技の繰り出しをする必要もなくなります。
バランスが絶妙に取れた状態のところから、
そのバランスを意図的に操作して動作するときのみ、
まとまりある運動操作がなされます。

これを私は勝手に(素の状態)に還るといってます。

無為に動作すればタフで強靭な、遺伝子が準備した通りの身体力が発揮されます。
身体バランスが精巧に整えられたポジションを筋肉や靭帯、骨格で得られた場合、
自動的に身体は中心部から動きを筋肉を連動連鎖させる形で働き出します。
動きの流れを止めず、呼吸もすこぶる健やかなまま、意のままに身体が操れます。

それが(素の状態)です。

実際に外部から素の状態に近くなるような筋骨格の位置を操作して、
そのものへと動作をさせたとき。
格段なる力が内に秘められていたことに驚かれるでしょう。
別段、無理に筋肉のリミッターを外して身体を壊さなくても、
普通に超人的な力がサクサク繰り出せるでしょう。




後年、剣禅一致の精神として、剣を振るときに禅の修行を並行して行ってきました。
勝海舟が若かりしとき。
本所から王子神社まで歩いて通い、
日々、深夜剣をふるい禅を組む行をしていました。
晩年の勝海舟は『かつて私はそうしていたから身体の丈夫さが続いたんだよ』
といっておられました。
素の状態は肉体の癖やこころの思い込みや精神の壁をなくしていこうとする修行のようなものです。
禅で肉体が素の状態の精度を上げるようにするセンスを最大限に発揮させることと、
それを下地に剣を振ることで物理的な変化をモニターしていく。
そして素の状態をさらに磨き深めていく。
月に数度、洗足池にある勝海舟の墓前で手を合わせるとき、
勝先生はそんなことをなさっていたと、かってながら夢想している次第です。

ただ、私が禅をしても、もともとの体癖によって崩れたものが大量です。
禅をしても、素の状態を取り戻す感覚にはなかなか至りません。

なので、DAISOで買ってきた気泡が入った水平器(水平、垂直、前後がわかる)を工夫して使い、
自分の骨格の位置のズレを丁寧に補正等を試みています。
IMG_20240713_122515~2.jpg
この体の正確な軸を取り戻すトレーニングは非常に地味な作業です。
ですがこのトレーニングをしてから施術をすると、
施術成果が倍になって跳ね上がります。
これも単純な施術に見えても真似がしづらい秘密のひとつなんです。








稀代の剣聖として名を馳せた飯篠家直に手合わせを申し出た武芸者。
彼らはみすみす切られ役を演じたいわけではなく、
しっかりと修行を積んできたツワモノです。
それゆえ素の状態に至るときの快感を知り、
自分にはそこの段にはまだ先がはるか向こうにあるとわかっていた。
武芸者も立派なもので、真の凄さがわかった。

先に達したと直感するパフォーマンスをした飯篠家直が現れたから、
恐れ入りましたと引くことも恥ではないと退散したのでしょう。




個人的にボディワークにてお客様に対し願うところは、
お客様が素の状態を探索、探求するおもしろさやたのしさに気づく援助がしたい。
手技ではお客様の内部にできた素の状態を遠ざける不必要な状態を改善していく。
そういった素の状態があるのかなぁと興味を持っていただき、
ならば自力で素の状態を高めると同時に、
ちょっと時短を目論んで施術を活用してみようかという方が増えるというのもうれしいですね〜
posted by スズキ at 12:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 体の使い方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年04月29日

身体移動操作のひとつの原始的なカタチから、二足歩行を見て学ぶこと



ボルダリング映像のサムネイル画像をご覧いただくと、
右側体側が縮められ右の手足が近づき、
左側体側は伸ばされて左の手足は離れています。



https://www.youtube.com/live/wn0x6-GywWA?si=LmBd1bXKEA4SaNu9

このような手足の出し方は、
赤ちゃんがはいはいしはじめたころの所作と似ています。

胴体の体側の一方を縮め一方を伸ばすことで、
スムースに手足に長い距離を与えて移動するやり方です。

自然に脚の体幹部にある大腰筋と腕の体幹部にある広背筋が活用でき、
胴から離れた手足は脱力して身体を地面との接触するつなぎとして使います。

昨日のお客様が山登りをしていて、ときに膝が痛むと申されていました。
山登りにも、基本、このような身体操作で行えば、タフでいて重心を一定にして登る助けにもなります。
膝の痛みがおきる場合、腸脛靭帯や外側広筋、大腿直筋などばかりを過剰に使っておられ、
大腰筋が活性しておりません。
大腰筋が働き出すような骨盤、腸骨操作がなされれば、
自然に大腿部の大腿直筋のような膝痛につながる屈筋群を過度に使い負荷を貯めることもなくなります。

二足歩行でもこのようなボルダリングでおこなわれる身体操作を活かすことができますが、
そうするにはいくつか発想の転換が必要なような気がいたします。

胸骨の操作、そして頭部の位置や目線の方向など、
そして脚や腕の重みを振り子にして利用するなど。

できるようになると、
体幹部の操作にこそ身体の移動にかかる力の源があることに気づかれるでしょう。

ぜひ、歩き方の研究をなさっておられる方は、
いろいろ試していただいて、
なにかおもしろい歩法を見つけられましたらコメント欄でお教えくださいませ。
どうかよろしくお願いします。
posted by スズキ at 13:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 体の使い方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年04月23日

赤ちゃんのような(はいはい)を、まじめに修練中です

嫌な言い方ですが、
武蔵小山のアーケードを歩いていると、
街を歩けば歪みが誇張されて苦しまれているご高齢の方がおられます。
対して素敵な姿勢の高齢者かどうか疑わしい方も。

その違いはどこから?

たとえば
膀胱経と腎経を活かした身体を立てるためのグラウディング操作が
高齢前に叶えられる。
そうなるかどうかで、その後の健康上の明暗が分かれていきます。

高齢化は体内の骨や筋肉組織等を構成するコラーゲン生成力が
最高のときから比べて半分にも満たない状態に誰もがなります。
そうなったとき、体内に作り出した凝りも消えていきます。

高齢化が進みコラーゲン生成力が極限に落ちる手前に、
この膀胱経と腎経を活かしたグラウディングが身についた人は、
体内をコリで支えてくれていた部材さえも高齢化すると取り除かれ、
身体の拘束感が消滅して楽な姿勢に磨きがかかります。
合気道をなさる師範が、高齢となり格段に技が極まるのはこのためです。
対して身につかなかった人は、
身体の歪みがいっきに誇張される臨界点を迎えることとなります。。。


この二手の隔たりは、
人生を締めくくるまでの生活に開きをもたらすでしょう。


そうしたことで、私もそこは他人事じゃない。
必死に良質なグラウディングがかなうための謎解きをしております。


腎経と膀胱経の姿勢動作上の機能作用を体感的に理解するためには?
そういった視点で思考してみて。
最近、ひとりでシンプルな運動として、
赤ちゃんが四つん這いで動くときの
「はいはい」の練習をしています。

『いいおじさんがすることじゃない!!』
とおっしゃられるかもしれませんが、
私どもの身体は今も四脚操作に影響を受けているのです。

独自に身体操作を研究し続けた
フェルデンクライス・メソッドの創始者なども
動作研究のときに取り入れています。
他には四脚状態で人体を描くイラストで正経十二経絡を表現する絵をみると、
すんなり膀胱経と腎経の経絡線の走行から期待される機能が理解できます。

何をすればいいかの結論で、
理想的な「はいはい」ができれば、
膀胱経と腎経の本来の機能が取り戻せると仮説してトレーニングです。


真面目に5分もはいはいしてみると、
いきなり大腰筋が強くなった感じがしてきます。
はいはい自体が最良な大腰筋トレーニングになるんですね。
同時に施術をするときの力もスムースに
芯に届く圧が取り出せるようになりました。
他には全体的に筋肉のパワーが3割増になったかと。
それは以前は凝っていた部分が、
自動的に筋膜の癒着が剥がれて笑えるくらいゆるゆるに。
緩んだ筋肉は大きな収縮力を発揮できるので筋パワーが
いっきに増したというわけです。
(筋膜の凝りが急激に緩みだす背景に、
 血液を凝り部分へあてがって溶かすことを優先し、
 体全体の血流ルートが変わって眠くてだるい状態になります。
 これは回復時の生理的反応ですから、
 こういうときはジタバタせずに休めるだけ休むのが吉です)


ただ(膀胱経と腎経の筋肉の連鎖ライン)が張りが強烈で苦痛。

そうなった理由は、
本来は腎経も膀胱経も伸びやかに姿勢を正し立たせる機能をもつ経絡。
ですがそうした立位姿勢を正すこと以外に、
こともあろうか(身体を移動させるために使っていた←誤用動作)から
そうした誤用を終始気づかずしていたしっぺ返しです。
(はいはい)は、二足直立歩行をしたときに不都合がなければ、
しっぺ返しを体感することはないというリトマス試験紙となります。
こうした苦痛が消えた動きにはいはいができるように磨かれてから、
ようやく二足直立の理想形が表現できるしくみです。

脳内では今まで通り膀胱経と腎経を身体の移動に用いようとするが、
四脚状態ではそれは誤用であっての何者でもないと知らしめようと
膀胱経づたいの背中と腎経の脚部内側づたいを張らせつらく不快に。
そうやって、
この経絡の使い方を誤用してますよ、
という警報を鳴らしてくれています。


そうした誤用をしていることがわかっていても、
膀胱経と腎経という地面に両足をしっかり設置して
立派に骨を立てて支えるよう伸びやかな操作ができません。

これぞ、50年以上もの長年の誤用のなせる悪癖です。
やっちゃだめとわかっているのに、
無意識に動き出すと悪癖動作に持っていかれてしまう。


最近、お客様にエクササイズとして(はいはい)を勧めております。
でも私自身、ぜがひにでも、
自分なりの納得できるはいはいの正解の型にたどり着きたい。
太極拳の套路を練るような気持ちで取り組んでおります。
posted by スズキ at 12:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 体の使い方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年11月06日

ピアニストの普段姿勢って、どうよ?!

昨日、お客様から興味深い話をお伺いしました。
昨今、体が整えられてきたためか街を歩く人の姿勢が良いか悪いかが明瞭に目に飛び込んできます!とのこと。
自分に身体の歪みがあるときには気づかなくても、
自分の体幹がしなやかさが増す過程で、
他者の歪みが違和感に感じ気になりだすことがあります。

これって本能的な作用のようですが、
身体操作の大切さに気を配る多くの方がそのような報告をしていただけています。

そしてそのお客様がおっしゃられるには、
お客様;「藤田真央さんというピアニスト、ご存知ですか?」
私;「いいえ、存じ上げておりませんで・・・」
お客様;「若手で世界に通用している有望なピアニスト。
     すばらしい演奏。。
     でもピアニストにありがちな上半身の姿勢なのよ」

そうお伺いして、
藤田真央さんとはどのような演奏をなさるか、
興味を持ったと同時にどんな姿勢でピアノの演奏をしているのかな?

そこでYouTubeで藤田真央さんの演奏をチェックしてみました。
お客様がおっしゃられたことが見て取れました。

すばらしい演奏に感動です!!




https://youtu.be/qyS25LpY1mw?si=-D-Hk-rxkYKvrO0I

演奏中の藤田真央さんの上半身の絵は、
ピアノ奏者らしい姿勢ですね〜。
演奏用に進化し順応した姿勢です。

ですがお客様がするどい視線を配って気づかれたように、
日々のケアを怠れば健康上のつらい目にあうリスクが含まれているようです。

藤田真央さんのコンサートに足を運んで演奏を聞かれたそうですが、
もし対面してサインをもらえるような機会があれば、
「ちょっとあなた、普段の姿勢は気をつけなさいよ」と無意識にいっちゃわれそうですね。👍
まじめに職業病って、のちのちしんどくなるんです。

私の知り合いのお客様でもあるピアニストの方も、
首や胸がしんどーいといって身体の使い方を伝える技術を学びに
ムーブメント系のボディワークにも通っておられます。
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2023年07月27日

強烈な肩こりや首こりになりたくないなら、またはすっきりしたデコルテラインが描き出したいなら【烏口腕筋】の使い手になろう!

最近、『烏口腕筋』という筋肉の用法について考えています。

Screenshot_20230727-012938~2.png

烏口腕筋は、『上腕の屈曲と内旋をする機能をもつ筋肉
』。
そのように【動きの解剖学】という本に解説してあります。

この解説だけでは、『ふーん、そうなんだ。』くらいのことで、読み飛ばすのがおちです。

ただこちらの使い方を熟知して獲得できるようになると次のような利便性が挙げられます。

・肩こりや首コリに圧倒的になりづらくなる
・肩が上がりっぱなしになって左右の肩の高さが差がでる
・腕力が途端に強力発揮できるようになる
などなど。



文章で烏口腕筋の詳細な用法を誤解なく伝えることは困難なため、
そこは割愛させて頂きたいと思いますが、
いま、こちらへお通いいただいているお客様に、
理解していただく必要を感じた方には実地でお伝えしているところです。


烏口腕筋の用法、これを知って私が施術をするようになってから、
施術の効きが段違いに発揮できるようになりました。
それは1,8キログラムのメディスンボールが、
空気しか入っていない軽さのゴムマリのような軽さの感覚で
扱えるようにできたおかげなんです。
三角筋や上腕二頭筋・上腕三頭筋などを使って腕を使うような従来の腕の使い方なら、
このボールを手玉に取ることはありえないといえるでしょう。
つまり三角筋を使って腕を操作したら、患者様の芯に影響を与えることなく、
身体の表層を削り取るだけでの弱々しい影響しか与えられていません。
残念ながら、そういう手技をしている人が多くいますし、
そうした操作が普通すぎて手技の失敗をしていることさえ気づかずに施術をしています。
申し訳ないことですが、それは私もその烏口腕筋の存在はもちろん知っていたものの、
その筋肉の素性や用法が腑に落ちたレベルで理解し応用できる前は、
そのような施術もどきに終止していたことでありました。

それで三角筋前部を酷使すれば呼吸が浅くなって肩や腰や首のコリがひどくなり身を滅ぼすので、
施術が立て込むとスマーティのような遠赤外線ドーム型サウナで徹底して熱を身体に注ぎ込んで
凝り固まった疲労蓄積した筋肉をリセットしなければやっていけませんでした。。。

それが烏口腕筋を使えだしたあとは、コリがゼロかといえばそうではありませんが、
以前の数十倍の運動エネルギーを発揮しているのにこれだけで済んでいるんだということが驚きなのです。

腰仙関節部のリリースレベルが段違いでよくなったため、
腰部の詰まりが大きく結跏趺坐での瞑想が困難さを持っていた友人の施術をしたあとで、
彼からのメール。
『施術を受けてから今までにないほど腰がいい感じだ』という趣旨の内容でした。
基本的に率直さが頼もしい友人で、
酷評を送ることも厭わない友人からの改善の知らせ。
短い変化を伝えた彼の一文は、私にとってなによりの勇気づけになりました。



ただし30〜40キロ級の大胆な力をどーんと発揮できるがゆえに、
強大な私の中のエネルギー消費量となったがために体重が激減。
そこは新たな課題解決が求められるところです。
おそらくは肩甲骨周りの筋群が育ってきたとき、
このような身体にとって感じられる不利益が消えるような気がしています。
呉連枝老師という八極拳の先生の肩甲骨周りを観ていてそう感じています。

ちなみに私がそちらの有用性に気づき見つけ出したわけじゃありません。
それはすでに合気道の技として用いられてきたもののようで、
そちらを学ぶ機会をいただいたおかげです。



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2023年04月19日

『支えの法で歩く動作』と『地面を踏みつける動作』の違いを考察

『支えの法で歩く動作』と『地面を踏みつける動作』の違いを考察




■ 合理的な歩く動作では、地面『支えの法で歩く動作』と『地面を踏みつける動作』の違いを考察上に足裏を添えおき、接触面に支えてもらう。
脚部上端の組織を大腰筋を持って動作させることで、
そこより下に位置する骨盤の腸骨や臀部も、ふとももや大腿骨、ふくらはぎや脛骨腓骨、そして足部は、
あたかも大腰筋上端から吊り下げられ、振り子のように後ろから前に振り出していきます。
地面に足裏を接した点を支点にもちいて、胴より上の支えを脚の骨や腱などで支えにしています。

■ 地面を踏みつける動作は、地面の上にある物体を足で踏みつぶそうとしている。
対して腸骨と大腿骨の接合する股関節から脚だとしておれば、
膝を持ち上げ下げるという大腿直筋等の筋強縮を繰り返す動作を繰り返します。
地面の上にはなにもないのに、
あたかも麦穂踏みをするかのような動作を歩行に利用します。
そうする必要性は見当たらない。
バタついた歩行音が聞こえてくるのも特徴のひとつです。
もともと大腿直筋など脚部の前側の筋肉は、膝をどちらに向けるかという方向指示の役をもつ筋です。
その筋が筋強縮して方向をしめすための感度が悪化する問題が出てしまうのも問題です。




古来、能楽の練習法のひとつに、
板敷きの広間に水に濡らした破けやすくした半紙を敷き詰め、
その上を歩くとう独特な修練の確認法があるといいます。

足裏を濡れた半紙の上に置くときも足裏が離れるときも、
微塵でも踏み込んだり蹴り込んだりすれば半紙はもろくも破れます。

『支えの法で歩く動作』をなせば、この練習法を自然体でクリアできます。
『地面を踏みつける動作』をなせば、
半紙がいつ破れるかヒヤヒヤしながらの移動にとどまります。
後者の大腿部にある大腿直筋等の筋強縮動作をする限り美しい姿で動作がしづらいでしょう。


海外の方には、なーんにも考えることなく『支えの法で歩く動作』、つまり大腰筋が歩行時に用いることができている人がたんとおられるのです。
ですが日本の私たちには、『地面を踏みつける動作』が普通の歩き方だと刷り込まれております。
そのことに気づいて健康上の負の遺産といえる負担ばかり与える誤用した歩き方に憤ります。
『地面を踏みつける動作』という不利益を被る歩き方を手放せば、
それだけでも整体院にいく費用捻出が極端に低減できるでしょう。
ただ残念ながら仙腸関節部分や股関節周り、大腿直筋深部や鼠径部の癒着などが強ければ、
『支えの法で歩く動作』にすんなり移行することは難しい。
今までの癖の強い歩き方に似て非なる原理で動くため、
そうした使ってほしい筋肉は使われてなくて弱化しているし、
いままで歩行時に作り上げた筋への負担によりコリができたところが、
正常な歩き方をさせるための邪魔をします。
すると、こんな歩き方は変だ!!と強く感じてしまうため、
大人までずっと『地面を踏みつける動作』で歩き続けた方が、
歩き方の大変革を起こすことは容易ではないようです。


ただ。。。

日本にいると『地面を踏みつける動作』で歩く人が大多数ですが、
他国ではあまり見ることができない圧倒的な少数派です。
だったらすでに大腰筋を使って歩くのが普通な『支えの法で歩く動作』が習得できている人を
じっくり肌感覚の距離で感じ取れるような体験ができてくるなら。。。
徐々に自分から『支えの法で歩く動作』にも一定の価値を感じ、違和感も拭えてくるのでしょう。
幼児が親の動作を観て、その動き方を学習するという見習うといった身体操作法の習得もあります。

さっこん、そういうのも賢いやり方でいいなと思ったこの頃です。
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2023年03月29日

エクササイズではよく 練られた動きをこころがけよう

最新の車の機能に、
ほぼリアルタイムでドライビングによる燃費の持ち具合が数分間のうちにフィードバックされるものがあります。

〈車から聞こえる音声〉
その運転では、燃費のロスがどれくらい生じてますよ(不快感)
その運転で、燃費がこのくらいの量、アップしましたよ(快感)

たったいま、自分が行った行為行動に、即時に評価が得られたとき、
なにがよかったのか悪かったのかが知ることができます。
だから改善点がわかり的確な運転方法の修正ができます。
修正後は快に転じた評価のアナウンスを受け取ることができ、
定着していくのです。


人は不快からは遠のきたい、快には近づきたい。
だから燃費向上につながる運転技術がこの機能のおかげで身につくのですね。

自動車学校では言われた運転ができなかった講習生に
「なにやってんだ!?」と脅しに聞こえる指摘が痛く傷つくものです。
ですがこの機能のいいところは
淡々と繰り返し事実を評価しフィードバック。
人は怒られれば直るもんじゃないし学ぶものでもない。

たったいま、自分がなした行為を観察できるようにすれば、
人は、自動的に良好な行動変容が得られるようにできているのです。
それの好例がこういったドライビング評価のアシスタント機能ですね。


よいトレーニングってないですか?
って質問されたとき。
ひとまず、それらしいエクササイズをつたえるものですが、
そうしたエクササイズの実践から成果が引き出せるかどうか。
そこには差が出てくるでょう。

運動の効果や成果を引き上げたいとき。
行為中に観察し、
行為後に行為の即時ふりかえり。
ふりかえって考えたら、別の手があったと気づけば即座にそれを試行。
そんなふうにエクササイズをするならば、
体を無益に壊すような負担が著しいトレーニングはできなくなります。
自身の身体操作の一挙手一投足。
行為中の内部感覚を含めた観察と行為後にふりかえって評価を心のなかでつぶやけば、
その行為は自身の身にふさわしい潜在力を引き出して変化を観察できるはずです。

そして車の燃費向上システムの稼働と同様な手法で、
即時評価とその指摘に呼応するフィードバックをすることで、
人の体の運用にかかる燃費もよくすることもできるでしょう。

「よく練られた、いぶし銀の動き(練られた動き)」は、
こうした要領でたったひとりだけでも養成することができます。



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2023年03月08日

人間の感覚は、けっこう正しいものなのか。それとも・・・

人間は、自分の直感や感覚が、結構正しいと思ってます。
それが事実だと思ってしまうのです。

それを事実と思うことで幸せになるならいいのですが、
それを事実と思うことで不幸になるなら?

そうしたらもう1回、再検証することが大切です。
・自分はどんな事実を見たのか
・どんな解釈をしたのか
・どんな結論に至ったのか

そういうプロセスを再度こころみることで、
かならずしもそうとは言えないという気付きがでてきます。

そうなると、
「では、代わりをどのようにしてみましょうか?」
というように改めて探求し始めることができます。



このことは自身の身体状況の把握についても言えていることなのです。
たとえば、
「私はふつうに座ってるだけなのに、腰、痛くなるんです」

「ふつうに座っているだけ」というのは、その方の主観でのお話です。
その人がしている座り方なら腰痛になるわけはないという考えが見えます。
だからそこに対して質問をして、より具体的内容をうかがう必要があります。
いわゆるこれが、つっこみどころです。



もしその方がなさっておられる座り方を私がまねすれば、
座り方の問題により、その人同様、腰痛を起こすかもしれません。
またはその方自身がすでに腰痛の種になるような腰への負担蓄積があるのかもしれません。
普通とか一般的にという基準は世界中探してみても、
その人自身が抱いていた独自の感覚に過ぎないのです。
普通すぎて取るに足らないと切り落とされ表現されなかった点について
できるだけ事実と直感と感覚を分けて話をうかがうのです。


「ふつうの座り方」という感じ方にもとづいてのべた言葉について
「必ずしもそうは言えないかもしれない」と気づけたとします。
そうなれば話は建設的になりはじめます。


「では、代わりをどのようにしてみましょうか?」


ここでふつうじゃ陥らないことで苦しんでいる自分がいて困っていた思考の混乱から抜け出せるよう、
一歩前進できたことになるでしょう。



普通の座り方、普通の立ち方、普通な歩き方、普通な所作。。。
直感的に自分はまさにふつうなことをしていただけと考えていたならば、

まずは、
「どうしてそう感じたのですか?」
と、自問自答をしてみましょう。

もしその座り方や立ち方で不具合がなければ、そこでやめてOKです。

ですが不具合を感じていたとしたら、
姿を鏡や映像にうつして客観的に見つめたり、
他の良好な健康状態を持つものとそれを比較して事実から学ぶとよいでしょう。

そうすると普通な所作などどこにもないことに気づきます。
不具合を感じる結果を導き出す原因は、長い年月を経て蓄積されただけあって、
そうした普通に感じる強さもことさらに強いものです。

理想状態との比較を写真等でおこなわれても、
そのときすっと脳がそれを認めることはないでしょう。
通常、徹底抗戦の構えで言い訳をして、現状を守ろうとする。
(まさに私もそうでした!==;)

そうするようなプログラムが本能の中に差し込まれているかのように、
多くの人々にとって共通の反応としてそれがおこることでしょう。



身体はとにかく急激な変化変容は嫌います。
特に手探りのままでの急激な変化は危険だから避けたい。
それが度を越すことで、現状維持を決め込んで悪癖を見て見ぬふりをさせる。
人の内側にそうした行動を取る傾向があるようなのです。

だからこそ身体操作のプロは、
そうした脳の自己弁護からはっせられるふつうというワードがでたとき、
脳が自身の進化を妨げようとしていると見抜きます。
その上で、変化のない日常からエキサイティングなプラスの未来へ続く冒険の旅にでていきます。
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2023年03月03日

足部はソッカの美術解剖学ノートで、多角的によーく観察しょう。


ハーモニー体操の先生をしている方からの会話。

『ソッカの美術解剖学ノート(書籍)を手に入れて読んでいて、〈足首〉に興味があるんだ』と言われました。
私もソッカの美術解剖学ノートは、買って手元に起き続けている解剖学上のすばらしい良書。


本書は650ページにもなる大著です。
脚や足部が解説されるのは本書の末章近くにある500ページあたり。
イラストが多数ではあっても内容が濃くあらたなる発見が目白押しの本で、
私が読み終わるまで数百時間を要し一週間まるまる費やしました。
こちらのハーモニー体操の先生も最後まで目を通したのでしょう。
ていねいにこの本を読まれているんだなと感心しました。


脚は第三種てこ、足は第二種てこで力が発揮できるシステム。

足首から下にある足の第二種てことは、
つま先が支点、中足骨の前方先端〈足指が曲がるキワの膨らみ部分〉が作用点、かかとが力点です。


Screenshot_20230303-181033~2.png


馬や猫やクマ・猿などと人間の足部を比較することで、それぞれの足部の使われ方の違いを解説し、
理解を深めるのに役立てています。

外反母趾でお困りの不都合の改善を願う方や、
バレエダンサーなど足部をきわめて繊細かつ機能的に活用する必要がある方が目を通していただくと、
理解の助けになります。

私が動きの質のよさを理解するため中国武術等の動きをともなう映像を参照するとき、
まずは地面に接する足部の動きだけに冷静に着眼し続け目で追うようにします。
脚や胴や手や首、頭部はその後です。
スローモーションで動画視聴すると細やかな足部の動きが際だって見えてきて、
足の第二種てこが操作された瞬間から把握できるタイミングがあります。
アキレス腱を利かせてかかとの力点を移動させたり固定されるのですが、
そのパフォーマンスと全身の操作が合理的に連動しているのがわかります。

私自身、じつは足部の使い方が未熟でして、
施術のときに得る足部の負担が元で右の親指に外反母趾になると困られる方と同位置にたこがでてきてきて。
ちょっとがっくりするところなんです。
自己観察を行うところでは右足部のmp関節の作用点の置き方・向ける方向が悪く、
右足首前の動きがぎくしゃくしての原因でしょう。
要するに右かかとの力点が軽すぎて不安定になっているわけで思うように動けてないんです。
右足部の内向きの度合いが高すぎて右親指の正中線に向かって内側にたこができるようになっている。
自身の足部の硬化した筋や靱帯や腱をみればそうだとわかるものの、
いったん身につけた動作の悪癖は容易には拭いづらいものです。。。


右利きのものは右かかとの力点が浮いて右つま先側を支点かつ力点でもあるかのような状態になることでてこの効きが悪くなる。
左利きでは上述の右利きの逆のことが起きて左足のてこが効きが悪くなると理解してください。


これほど懇切丁寧にイラストを駆使して解説してくれる本はめずらしいというか希有な本でしょう。
私も、本書の足部のページをもっとしっかり読み込んで考察を重ねて自己復活できるようがんばりたいと思います。


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2022年11月18日

能での胴体が(静)で脚が(動)と分別し安定した姿勢や動き

先日、池袋で「としま能」狂言と能の宴を見せていただく機会をあたえていただきました。
(Gさん、ありがとうございました!)
演目・出演
解説/観世喜正
和泉流 狂言「樋の酒」野村萬 ほか
観世流 能「道成寺」観世喜正、野村万蔵 ほか

私はだいぶ昔に、一度薪能を観たことがあってそれ以来です。

狂言樋の酒」に魅かれるところが多々ありました。
ですがの「道成寺」の人を舞台空間へと引き込む力に、
改めて700年の能を受け継ぎ発展させてきた芸術性の高さに圧倒されました。
例え方は適切ではありませんが、
矢沢永吉ライブを観にいったときに感じたときのように密度の濃く染まった時間が瞬く間に過ぎたときのようです。
ワンシーンごとに正確な記憶にとどめられたわけではなく、
舞台上の演者や奏者が発する熱い波が押し寄せてきて身を包まれた印象だけが余韻として残り続けています。

ただその日の目的のひとつに、
舞台上の狂言・能の和の所作をつぶさに観察」がありました。
セリアで買ってきたオペラグラスを覗きつつ、
生の演者の動きを眺め参考にさせていただくことができました。

生で見た絵と映像でみた絵では、印象が異なって見えます。

胴体と脚部の主従関係ですが
胴体が主で脚部が従たるもの」とつくづく感じました。
歩き、立ちとも、つねに胴体がみじんもぶれずにいます。

胴体が(静)で脚が(動)と分別し安定した姿勢や動きがかなえられる。
それは優れた動きの基本と考えられる「動中静あり、静中動あり」の体現が見えてきます。
意外にこの所作、人様が見てほめていただけるほどの品の良さまで格別なものとするには、
体幹のすぐれた支えの保持の継続性とは、体幹の支えの筋力のみならず、
脚の操作で体幹へぶれを生じさせない脚運びの用法がかなえられる必要が出てきます。
そのようなことが実際にできて演じておられる演者の体運びを存分に観る機会は、
私にはそうそうあるようでいてありません。
特に「和の所作」と呼べそうな身体操作は!


ときとして私たちの幾人かは、
胴体が(動)で脚が(動)となって(静)が事欠くことにより、
動きが乱れて流れて合理的な所作感覚が失われてしまっている。
それによりぶれつづけてあちらこちらへと胴体が傾斜しまくり、
それを倒さぬように支えるために踏ん張る脚の外側の筋が固められることとなります。
そのような場合におこる複雑な身体の操作にかかる労力は莫大ですから、
それが疲労の蓄積へと転化して脚や腰の筋の癒着へと展開されています。
胴体がぶれつづける動きを立位や歩行時になさる方の場合には、
そうなっている自覚が得られていないケースが多くあるはずで、
あまり他者から修正を迫られることもないはずです。

ただ能を習い始めたという方の場合には、
厳密に修正を求められることとなります。
メッキがはがれるほどのカンタンな修正はたやすいですが、
それでは他のよくできた演者と並べば浮いてしまうでしょう。
からだの外見(そとみ)からでは見えないでしょう。
そういった所作は筋電計測をする機器で測れば
一般の者とはまったく違った筋の操作により生み出されています。
能の修行を信頼置ける先生により得られた稀有な方は、
そうした定理について学ばれる機会があることでしょう。
素晴らしい!


他にも多々動き方の視点で気づき感じることもあり、
良質な動きの所作を目に焼き付けることができました。
もちろんいまの私ががそれを真似ておこなうのは悔しいが至難の業です。


そうは思いながらも、
まずは質の高い所作をする方々に興味を持ち触れることは、
肌感覚でそれを知るには有効なことだろうと感じますので。
ほんとうに今回のとしま能では、いい機会を得られたと喜んでいます。^-^

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2022年10月31日

施術のときの歩き方や立ち方のレクチャー等について、私の立場はコーチングのコーチ役として考えています

「コーチング」と「トレーニング」の違いって?

コーチングを学んだものからいわせていただけば、
もともとコーチングとトレーニングは比べる対象にならないものです。


コーチングする人もトレーニング促す人も、
どちらもコーチと呼ばれるため混同しやすいため引き合いに出される対比関係ですね。

コーチングは、質問で本人が認知していることをしゃべっていただいて、
その認知を磨く手伝いをすることだと考えています。

「人に教えることはできない。
 人が悟るように手助けすることができる」
ガリレオ・ガリレイはそのように語っていました。

まさにこのことばが端的にコーチングのコーチがしたいことをあらわしています。

コーチングの起源は、1500年代に生まれたcoach「馬車」という単語に由来 します。
快適に人のパフォーマンスをうながす手伝いをするコーチの姿を、
快適に人を運ぶことができ人気の馬車をつくるcoach村の馬車となぞらえてコーチという名を受けたのです。
なので、、、
コーチは馬車としての自身の役割に対しての評価はするでしょうが、
クライアントがパフォーマンスを向上できたかどうかは本人が評価するものと割り切っています。
もちろん、すばらしいパフォーマンスをしめすクライアントに対して賞賛の言葉を送ることはかまいません。

でもトレーニングをするときのトレーナーが本人の知識や技能の習得状態を評価するようなことはしません。



たとえば。
コーチングで、コーチとクライアントのセッションで。

パフォーマンスを向上させるためにやってみたいことは?」とコーチが問うと、

クライアント自らが
なかなか思いつかないんですよ〜
とか。
「思いつかない」というのも現状の自身の状態を明瞭にできたという成果があります。
だからそれにダメ出しをして突っ込むようなことをする気など、さらさらありません。
クライアントが投げやり過ぎた態度なら、話は別ですが、
高いフィーを払ってそのような生産性のないことをする人は圧倒的に少数派です。
だからこそ真剣に考えた結果でてきた、ありがとうといいたくなる言葉なのです。

そのときはどんな小さなことでもいいからと、コーチが粘ってそこを深堀するのか、
または今後に思いつくこともあるでしょうから、そのときを楽しみに待ちましょうというのでOK。



そうですねぇ、、たとえば、以前こんなことをしたらパフォーマンスが高まった記憶があって、それを応用したらいいのかな。そっか!
とか。
するとコーチは、その発想や着想が抽象度が高ければ、
そこを具体的な絵に描けるよう細部を語りやすくするよう質問を投げかけて話を聞きだします。
これは質問によりクライアントの気づきをうながしているのです。

そう本人に適した型が探求され、それに対しての評価をするのは本人のみです。
コーチが評価することはありません。


ただ「思いつかない」とおっしゃられたとき、
本来は徹底的に本人に適した型を探求するよう付き合い倒せればいいのですが、
施術時間にも限りがあります。。。
そのときはあらかじめ決められた型を、サンプルとしてお伝えさせていただいております。


クライアント自身が自身の過去の体験や知識などから得た型を
詳細な展開図として描けるようにイメージを膨らませるお手伝いをするほうがコーチングのコーチ的です。
そのときは私があらかじめ決めていた型となるサンプルなどは出る幕ではありません。
自身が着想して大事に育てたものほど、そのものにとって認知を一掃できる力がこもったものはありません。
そして私サイドであらかじめこういった型をサンプルに用意したというものなど、
正解を教えるといえるような大それたものではないことを知っているため、
自身が持っている大事なやり方を捻じ曲げてこちらのやり方を教えて反復練習させていくことは望んでいないのです。

たとえクライアント自身の着想に一部バグがあったとしても、
探求する過程でそこに気づいて理解を深めるきっかけとなさったほうが応用が利く人になれるという考えです。
実際、そういったバイタリティーある探求者からは私がうならされるような貴重な気づきをシェアしていただけています。



ということで、
「私はまだ立ち方がうまくいってないところがあって・・・」といった、
気の弱い口調で私がそこを評価し叱責するかのように期待しているお客様。

そこは気に病まれるようなことはありません。

かえって堂々と、
「ここまではわかったんで賞賛してください!」とおっしゃっていただければ光栄です。



何度も繰り返し立ち方や歩き方をお伝えするには、
そこにそうしなければならない生理的な理由もあるのです。
姿勢筋や動作に関する筋肉を操作する運動神経系は、
オトナになってからそれまで何千、何万も繰り返し強化した運動神経系の操作手順を書き換えることは、本当に至難の業なんです。
すでに自身でどうやって自分が立っているかとか歩いているかなどが無意識にできてしまうようになると、
よほどの自主研究者か研鑽を積むことがなければ変更ができることが奇跡だといっている者もいるほどのことでして。

私としては、本来はコーチングのコーチ役で徹して本人が探求する型を高めることの手伝いか、
または私自身がじぶんならこうするのが今の正解だと感じたことをお客様のたたき台として提供することで、
徐々にではありますが後戻りなさらないような型を得て、自分らしさと感じられる(=良好なものを得たという認知)ようになるお手伝いを心がけています。

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2022年09月26日

背中に手が回りづらくなったと感じたとき。太極拳でおこなわれている手の使い方の巧みさを、参考にしてみませんか?

シャツを脱ぐときに背中の方に手を持っていこうとします。
腕や肩や首になんら問題ないときには、何気ない動作です。

それがひとたび、腕が背中側に持っていくと、
イテテテテッ!と痛みが出てしまうとキツイ。。。
これがまた神経に来るような、
ビリビリ来たり、キーンとなったり、しびれる痛さ。


意外にいま、こんな痛みを感じる人が増えているようです。


基本的には腕の関節等の関節可動域が狭くなっているため、
その可動域を増やすようにすればいいわけです。
ですが実は手足は曲げ伸ばしという動作意外に、
糸をこよるようなねじる動作に長けた部位です。

以下にどのようなねじりをしてらせん形に手足を操作することができるかと、
陳式太極拳という太極拳流派の図譜を持っていてそちらから抜粋させていただきました。

人身纏絲図.png


固定静止点を設けて回転をえがく.png

らせん状に手や足を回転させる要点としてわすれてはならないのは、
中心や任意の点に一点、固定点して静止する点をつくることです。

それは台風が中心に無風状態の目を持つように、
静かな中心を設けられたときに回転力が成立し、
そこに円を描きまわり続ける力の発揮が起こります。

それとにたような操作で手足はらせんを描くようにして使うことができます。
中心に静止固定点を設けずにらせんっぽい操作をした場合、
そこには手の力が伸筋により得ることができずに非力のままですから、
力みがはいって当然という感じでカラダに負担がかかるような誤用です。
すると肩甲骨や腸骨部位に深く付着する筋が負担がかかるため、
せっかくらせんの手や足の操作をしても屈筋主導の手足の関節稼働を制限させる動きに終始してしまうでしょう。
それが行き過ぎれば、手が上がりづらくなるし、手が背中側に届きづらくなるかもしれません。


あまりそんなことを考えて手足を使うことはないぞといわれそうですね。

それにこんなことをしつこく教えてくれる先生も少ないと。
ですが、合気柔術の岡本眞師範のYouTube映像「岡本眞の合気柔術チャンネル」を観ると、
ある程度武道をなさっておられる方々には参考になるでしょう。
たとえば、岡本師範が手をつかまれたときにそういった力を使うようなときが見られます。
実際に技をかけてもらうと、動きには静と動が一体のときに、
チカラの作用が梃子のようになって現れると実体験できるときがあります。


らせんを描く手足の操作は伸筋と屈筋をうまく調和させることになります。
デスクワークが長くなると、屈筋が凝りが進んで伸筋を使う機会が減りますし、
手足の凝りが何度解いてもぬぐえないという方にも、練習をして動きを身につけられるといいかなと思います。




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2022年09月22日

筋肉の脱力をしていいときと、それをしたくてもできないとき。それは拮抗筋と中心軸の状態を観れば明らかです!

武術等を習うとき、
「脱力が大切!」とよく指導者から声をかけられます。

むだな筋肉の筋緊張があれば、緊張して筋肉が短縮しています。
そうであれば様々なデメリットがある。

たとえば、
右側が緊張し、左側が理想的な筋状態だとすれば。
緊張した筋肉は、筋肉の長さを調整するセンサーが正確に働けませんから、精密な動作ができない。

筋パワーの出力は、筋肉の伸張と収縮の差の量によりあらわされるため、
最初から筋肉が収縮していたら筋パワーの出力は大きくは取りだせない。
その場合、反射的に力みをいれた筋出力をしがちである。

筋肉と筋肉の隙間にある筋膜の中を気が通る経があります。
たとえば中国武術では内家拳(ないかけん)または内家と呼ばれる、太極拳・形意拳・八卦掌などは、チカラの発揮に気を重視します。
また合気道等の合気でも気をつなげるとかあわせるといった意識がありますよね。
それは筋肉に無駄な緊張があって気が末端までよく通っているからできることです。
(※)カラダの設定が整えられてきて脱力の質が向上してくるにしたがい、
気の通りがよくなったように感じられます。

ちなみに、
(※)カラダの設定が整えられてきて脱力の質が向上してくる
というのは、昨日、書いた図ですが下記の(a)図の状態に軸が立っていれば、
左右の拮抗して引き張りするロープを同じだけの大きさを持って緩めるなら軸は倒れません。
だから師匠が、もっと脱力して!といわれたらそれに即して筋の拮抗する左右両者の張りを脱力していけばいいのです。

拮抗するロープ.png



師匠に、もっと脱力して!と叫ばれても即、それに従えないときがあります。
(b)図のように左右の拮抗する筋に、一方は弛緩して一方だけで支えるという構造に陥ったときです。
この場合、先に軸を垂直に立てるべきです。
極度の緊張をわざと強いて傾斜の歯止めをしている伸びた筋は、
すでに脱力ができない状態に陥っているのがわかるでしょう。
無意識下で軸になる脊椎を極力垂直の状態でささえて、
自身の脊椎神経を守り、脊椎を立てることでの運動能力を守っています。
そうするために必要だから入れた筋緊張です。
そんな補完的な機能を、ムリに意識の力で抜こうとしても難しい。


そんな状態でも刺激を入れれば筋緊張の解除ができないわけではない。
たとえば大腰筋の上端の付け根にあたる胸椎10番あたりの両サイドをぐりぐりぐりっと、
刺激を入れていくと、左右の大腰筋は一時的に緩みます。
すると筋パワーも一時的に強めることもできるし、前屈等の柔軟性を増すこともできます。
ただしこれはわざと筋緊張をいれて身を守る機能を無理やりリセットして働かせなくしたやり方ですから、
このリセットをやりすぎれば、必ず手痛いぎっくり腰等のつけが回ってくるものです。
傾いた脊椎を放置したまま不用意に緩められては、さらに脊椎の傾斜が強くなるので。。

ですから、師匠に脱力が大事といわれて、その声に即、反射的に力みを抜いていいのは。
中心軸が垂直に立ち拮抗筋が左右そろっている人なのです。


軸が重力線に沿って立てられている状態なら、些細な力加減でそれは支えられる自立がしやすいものですから脱力が可能なんです。
軸が重力線から離れて傾斜していれば、それはすでに筋緊張し続ける筋の緊張がなくなれば虚脱したたるみ筋では自立できません。


実験として、胸の胸骨のなかほどにある「壇中」という経穴部分が人を動かしやすい点なので、こちらを押します。

(a)図の安定体で立てている人の壇中を押してみると、梃子でも動かない。
(b)図の状態で立っている人の壇中を押してみると、軽く押すだけでも容易にぐらつきます。


武術などをなさっている方で、実力が付きやすいタイプは『(a)図の安定体で立てている人』なんですね。
この安定体の度合いを、私の知っている方の合気柔術の流派では{身体づくりが進んだ}という表現で呼ぶのかもしれません。
技を修練を持って覚えることも大切ですが、その前提として(a)図の安定体で立てている人になるよう気を配ることも忘れてはならない。
という思想・哲学を持っておられるのでしょう。



また(a)図の安定体で立てている人となれば、血液を通す血管の詰まりも少なく、経絡の中を流れる気もスムースに循環できるので。
私には健康で長寿な方の姿勢であるようにお見受けいたします。


私は
(a)図の安定体を整えられた身体としての整体と呼び、
(b)図の軸が倒れたよこしまな状態と邪気の入り悪さができる状況下におかれているのだと考えます。

カラダの筋膜を整える理由も左右の拮抗筋の乱れを改善させる意味合いがあり、
体の使い方のノウハウを伝えようとするのも安定した体を定着していくヒントやきっかけになっていただければという思いがあります。

かくいう私自身も、いまだに邪体の状態を引きずって歩いてはいます。
ただ、日々、少しずつでもそれを拭うと決めてゴールへ目指して歩み続けています。
私が求めるゴールは高いから先は長いですが、
昨日までの工夫してつけてきた筋肉の凝りにありがとうと告げて、
これからも別のやり方でぜひ頼むよとお願いする日々です。



最後に余談ですが、ここからは私の私見です。
丹田を持って人体を観るというのは、
ざっくりした概要のとらえ方で、それはひとつずつ分析的に人体を分解して統合するときに思考しやすくするツールにもなります。
頭部を上丹田として、その中心を求めれば「脳下垂体」という、脳から下垂した小さなホルモン等を出す器官が中心。
胴体全体をひとつと統合して観れば、「腎臓」が中心。
胸郭部を中丹田とすれば「心臓の上端」当たりを中心。
骨盤内を下丹田とすれば、男性にはない臓器ですが「子宮」がが中心。

これらの位置取りを中心点に感じ取れて、それらを精妙に下から上へと重さの関係性を感じながら積み上げること。
それはざっくりとした(a)図の安定体を得るための第一段階の要件だと思っています。

ちなみに、上丹田で視床下部が自律神経系の親玉ということもあり中心だろうという方も、だいぶ多くおられるのですが、
個人的には腎臓とホルモンで結ばれる下垂体の関連性と相性と、
それにも増して下垂体の遊走できそうな組織の形態が上丹田の中心にふさわしいように感じられる次第です。
おそらくこれは少し変わった少数派な考えなので、こう考える人もいるんだなっていうことで、その意味で参考になれば幸いです。
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2022年08月30日

「下を向くんじゃねぇ〜!」 の私の考える補足:『だって、屈筋が緊張して伸筋がパフォーマンスが低下するんだぞ!』

Tverでアニメ、ハイキュー。

そちらを観ていてのワンシーン。

鵜飼コーチが、烏野選手が落ち込んだとき、
下を向くんじゃねぇ〜!!」と叫びました。

選手たちを鼓舞するための、一喝です。

でも、それだけなんでしょうか?

頚部が前傾して頭部がさらに前に下にと首折れ状になるとき。
カラダの前面にある前進を抑制するブレーキ筋をかためて支えにして、
身体が前傾する状態を耐えています。
頭部という非常に重い組織を頚部という細い筋で支える関係上、
頚部のみでカバーできないような呼吸力の低下や上部への重心の異常がでれば、
カラダのほぼ全体といえる前面の屈筋群が自動的に緊張して力みがはいります。

屈筋>といわれるカラダの前面の筋群が硬化委縮してカラダを置く方向づけ精度が大幅に鈍ります。
同時に背中側のエンジンを積んだ<伸筋>の力の発揮は半減以下にパフォーマンスが悪化しています。
バレーボールをしているときに頭部がうつむけば、いいプレーができなくなるんですね。




人は、ものごとに一点集中しようとすると下を向いてしまいがちです。


電車内でスマートフォンを観るときもそうですよね。
そのとき、頚部に何が起きているか。


想像できますよね。



解剖学を知っていれば、
頚部裏手にある<項靭帯>の支えが効かず、
首凝りに陥って頸動脈を圧迫し頭部への血行は悪化しています。
それを長年にわたり繰り返せば頚椎が器質的なずれといえるような状態異変から頚椎動脈(頚椎内部を通る動脈)にも、
血行が悪化するところまで、悪化の歩みが進むことになります。



頭部血管と項靭帯.png


それって生理的に起きている当然の状態です。

ですから施術をするときに、
お客様の頭部と頚部の立ち位置の様子を見て、
それから頚部内部の動脈への負荷を読みます。



たとえば、昨日、施術でお客様の歩き方をチェックさせていただいたとき。

ひさびさ、頭上にペットボトル。
置かせていただきました。


どういうことかというと、
人は歩きだしの2歩目くらいに、癖で地面のほうを見るという人が多いと気づいて、
それをお客様本人にも自覚を容易にしていただけるようにしたいので、です。


何気なく下を向いた瞬間。
まさにそのようなことをしたとき、身体を前進させるときのブレーキにしかならない屈筋に緊張が走らされて、
合理的な歩き方の邪魔をしているのです。

そのことに気づくかどうか。
大事なことです。
それを気づいてウォーキングをしたほうがいいにきまっており、
背中側の伸筋が収縮し伸長することで第二の心臓のポンプの役割を果たします。
そのことで動脈の血流が保てるのです。

人体の末端中の末端の毛細血管組織まで血流を送るには、
心臓が15個必要だといわれているんです。
だから背中側にある伸筋の動脈をミルキングアクションする力は、
14個分の血流をうながすポンプの役割。

それが下をむいて頭部をうつむかせると背中側の筋肉群伸筋が力発揮のペースが減じられていき、
14個分の血流をうながすポンプの役割が果たせていません。
血流促進の阻害要因が不用意に下を向くということなのです。



なので。

頭部にペットボトルを乗せて歩く練習をすると。
歩くときに2歩目に下を向く癖があれば、ペットボトルが頭上から落ちます。
そうならないよう、意識を保つための補助具としてペットボトルが使えるんですね。


だから歩き方を学び始めるというきっかけを得たとき。
何度でもそれを挑戦することもできるのですが、
いっとうさいしょに、ペットボトルを頭に乗せて、そのペットボトルを上に押し上げる反力で自身の首を伸長させる術をもって進むよう、
身にしみこませていくとよいでしょう。
運動神経系の学習は、無意図的に動いていては、何度繰り返し動作をしても身につきません。



単純に頭にペットボトルを乗せるだけなら誰だってできるでしょう。

頭にペットボトル1.png


でも頭に乗せたまま歩くとなると、意外にむずかしい。
カラダの軸の乱れからくるブレ、動きの偏り癖がわずかでもあれば容赦なくペットボトルが落ちてしまう。


頭にペットボトル3.png


ちなみに、私が施術をするとき。
そのときも患部を観ようとして下を向かざるをえないときがあります。
手元を患部に近づけている場面を観ようとしてしまう。。。
手元を肉眼の眼で見ずに、手で触れて気の発せられる情報を読めるようになると、
身を崩さずにやっていける施術者になれます。
なおかつ、これができるようになると技術力が飛躍します。。。でも、やってみると慣れないと非常に難しかったりもするわけですが。。。

自身の身体を操ることができているかどうか。決定的な施術力の良否になってそれは跳ね返ってきます。

うまくなりたいから何十時間練習しても、何千かい同じ手技を繰り返しても、
下を向くものの手技は観察力がお取り体を操る力も劣ります。
本人的にはそれが気づきづらいわけですが、
周りにいい指導者がいれば、そこは容赦なく注意を喚起します。
結果、意図したとおりの精度が乱れて効きが悪くならないよう、頑張れる人になるのです。

それを知っているため、私は施術をなさる先生の首の様子を目ざとくチェックしています。
どれだけ手技を知っていても理論をご存知でも、その先生の身体状況以上の回復が患者にあたえられることはないので。


だって施術者の手技は、身体を磨いて雑になって動きの汚れを落としていけば、効きが確かに上がる。
なぜならそうした身体内部の追求をしていく観察眼は、生の人体内部を質感をもって理解を深めます。
こうした理解は本にも書かれていませんし、他の先生から教えていただいてわかるような質のものでもありません。
それでいて、おおかたの人のカラダ内部の状態と共通項が見出せるところでもあります。
この見識が最大限、お客様の施術を組み立てるときに役立つのです。
これは筋膜リリースの場合は、ということではありますが。
でも他の手技療法でも、そういうことはいえていることもあるのかもしれません。
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2022年08月20日

らせんの動きを生活の中に取り入れることの大事さ

個人的な話ですが、
洗濯槽と脱水槽の二層式洗濯機。
こちらの脱水槽が壊れました。
すでに保証期間は過ぎている。

夏の間だけ人力で洗濯物をしぼっていこう。
そう考えてやってってます。

洗濯槽が壊れたら、あきらめてすぐに買い替えたいところですが、
冬物は絞るのも大変すぎでしょうからムリ。
だが夏物はどうにかいけるのではないかと。



中国武術では『纏絲勁 (てんしけい)』という脱力伸長してねじるらせん動作で力を取り出す発力のしかたがあります。
これを自在に使いこなすことで爆発的な打撃が手に入るのです。

筋肉を最初はゆるゆるにゆるめてのばすというのは詰まった関節部もゆるめて引き延ばすということ。
関節(手首関節・肘関節・肩関節など)の向く面が通常の位置とは変化するかもしれません。
そのモードに入ってから腕に関する背部筋を巻き取るようにらせんに動かしていきます。


洗いたての洗濯物から水をしぼるという目的をもっていれば、
このトレーニングにいいでしょう。
やってみて数週間。
背中の肩甲骨裏手当たりの筋がよく使われ、
棘上筋、棘下筋当たりがパンパンになってきます。
そして二の腕の力こぶが出るところの裏手の筋肉、
振袖のような柔らかさが気になるような筋も育ちますね。
広背筋が張ってくるかと思いきや、腕の伸筋群で絞っているようです。

生活するに際して、最近、あまり腕の伸筋群をらせんの動きで使えてなかったんだということが、改めてわかりました。

同時に、面白いなと思ったのが、右手の力こぶが出るところの筋肉(上腕二頭筋)がぴくぴくと微痙攣が起きて柔らかさが増しました。
そして右手側の胸と腕の付け根の部位のつなぎが詰まって感じられだしたため、
少しこの部位をリリースできるよう点圧を持って切り離しをはかりました。

すると。。。

右肩から腕が、ずるずるずつっと、体感では3センチくらい肩の骨から上腕骨が伸びていったような感覚がありました。
不思議な感覚でした。
いつもの右利きで右肩が少し持ち上がる状態を固定していた状態を、最近、微調整で左右の肩の平行性を整えるようにしていた素地があって、
そのおかげもあったのだろうと思います。
右肩の上腕二頭筋側の三角筋を含めた筋群が、想像以上に筋膜組織が内部の奥まで詰まり委縮した状態であったのでしょう。
右肩の裏手にある脇下の筋に、いままで気づかなかったボール状の凝り部分が頭を出してきました。
これ、見つかることがいままでなかったもので、出てきてくれてありがとう〜です。

腕のらせんの動きを先行させて鍛えていたため、この感じにたどり着けたのだと思います。


二層式洗濯機の脱水槽。

壊れてしまったときは面倒だ〜と思ったものの、
昔はたらいに洗濯板だったんですよね。
そのときは使っていた筋肉を使わなくなった。

そしてパソコン等のデスクワークでは伸筋を作動させて骨の位置を正す操作となるらせんの動きをするのは皆無です。

快適な身体バランスを得るには背部筋を活かしたらせんの動き(しぼる動き)を積極的にやっていくことも大事です。
日常生活でらせんの動きを取り入れず、屈筋群の、身体が閉じて詰まって自然な呼吸がしづらくなるんですね。
猫背や体の左右のゆがみが取れづらいのも、のびやかな伸長をさせてからのらせんのねじりモーメントを活かす動作。
これをやらないで猫背矯正を整体院で外圧をかけられてリリースを受けただけでは、必ず猫背が元通りになるのです。



余談ですが、衣替えをするときに洗濯機は買い替える予定です。
夏服でバテてるもので、冬服をしぼるのはムリだと感じました。
ただらせんの動きの大事さは痛感したので、
今後、日頃のトレーニングに積極的に取り入れようと思います。
posted by スズキ at 14:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 体の使い方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年08月11日

身体づくりのできた人の安定体崩すのは、私には無理でした。 ^-^; いやぁ、、、おどろいたです。

先だっての施術で、
しんそこ驚いたことがありました。

以前、ブログで書かせていただきました、

身体づくりに取り組むことこそ、ボディワイズの描く理想の社会像(目黒不動尊の福珠稲荷前で)
http://bodywise-note.seesaa.net/article/490270558.html



こちらで紹介した身体づくりは、ざっくりした内容でしか紹介しておりませんが、
施術をお受けいただくお客様に対しては、
ステップバイステップの階段を上に進む形でもう少しわかりやすく詳しい内容をお伝えすることがあります。

そのときのこと。

「身体づくりは、微差を埋める繊細さを読み取る息遣いで自分を制御することだ」という内容を、
人体の部位をいくつかに分けて微修正をかける要領をお伝えしました。
じつはこれは、他のお客様にはまだお伝えしていないことです。

それは、、、コロナ禍の影響のなかでも、
「鈴木君のところは電車ですぐだから」といって、
アフターフォローの施術から現在まで通い続けていただいておりました。
(多謝!!ありがとうございます!)
そしてアスリートではないのでしょうが、
筋感覚や身体をどう操作するかという操作の勘所を的確にとらえることができておられます。

「数ミリの微差変位を感じてそれを埋めると、反動がすごいから、参考にだけ説明を聞いてね」と前置きをしつつ、
身体づくりの微差変位を埋める操作の大切さと、実際にお客様の場合、どのようにそれをなせばいいかをお伝えしました。

複数の微差変位を埋めるよう指導されると、多くの方は、ひとつの部位の位置を決めても、次の別の部位の位置を動かすと先に決めたものが狂う。
それが繰り返されて、まだまだうまくパフォーマンスが底から発揮できるものではない状態になる。
だが、それでも胸の胸骨のこの一点を押されると、重心安定ができてなければカンタンに崩される点を推すと、
それでも先ほどの通常のその方が立った時にはへにゃと崩されたものが、なかなか崩されにくい状態にはなる。

その変化は、圧をかけて胸骨の一点を押して崩そうとする私にも崩しづらさからわかるし、
圧をかけられるものも「あれっ?なんだか安定してるぞ!」と体験を通して理解できます。

そして、私はこれ以上の力をかけてしまえば重心が崩れて倒れるという直前で止めるので、
お客様には、確かに身体づくりの要領が身に付けば身体が安定するんだという印象付けができるのです。
それはある意味、申し稽古のようなもので、お客様の中の潜在している可能性を引き出せることが目的。


ですが、せんだってのこと。
そのお客様が身体づくりの流れの微調整をなされた後、
お客様の胸骨の「ここを押したら大の男でも簡単に崩せるという要点」に触れて圧をかけました。


ここからは、私の心の声です。

「確かに、しっかり重心が安定している。

 それじゃ、もうちょい、圧をかけてみよう、、、

 あれ? 安定しっぱなしで、私の圧が負けてる、、、?

 それじゃ、もうちょい、圧をかけてみよう、、、

 この圧は、私の体重を私の手の骨を通して移動させて20キロの重みを一点に配る圧。
 そんな圧だから、ある程度、合気柔術をなさっておられる方も、揺らぐはずだ。
 (私自身、大人げないと思いつつも、壁に負けて焦りだしています)

 あれ? 安定しっぱなしで、私の圧が負けてる、、、?
 な、なんで、ですか?

 お客様は、普通に話をしている。。。」


そこで感じたこと。


人間って、すごい。


重心の安定がはかられた状態では、
気血の流れ、津液の流れがもっともスムースになる。
それは脊椎のような中心にある大黒柱が、呼吸により下方へと上方へとのびやかに伸長収縮をする。

たとえば、
ぞうきんを絞るとき。

以前は私は濡れたぞうきんの端と端を持って、とにかくねじっていた。
だがそれでは絞ったときの水の切れが悪いことに思案していたのです。
すると、いったんぞうきんの端と端をピーンと引き延ばした状態にしてからねじるときに、
先ほどの倍以上の水が楽々滴ることでしぼり作業が格段に効率が良くなることに気づいたことがある。

これは、私が施術をするときにも筋を伸長させることで、内部の停滞した液を数倍も効率よく流れを創ることができることに気づく元になった。

(身長が脊柱の部分狭窄等によりショートしだした方は、
 多かれ少なかれ、循環器やリンパの流れの問題が内部に現れていることがほとんどです。
 そうなったなと思える方は、注意深く現状を観察していただければ幸いです。)


そして実はこのお客様は、指示の理解の咀嚼力と身体操作の技術と身体感覚のよさから、
理想の脊椎の大黒柱の上下の伸長収縮がなされた瞬間があって、
こうなったときに体液の流動の停滞部が大幅改善されることで、
内部的な血や津液が停滞部位にいつく元が消えていく。




そうなると、私がそこで手を触れてどこに向けて圧をかければ崩せるかが、
まったくもって想像がつかない状態に陥ります。


まだこちらのお客様は胸椎や腰椎で詰まりがあって、この圧勝のパフォーマンス。。。


合気柔術をなさっておられた方だって、
私が脇を絞めて呼吸を読んで、胸骨に手先を当てているが意識は胸椎11番に圧をねじ入れれば、
ぞうさもなく崩せたのに、、、。
まったく、かなわない。だめ、、、じゃん。


あーあ、負けたな。これは、、、と、くらっとしました。^-^; 
私のお客様の胸骨を必死に押す中指が痛々しくぷるぷる震えがとまらないのです。

私は表情に動揺が出ないタイプなのでお客様は気づかなかったと思いますが、
かなり狐に騙されたかのようなことでした。




私自身、実はこのときのお客様から希望をいただきました。
そのおかげで、また自分自身に変異の微差を埋める操作をするように取り組んでいます。

私の場合、これをすると、必ず便秘や下痢のひどい症状が現れてしまう。
下部腰椎のずれが正常に移動されるように強制しているわけですが、
いままでのずれていた自分のそこの起き続けた位置から離れたとき。
そしてそれが微差を埋める微調整であればあるほど。
そしてそこいイメージを描く力が同時進行で歩んだときに、
やっぱり今回も、地味にそこに苦しむことになっているのです。
あとは背中がバリバリになって、緊張がひどいような錯覚を感じた。
それは凝ったためではない。
やわらいだときの麻痺部分からの異常を聞ける状態に移ったときの苦しみです。
実際のところ、筋肉が硬化して苦しむときの苦しみは耐えることはたやすいが、
やわらぎが進んで内部の筋の炎症が顔を出したときの苦しみは耐えがたい。


筋硬化が進むと苦しいんじゃないのかと思われるかもしれませんが、
筋肉の硬化が深部に届けば血行不良の進行で、虚血状態が現れます。
そうした虚血からは痛覚神経を働かせることができなくなるため、
苦痛を感じていた部位が麻痺をし始めるのです。
自らがその苦痛に麻酔を打つからです。



ですがやわらいだときの麻痺が進んだ時は、そうしたマヒが起きることがなく、
さらに麻痺していた痛覚神経が覚醒していく。
心の根っこを削るほどの痛みは、元あるカラダの状態に回帰するときにでます。
そこが癒えるまでのレベルまで微差を埋める微調整をして、乗り切るしかない。
またはその苦痛に負けて、元の変位に帰るか。



情けない私ですが、苦痛に負けて元の変位に戻したことが3〜4回はあります。
まじめに心を折るほどの苦痛だったからです。
私は腎や肺に幼少期から器質的なネガティブなものをもって生まれてきたため、
そこにまで改善への手を出すようなそぶりをみせたときは、
容赦ない苦痛が内側から満ち出てきます。
そして数日、息も絶え絶えで寝込み、計画は途絶えたのです。


そういった失敗談を持つ私ですから、
こちらのお客様には、その私の体験があって、
そういった苦痛や不安がわきおこるところがあって、
参考までにこういったことがあるのですと紹介だけさせていただいたのです。
こちらのお客様も私が微差を埋める微調整を手助けさせていただけなければ、
今回の状態は再現できないと思うので。
「へぇ〜。こういうのってあるんですね」と
自分の体の底に眠る可能性を紹介されたと感じ取っていただけたことでしょう。
それでも客観的に観て、
「なんか、不思議なのよね〜」という体験がでてきたとうのも、
おもしろいもんですよね〜。



そして私が感じたのは。

このような安定体になれた身体づくりのできた者が、施術を提供できたなら。。。
どうなるのだろうか。


そのようなあこがれを感じることができました。





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