2005年07月31日

『目に映る像』と『心に願う像』を活かす工夫



美しいものを見つめて。
『目を奪われてしまった』という場合。

でも一種独特な雰囲気を持つワーカーは、
目を奪われながら仕事をする事はありません。
自分の心・注意・関心が自分から抜け出さないよう集中します。

ではどのようにお客様の身体を観ているのでしょうか?

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弓道では的に射る前にすでにあたった感覚をもつこと。

心や意識が捉えた的。
そこに意識を集中させます。
「当たるだろうか、どうだろうか?」というものは、
すべて雑念。

すでに的に矢が突き刺さった像を見て、
そこで矢を射るそうです。

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私の実際の感覚をお話し致します。
自分なりに考えながらつくったもので、
多々違和感もありましょうが参考までに。m__m1

額の眉間部分から目の前のリアルな光の情報を受け入れて、
脳の前頭葉深部辺りに仮想したスクリーンに投影します。

目を奪われるのではなく、
脳内で外部にある像を『自分の肉体と同化』させます。
額の眉間部分をぐっと押されている圧迫感を感じます。

集中するときは自分のなかにイメージをうまく納める。
額の奥に引き寄せて奪われないようにします。

「事実の認識力」をパワーアップさせるためです。

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そしてもう一歩、
先に進む必要があります。

たとえば、、、
背骨のゆがみを見つけたり、
しこり化した筋肉を見つけたとき。

その部分を脳にあるスクリーンに投影します。
『実像』を引き寄せ受け入れます。
みたまんま先入観を抜いて受け取ります。

そして自分の心の中で背骨がきれいに整った状態、
筋肉が緩んだ状態を自分の体全体(特にお腹辺り)でイメージ映像を造ります。
『イメージ像』は実像を受け止め解釈と願いを込めた像ですよね。

自分が思い描いたイメージを、
脳内スクリーンまで立ち上らせます。

そのスクリーンで鉢合わせした
『実像』と『イメージ像』が交じり合い化合されていく。
すこし不思議な感覚です。。。
脳内で『バチバチッ!!』と両者の像がショートします。
そして「これでいこう!」としっくりした像を得ます。


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すると実像とイメージ像が、
ショートした爆発力で外へ自然に思いが放たれる。
そんな不思議な感覚を感じています。

たま〜に感受性の強いお客様は、
この段階で私がこれからおこなおうとしている通りに変化しています。
そのようなことを目の当たりにして、
説明しづらい相互作用に感心します。

またするするっと目的のしこりが緩んでくれて助かります。

岩石ほどの硬度をもつ筋肉のしこりにもめげないで挑み続ける。
それには柔らかく緩んでいくイメージ像をはっきり描けるから、
『しこりはもともと柔らかいゼラチン質でできているんですから。
大丈夫なんですよ。』と自信を持って説明できます。

岩石ほどの硬さでは簡単に対応できるまではいきませんが、
私の頭の中では解放するためのプランが見えています。
そして理想像も思い描けています。

個人的な意見ですが実像とイメージ像の化合により、
ワークの成果が加速するように感じています。

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注意点として、
脳だけでイメージ像をこさえると体がギシギシ固まります。
(軽い〜重い)感じの偏差が起きます。
全身を使ってイメージを心がけます。
それに脳だけでは非力のように感じます。

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ただ。

私がこのモードに入ると、
肉体的にも精神的にも疲弊します。

理想のイメージ像を描かず、
単純にワークをすれば疲労度が1/5程度。
疲労感は肉体疲労がほとんどです。

『この疲弊原因はなぜ起こるのだろう?』

クリシュナムルティ著の『自我の終焉』を読んでからワークをすれば、
大幅に疲労感が減少することに気づきました。

自我がおさまり、
仏心に至ったとき疲労感がおさまるのでしょう。
そのときワークの精度が向上するはずです。

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矢が的にあたってしまった像を描く。
それにより矢を当てる。
当てようという欲望を押さえ、
実像とイメージ像の化合を待つ。

矢があたる像が化合されたとき、
『今だ!』というのがわかるようですね。

心眼の使い手にならなければ、
道を究める事はできないのでしょうね。

興味深いものです。

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posted by スズキ at 01:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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