2005年07月11日

道を気分よくゆずること---1

20年近く昔の話です。

どこぞのマニアックな拳法屋さんと交流があった。
私自身が拳法に取り組んでいたわけではなく、
外側から仕事で取材を申し込んだことから始まったつきあいだ。

道場で静かで精妙に体を動かしている人たち。

誰もが体つきはすばらしい。
外見は細く色白に見える方も道場着を脱いだ瞬間驚かされる。
筋がひとつひとつ機能的に分かれていた。
いかついわけではない。
あくまでもしなやかに。

彼らと共に飯田橋駅へ帰った。
つもる質問をさせていただき、
教えをいただいた。

そのときに前方から若者の一団が我が物顔で道を防ぎ進んでくる。
よけて通ろうという意志は感じられない。

「やばいかも・・・」
私は人に道を素直に譲るタイプ。
だから特段トラブルはないが、
礼儀を重んじる道場の人たち。
注意をして乱闘に。。。

だが私が道の橋によけたと同時に、
道場の人達が一斉によけた。
気持ちよく「通して上げますよ」という感じ。

少し意外に思えた。

私:「間嶋さん、あなたたちならば注意するかと思いましたよ」
すると、
「注意してもだめ。
小さな子供じゃないから変わらないでしょ。
無礼な人と関わらないこと、これでいいの」
という。

逆に対面する初老の男性に私たちが道を譲ったとき、
丁寧に「ありがとうございます」とおっしゃられた。
すると皆で「お気をつけて」といって会釈をした。

すごくすがすがしい。
礼に対しては礼で迎え入れる。

後で電車に乗り「なぜ道を相手に譲か」を詳しく聞いた。
徹底した無用なトラブル回避のため。
これが答えだそうです。

彼らの動きは体の芯から動くので豊かでおおらかな動きに見えた。
正面で動かれると常人の動き方ではない。
スピードが目で追えない。

練習直後、まだ気が高まっている。
そのときにいさかいがあれば相手をあやめるかもしれないんですよ、
という。

彼らは現在主流の健康目的の太極拳を学ぼうとしているわけではなかった。
眼やこめかみ、喉、みぞおち、金的など急所を狙う。
練習中は寸止めしているので多少の事故しか起こらない。
だが自分の心が乱れているときもある。
そのときには自分の態度が無礼となる。

反射的に技は出る。
そのとき寸止めできない。
最悪の結果がわずか3秒の間で起こってしまう。
posted by スズキ at 00:00| 以前のコンテンツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする