2005年07月10日

道を気分よくゆずること---2

彼らが体の運用法を学ぶとき、
同時にさまざまなことを学ぶ。
自分が殴られたときの体の痛みを通して、
人をいたわる気持ちを持つ。
強い力を秘めたもの同士。
互いがその力を認め尊敬しあう。
礼が互いの身を守るルール。

人格を欠けば凶器に成り下がる。
だから技の冴えと同時に、
人格を高める大切さを知る。
人格も丸くなる、
器も大きくなる。

体を通して身につけた礼。

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無礼な人同士、
どんなに表面上仲良く見えたとしてもわかり合えない。
けんかをしたら戦争にも発展しかねない。

トラブルは無礼VS無礼で大事になる。

片方が礼を持って道を譲れば、
無礼もそう絡んでくるチャンスはない。
相手に道を譲っても負けではない。
無礼をいただかない知恵なのです。

体を通して身につけた礼を持つもの同士では、
出会った瞬間に互いに強い結びつきを感じられる。
心が通じ合う。
一度会っただけで、
生涯互いを忘れないでしょう。

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余談だが、
私が練習中自分の左手の肘前の骨の太い部分をたたいたとき。
実は力を抜いて叩いたのだが、
瞬間「やばっ!」と思った。

骨折したと思った。
肉は痛みがなく骨がミシッといった。
だが骨折は免れた。
しばらくすると腫れ上がった。
2日ほど夜も痛みで眠りに就けないひどい状態。
今もまだ痛い。

もし腰が少しでも入っていれば折れてた。
恐ろしい。--1

少し体の使い方がわかっただけでこの様子。
まさに道場の彼らは私の比ではない。
「人をあやめてしまうことが恐ろしい」
・・・という感じ方は切実だったはず。
posted by スズキ at 00:00| 以前のコンテンツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする