それが事実だと思ってしまうのです。
それを事実と思うことで幸せになるならいいのですが、
それを事実と思うことで不幸になるなら?
そうしたらもう1回、再検証することが大切です。
・自分はどんな事実を見たのか
・どんな解釈をしたのか
・どんな結論に至ったのか
そういうプロセスを再度こころみることで、
かならずしもそうとは言えないという気付きがでてきます。
そうなると、
「では、代わりをどのようにしてみましょうか?」
というように改めて探求し始めることができます。
このことは自身の身体状況の把握についても言えていることなのです。
たとえば、
「私はふつうに座ってるだけなのに、腰、痛くなるんです」
「ふつうに座っているだけ」というのは、その方の主観でのお話です。
その人がしている座り方なら腰痛になるわけはないという考えが見えます。
だからそこに対して質問をして、より具体的内容をうかがう必要があります。
いわゆるこれが、つっこみどころです。
もしその方がなさっておられる座り方を私がまねすれば、
座り方の問題により、その人同様、腰痛を起こすかもしれません。
またはその方自身がすでに腰痛の種になるような腰への負担蓄積があるのかもしれません。
普通とか一般的にという基準は世界中探してみても、
その人自身が抱いていた独自の感覚に過ぎないのです。
普通すぎて取るに足らないと切り落とされ表現されなかった点について
できるだけ事実と直感と感覚を分けて話をうかがうのです。
「ふつうの座り方」という感じ方にもとづいてのべた言葉について
「必ずしもそうは言えないかもしれない」と気づけたとします。
そうなれば話は建設的になりはじめます。
「では、代わりをどのようにしてみましょうか?」
ここでふつうじゃ陥らないことで苦しんでいる自分がいて困っていた思考の混乱から抜け出せるよう、
一歩前進できたことになるでしょう。
普通の座り方、普通の立ち方、普通な歩き方、普通な所作。。。
直感的に自分はまさにふつうなことをしていただけと考えていたならば、
まずは、
「どうしてそう感じたのですか?」
と、自問自答をしてみましょう。
もしその座り方や立ち方で不具合がなければ、そこでやめてOKです。
ですが不具合を感じていたとしたら、
姿を鏡や映像にうつして客観的に見つめたり、
他の良好な健康状態を持つものとそれを比較して事実から学ぶとよいでしょう。
そうすると普通な所作などどこにもないことに気づきます。
不具合を感じる結果を導き出す原因は、長い年月を経て蓄積されただけあって、
そうした普通に感じる強さもことさらに強いものです。
理想状態との比較を写真等でおこなわれても、
そのときすっと脳がそれを認めることはないでしょう。
通常、徹底抗戦の構えで言い訳をして、現状を守ろうとする。
(まさに私もそうでした!==;)
そうするようなプログラムが本能の中に差し込まれているかのように、
多くの人々にとって共通の反応としてそれがおこることでしょう。
身体はとにかく急激な変化変容は嫌います。
特に手探りのままでの急激な変化は危険だから避けたい。
それが度を越すことで、現状維持を決め込んで悪癖を見て見ぬふりをさせる。
人の内側にそうした行動を取る傾向があるようなのです。
だからこそ身体操作のプロは、
そうした脳の自己弁護からはっせられるふつうというワードがでたとき、
脳が自身の進化を妨げようとしていると見抜きます。
その上で、変化のない日常からエキサイティングなプラスの未来へ続く冒険の旅にでていきます。
【関連する記事】
- 鎖骨の凝りがあれば、すなわち手がうまく使えてない証拠なんです。。。
- 重力の中で動いたり、働いたりしていると、僕達の身体の機能は前へと引っ張られる傾向..
- ゆたかな身体を手に入れるには
- 小手先の動きから脱せるよう、先師は『あなたがそこは自分で研究し、発見、習得せよ』..
- 素の状態を知るトレーニングに禅、それともDAISOで買ってきた水平器を使う?
- 身体移動操作のひとつの原始的なカタチから、二足歩行を見て学ぶこと
- 赤ちゃんのような(はいはい)を、まじめに修練中です
- ピアニストの普段姿勢って、どうよ?!
- 強烈な肩こりや首こりになりたくないなら、またはすっきりしたデコルテラインが描き出..
- 『支えの法で歩く動作』と『地面を踏みつける動作』の違いを考察
- エクササイズではよく 練られた動きをこころがけよう
- 足部はソッカの美術解剖学ノートで、多角的によーく観察しょう。
- 能での胴体が(静)で脚が(動)と分別し安定した姿勢や動き
- 施術のときの歩き方や立ち方のレクチャー等について、私の立場はコーチングのコーチ役..
- 背中に手が回りづらくなったと感じたとき。太極拳でおこなわれている手の使い方の巧み..
ピアノの調律は機械では限界があり、熟練の調律師が五感を使って調律するしかありません。
NASAのスペースシャトルなども、日本の小さい町工場の職人の力が無いとダメなんですよね。
昔作った神社仏閣、城なんてものも近代建築学を超えてますしね。
治療家の感覚も医療の検査では分からない未病の段階を見抜きますもの。病院に行って以上なしでも、治療家から観れば異常だらけですし。
錬磨で精度の幅がうまれるから、必要に応じてつくられるものなのでしょう。