コーチングを学んだものからいわせていただけば、
もともとコーチングとトレーニングは比べる対象にならないものです。
コーチングする人もトレーニング促す人も、
どちらもコーチと呼ばれるため混同しやすいため引き合いに出される対比関係ですね。
コーチングは、質問で本人が認知していることをしゃべっていただいて、
その認知を磨く手伝いをすることだと考えています。
「人に教えることはできない。
人が悟るように手助けすることができる」
ガリレオ・ガリレイはそのように語っていました。
まさにこのことばが端的にコーチングのコーチがしたいことをあらわしています。
コーチングの起源は、1500年代に生まれたcoach「馬車」という単語に由来 します。
快適に人のパフォーマンスをうながす手伝いをするコーチの姿を、
快適に人を運ぶことができ人気の馬車をつくるcoach村の馬車となぞらえてコーチという名を受けたのです。
なので、、、
コーチは馬車としての自身の役割に対しての評価はするでしょうが、
クライアントがパフォーマンスを向上できたかどうかは本人が評価するものと割り切っています。
もちろん、すばらしいパフォーマンスをしめすクライアントに対して賞賛の言葉を送ることはかまいません。
でもトレーニングをするときのトレーナーが本人の知識や技能の習得状態を評価するようなことはしません。
たとえば。
コーチングで、コーチとクライアントのセッションで。
「パフォーマンスを向上させるためにやってみたいことは?」とコーチが問うと、
クライアント自らが
「なかなか思いつかないんですよ〜」
とか。
「思いつかない」というのも現状の自身の状態を明瞭にできたという成果があります。
だからそれにダメ出しをして突っ込むようなことをする気など、さらさらありません。
クライアントが投げやり過ぎた態度なら、話は別ですが、
高いフィーを払ってそのような生産性のないことをする人は圧倒的に少数派です。
だからこそ真剣に考えた結果でてきた、ありがとうといいたくなる言葉なのです。
そのときはどんな小さなことでもいいからと、コーチが粘ってそこを深堀するのか、
または今後に思いつくこともあるでしょうから、そのときを楽しみに待ちましょうというのでOK。
「そうですねぇ、、たとえば、以前こんなことをしたらパフォーマンスが高まった記憶があって、それを応用したらいいのかな。そっか!」
とか。
するとコーチは、その発想や着想が抽象度が高ければ、
そこを具体的な絵に描けるよう細部を語りやすくするよう質問を投げかけて話を聞きだします。
これは質問によりクライアントの気づきをうながしているのです。
そう本人に適した型が探求され、それに対しての評価をするのは本人のみです。
コーチが評価することはありません。
ただ「思いつかない」とおっしゃられたとき、
本来は徹底的に本人に適した型を探求するよう付き合い倒せればいいのですが、
施術時間にも限りがあります。。。
そのときはあらかじめ決められた型を、サンプルとしてお伝えさせていただいております。
クライアント自身が自身の過去の体験や知識などから得た型を
詳細な展開図として描けるようにイメージを膨らませるお手伝いをするほうがコーチングのコーチ的です。
そのときは私があらかじめ決めていた型となるサンプルなどは出る幕ではありません。
自身が着想して大事に育てたものほど、そのものにとって認知を一掃できる力がこもったものはありません。
そして私サイドであらかじめこういった型をサンプルに用意したというものなど、
正解を教えるといえるような大それたものではないことを知っているため、
自身が持っている大事なやり方を捻じ曲げてこちらのやり方を教えて反復練習させていくことは望んでいないのです。
たとえクライアント自身の着想に一部バグがあったとしても、
探求する過程でそこに気づいて理解を深めるきっかけとなさったほうが応用が利く人になれるという考えです。
実際、そういったバイタリティーある探求者からは私がうならされるような貴重な気づきをシェアしていただけています。
ということで、
「私はまだ立ち方がうまくいってないところがあって・・・」といった、
気の弱い口調で私がそこを評価し叱責するかのように期待しているお客様。
そこは気に病まれるようなことはありません。
かえって堂々と、
「ここまではわかったんで賞賛してください!」とおっしゃっていただければ光栄です。
何度も繰り返し立ち方や歩き方をお伝えするには、
そこにそうしなければならない生理的な理由もあるのです。
姿勢筋や動作に関する筋肉を操作する運動神経系は、
オトナになってからそれまで何千、何万も繰り返し強化した運動神経系の操作手順を書き換えることは、本当に至難の業なんです。
すでに自身でどうやって自分が立っているかとか歩いているかなどが無意識にできてしまうようになると、
よほどの自主研究者か研鑽を積むことがなければ変更ができることが奇跡だといっている者もいるほどのことでして。
私としては、本来はコーチングのコーチ役で徹して本人が探求する型を高めることの手伝いか、
または私自身がじぶんならこうするのが今の正解だと感じたことをお客様のたたき台として提供することで、
徐々にではありますが後戻りなさらないような型を得て、自分らしさと感じられる(=良好なものを得たという認知)ようになるお手伝いを心がけています。
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