「禅とマインドフルネスの違いは?」についてのカンタンな解説があった。
この両者は、別物です。
{禅}は、いまの状態を「ありのままをありのままに認識する」という修行。
{マインドフルネス}は、自分の状態がどのようになったらよいかを期待し、そこにいたるための技術。
マインドフルネスについて、多くの出版物がありますから、
私がここで書かせていただく必要はないでしょう。
禅について、
少し考察を加えていければと思います。
人間の能力のひとつには、
モノを考えなくても自動的にこなせるようになっていく器用さを持ち合わせています。
体験をした自分に関係することがらは、
そのときは新鮮で観察と工夫がなされたでしょう。
ですが同様のことを繰り返すだけでいいと感じた瞬間、
かつて体験して得た範囲内のことがすべてだと感じだすのです。
するとそれからは同様の体験をしているだけの陳腐なことをなすだけと、
ほとんどそれについて話す気も起りません。
むしろそれについて触れようとせずに無関係なことに話をすりかえます。
もし応答をしても最低限のことのみにとどめるようになります。
これがもっとも禅的な姿勢から程遠いステージにいるのですが、
繰り返される日々のルーチンワークからは、このような場に留まります。
次のまだましなステージでは、
自分にとって関心のある話だとは認識できたものの、どういった気持ちがでてきたかは表明しない。
次には、、、
感情等の話がでてくるようになるにつれ、無感覚かつ無感情に近い作業からは抜け出してきたが、
それはまだある場面にのみの話で限定的なもの。
次には、、、
全体を通し感情をもって語られる。そうした話をすることで、自分がどのような人間かを語りだす。
次には、、、
仮説を提起しつつ、自分が感じる実感に深く触れていく。
次には、、、
ここで「気づき」が現れる常態へとシフトしていく。
そして最後に、
そうしたひとつの「気づき」から、生活のさまざまな場面まで影響が広がっていく。
たとえば「呼吸」について。
人は呼吸をする体験を通し生命を維持する。
だけど他者から「呼吸は大事」「呼吸に注目してください」といわれても、
「そんなものさぁ〜、あったりまえじゃん?なにをいまさら・・・」と思う場に立てばどうだろう。
もし、このステージでいたなら、
そのものはあるがなまの自分を知ろうとはしていない。
自身を大局で見分する作業に進む段にはないため、
いつまでも不鮮明にしか認識できていない自分のいまの呼吸にこだわり続けてしまう。
そんな投げた受け取りをせずに、
自分の呼吸について語り、話すことで、自分とはどんな呼吸をしているか観察が始まったとしたら。
その観察にもとづいて、「もし、〇〇だったら、もっといい呼吸ができるのでは?」と仮説を提起し、
自分の体で感じることに触れるとしたら。
この観察からの仮説提起ができたときに、さらなる芯を得た「気づき」が起こるのです。
そうした「気づき」には、呼吸の様子を観察して自分がどんな性格であるか、どんなときに緊張するか、
どんな呼吸をする身体に移り変わるのが自然の理であるか、、、
など生活のさまざまな場面まで呼吸を通して気づきの変化が拡張していくのです。
実は、数日前のコーチングの先生をなさっておられる方が、
「「私の呼吸の吸う、吐く、止める」について詳細に観察し、
そこで起きて発生する課題に気づかれて、
ならば私はこのような改善を提案する」
といった内容のメールを書いて送ってくれました。
文章中には書かれてはいなかったと思いますが、
自身の呼吸の仕方から自分という人間を客観的な把握をするのに使われておられ、
そこから重ねて生活上の変化改善へと自らを導いていこうと利益が派生していかれる様子でした。
私がそのコーチングの先生に「呼吸の様子については?」と問うたとき、
「あなたの呼吸は乱れていてダメだよね〜」とか言いたいわけではない。
コーチングの先生には、そう問う私は黒子でしかなく、
あたかも自分が自分にそのような問いをあたえたのだ、と受けてくれる。
私も、さっぱりとしたもので、呼吸に対して意識を向けていくきっかけを作りたいだけ。
自分の呼吸のリズムや呼吸の深さなどへと注視する機会を持っていただいたとき、
そこから本人が何に気づくか、そしてどう変わるかは、
そのことにより気づく体験を通して見つけ出す本人にすべてまかせていますから。
実際は私も望診でお客様の呼吸を読むので、なにかがそこにあるぞと感じてます。
ですがそれは私が感じたものにすぎなくて、
そうした私が感じたことを強制的にシェアしてもお客様は納得できなければ、それまで。
だから意図的に私自身、バレーボールのセッターのようなもので、
スパイカーに打ちやすい選択肢の多い球を出すよう心がけています。
もし私がお客様に対し「ここ、大事!ここ、注目!」といってしまうと、
指摘をしたところは幾ばくかはとらえていただけても、
裏では、指摘されなかったところに広く観察の目を向ける妨げになります。
禅とは、気づかないから持てていた盲点をつぶして取り除くことを通すもの。
そう考えているため、Yes No では回答できない問いかけをして、
そこが自問自答をなさるきっかけになればいいと願っているのです。
そしてまさにコーチングの先生は、冴えたクリーンヒットで、
私が想像していた以上の気づきを得てそれを語りシェアしてくれました。
そうして本人が気づきよくなるような方向性を実感できて語れたことは、
もう、そうしたイメージを思い描きつつ語る段階で、八分通りかなっている。
不思議なんですが、本当にそういうもの。
そうした気づきを誘発させるプロセスこそが、
自分の成長へと導くコーチとなります。
そして人は成長すれば、次のステージに登り、
上乗せされた成長の課題があることに気づきます。
それの繰り返しで、成長曲線が急上昇カーブを描けていきます。
呼吸以外にも、
たとえば、、、。
人の姿勢が変わりづらい理由、
同じところに腰痛が繰り返される理由、
昔からの首凝りが抜けきれずに困る理由。。。
それらは自身にとって盲点となって認識が不鮮明であり、
同時に問題を含んでいる日常の当然と感じてそれ以上を観察も改善もする気がないような、
実存する課題があることをしめしているのだろうということも考えることができます。
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