自律的な呼吸反射が自発的に起きない方が、かなりの割合でおられます。
特に鼻の奥に炎症等の疾患を持つ方は、胸椎の変位があります。
そのときの胸郭では、呼吸するときに必須なスムースで大胆な肋骨の開閉が制限されています。
理想の半分ほども働いておられない方もおられます。
そのような呼吸代謝が起こらないとき。
酸欠です。
同時に息を吐き切れないため、
吐いて捨てるべき呼気を再度吸気して活用するため、
血中のpHが酸性に傾き粘度が強くあります。
それが複雑なつらい不調を招くもととなります。
慢性上咽頭炎や副鼻腔炎のような診断を受ける方もおられます。
いままでの病を授かり続けた時期が長期間であれば、
その病を受けた姿勢を姿勢神経は記憶しています。
それは無意識のうちに緊張を強いて体を固定して支えている。
「体の緊張感を抜いていいんだよ!」という方向へ進んで、
すでに自律的に体を前後に動かしつつ呼吸をさせて深い呼吸を得ることも可能となったにも関わらず、
そのような制限されたまま。
呼吸ができないでいます。
私がかつて上述のような呼吸のしづらさを持つ方の施術をさせていただいたとき、
体は正されて自動的な呼吸反射が起きていいはずが。。。
その「呼吸の波」を、自ら止めて、呼吸ができないと苦しむ方が多いのです。
この場合、すでにフェルデンクライス・メソッドなどのセッションを受けて、
ナチュラルな身体操作の技術を体験を元に学習している方は、
ここはつまづくところではありません。
無事にクリアできるでしょう。
自然呼吸は、胸郭だけの操作でかなえられるものではありません。
全身の部位が有効に呼吸を助ける仕組みになっています。
そのことを丁寧かつ効果的に体験学習するのです。
体験学習ではない、知識を得るのみの座学では、ほぼ。。。
あまりにも悲しいくらいしか自分のことを言われているという気にもならない。
そのため有益な気づきが起こらずに、その後も呼吸のしづらさが残り動作の改善にストップがかかります。
なおさら理想的な呼吸についてとりいれる視点がないときには、
いままでの立位では緊張してカラダを固めて立つという、
何万回以上もとり続けて学習強化してきた姿勢に帰着します。
それでは以降に得られるべき体中をすこやかに改善する澄んだ息を取り込む機会は失われます。
私はそのことは大変残念なことと感じています。
筋膜の癒着が緩んで正しい骨格上の構造がかなえられただけでは、
すでに動作の悪癖を学習強化し続けてこられた方の場合は、
体内に備えられた機能を存分に発揮させるには不十分です。
タイムリーに、呼吸動作の学習と修正が行われるべきでしょう。
側弯や前後弯傾向がある方の姿勢は、
骨格上、天地がのびやかさが欠けて、
筋肉部位を筋緊張させることで固定して立ちます。
それを『剛体』と呼ぶことがあり、
鉄筋コンクリート造りのマンションのようなイメージ。
暴風雨や地震が来てもいいようにと常に鉄筋コンクリートは固められたままを維持するのです。
人体で、そのような立ち方をとれば、筋緊張をさせている部位は、さらにパンプアップするため、
関節が詰まってずれは増すばかり。
するとさらに筋緊張部位を増やして固定による維持せねばならないため、
立つだけで筋が過剰に使われて疲労が著しい。
やがては呼吸や血液循環にも支障が及びます。
正しい姿勢では、
骨格上、うまく下から上まで骨を積み上げて、
疲労物質を出さない骨の支える力により立つ。
そのときはそれぞれ関節は、少しずつ間が開き、
関節に挟まる柔軟な軟骨組織がしなやかな体軸のしなりを与えます。
柔軟な『柔体』と呼ぶことがあります。
それは数千年もたち続けられる木造でしなることで外的な力を逃がす構造のよう。
鉄筋コンクリート以上の、長期にわたる耐用年数が特徴です。
『柔体』構造である五重塔は、
必要によりゆれ、まっすぐな状態を通り、またゆれる。
そうしてバランスを取りつづけます。
人体は、『剛体』でいつづけると、
理想形の『『柔体』』のように骨組みを立ててしならそうとはせず、
筋緊張により体を固定させて立とうとします。
そのようにする繰り返し学習が数十年単位でなされてきたため、
骨格をしならしてバランスを持って体を支える方法を選べなくなっています。
本能的には『柔体』の操作がプリセットしてあるにも関わらず、
人は後天的に学習を繰り返した悪癖動作を優先する生き物です。
その点に理解を示し、身体操作の対処を気を付けて再検証していかなければなりません。
後天的に学習した縛りが解けたとき。
もっとも健康的で機能発揮もすこぶるいい本能に任せる動きが眠りから目覚めるでしょう。
そこが、私には筋膜の癒着をはがしただけではゴールではないと考える点です。
動きの改善を持って成長へ至り、安定的に自身の身体を継続活用できるなら、
筋膜の癒着で動きが学べなかったところを押し上げて学習し進化する素地として、
筋膜リリースが活用されるものと考えております。
※ 前後弯や側弯傾向などがあり、『剛体』で立たざるを得ない方が、
聞きかじりでバランスで立とうとしても、構造上できません。
または非常にやりづらいでしょう。
アライメント調整という垂直・鉛直線状に骨格を並べて支えられる状態と、
関節の間という遊びの自由な空間が『柔体』となるためには必須です。
その状態でない方へ、過度にしなやかさを強調させた動きを強いると、
別な部位にしこりをこさえてしまい、複雑でリリースが進まない体になります。
そのときどきの身体の状態を正確にモニターして、自己の段階を理解するか、
かかりつけとなっておられる先生がおられれば、助言をいただくといいでしょう。
本能的にプリセットされた動きに体が元がえったとき、
肉体的かつ精神的な充足感と機能的な肉体の活用による人生の自信はかけがえのないもの。
私自身、そのように実感を持って主張できます。
そのことを未体験なままでいるのは、
とてももったいない。
お釈迦様も、修行で「身口意」を正しくつかうようにといわれました。
身:身体 / 口:言葉 / 意:イメージ、意識
まっさきに取り組むべき入り口こそ「身体」なんです。
身体操作がいい加減な悪癖を含みつつ、語られた言葉や思想には、
本来宿るべき愛ある生命力が欠けたものとなるのかもしれません。
私は、そう考えてもいいだろうと得心するほどに、
身体に備えられた神が与えた自然の機能を引き出すことが大切なものと思えてなりません。
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現在は臨時施術の受付で、長時間の施術時間を確保させていただき、
そのような動き方の私が知りうるノウハウを体験学習へつなげております。
今日の施術は、5時間半の長丁場でした。
長らくお通いいただいたお客様に対して、
呼吸の気づきをえていただくという体験学習と、
胸郭および首と頭部の徹底したリリースに時間をかけました。
まさに、これで体質上元に戻らず先へと進める仕上げの状態、となったでしょう。
こちらのお客様にご予約の連絡をいただいては、
たまたま他のお客様の予約が先にいただいておりまして。
4〜5回も、予約のご連絡をやり取りさせていただいての施術の運びでした。
これから本営業になったあとは、
私の施術の師匠山本さんの「Too Much はダメです」という教えを守る時期、
そして施術をまとめる年齢になってきたと思います。
私はカラダの使い方のノウハウを独自に学び、
それが新たな施術の進化への気づきになりました。
その身体操作の独自の研究はやめる気持ちはありません。
ですが最近、私自身がフェルデンクライス・メソッドの先生にお世話していただいて、
考えぬかれたレッスンを体験することにより、
「私にはそこまで考えが至っていなかったな」という思いも経験しました。
それで以前よりも積極的に、真剣モードで体を変えたいなら、
そのような先生にお世話になるという選択肢もあると伝えたいと考えています。
ほんとうに身体操作の奥行きは、ディープですね〜。
感動です。^-^
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