私の母の急病発覚後(本年1月末日)からボディワイズの業務を突然休止させていただいております。
多くのお客様に、多大なご迷惑、ご不便をおかけしており申し訳ない気持ちでいっぱいです。
その母のことなのですが、
一昨日前の、4月20日に私が介護させていただいていた母が他界いたしました。
享年85歳。
私の施術の微力では、
無念ですが進行の早いすい臓がんのステージ4には、太刀打ちできませんでした。
未熟な私でも、母のためにやることはあると施術に務めてきたのですが、
母に対し結果が残すことができず、力不足でした。
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多くの私のブログを読まれる方には、
私の母がどこの誰だかわからないのです。
だから私の母のことをブログで書かれても、、、
読む人が困るような内容なのです。
ただ数名のボディワイズのお客様は母となかよくしていただいておりまして、
私の友人も母を知って心配してくれていた方もおりまして。
わざわざ遠方にまで出向きお守りをお送りいただきましたり、持ってきてくれたり。
そしてメールで私に励ましをいただけたり、
おそらく声には出さなくとも鈴木は大丈夫だろうかと心配しつつブログを読んでくれていた人たち。
その方々を念頭に置く形で、他界した母の姿を話させてください。 m__m
私の母は、自由な母でした。
仕事で働くことも真剣ですが、
カラオケの遊びにも真剣ですし、
それと同時に交友関係も広くて。
母と西小山や武蔵小山で散歩を数分すると、
それだけで最低10名ほどの人と挨拶を笑顔で交わしています。
私にはご近所さんは知っていても、少し離れれば、どなたが住んでいるかなど皆目見当もつかない。
散歩の道すがら、ここにはこのような人が住んでいるとか友達が多過ぎです。
ただものじゃないほどの人とのつながりを感じられるようなことを教えてくれました。
もし母が他界したことを知れば、カラオケサークルの方々がきてくれて、、、等々、
多数の友達がやってくることと思われます。
なにしろ母の笑顔写真をケータイの待受にするといいことが起こるとまでいって、そうなさっておられる方もいて。^-^;
そうではありますが、母は、介護で憔悴し切った私と姉の身が持たないと案じて、友達には知らせずに家族葬にしてと。
本心は、喜びを共にした友達のみんなに会いたくて会いたくて仕方がないはずなのですが、、、。
またまだ歩けていた当時、武蔵小山にある清水湯に向かう電車では、
見ず知らずの子供やそで擦り合うのみの人にいきなり話しかけるは、
ハラハラドキドキのときもあるのですが、
でも笑顔で自分のペースに相手を包み込んでしまう。
自分の体が苦しいということを、人に優しい笑顔を送れない言い訳にはしませんでした。
母は人に贈り物をするのは大好きで、
自身がもう心身ともにぼろぼろにまでなっているはずなのに、
八百屋でおいしそうないちごをみつけたら2パック買ってこいと私に指示をだし、
小野医院さんに持っていきなさいと。。。
いきなり透明パックの入ったいちごを贈るというのも、生ものだし、
お医者様へお持ちするのは、ちょっとそれは。。。と私は思ったのですが。
病状が進み末期で声のほとんど出せなくなった母が
「(かかりつけ医の先生が)よ・ろ・こ・ぶ(喜ぶ)。。。。。。。よ・ろ・こ・ぶ(喜ぶ)。。。」と私を制して持っていかせたり。
そのときの母は、食べ物ばかりではなく飲み物もすべて摂取した直後に嘔吐していたのです。
それはかかりつけ医に感謝しているということもありますが、
しっかり人付き合いをするためにはそうするべきだという信念からでもあります。、
誰だっておいしいものを食べればしあわせを感じられるから贈るべきだ。
いつだって、そのような気づかいができていまして。
母の誰彼選別などせず気配りや気づかいをする姿を垣間見た私。
そう強く感じたのは母と2人で介護をさせていただいたときです。
しあわせそうな顔で知人に挨拶する母の姿を愛おしく感じています。
母は私に足りていない人付き合いの術を気にしていたのですね。
そのことを教えてくれていたような気がします。
身をもって母が私に、
人には笑顔で接しなさいね、
やさしくしなさいね、機嫌良い顔をしていなさいね。
そうすればそこが天国になるんだから、、、と。
母が最後を迎える前の数日の壮絶さから、
どれほど母の身がつらかったものかを知りました。
私が想像したいた1000倍もつらかった状態でした。。。
人が亡くなる際の医療的なことは、
私にはよくわかりませんが、
こんなにまでの様子だったのかと。。。
そうであったこと目の当たりにして気づいたときには、
申し訳ない気持ちと切なさから胸が張り裂けんばかりの状態でした。
ただ、そのようなときも母にとって、人に良くするのはまったくの普通のこと。
訪問看護をしてくれる方がはじめて来てくれて体をきれいにしてくれた日のことです。
その訪問看護をしていただいた方が、母の体をきれいにしてくれる仕事を終えて帰ろうとするとき、
「ほっ」と母の口から息づかいともとれる言葉が発せられました。
そのときは急激な病状悪化を迎え、
終末期医療を受けざるを得ないため強いモルヒネを打たれて意識はなくなっているはずの状態です。
でもその一言で私は、訪問看護の方にお礼をいいたいのだろうと察しました。
案の定でした。
訪問看護をしてくれた方が目の前にきたことを察すると、
声を振り絞って「ありがとう、、、、、感謝、しています。」と震える両手をあわせて伝えていました。
そして、それが母の最後の言葉でした。
それから2時間ほど後に母は苦しまずに笑顔をうかべて息を引き取りました。
その後、すぐに先ほどありがとうと伝えられて驚いていた訪問看護をしていただいた方が、
死亡後のお色直しをしにきてくれました。
なんというか、、、とても、ありがたかったです。
私が母と病状を背負い同じ状態であったら、
このような最後の言葉で締めくくれるだろうか?
私には、そうは出来る訳はないと思うばかりでした。
そうやって母は私に、
「私を見習って、いつだってしっかり考えて行動して生きていきなさい」と諭し続けていました。
母は心身ともにしんどかったはずですが、人への気づかいの気持ちが死の恐怖に勝り直前まで絶えることがありませんでした。
そのような母の姿勢だから、友達がおおいのだろうとつくづく思う。
母の強さと人への愛情を配ろうとする想いの深さを知らされました。
母は昔から「普通がいい」という言葉をよくつかっていましたが、
それは一人前に行動しなさい、
人への礼儀や心配り、
十分に身だしなみを気を付け、
ご飯はしっかり食べなさい。。。
そして自分で楽しめることをやってしあわせに生きなさい、ということでした。
私が病床の母に寄り添っているつもりが、
いつの間にか私が母に寄り添われていたような気がします。
母から、いいご褒美がいただけた。
そのような貴重な介護体験でした。
以上、長々とした文章となり、申し訳ありません。
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ボディワイズの営業再開まで、
葬儀等や相続手続などがあり、
恐縮いたしますが
いましばらくお待ちいただけましたら幸いです。
あとはひとまず。
介護で体力の消耗が激しかったため、
基礎体力をあげていこうと思います。
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