2019年03月18日

介護って、介護する側の「気」が取られて大変なときもあるんですね。 ^-^;

唐突ですが、
最近、私の中で「絶対受身という心境」と「感謝いたします」という意が同様に感じだしています。

脈絡もなくいわれてもピンとこないものですが、
「感謝します」という言葉は私自身好きでして、
ときどきメール文やブログ文にかかせていただくような欠かせない言葉です。

ですが、
ともすると「感謝いたします!」のように文末に「!」が付いたりして、
「ありがとうございます!」という言葉と同意のようなレベルで使用し、
深い意味を追求してこなかったような気がしてなりません。


話はまたまた唐突に飛びますが、
私が私の母の前に行くと、
ここ2〜3日、急に貧血っぽいめまいから意識が遠のいたようなふらつきを感じたり、
体が疲れてどんよりして動きたくないし動けない感じになっている。
思考力が奇譚に減退して、施術で必要な精神統一やら瞑想状態など、
まったくもって入ることができない感じに。
ゲップなどがしょっちゅう出始めたりという反応が起きだしました。
おおよそ母の苦しんでいる部分と同様な部位に負担感を感じ出す。。。


ただ私の自宅の二階の部屋に入ると、
それはまったくもってケロッとする。
私の施術をする部屋は、
強い結界が張り巡らされていまして。。。



こう書くとさっしの言い方は、
「鈴木君、看護しているあなたが、そこで苦しんでちゃダメじゃないの。気を根こそぎもってかれてるね。気を付けなよ」
とアドバイスをいただくこととなるでしょう。

もとより人と人とは気の交流をしていると私は信じています。
その気の交流により、互いの気を高めてクリエイティブなアイデアが生まれたりエネルギーが増したりもするのですね。

気の交流あってこそ、ブレインストーミング。
または多人数で気功の練習をすると、
成果が進むんですよね。



ただそれが一方的なエネルギーのやりとりという「強い依存関係」に次第に変わっていくとなると、話は別です。
気のいい世話役に依存心が強まれば強まるほど、
無意識の本能的な部分により人は相手の気を持っていこうと乗っかります。

母にはがん改善のためのお薬等の処方はお医者様からはでておりませんで、
頼りきってはならないとわかりつつも、
たまたま私の方が施術技術があったり、
ネット等で情報をかき集めて提案して、
というところを繰り返してきたので。

そうなると、、、
頼りきらないようにと言われても、
なかなかどうして、、、^-^;
という感じになるのは自然でしょう。


ただちょっと怖い話かもしれませんが、
多少でも霊的な直感力を持つものなら、
相当に強く気をもっていかれる危ない状態だと察することができるようなことでしょう。


私も、大学生時代にバイトで入ったとある出版社で、
みごとに生きている人に気を持っていかれて死ぬ目にあったことがありまして。
そのときに経験してその事態を収めるのに、
かなり難儀したことを覚えております。


母の介護をしていて母の私に対しての無意識的な依存心がちょっと強まりすぎたなと思えたようなときから、
気がもってかれている感覚はありました。

ちょうど頭頂部からエネルギーを吸われている感じなんですね。

これは病気が重いからとか軽いからという問題ではなく、
依存心がなせる技の部分を申し上げています。
人との関係は、そういった側面がありますから。




ただ困ったことに、
この様子が行き過ぎると、私も母も共倒れになるのは必至です。
私の感覚では、私の体調的に持って10日間ほどだろうと思いました。


そして母に「私の気を持っていってるので、そこをどうにかしたい」といった事情を話しました。
それに、母自身に私に対しての悪気が一切ないということも知っているから、と付け加えて説明しました。
共鳴する二つのエネルギーは、ときとして強力な力を持つ低い方に引っ張られることがあるのです。
多くは身内関係では特にそれは悪気などは一切なく、おこる自然現象のようなものです。


むろん、母には私が話す内容は寝耳に水のような、
ちょっと信じられないような話なのです。


ですが素直に話を受け取ってくれました。


たぶん、ここ数日間、私がふらついてつらそうにしているところをみて、
「とりあえず、そういうことだと思っているなら、従っておこう」と思ってくれたのでしょう。



私が提案した近所の八幡様に出かけて気の取られる向きを八幡様に一時的に向けさせていただきました。
私自身、崇敬する神社です。
ただ何らかの願い事をいうというより、社殿前で手を合わせることが気持ちが良く、
いままで願い事はした試しはありませんでした。

でも「今回ばかりはお願い致します」と拝み倒す思い。

母と拝殿前で手を合わせた、その瞬間。
私のクラクラする感じは即座に半分以下に収まりました。 ^-^

いまだに気を吸われる感覚はあるものの、
十分に耐えられる範囲内に収まりました!


数日前のままいったらやばかったですから、
ほっと胸をなでおろしたくなる感じでして。



そして私が昨日、ひとり、部屋で瞑想中に、
「私が母を直さねば!」とか「私に直せるような知恵や技術がはたしてあるのだろうか?だが、私があきらめては・・・」
と、私が私自身の力で、どうにかしたい、と上段に構えていたことに気づきました。

「そうしてくれるものならやってもらおうじゃないか」と母がそのきになるのも当然の流れです。

末期ガンのときは、
3ヵ月ががんの場合はワンクールのような気がします。
ときとして、それよりも短くなるときもあります。


行動の手は緩める気はありませんが、
直るも直らぬも、
無常ゆえのこと落胆することはやめよう。


どのようなことであったとしても、
ありがたく結果を絶対受身となり受け入れたいと考えるようになりました。
そしてなんとなくですが、感謝の姿勢のような気がしたのです。




そのように思えるようになった今、
私の内側から施術をするものには害となり不要な気の焦りが収まり、
多少、冷静さが増したように思えます。


いつもの私ならば当然思いつくことも、
いままでの自分は盲目的な盲点がそこらじゅうという感じであったろう。
ずいぶん目をあけてものをみているとは言い難いこともあったでしょう。

これで少し母の容態を安定させるための前進ができたような気がします。



大変な事態を迎えたときのメンタル面の成長。
大きいものように思います。

posted by スズキ at 14:30| Comment(0) | 母の自宅介護 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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