私が施術をするとき。
「これから身体全体的にチェックしていきます」といい、
コップいっぱいの水を持ち上げる程度の軽いタッチをもちい
特別な経穴点に刺激をあたえます。
身体の状態がどうなっているかがそこからわかります。
ただそれを理解している者はチェックしている私だけではありません。
私が軽く指先等で刺激を加えチェックをするプロセスにおいて、
お客様は自分自身の神経越しにさやかな刺激を受け取ります。
刺激を受けた「身体の一部分」の状態へと意識のスポットライトが照射されて、
そのとき同時に「身体の全体」に影響が伝播していきます。
なぜそのようなことが起こるかといえば、
身体の部分と全体は相互関係を持つため、
部分がダメージがあれば全体にその影響は波及することからも想像がつくでしょう。
たとえば、右足の腓骨を骨折したら、その患部を守るために恐る恐る右足の筋肉を過剰に緊張をしたまま生活を送ります。
それは右足を治したいという意識を遥かに凌ぐ強さで、
「これ以上、右足が骨折して傷つけられるのは恐ろしくてしかたがない!」という本能の叫びから、
右足の患部を護るための反射で、全身の筋緊張レベルが知らぬ間に高まって力みが抜きづらくなる。
そこに陥ると、右足の患部は無意識下で全身に悪影響を与えるわけで、
まさに身体の状態とは部分と全体が密接に相互関連し続けていることがわかります。
その上で施術では症状をみて積極的に改善を促すようなイメージで即座にアプローチを始めるかといえば、
そうではありません。
まずは症状を観なきゃだめじゃないかといわれそうですが、
症状を観て治療をしていいのは医師に限られるのが日本のルールです。
私どもが観ているのは、お客様の患部の機能と構造です。
そして私が軽く筋肉や靭帯や腱を特殊な刺激のしかたにより患部の機能の状態がうまく発揮できているか、
構造が乱れてはいないかを知ることができるアプローチ法をもちいることでお客様の内部情報を得ていきます。
そうしているとき、上述したように私が理解した内容と同様な身体内部の情報を
お客様も自身の神経を通しその部位の機能の制限がないかとか構造の乱れがないかという点を理解できるようにしています。
実際、人間の体の妙は、平素の暮らしの中では身体の機能や構造の見過ごされた制限や乱れがあっても、
そうした制限等は生活を送る中で自ら必要として創り出したものである場合が多いため、
ことさらに機能の制限や構造の不安定さが内在しても見過ごしているのです。
そうした本人にはマイナスの自覚ができない性質を備えた身体機能の制限や構造雨の不安定さが複雑にからみあうと、
そこから症状を生み出すこともあります。
ですから私がボディチェックをするときの軽い?タッチで筋肉を刺激することで、
お客様の知覚神経を通し
「おや?そこ、張ってるんじゃないか・・・」
「あれ?右足より左足のほうが膝が曲がらないし、膝上をこすられたら驚くほど痛みがでた・・・」
「う〜ん、どうも自分の身体は個性的な形状に偏りを見せているようだ」
といった違和感を覚える内容をお客様自身の無意識下で感づけるようにすることを意図した刺激を加えていたのです。
実際の話し、いくら良質な左右差を取る施術に手を尽くしてみても、
お客様自身の無意識下では先程までの身体の歪みという身体構造上の乱れとは、
かつて母屋が傾いた家に対して必要なものとして
自分でそのつっかえ棒を創り出して倒れないような工夫をせざるを得なくなってせっせと創り出した必須アイテム。
そうした肯定的な認識があるため、ちょっとやそっとではその認識が揺るぐことがないんです。
お客様本人の無意識下で機能的な制限や構造的な乱れがあるとわかったときの違和感が感じられないままでいれば、
症状が思わしくない方ほど必ずといえるほど確実に元通りの身体の構造上の歪みを自らの記憶で再現して創り出し、
身体の関節やその他の機能を制限させる方向に当然のように仕向けます。
これもまた「一度、この部分を痛い目にあったため、その苦痛を再度味わうのは恐ろしい」という感情からでたもの。
自分自身を護るための自己防衛本能が働き、そしてその働きが恐怖の感情が裏に入ると過剰に身を固めて守ろうとして、
かえってそうした過剰な筋緊張のため身体構造の乱れを倍増させたり複雑化させ、体内の機能へと悪影響を与えてしまいます。
そうした状態から抜け出すような意図を持って、
軽く特殊な刺激の与える場所と方法を用いてボディチェックをするのです。
お客様の神経組織と経絡と経穴に刺激を入れて、私のなかの身体状態の調査観察とお客様自身の違和感を感じ取れば自然治癒の力が発揮されて本能的に身に備えた自己治療のスイッチが入ります。
自らを適切な時間をかけて構造の乱れ等を改善し始めるのです。
それは経絡の中を通る気の循環の影響から24時間かけて改善基調に乗り続けて状態を押し上げるときや、
状態と必要性によってそれ以上の時間も継続し自己調整を無意識下で図り続けることがあります。
これがいわゆる好転反応のでる時期のことです。
こうした好転反応は、自身の身体内部がととのう準備ができてくるまでは作動する量も控えめです。
自分の状態の乱れを客観視するにも事前に筋緊張のため神経や経絡の感受性が悪化していたとすれば、
自分の脳にまで皮膚や筋にあたえられた刺激が物理的に届けられるときにはささやかな気づかれにくい程度です。
そうした身体状況が耕されつつある過程の土壌なら、身体が改善という変化を受け入れるための体力も少ない。
そうなると早々に自己治癒を進める歩みを止めることになります。
またはチェックするときの手技が的確性をもって執り行われれば、
そうした自己治癒力の発揮の量の手綱を制御し促進させるよき助けを図ることをします。