みなさま、階段落ちをしてけがをしたことありますか?
私も夜中寝ぼけていて、暗いまま階段で二階から一階に降りるとき、
一階の地面についたと勘違い。
数段を一気に飛び降りて目を丸くすることがあります。
転びはしませんが、こりずに繰り返してたらまずいですね。。ー−;
3年前のことです。
私の40代後半の女性の知り合いが駅の階段を下りているとき、
後ろから人にどんっとぶつかられ、
10段もの階段落ちをした方がいました。
左手を骨折なさり、
ぶつかった人もさっさと逃げ去られたとのこと。
まったくもって、ひどい災難でした。
痛みと悔しさに泣きながら会社に連絡し、
病院へ行ったそうです。
一ヶ月弱の後に、骨折した左手の痛みは固定されだしました。
いままではこちらの左手の腫れによる激痛が気になっていたが、
そこがおさまりだすといままで気づかなかったカラダのそこかしこが強烈な痛みを感じはじめたといいます。
打ち身になって傷ついているのかと確認しても、
腫れもなくきれいなまま。
でも激痛が身体に複数個所あらわれてきたことで
夜に仰向けで寝るのもつらくて睡眠障害になるほど。
整形外科に足を運ぶと、腫れがなく問題ないといわれ、
そこまで痛いというならと痛み止めの湿布をだされました。
医師に問題はないといわれ安心したものの
でも湿布を貼っても痛みが消えずに増すばかり。
ほとほとこまったときに私の顔を思い出したそうです。
その知人にはボディワイズさんは身体操作法を習う場と認識していただいており、
頼むには分野が違うと思ったそうですが、
藁にもすがる気持ちでセカンドオピニオン的に連絡をくれました。
予約をとってきていただき、施術日になりまして。
怪我をした時の様子と、その後の体調の推移を伺いました。
10段の硬い階段を落ちでは、両手に荷物を持っていたため手で受け身を取れてなくて、
お尻も腰や胸なども複雑に打ったそうです。
でもそのとき青あざは一ヶ月もすると消えました。
ですが打ってもいないところが、後々の現在まで痛みが残り続けているといいます。
この苦痛を押して暮らすのが精神的にもつらくなり、
困り果てているとおっしゃられます。
「意識を失っての転倒」と「意識があるままの転倒」は、
その後の状態に違いが現れます。
基本、意識を失った転倒のほうが頭部のような急所を負傷する恐れがあるため怖いのですが、
意識がある状態で転倒したときは、転倒して身を痛打したとき、
体内にそのときの衝撃が侵入します。
続く第二第三の衝撃の侵入を避けようと防御反応で身を守る本能が自動で働き、
カラダの外側の骨格筋群を強固な鎧になるよう緊張させます。
そうして外から与えられる衝撃によるダメージを最小限にしてくれる。
だがそのときの防御反応で身を固めた鎧がうまく脱ぐことができなかったとき。
困ったことがおこるのです。
最初の衝撃が体内に波としてそれが侵入して外へでて消え去ることを妨げてしまい、
体内でそのときの衝撃波が乱反射を続けることがあります。
また鎧を着る必要がなくなった後でも、
そのときおきた身を危険にさらした恐怖。
それに故意かどうかわからないまま他人に押されて負傷したときの悔しさが繰り返し思い出される。
そのたびに鎧の強さを、より強固にして着込んでいきました。
それは無意識のうちになされることで、本人に、そうした防衛のための鎧を着たままの状態にある実感はないままです。
衝撃波がはいったときの姿勢で、どのような弾道として侵入したかを再現してもらい、そのときの姿勢をちょっとだけ手を加えて乱反射する衝撃波の出口をつくって治めるオステオパシー系の対応法があります。
私もそちらをつかい、それからすでに起きた乱反射の波でゆがみ凝らされた筋骨格系の癒着部を取り去るものの。。。
この鎧を着ていたことを気づいて、脱いでもらうまでは、外皮の筋膜層の緊縛状態がおさまらないといわれてます。
実際に対処してみれば、その通りだなってわかるはずです。
場合によってということですが、
このような点も注意深く観察して対処したほうがいいときもあるようです。
あとの注意点としては衝撃が腰や首に強烈な負担を残した場合ですが、
ご本人は気づかないうちに今まで使ってきた軸パターンとは違う状態に、
急激に設置されて起立筋の上中下や左右などの部分的セグメントに対し、
いままでできていなかった凝りを複雑に作り出して温存しだすことがあります。
これでも若い時分で筋膜の膜状に柔和さがあり寝ればリセットが効くようならいいのですが、
年齢が進むにつれて体内にて生成される筋膜の膜状やそれらの量は減少してリセットが利きづらくなります。
そういった場合、衝撃を受けて緊張した起立筋群の緊縮部が延々と残り続けて固着しだすことがあります。
それが契機で体調の不調をその後に訴えられる方が少なくないように感じます。
このような場合、起立筋群の緊張緊縮状態が膜組織内の水分を追い出して変質する前に、
つぶさに患部を見つけ出してリセットしていただけるように施術をしていただけることもいいでしょう。
スマーティのような遠赤外線ドーム型サウナなどに中熱以上で4〜5時間など、
その状態に対応できるだけの時間と熱の注入をおこなうことで入ることも勧められます。
遠赤外線効果で適温適時を持って筋膜の緊張した状態で固定化された膜状がほどけるとき、
本人も感覚的にあきらかにわかるような「ふっと肩や腰の緊張が抜けて去って行った」感じがあります。
私が自分の体で衝撃が入りそうだといったムチャを承知でおこなう自主トレをするとき、
やはりそうした衝撃波がはいって抜けなくなって、
背骨や肋骨や頭部、骨盤、膝等の部位で今まではなかった痛みがでることがあります。
すのとき、ニホンザルが温泉でぬくぬくするような感じで、
遠赤外線ドーム型サウナに入ってじーっとして筋膜が起こした自動防御バリアーを解除してくれることを待ちます。
禅のごとき流れを感じる『正木和三先生のΘ波呼吸法』が、私の施術成長の決め手なのです
施術の際におこなうべき、極めて重要な課題や実践ごとがあると思います。
それは各々の施術者ごとに異なるものであってよいのですが、
私に限って、ひとつだけございます。
私が施術中におこなっていることは知る人ぞ知る『政木和三先生の呼吸法』の実践です。
政木 和三(まさき かずみ、1916年5月26日 - 2002年8月6日)は、日本の発明家・科学者、スピリチュアリスト。元大阪帝国大学工学部工作センター長。
自身の発明したほとんどの特許を手放し、技術の無償提供を行った。 またペンジュラムを用いた人間性の測定を提唱、これが政木フーチとして発展を遂げた。
下方にエンベッドした映像をご覧いただければ理想ですが、
2時間越えの長い映像でして。
呼吸法のことについてのみ要約して解説いたしますね。
正木先生が幼少時、消化器が弱くてひょろひょろだった。
それをどうにか自力でなおせないかと考えて取り組んだ呼吸法。
それは「お腹に7秒吸って7秒吐く」これを繰り返していった。
それをおこなう際は『内なる欲望を捨て去ること』が大事で、
意識の変化を感じはじめたそうです。
後での調べだが、
こちらの呼吸をやっていくうちに
『脳波がΘ波へと移行』し始める。
するとカラダも丈夫に変わっていく。
この呼吸を大人になってもし続けると、
「お腹に一分間吸って一分間吐く」と、
一呼吸の長さが長くなっていき脳波のΘ波へたどり着く深さが増していったといいます。
https://youtu.be/Ch3EJyudtsU
政木和三先生のお話 『人生は坂道を登るが如し』
それは各々の施術者ごとに異なるものであってよいのですが、
私に限って、ひとつだけございます。
私が施術中におこなっていることは知る人ぞ知る『政木和三先生の呼吸法』の実践です。
政木 和三(まさき かずみ、1916年5月26日 - 2002年8月6日)は、日本の発明家・科学者、スピリチュアリスト。元大阪帝国大学工学部工作センター長。
自身の発明したほとんどの特許を手放し、技術の無償提供を行った。 またペンジュラムを用いた人間性の測定を提唱、これが政木フーチとして発展を遂げた。
下方にエンベッドした映像をご覧いただければ理想ですが、
2時間越えの長い映像でして。
呼吸法のことについてのみ要約して解説いたしますね。
正木先生が幼少時、消化器が弱くてひょろひょろだった。
それをどうにか自力でなおせないかと考えて取り組んだ呼吸法。
それは「お腹に7秒吸って7秒吐く」これを繰り返していった。
それをおこなう際は『内なる欲望を捨て去ること』が大事で、
意識の変化を感じはじめたそうです。
後での調べだが、
こちらの呼吸をやっていくうちに
『脳波がΘ波へと移行』し始める。
するとカラダも丈夫に変わっていく。
この呼吸を大人になってもし続けると、
「お腹に一分間吸って一分間吐く」と、
一呼吸の長さが長くなっていき脳波のΘ波へたどり着く深さが増していったといいます。
https://youtu.be/Ch3EJyudtsU
政木和三先生のお話 『人生は坂道を登るが如し』
人の脳波の状態は「活動時にはβ波」「集中時にはα波」「瞑想状態にはΘ波」とされる。
「活動時にはβ波は左脳モード」
「集中時にはα波は右脳モード」
「瞑想状態にはΘ波は左脳と右脳が脳幹で結ばれ高速にやり取りする全脳モード」
脳波がΘ波となったときに得られるひらめきは叡智にあふれており、
私が活動時のβ波モードでは思いもよらないアイデアが生まれ出ます。