2021年10月15日

お客様からの問いかけでしたが、いい加減なことはいえないので、返答できませんでした。。。 m__m

お客様から、
「私の首筋の凝りは、大丈夫でしょうか?認知症になりはしないでしょうか。。。」
という疑問を投げかけられました。


質問をいただきましたお客様の頸部は、以前は左首の凝りが背中の影響があり芳しくない状態でした。鋼のような斜角筋や舌に関する筋群、胸鎖乳突筋が、それが代謝力が全身にわたってまんべんなく作用していただいた影響もあって、だいぶ状態が安定しつつあるという好転へ向かう変化の兆しが顕著です。
快方へ向かっていたときにかけられた質問は答えやすく、にんまりして「首凝りはいい感じですね!」と答えることができました。

首の筋肉と頚部血管の位置.png

ただ頸部の状態が直接的に認知症になる要因かどうかを判断するようなことは医学的になされていることではありません。そこは医師ではない私には答えられません。


首凝りと認知症の明らかな統計的な発症への因果関係がわかっているわけではないのです。

認知症についての研究は、現在進行形で医学界でも進められている事項です。
単純な頭部への血液を含め体液の流動性に着眼していくために頸部の凝りに着眼したものです。すべてがカバーできているようなものではございません。
参考となる可能性を秘めた着眼点のひとつという考え方が現実的でしょう。


実際のところたまたま私が観てきた認知症の方々の首筋の凝りが強くなっていただけかもしれませんが、
18名の方のチェックをさせていただいた際、頸部中程の凝りも気になりましたが、どなたにも頸椎第一への変位を促す凝りが見受けられたのが印象的でした。
施術をするものは一つずつ、自分の目と手で確認を積み重ねていき、独自の指標を持ちますが、正直に言えば、例が少なすぎて説得力はないというのが現状です。。。

ただ私が内々でお医者様から聞いた話では、という怪しい話ではありますが、頸動脈の血流低下と同時に頸部の静脈の血流が落ちることで脳内に脳神経が役目を終えて廃棄されるものがたまり出すといいます。

だから、、、そうなると頸動脈よりも外側にある頸静脈ですから、それは首の特に側方にある筋肉の凝りによって、さらに影響を受けシビアなものだといいます。
ならば頚静脈ではなく頸動脈をチェックするかというと、
静脈よりも動脈のほうが脈診の応用も利きますし、観察がしやすいので、そちらを使っているにすぎません。
本来は頸静脈の血流の状態をもっと気にして観察するほうが実体が見えてくるのかもしれません。



頚部の凝りがあったといっても、頸動脈等の状態が違えば結果も異なります。
たとえば、きびしい首凝りではなく軽微な凝りとしても、もともとの頸動脈の脈管が細く軟弱であれば、さほどの凝りがなくても危険性はあるものです。
対して、頸動脈の脈管が太くたくましい形状で形態に強さがあれば押しつぶされにくい。そのときは首凝りが多少あっても脳や頭部への血流は確保できているようです。

頭部の血行状態の良否は他の条件もあるでしょう。
たとえば、頭部の頭蓋骨が縫合部位で変位が生じて呼吸にあわせた律動が起きなくなることで、頭部の内部には脳脊髄液がたまって脳を圧迫する。それは脳内の血流の阻害に影響することにもなるため、チェックは欠かせない。

他には、脳の働きが敏感に活性する人は、ストレスを多めに感じてしまう傾向にあります。
そのような繊細な人ほど「ストレス脳」と呼ばれる脳の中心部に血液が集中して外縁は血液が足らない状態に陥ってしまいます。
これでも脳内の血流阻害にもつながり悪影響を受けるだろうといわれます。
※ このパターンの方は、会話中など目の瞳孔の開閉を観察して読みとることができるときがあります。
※ 脈を診るとき、緊張性反射で脈が強まる人がいますので、その方も過剰なストレスを感じやすい可能性があるなと感じています。
もしもご自身が過度にストレスを敏感に感じ取る傾向が顕著だと感じるときは、抗ストレス作用のあるハーブ等を1っかげつほど試して様子を見てみることをお勧めいたします。
そのほかにも有力と思える推測する事項は多数存在しておりますので、
そのような見分けるノウハウを蓄積増やして、自分なりの見方を模索しています。



もちろん冒頭でいいましたように、医師ではないのでお客様に直接勝手な解釈をした内容をお話しすることはできません。


「なーんだ、それじゃ、お客様の自分たちには、何らメリットもなさそうじゃないか」と言われそうですね。
でも口で説明することはできなくても様々な危険因子と思われるものは、施術中に対処しています。
それにより、たとえば上記の絵の胸鎖乳突筋や斜角筋等の頸動脈の圧迫を強いる部位の凝りなどは、
丁寧に取り除いて解放するように時間をかけています。
首の問題があるんだとお客様が積極的におっしゃられるときもありますが、
ほぼ8割方のお客様は、こんなところになぜ、こんな凝りがあるのか?!という感想でしょう。
手技でアプローチを受けて状態に気づいたということとなります。


また認知症の発症にこだわるっていっても、なんら権限等がない身分です。
そこまでやらなくてもいいだろうと同業者の友達から言われることもあります。
ですが個人的な考えでは、最初から自分の領分ではないとして扱わないですまされる問題ではないような気がしています。
今後の認知症初期のお客様も増えるということは、認知症専門医が公言していますが、統計的にもその資料を集めれば深刻さは増しております。
そのような点での対処の重要性が、今後、増していくだろうということです。
ならば後になって調べるよりも、先々に勉強しておいたほうが違いが出てくると思います。
(実際は、資料を集めた結果、すでに悠長なことを言える時期ではないような気がしています。)

とはいえ私という個人が手持ちの得意分野や関心あるところから手を伸ばしていくというやり方で終始させるつもりですので、
要領の得ない着想や対処調査のときも多々あって。
重箱の隅を突っついて成果が上がらないときもあります。
ですが研究心を貫き持っていれば、少しずつ自身を説得できるようなヒントが目に付くようになるわけです。
目的意識を明確にして観察をしなければ、人間の意識は重視すべき情報ではない無価値なものと判断して、目には写っても脳に必要な情報として書き込まれず流れてしまうでしょう。
自分の脳に「これが価値があるんだぞ!いいな!わかってるよな!!」と言い続けることです。
それさえできれば、私は願いはかなうと考えています。
どんな人でもきわめて優秀な脳の力を保持しており、それを発揮して解決の糸口をつかめるものです。
考えるためには自分の手足を使って経験で稼ぐ情報の量を必要とします。
それを膨大にためていくことで骨董屋が名品を数観て眼力を磨くと同様な眼力が観に備わります。
観る量とは、意味内容を吟味して理解するということです。
皮膚感覚を通して咀嚼した知識は直感的にわかる、スポーツ選手が一瞬をとらえて判断するのと似たことが起こります。
経験でえた咀嚼された情報を脳内に蓄積し、意味関連付けができるよう寝かせ、複雑な情報処理をおこなえるようになった状態のことを直感が働くといいます。
そこにはいい加減さを含めることはありません。

楽をせず、自分の興味関心を持った点に注力して苦労するほうが、自分には向いているような気がします。
中途半端なことをするのは損をしているように思えて楽しくは感じられないのです。





そのようなことをいう私自身、脈診が少しずつわかってきて、自身の頸動脈を診て「これは物忘れが悪くなってくるわけで、脳内が深刻な状態になっているのは否定できない。。。」と知ることになって愕然としたとき。
対応策を模索しようとしたときには、熱が俄然、増し増しになり研究が進みました。
「昔好きだった芸能人の名前は普通に覚えていても、脇役の俳優の名前等、ごっそり記憶のなかから抜け落ちてるぞ。。。」
そのようなことで、危機感を感じたのが発端で、自身の記憶と集中と認知を絡めて探り出そうとしたのがきっかけでした。



施術で手技を練ってみても自分に対しておこなえるほど器用なものではないし、手技でどうにか一時的にリセットしたとしても、その奥の凝りが根っこになっていれば早々に元に戻ろうとするいたちごっこ。
特に私自身の首凝りの深層部は課題が山積、危機があおられるだけの問題がありました。。。
手技でリリースは、頭部という巨大な重さを持つパーツが最頂点に乗せられた人間には、首凝りが作り出されやすい宿命があります。

首の後ろにある項靱帯という靱帯が効いた状態で日常生活上で立てている人たちが、私を含め、いかに少ないことか。
もしかしたら項靱帯を使って立った感覚を味わったことがなかったという方も多いでしょう。。。
手の内の研究が発端で首の現状を大幅改善をかなえてくれたのです。
あきらかに私自身、想定外の幸運!!


「手を前足と見て使う気づきと実践がなければ、どうなっていたことだろうか?」
手技と栄養だけでは、対処上の手薄感が否めなかった私には、真剣そのものでそう感じてしまいます。


加えて言うならば「認知率を改善するには、普段慣れていない複雑な運動を取り組むと良い」とされていますから、
そのような意味でも、手の内の研究と実践、そして進化は、大変理にかなった脳への刺激にもなったといえるでしょう。
使い慣れていない筋肉を細分化して使うことで、腱鞘炎や筋肉痛はいまでもあるものですが、いままでついたことがなかった使うべき理想の部位に筋肉が育つ感覚は、得難い楽しみです。




認知症対策のために育てているゴツコラ。。。
ゴツコラ畑2.png

ゴツコラの性格がわかってきて、安定的に独自のうまい育て方ができるようになりました。
最近は、2階の窓辺にて、100円均一のキャンドゥで買った小ぶりの容器で育てるようにしています。
すると身近で採取が楽で完全無農薬、害虫もブロックでき、ゴツコラの葉は小さいですが新鮮そのものをいただけています。
すると、、、不思議と脳の働きがアップしてるような気がします。
食べるIQといわれるゴツコラで、健脳食として育てていますが、日々、残暑のなか勢いよく育ってくれる丸い葉のゴツコラをみると、こころがほっこりする。栽培して育つ姿にストレスが消えて気持ちが丸くなるような気がします。
残念ながらゴツコラだけでは、代謝が停滞する状態が高い方々には十分な成果が得られるようなものではないでしょう。




というわけで。。。
いまだ、私自身、認知症対策って自分なりに考えてどういう手があるか。
手探りで試行錯誤をしています。
だからお客様にこの状態は脳への血流が減っているようですという首凝りにより頸動脈の血の通りが阻害されているかどうかは見えても、認知症になるかどうかなど、お答えすることはできないのです。

申し訳ございません。




私自身への認知症対策の骨子、「栄養、運動、施術による手技」の3つを有効にあわせていくことで、おぼろげながら打ち手がみえてきました。

一般的な認知症対策とはかけ離れた独自路線ですが、たとえミスっても責任は自分の身でとることですから、そこはご容赦をお願いできればと思います。
今まで身体の使い方を模索してぼろぼろになって長期休業を繰り返してきた施術での負の状態は、たぶんに私の脳に悪影響として積まれてきている自覚があるのです。
自分なりに合理的な手として考えたものを実践し、トライ&エラーから磨きをかけていくことで、自身がどう変わるかを、いま、自身の身体で実感し経験値を高めようとしているまっただ中です。
科学的な調査とはなっていないという自覚はありますが、身体の仕組みや働きの理解を深めるためのきっかけになってくれているようです。


またもし仮に、今後、自己の体験を通して得られた成果があれば、
いずれ、それは参考までにということで、興味のある人にはお話しできればうれしいと考えています。
















posted by スズキ at 08:31| Comment(0) | 施術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

栄養により体質改善をはかってお越しいただいたお客様の話

昨日の施術にて。

数年前に施術を始められた方が、コロナの影響から一年ぶりに施術受けに来ていただきました。

施術始まり当初は非常に重い症状をお持ちのお客様で、かなり各種特別な本を多数取り寄せて勉強して対策を持って少しずつ前進していった記憶があります。
都会には、何千も何万もと多く施術院がある中、わざわざ遠路より足を運んできてくれるわけです。
それに対して、できることはきっちりやっていきたいと思い、
施術で治せる症状名ではないものでしたが取り組ませていただきました。
やはり取り組むと私の方も覚悟を決めたら、引くことありませんから。
自分の能力や才能の限りはあるものの、情報をかき集めて、知恵をだし、一回ごとの施術で目標のステップを決めて上りだしました。

施術の場合、大きな問題を抱えた症状の本丸を一気に攻め落とそうとすると、多くはお客様の体は壊れていきます
すでにダメージを受けて砂上の城のようなときに、どうしなければならないか。
基礎になる土壌を、とにかくガッツリ安定させること。
それを怠って建付けが悪くなった城を治せても、城に変化をあたえた時点で、どうにか砂上で倒れないバランスを保つのに躍起なものを、
ダメ押すことをしてしまうことになるものです。

ときどき他の治療院にいったときの経験で、どうやらそうしたダメ押しをされて「好転反応」といわれたというがなんか変に感じて、
たまたま紹介で私の所へ来たとき。
ひどく複雑な人為的な介入がされていて、ケアするのは数倍手間取りますから覚悟してくださいといわれることも。
好転反応は、よく使われる言葉ですが、好転できるだけの体の基礎力、つまり土場に変わったときにだけおきます。
カラダ内の筋腱や骨格の設置位置のずれが大きく、脈管リンパ管、血管、等が圧迫を受けて代謝が阻害され、
呼吸が苦しそうな状況下では、決して芯の緊張がほどくようなことを体はしないのです。
それはカラダはカラダ自体、インテリジェンスを持っていて、手放してはならないものを必死になって保っている。
そうせざるを得ない状態に陥っている急場ですから、みずからの内側の脈管の状態悪化を招いて生命の大道を保とうとします。
そこへの人為的介入は、現状の正確な認識のみならず、理詰めで仕組みがわかっている必要があります。
そこが見えてなくて、一般的なルーチンとして、この症状にはこの手技でという流れ作業をするときに、
危うい砂上に立つ城が、さらに傾き、きしみだしてみえてきます。
何らかの変化が起きていかなければ、施術をした甲斐はありませんが、すでに複数の施術院に通っておられる場合には、
さまざまな先生方の人為的介入が施術の手技という形であたえられているので、そこも別個に読んで切り崩さないと自分の意図した状態変化を求められるところへは移行できないのです。



そして昨日。

私としては、内心、前回のだいぶ前の施術ですが仕上がりがいい状態でお帰り頂けたところを覚えていますが、
状態的には一般ではほぼみられない原因で背負われた特殊性がある方でしたので、読むのが難しいのです。
「症状が戻ってつらい思いをしておられるのではないか、それとも、、、、」などと心配しきりでした。



会った瞬間、その思いは取り越し苦労におわりました。



お客様ご自身は、体がつらいという思いがあって施術のアフターフォローの予約をしたわけです。

ですがそしておいでいただいた時点で、玄関で体の全体像を観たとき、
「バランス上の問題がだいぶ改善されてるな。なんでだろうか?」と想像していなかった疑問がわきおこったのです。


聞けば、ご自身も積極的にセルフケアをなさっておられたとのこと。
同時に、栄養療法の先生にかかっておられ
その指導の下、体の改善を図っていたといわれます。
やはりそちらの栄養療法の先生の話を聞くと、よほど人となりも、仕事に対しての誠意や患者様に対しての気配りも
たいそう素敵な先生で、自己実践の上、効果や成果が確かめられたもののみ患者様に勧めるという徹底ぶり。
そこで、体質が大幅に改良することとなったんだろうということは、私にも察しがつきます。
その先生が廃業して、、、という運びになるようですが、私も一度、そのような先生なら足を運びたいなと思うほど。



だからお客様の体の不調は、以前の危険度レベルからすれば、大幅に減じられておりました。
ほっとしました。 66;
確かに痛いのは痛いのですが。
以前は痛覚神経が麻痺をしたうえで感じていた痛みという、組織が破壊される灯火の炎症でした。
代謝の阻害が著しい状態で、痛覚神経が働けずに痛みを感じる機能が鈍っていたという状態です。
いまは、痛覚神経が体表までくっきり蘇るほどの代謝が届いている。
それにより、通常の感度で痛覚神経が働いて痛みを感じさせて警報をならしている。
痛いけど、このような痛みの場合、
炎症した筋が炎症してるからここに血を多く送り込んでくださいという物質を出しているため、
寝るとそこが一定量の改善が図られる。
そのきっかけとなれる痛みや張りや不快です。
痛みは人間にとって、警告であると同時に、治癒力を働かせる鍵。
もちろん警告が出てるので放置は駄目。
対処してほしいのですが、
体質がいいとある程度は代謝力で凝りを深部にまでいれるという病いの位置を深刻化させないですみます。
凝りが骨の近くにある動脈があるところまで落とし込むと、生命の循環が阻害されて生物として弱ります。
そうならないようにできれば、けっこう人間はタフなんです。



部分的な脚部の不調は、それは運動による部分に負荷がかかったというもので、そこは別個の見方が必要で対処しますが、
そこ以外は自己の代謝で体の内部の奥に層状に重ねて作り続けてきた凝りを溶かしている様子が見られて、
今まで以上にざっくざっくと体の内部の状態の書き換えが進みました。




施術前に想定していた施術内容とは、大違いです!

そういえば、線維筋痛症で来てたお客様だったんだっけ、、、という、
難病指定の症状ではじめにおいでいただけていたお客様だというのは、
ご本人に施術を受けてよかったよ〜といっていただけて思い出しました。

それを思い出せなくなるくらい、コンディションが上がってましたね。


ほんとうにこちらのお客様のカラダ関係のリサーチ力と行動の積極性。
あきらめない姿勢に脱帽です。


以前私がブログに書きました他のお客様が栄養療法の先生に通っていてと書きましたが、
こちらのお客様が、そのお客様に紹介したそうです。
そして紹介されたお客様の状態も、栄養療法の先生の指導の下、
代謝の状態が改善していっているのが、筋の様子、血管の様子、脈状などからもわかりました。

改めてお客様から、栄養、口に入る食事の大切さ。
教わりました。
posted by スズキ at 05:34| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする