2019年06月17日

体の中のめぐりが停滞すると、痛みが発生するんです

中医学的視界でものを見てみると。

人体内部では「気・血・津液」などがめぐると考えられています。

これらを少し解説をつけさせていただきますと、

「気」とは陰陽の陽にあたるもの。
気は、<実体はありません>が、<機能はたくさんある>のです。

たとえば、、、
・推動(すいどう)作用という、血液や津液を推し動かす作用があります。
・防衛作用という、外邪の侵入を体表で防ぐ作用があります。
・おんく作用という、身体を温める作用があります。
・気化作用という、物質を変化させる作用があります。
・固摂(こせつ)作用という、血液や津液が漏れでないようにする作用があります。


「血・津液」は陰陽の陰にあたるものです。
血は、わかりますよね。 ^-^

津液(しんえき)とは、血の構成成分のひとつであり、また血以外の正常な体液成分の総称でもあります。
細胞液、内臓に含まれる体液成分、関節液、リンパ液、涙、鼻水、唾液、涎、汗、女性のおりもの、羊水など、これらは全て津液です。


「気・血・津液」が、理想的な状況で体中の根幹から末端までまんべんなくめぐっている状態が健康体です。
それが、なんらかの内外の原因により「気・血・津液」のひとつかまたは複合的に
流れを滞らせてしまう停滞した状態となるときがでてきます。

すると、「気・血・津液」がめぐっていれば問題はないが、
うまくめぐることができず停滞すれば、
それは「邪」となります。

その「邪」が体の不調へおとしいれる原因になるのです。



ちなみに、「気・血・津液」のそれぞれの滞りとなった際の呼び名をお伝えしますね。

・気がスムースに流ない状態が「気滞」(きたい)です。

・血が滞れば「瘀血」(おけつ)となります。
 瘀血とは、
 流れが滞った血のことです。
 血行不良も瘀血の一種ですね。

・津液が滞れば「痰飲」(たんいん)となります。
 痰飲とは消化器官内に余分な水分がたまって停滞する状態 です。



「気・血・津液」の滞っている状態自体が「邪」だったんですね!

「邪」という、邪悪な悪魔がいて特別な悪さをするのかと思えば。
そんなものではなかったんです。。。



では「気滞」「瘀血」「痰飲」となれば、どうなるのか?
つまり正常に「気・血・津液」のめぐりが停滞したら、ということですね。


想像力豊かな方は、
体のなかに腐りかけのため池が存在するかのようなよどんだ汚れた状態を思い描く方もおられるはず。


そうなってしまうと、よどみが浄化されずに、やがては荒れ放題となるのです。


そのとき!
つまりが原因で<痛みが引き起こされる>ことがあるんです。


それを「通ぜざれば、すなわち痛む」といいます。


このようなときはつまった状態をとってあげれば痛みが改善するのです。


寝ただけでも「気滞」「瘀血」「痰飲」などの状態も改善することもあるでしょう。

ですがそれらの悪化の進行が深刻になれば、
寝たり休んだりするだけでは
一向に気・血・津液の滞りが改善できなくなってしまうんです。


そうなると、より専門的な対策を打っていく必要が出てきますね。


中医学では、
鍼や漢方やスイナ(中国式マッサージのようなもの)で
「気滞」「瘀血」「痰飲」のような滞りによる邪を吹き飛ばすのですね。

または、、、
私の施術でも体内の「気滞」「瘀血」「痰飲」の滞りが<筋膜の癒着が主因>になっているときも多いのです。
血管やリンパ管等の管。
それらの管の隣にある筋膜が癒着して管を圧迫すると、
血液やリンパ液の流れを止めたり停滞させることがよくあります。

今までの私の施術では血液・津液の滞りを狙い打つことが多いですね。
人体構造の構成として血管・リンパ管や神経のラインをも物質的にとらえて観ていたのです。
そうなると「気」という実体のないものをみる手段がチェック的に取り入れていなかったので、
「気滞」へのアプローチは手薄になってしまっていたんですね。

たとえば「気滞」を、発見するためのひとつの手段として「脈診」があるんですね。
直接的に脈診だけで体のどの部位に「気滞」があるかはわかるわけではないのですが、
脈をとるときに、体内に強い気が流れているかどうかわかります。
橈骨動脈を触って脈診をするのですが、
脈診時の脈が浮いているか沈んでいるか、
血管の形状が明瞭かぐにゃっとしているか、
血管内に十分な血液が流れていそうかスカスカか、
脈の遅速の様子や脈の長さ等を見てみることで、
気の流れの強さや滞っている状態のおおよそをチェックしているのです。


脈診をさせていただいたときに、
「診断」のような私が脈診で感じたことを
断定的に身体の状態をお客様に直接伝えることはできません。
その理由は私は医師ではないため、そのような資格がないのです。

ですが確かに脈をうまく取れるようになると、
気の強さ弱さ等が、
そこに明瞭に表現されているとわかるんですね。

今までの施術では脈を見させていただいて参考にして施術をするという流れがなかったのです。
それを数日前に私がときどき会食をする方のデモワークをさせていただいたとき、
脈をみてから施術へと移行させていただき、
気の様子をチェックさせていただいたのです。

気滞の対処法のベースは、
気を乗せて運ぶ血の流れを改善させることで果たせる部分があるのですが、
もうちょっと直接的に気の様子への操作力をあげられるようにできれば。


気の停滞は、体中のそこここに起きるものです。
その滞りがそこここに痛みを発生させるのです。
ほんとうに妙なところに痛みが出たり、
その痛みが移動して逃げていったり。

そこで起きている混乱を整理していくならば、
安らいでいける変化がおこることでしょう。

そのように感じているこのごろです。
posted by スズキ at 19:35| Comment(0) | 施術研究 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

感情がもたらす病気があるから、ときには逃げるが価値がある!

中医学基礎の解説になるのですが、
病気になるには、原因なるための種があるんです。

種をまかなければ、芽も出ません。

それって、因果律で考えればわかりますよね。

その因果の種になるひとつに、感情という身体の内から起こる病因もあるんです。
それを(内因)といいます。

感情も行き過ぎはいけません。
行き過ぎれば臓器を傷つけて、
そこから病に転じるのです。



それはたとえば感情も過度になれば、プラスエネルギーを持つ「喜び」でさえ体を壊す種になるのです。

喜びすぎて気が緩むと「心臓」を傷つけるのです。
喜(き)」となると、
集中力が低下し、不眠になり、不安感が増して、精神錯乱などへ。


他にも挙げていきますと、

怒りすぎると気が上昇して「肝臓」を傷つけるのです。
怒(ど)」となると、
頭痛、めまい、目の充血、脳卒中、動悸、不眠などへ。


考えすぎて「脾臓」を傷つけると、気が停滞します。
思(し)」となると、
腹痛、食欲不振、膨満感、軟便などへ。


悲しみ、憂いがすぎると気が消えて、「」を傷つけます。
悲(ひ)・憂(ゆ)」となると、
咳き、息切れ、胸苦しさなどへ。


恐がりすぎると気が下がると、「腎臓」を傷つけます。
恐(きょう)」となると、
大小便の失禁、白髪の増加などへ。


驚きすぎると気が乱れて「腎臓」を傷つけます。
」となると、
動悸、不眠、精神錯乱、物忘れなどへ。







と、ここまでは中医学の基礎のお話ですね。
もう一歩、考えを進めてみましょう。



「人間とは社会的な動物です」

アドラー心理学を学べば、
悩みのほとんどには対人関係が絡んでくると明言しています。

コーチングをするときにも、
対人関係をどうすればよいか?」というテーマで<課題の設定>して進めるケースが多いのです。


私も、幾度もコーチングをするほうではなく、先輩コーチにコーチングを受ける方でお世話になりました。
それはコーチングを学ぶためには、自らがコーチからコーチングを受けて学び取れることが多いのですが、
やはり私も対人関係上の問題をテーマとして設定した記憶があります。


コーチングでの対人関係のテーマになるのは、「うれしすぎて気が狂いそう!」というものはないですね。
多くが、相手がひどい奴でいやでしょうがないとか。
職場の人間関係で八方塞がりでつらくてしょうがないとか。
。。。などが課題のほとんどです。


一部の人間に対してもつ対人関係のねじれもありますし、
または大胆な人は人が怖いとか嫌いとか信用できないとか、、、。

これは実はコーチング等で、
その課題がブレイクスルーしたり、
その課題自体に対して話し合っていて問題を感じられなくなったときのスッキリ感の半端なさからして。

対人関係に苦しんでいたときの感情の傷が肉体を攻めるということが水面下で起きているといえるほど、
その苦しみが消えたときに体調がよくなる人も、ほんとうに幾名も見かけることがあるのです。

ということは、、、
確かに自身の感情が過剰になって自らの臓器を傷つけているようです。
具体的に、今の自身の過剰な感情がどの臓器を傷ついているといった自覚はないにせよ、
なんらかの漠然とというレベルを通り越した不快感を持っているからこそ、
対人支援を得意とするコーチの門を叩くのでしょう。


内因の過剰な「喜・怒・思・悲・憂・恐・驚」という感情が発見されたなら、
自身ならばどう対策をとるべきでしょうか?
そこが大事ですね。

中医学の門を叩くというよりも、
たとえばですが私は対人関係を支援してくれるコーチの門を叩くほうが適切だろうなと考えています。

私が目を通した中医学のテキストには病気の原因に内因があるということは書いても、
それに対しての対人支援を受ける必要ありというようなところまでは突っ込んでは書かれていません。
内因に対しての危険を提唱したとしても
具体的かつパワフルな対策が打たれなければ、
クライアントの臓器の傷は減りませんし、
誰もしあわせにはなりませんから。



余談ですが、
「臓器が病気になるほどの過剰な感情」という、行き過ぎた状態では
感情を生じさせるエネルギーを過剰に消費させて健康ではいられなくなります。
それは別に強い怒りの感情を爆発させた人の息をビニール袋にでも貯めて、
小さな昆虫などをいれると通常ではありえないほど死んじゃうのです。
通常の感情では息をいれてもピンピンしている昆虫なのに。。。

自分の内側で内因動機により毒を創り出しているんですね。

その毒を外に吐き出すこともできますが、
うちにこもる毒もでてきます。



特にですが家族、親族、友人、仕事場で、
対人関係に苦しむことってありますよね。


いちばんきついのが身内だと思います。
人間関係を学ぶ修行をするときにもハードな学びになるのが身内からです。


たとえば身内にいつまでもいつまでも恨み言をいう人もいますよね。
ときには非常識な理由で噛み付いてきたりすることもあるんです。


そのようなことを言う人に対して。
「そのようなことじゃいけないよ」と注意をしたほうがいいのでしょうか?


個人的な考えでは、
ずっとそのような言葉を言い続けているような人が変わる手助けは望んでおらず、
かえって反発されて恨み言のネタが増えていくだけ。
本人が心底そうしたいと感じるほど懲りない限りは、
自分のやり方がまずかったと反省もしません。

コーチングでも、多くの場合、
クライアントが悩むのが、
どうやって相手の考えを変えようかというところでつまずきます。

たとえばその相手がコーチングを受けたいとなれば打つ手はありますが、
そうではない場合は、
けっして強制力を用いて相手を操作するようなことはすべきではないという姿勢でいること。
そのような考えがアドラー心理学のベースにあるのです。


すると賢明な行動としては、
できるだけ顔を合わさずに遠くへ逃げておくように私ならばさせてもらいます。
同じステージに登らないようにしたほうが、平和なのです。

立場上、逃げられないときもあるでしょうが、
もしも相手がひどすぎるときには、
表向きでは関わっているようにみせても、
精神的な面では関与しない姿勢で逃げる気持ちでいるのが正解でしょう。

少し前にやっていたドラマですが
『逃げるは恥だが役に立つ』でいいじゃないですか。

posted by スズキ at 12:56| Comment(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする