2017年08月03日

「なぜ?」とばかり問わずに、「なんのために?」 と自問自答をしてみよう!



なぜ?」とか「どうして?」とか。

原因を追求する問いかけ方
があります。

こちらを原因追求型の原因論的問いかけといいます。


それに対して、
それはなんのため?」とか「それをだれのために?」とか。

何を目的としてそれを追求するのかを問いかけるとき。
こちらは目的を追求する目的論的問いかけといいます。



実際はどちらが優劣があって軍配があがるという問題じゃありません。
「原因論的な質問」も「目的論的な質問」も、どちらも大事なんです。

要は、ケース・バイ・ケースで、使い分けが必要なんですね。


たとえば、
原因論的な「なぜ?」と問う質問により情報をいただきたいとき。

私が初回のお客様のお体について話をお尋ねするとき。
尾骨の骨折】と付記していただけたとすると。



私:「 なぜ、そのようになったのか原因はわかっているのですか? 」

お客様:
「 私のこの尾骨の曲がりは、
  10年前に遡るが、
  学校で先生をしていてスリッパを履いて廊下を歩いていたのだが。
  いきなりそのスリッパが脱げていきなり長座で座り込むかのように尻餅をついた。
  そのときがかなりの激痛で、数日間高熱を発して寝込んだことがあった。
  もしかしたらそのときに曲がったんじゃないかと思っている。
  それからが、いまだに体全身の調子が悪くなったのだ 」

私:「 それはかなり強く尾骨を打ち付けてしまったのですね。
    具体的には、お尻のどこにどのような形でお尻を打った形になりますか? 」

お客様:
「 えっと、もう昔のことで正確には覚えてはいなけど、
  こんな感じでしたよ。
  (尻餅をついたときの状態をリアルに再現してくれている)
  そして右側の坐骨部分に衝撃が走ったことを覚えてます 」



これは尾骨骨折という過去からの結果といってよい現状の様子が、
過去10年前に尻餅をついた際から起きたことを教えていただけた。


これから私が過去の尾骨骨折をなさった方の情報を元に
目の前のお客様の様子を推測する一部を挙げれば、、、

・ 昨日今日に起きた尾骨骨折ではなく、10年前からの慢性的な不調を伴う状態だ
・ 現時点も全身の調子が芳しくないのだが、尾骨骨折が生じたときを起因としている
・ 右側の坐骨に衝撃を受けたため、
  そちら側の仙尾関節側への緊張が根づいたまま今に至るだろう。
・ 10年以上も慢性化した状態だから、
  すでに体の歪みには複雑なパターンが入り込んでいるに違いない
・ 尾骨の不調は脊椎全体を萎縮させ、
  自律神経系を不調に陥らせ、交感神経優位のまま一日中過ごすこととなる。
  それにより、
  呼吸のしづらさやときには不整脈や冷えのような血液循環の悪さがあらわれる。
  睡眠障害を起こすことも多い。
  それで体内の生命エネルギーが徐々に減少し枯渇しだす頃には
  精神的負担感が現れてくる。

そのようなことを推測することで体へのチェック項目を的確にしていきます。
かつての施術で別のお客様の対応をし発見をした経験的にもとづいて得られた知識。
そちらを活かせるならば、施術での解法が進みやすくなります。

ただ盲目的にかつての他者の肉体条件というまったく違った状況であるため、
信じ過ぎは厳禁です。
ただかつて改善できたお客様との共通項を見つけられると
その際に目の前のお客様に説明をさせていただけるときに役立つものです。
自身の体のイメージが想像がしづらい状態でいるよりも、
精神的に類似したところが改善したという人もいるんだってという例示に、
少しだけの希望を持つことができるということでしょう。

結局は、各人の体の状態は百人百様で、
それぞれの特性にあわせた鍵があって、
他人で開く鍵をさして回してみても回らないことも多いので、
私どもが事前に提示することができるというものは、
単なる希望的推測に過ぎないことなのです。

私はそう思っておりますので。。。


ただそうはいっても、
なんらヒントもない状態で解法を求められるよりも
過去の状態を今に至る原因と捉え、分析することで、
敵を知り己を知れば、、、、ということは言えていますよね。

どのような忌避事項があるだろうとか、
どのようなアプローチ方法があるだろうかなど、
過去に患われたときから今に至る原因を伺うことで、
読めてくるという部分があるので、
それはお客さまにとってみても問題解決に有利に働く情報提供になることもあります。


施術を受けるときには、
上述したように尾骨骨折を患った状況をお伺いすれば、
益が生じるということもあるだろう。
確実に、原因が起きた際の現場検証をすることで、
施術者でなければ知り得ないような情報がはじき出されていく。
そちらが施術という手当に活きていくものです。

それにお客様が施術を受けていくうちに
「あっ、そういえば、伝えたことはなかったことを思い出しました!」
というひとつの重要な情報を提供していただくことで、
その後の施術方法がガラリと変わって、さらに的を得たものになることはよくあること。


もちろん原因論的に情報を得られたとしても、
そこから安易にわかったとはいえないものもでてきます。

たとえば安全に解くための手間暇がどれだけかかるものなのか。

実際はお客様が施術を通っていただける間隔や、
お客様自身がどれだけ体の立て直しに協力的かどうかなど。
それに私自身の健康状態等に問題が生じる時もあるでしょう。

いくらだって不確定要素があるにもかかわらず、
そこに気を配らずに言葉として放つのは、
目安が欲しいと希望なさられる気持ちはわかるものの、
正確な回数等は私には知り得ることはできないのです。

そのようなふうにいろいろと原因をお伺いするにしても、
それを活かせる限度はあるので申し訳ないところもありますが。。。


施術者が施術をする場合には、原因論的に
「なぜ、その症状が起きたのでしょうか、原因は思い当たりますか?」
という質問にも一定量の価値が生まれることもあると思える点です。


それでお客様のお体の情報を差支えのないところをお伺いするのですね。






ですが、「なぜ?」とばかり原因を追求する問いかけからだけでは、
今後の問題解決につなげにくいときもあるのではないでしょうか?


たとえば、尾骨骨折で患われた方に、

「なぜ?」という質問で短絡的に問えば、

「 あのときなんだか馬鹿なことをしたんだよなぁ。
  スリッパといっても古くなって、底がつるつるだったし。
  床が濡れていて滑りやすくなっている感じだったし。
  ほんとうに悔しいなぁ・・・・   」

そんな後悔の心がもたげてきて、肩は震え意気消沈してしまう。
問題解決へ向かおうとする問ではなく、
いつしか感情的に自身を責めたり不幸感を深掘りする。


過去の失敗を根掘り葉掘り聞き出されるのは
なんでそんなことになってしまったのかと後悔。
絶望的な問答を受けているようにも感じられ、
感情エネルギーは他への注意力を失わせる。
その感情エネルギーの消費ほど疲弊感を強め、
自らの活力を失わせるものはありません。

そのときの一瞬の事故にあわなければ、
今の自分は、
こんな施術者と話をするなんて煩わしい経験をすることなんてなかっただろうに。。。

そんなつらい思いを強いてしまうこともあったと反省しなければならない。
そう私自身を振り返る時もあります。


ただ、施術者たちだけが、
「なぜ?」と患った原因追求をする問を投げかけ続けているわけではありませんよね。





お客様自身の心も、
知らず知らずのうちに
なぜ?」という原因に目を奪われてしまう

「なぜ、こんなことに・・・」
という言葉の繰り返しをすることがあります。


「なぜ?」と原因を追求しようとして。
どれだけの益があるのでしょう。

長年に渡り患われた方は、
多くはもう十二分、同じ原因論的質問の仕方で自問自答を繰り返してきたのです。

それでも、かんばしい結果が出てこないだけでなくて、
「なぜ?」と問うて、
妥当な回答が得られずに落胆する経験を積み重ねてしまう。
後でずっしりと未消化の感情のすすが溜またことに気づくのです。

お客様自身が自身を責め立てるかのように
「なぜ、こんなことになったんだ」という言葉が
脳裏で囁かれたり叫ばれたりする。

その声から心が乱されて、
意気消沈させられた状態に追い込まれてしまう。
それがもとで建設的な行動へ出にくくしてしまうこともある。




もし、そうであれば
「なぜ?」という原因を追求しようとする問から
一旦離れる時期がきたのかもしれません!






私自身も、
かつてコーチングの考えを学ぶ前では、
自身の体があまりにも施術でしんどくなりすぎて、
多くの期間の休業を余儀なくされたときには。。。
「なぜ、自分一人だけが・・・」と孤独な孤立したような閉塞感から。

自分の要領の悪さや能力の低さを責め立てた日々を続けたことがありました。

そのようなあまりにつらい状況に心身が陥ると、
防衛的反応を起こさせて、
他の方々のもっとつらいだろう方々の状況を察する余裕がなくなっていたのかもしれません。

それ以上の傷を深めさせないように、
生への執着もあって生命を守るための極端なまでの省エネモードで意識も体も操るしかないという、
問題解決には程遠い抑止の機能が強制的に発動しだしていたようです。
脳で自動的に作動される、生命の危機を回避させようとするために起こした生理的な反応で、
身を守っていたということだろうか。。。



今、その当時を振り返ってみて。

もし、そのときに自問自答の質問の仕方を、原因論的な「なぜ?」から、
目的論にもとづいた「なんのために?」へと問を変えていったらどうだろう。


そう、考えてみたことがあります。



未来に得るためのしあわせにだけ、目を向けるのです。


そこで自身の感情に情熱が燃え盛るようなものも見つかるでしょう。
元来、施術者になろうというもののほとんどは、
自身のみを省みるよりもお客様にかかわり、
少しでも良い方向へ進んでいただけてともに喜びたい。
そんな動機から、この業界に入ってきたものばかりです。

私も、ご多分に漏れず、そうです。 ^-^


一生涯をつらぬく仕事を持つことの尊さ。
そこに施術を、私は選んだのです。

なにを、これから私はしていきたいのだろうか。成し遂げてみたいのか?

そのような、今日はこれをやりたいとか明日はこれというタスクレベルではなく、
自分の生きていくための根っこの部分を掘り下げて再確認していこう。
そうしたほうが、ずっと、気持ちが建設的にもなれる。
自身の過去を振り返って失敗を悔やむのではなく、
つらい経験こそ学びの教材として最良の糧となるといいきればいい。
おそらく実際にそういうものだろうと思います。

だったらなんらかの失ったものも多くあっただろうが、
反面、得られたものも数限りない貴重で価値のあるものもあっただろう。

そのような解釈で自身を振り返る習慣が、
ここ最近の私にはありますから。

正直、打たれ強くもなりましたし、
大胆に次の手を、次の手をと進もうとする勢いも得ることができました。


そして、
「何ら制約がなかったらどうなりたいのか?」
いきなりそんなことをいうと、現実的ではないと思われるでしょう。

ですが制約ばかりでがんじがらめの夢からは
確実に最初から夢をしぼんだ絵を描きだすだけ。
脳はしぼんた設計図以上のものには関心を向けることもなくなります。

だから、「自分が何のために今の苦境を乗り越えようとしているのか?」
または、「自身の問題が改善したら誰のために幸せをよぶのだろう?」

そんなことを想像しながら、
だいぶ体がヘタってきた時も
日々を前向きに送るように心がけています。


過去に起きたような過ぎ去った事実にばかり目を向けてはいませんか?

そちらの意識チャンネルから切り替えて、
未来に起こしたいこれからの幸福な姿を得ようとすることに意識を向ける。



向かいたい方向性を明確に描きだす。

実はこれは『 ソリューションフォーカス 』と呼ばれる、
コーチング手法の一流派で用いられるステップのひとつなのです。

ソリューションフォーカスの詳細はその書籍やセミナー等に譲りたいと思いますが、
実に使い勝手のいい、自身をやる気にさせてくれる手法だといえるでしょう。




たとえば、
ソリューションフォーカスを利用するコーチに
コーチングセッションを依頼された場合には、
次のような幾つもの段階のステップを経て手順を進めて、
解決志向アプローチをなされていくことでしょう。


〜 ステップ 1 〜

もし多年に渡り苦しい身体の状況を耐えながら、
ずっと今の今までがんばってくぐり抜けてこられてきた。
コーチがいれば乗り越えてきたかつての努力に対して、
話を聞かせていただいて、
「よく、がんばってこられました」など、
その方が送られてきた今までの人生で感じた感情を伺い
親身な言葉を語り、互いに目的の共有へ向けての序章がはじまります。

それから、、、


〜 ステップ 2 〜

「今後向かいたい方向性は?」

  【質問に対してのクライアントの反応や回答が続く・・・】


〜 ステップ 3 〜

「あなたは、なんのために、その状態をよくしたいのですか?」
「それがどうなればいいのですか?」

  【質問に対してのクライアントの反応や回答が続く・・・】



〜 ステップ 4 〜

「それならば、それを叶えるための使えそうなアイデアやモノや人材は?」

  【質問に対してのクライアントの反応や回答が続く・・・】


〜 ステップ 5 〜

「その解決へ至るまでの距離は、現時点からどれくらいなの?」

  【質問に対してのクライアントの反応や回答が続く・・・】



〜 ステップ 6 〜

「じゃあ、その解決へ向けての小さな第一歩って?」

  【質問に対してのクライアントの反応や回答が続く・・・】


〜 ステップ 7 〜

「その小さなステップを登ってみて、どんな変化が起きた?」

  【質問に対してのクライアントの反応や回答が続く・・・】



というような流れを基本にして
順次解決へ向けて進みつづけるために
協力し合いながら進んでいく。


その仕組通りにやってみて、
得られる価値に驚きました。


私は少しも優秀なコーチではなく、
これからもっと学ばなければと思うところなのですから、
なっていないところも多いのですが。

現に優秀なコーチにコーチを依頼して、
そこにクライアントも自身の未来を素晴らしい物へと描くよう務められれば、
明るい気持ちで問題解決へ向かい意識を集中していく助けになるだろうと思います。
やはり自分一人でノートで筆記するだけでは、
いつもの自分の殻から外に出ていくきっかけはえられない場合がほとんど。
それがプロコーチとして結果をだそうと、
クライアントの将来を飛躍させられるような言葉を発してくれたら、
逃さず最大の笑顔で
「あなたは、素敵じゃないですか!そういうことをなさりたい人なんですね」
と感情を込めてクライアントの意識に深く刺さるように
前向きで建設的な方向へ考えるのが自然に思えるような
強力な波を起こして乗せて行ってくれますから。
コーチという他人が関わることの凄さって、あるんですよね。






以上、かなりながながとした長文。
かつ読みづらい文章をお読みいただけたことに、
深く感謝いたします!!


「なぜ?こうなってしまったんだ・・・」という自問自答は、
やり過ぎれば、負のループスパイラルに陥るときもある。

もしそうなっていそうだと感じられたなら。

ぜひ、そこから抜けだして、
「何のために?」というこれからへ明るいスポットライトを
必死に照射して未来を描いてみませんか?

そして口に出した夢へと進むための
ほんとうにささやかすぎるほどのスモールステップを
時間をかけながら着々とこなし進んでいく決心をしましょう。

ちりも積もれば確実に山になるんです!!


慢性化した疾患や、
心的なトラウマ等を持っておられる方には、
原因論的に自身の体の様子を捉える傾向があるように思えます。

それに当たりそうもない方も多数おられるのですが。

こういったソリューションフォーカスのようなコーチングセッションを
幾度か繰り返しやっていくうちに、
考え方や思考グセが、
いつしか感情を傷つけることもある原因論偏重から、
結局はしあわせを求めて人は生きればいいという目的論へ。

だんだん思考慣れが始まっていきます。



そしてこれまたケース・バイ・ケースではあろうとはおもいますが、
目的論的な見方で自身の望む未来へスポットライトを当てて
そこを丁寧に観るようにしていったほうが、感情のストレスが減る。

おそらくそんなのも手伝ってか、
かなり原因論から練習で目的論的思考慣れをしておくと、
体の筋肉の緩み具合も調子がいい状態で維持しやすいようです。

逆に慢性的な患っているところがあったりしつつ
原因論的に自身を責め続けようとする習慣があると、
こころなしか感情エネルギーの浪費から心も疲れが出て
体の緊張も進みやすいように思えるのです。



これは直接的に圧をかけて施術をするというようなことではありませんが、
私は自身の思考パターンの最良化を試みた分だけ、
身体もそれに少なからずリンクして調子が良くなるように思えてなりません。





posted by スズキ at 14:30| Comment(0) | 心理的なこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

自作てい鍼と邪気のリリース

私が自作てい鍼を用いたとき。

一番最初にイメージして思い出したことがあった。

筋膜の癒着が進んだ部分の皮下組織には『瘀血(おけつ)』と呼ばれる
体内の筋膜同士を仕切りなめらかに滑らせる潤滑油が枯渇し酸化しだす。
潤滑油の働きが劣化して筋膜同士が粘りだせば、
サクサクとサラサラと動く感じが消えていきます。



そのような状態が起こる部位の一部に、
興味深い状態が観察することができた。

そのような瘀血が生じている部位の周囲や同位置には、
電気信号が正常にいかせられなくなるようなバランスの乱れが生じている。

それを患部の下に「邪気」があるという場合がある。
活性化した状態とは遠くなった肉体組織の周囲に手をかざしたり接触をすると、
訓練を積んだ手先では鋭敏に違和感をその場に感じ取るようになる。

ときとして肉体という温かみのある状態のはずの部分からヒンヤリした凍てつく冷たさを感じる。
ときとして血が内側でうっ滞しているようなほてってのぼせるような部位に感じられたり。
そればかりではなく、患部に接触することで接触者のエネルギーを持っていかれる感じを受ける。

邪気についての詳しい本には、私が好きな本に、下記があります。

邪気論―見えない身体への一歩

著者は鍼灸院を営んでいた方だそうです。
こちらは私には興味深い内容が多くて、
注意深く邪気との接触を回避するような工夫をするときの参考にさせていただいておりました。


体の表面上では異変や邪気の内在については目に見えないのだが
強烈な陰に傾き生気を奪う場合は、長年施術をしているものが見逃すはずはありません。

私も、その内側にある邪気をどのように対処すべきか。
実際、下手な手出しの仕方をしていけば、施術者の手は冷たく冷えきって、やがて生命力が枯渇しだす。
そのような危機をむかえることがあります。

私自身、かつて長らく休業を余儀なくされた時がありましたが、
多くは自らの身体操作の未熟さ等が第一義的問題でありましたが、
それに負けないほどの邪気の影響を受け取りやすい体質でもあったようで。。。
というか、、、現在進行形で、そうであるのですが。 
自分の体質が感受性の高さから影響を他者から受け取りやすいもので仕方ありません。

私がここ数年の間、施術のときに患部の位置を正確に見極めるためにお客様の患部に手を接触する以外は、
あまりお客様の体に触れることがなくなったというのも、
実は邪気の影響を直接施術者自身の内側に取り入れないようにするという目的があります。


施術での圧を手で患部に直接か、
または衣服越しでかけたときにどっと内側に邪気が入り込む感覚があります。
施術者の私自身の気を流していく意識を用いてリリースをしようという場合。
コリにより気の栄養不足となったお客様の硬化した筋部分に
電気的か磁気的かは正確にはわかりかねますが、
一種のエネルギーを補完的に補充するようなやり取りを行なっているのです。

だからお客様の体のボディチェックをするときに
体の中の硬化した部分を確認するという場合のみに限定していました。
その際には「気枯れ」という邪気という栄養不足の組織が気を満たされずに
他から気を補充しようとする作用による影響をうけづらい状態でした。

私が独自に編み出して行なっている
ブロックを挟んで圧をかける方法では、
気を抜かれる感覚があまりありません。

ちなみに邪気というものについて私が感じた個人的な感触では、
邪気の電気的なネガティブな気の影響は、
磁気に似た数センチやそれ以上の間を開けても
強力なネオジム磁石同士だったら距離があっても影響し合えるのだが。
邪気に意識を合わせて、その影響範囲のフィールドに入ると、
数十センチの距離を離れていたとしても、
確実に気を抜かれていくような気がする。

自作の重量感あるブロックを利用してずり圧をかけるときは、
そのブロックにつかわれているものは伊勢ゴロタや姫川薬石、麦飯石等の力ある石。
これらの石が私とお客様の間に挟まれると
邪気のやり取りをしなくてしむことに気づきました。


ちなみに、
健康だと自覚している人でさえも、
瘀血や邪気が内側に潜んでいる人がほとんどのように感じています。
その量の大小により、施術を受けていただいたほうがいいのか、
それとも自らストレッチやセルフマッサージでいいとすべきか、
アドバイスを変えることもでてきます。
職業柄、私はそのような邪気の場所や影響範囲を見抜くのは得意だと思います。

だからもちろん私にも特定部位に邪気がずいぶん蓄積しているが奥まってしまい処理に困るエリアがあって、
瞑想や運動によるエクササイズをすることでも邪気を低減させる。
そのような意識で一生懸命対処していこうとしているわけです。
ただ、、、がんばってもまったく抜けてくれない内側に引っかかりっぱなしの厄介な部分があります。
瘀血については、
それは筋膜リリースをする過程で、
筋膜と筋膜の間に挟まれた滞留したまま古く劣化した潤滑油を筋膜リリースで
本来処分するためのルートへと流し去り排泄させることができるのですが。。。

邪気は、どうも意思や意識があるかのようで、
ここにいたと見つけて狙えば、その様子に気づき狙いをかわそうとしてくる。
攻撃されそうならその場を移動してみたり、
他の部位に痛みを生じさせて気を惹きつけようとする。
まるでネズミとの闘争のような感じですね。

そんな厄介なところもあるのですが、
実は私自身が自作したてい鍼で自分で徹底的に使用感や起こる現象を追っていたとき。

このネズミとの闘争が自作てい鍼で狙いを定めると、
それほど大胆に邪気に逃げられることなく体外に出せるような感触を得ることができた。

繰り返し繰り返し日を追って自作てい鍼で圧をかけるアプローチをしていくうちに
「そういえば、自身の内側にある邪気が抜けてきているぞ」と気付きました。

調子が良い反面、体が新たなシーンを迎えたかのように敏感さが増してきて、
体調的には自ら内側のアラ探しをしだして改善の苦しみを感じ始めていった。


そこまではよかったのだが、
実は施術で自作てい鍼を使いだすと、
お客様の内側にあった邪気に大きな動きが出てきて、
私自身の体に強力過ぎる影響が出始めた。

それが先月のはじめ頃に私が意識がずいぶん朦朧とする手前まで来た体調の不調理由だったのです。

邪気とは本来あるべき活性化した気が失せて硬直酸化した気が枯れた部分です。
その気が枯れた状態を、
自作てい鍼で患部を軽くこすることで
施術者の私の気がお客様の患部に流れだし、
足りなくなっている気を補うことになっていたのです。

するとそのようなアプローチを日に幾度も繰り返せば、
どうなってしまうものか。

実は、以前、幾度も一年以上仕事ができなくなり休業をせざるを得ない状況に体が陥ったとき。
体重が激減して体がやせ衰えてきたというのも、邪気との戦いに敗れた結果でした。
2度ほど、真面目な話ですが、自らの脈を見て。
「やばい、脈が整いすぎる状態になった・・・」という死脈という命が無くなる前の脈が出たり。
多くの負けを経験してきたわけです。

それもあって、重量感あるブロックを施術で使うようにして、
お客様の体に圧をかけるために触るという選択をこっそりと回避する施策を採用するようにした。

そのおかげで、一昨年前にも、またまた体調を崩して休業した時があったのだが、
その際には長年に渡りごひいきにしていただけていたお客様が私が半年ほどで施術を再開したとき、
「あらぁ〜。どうしたの?今回は復活が早いじゃない」とおっしゃっていただけました。 ^-^;

ひとつ1〜3キロもある重量ブロックを数十も使うことで施術をしてきたので、
私の筋肉にかかる負担は信じられないほど膨れ上がったわけですが、
実は邪気を受け取ることがないような手立てをとっていたため。
肉体疲労の極度な状態ではあったのですが、
気枯れはしていないですんでいた。
単に肉体が蝕まれるだけでしたし。

自らの気を削がれ、
精神がガタガタになるほどまでではなかった。
気枯れした例年でしたら、
うつに近い状態にまで追い込まれましたから。
それがまたつらかったですよ〜。

かつて気枯れが起きたときには、
そのストレスは脳髄を守れなくなり、
内臓部分の自身の潜在的に弱いウィークポイント部分が病んでいくようだ。
かつて、気枯れがひどく激ヤセしたときには骨格筋のコリよりも内臓部分に潜んだ不安を察知していて、
そちらの不安感のほうが差し迫ったものであった。

まさに家族に、そしてお客様にも迷惑をかけて、
恥を忍んで長期休業をさせていただけたため
どうにか生き残れたのです。。。


実は、、、
今回、自作てい鍼を通してお客様の邪気、
つまり陰に傾いた生命感を失い栄養不足となった気を私が補うことで施術成果を出すというものでして。
その作業が自作てい鍼を使って軽くこするというところの水面下では起きています。

やはり案の定、邪気が抜けた後のお客様の体の状態は、
大きく成果が現れていました。
それはここ最近になって、前回、自作てい鍼を使って邪気部分の気が補われた後に体調の安定度が
飛躍したお客様の人数が多くて。。。

改めて邪気を抜くことの重要性を実感しました。

ただ、、、
かつて、幾度も体験し苦湯を飲んだ危険な状態ですから、
どのような意味がそこに暗喩されたものかはわかります。
やはりかつて体験したときの肉体を削がれるもの以外の、
その奥の部分が削り取られるきな臭いものを感じました。



無論、そのまま気枯れをするままに
手をこまねいて対策をとらないわけではありません。


自作てい鍼を使う際に
夢で見て得たヒントで
自作てい鍼を鹿革で包めば、
私自身に気枯れへのダメージを与える量が1/4ほどは軽減するのだとわかりました。


他にも、
気枯れを補うための対策をプロとして必死にしてまいりまして。
荒唐無稽なやり方でも可能性があれば、
緻密に計算してとりいれていくように。


自作てい鍼という「てい鍼」というイメージを取り除いて、
真鍮製のただのマッサージ棒ですという意識に私の脳内回路をすげ替えれば、
これほどの邪気との格闘はすっぱりなくせると思います。
でもそこは登らずに、新しく創った生み出したものを潰したくないですよね。

まだまだ気枯れ対策のほうは攻めていかねばならないのですが、
今回の自作てい鍼を使わせていただくことも手伝って変化してきた成果を観て感じれば。

そしてお客様の姿や笑顔を見れば、
特に長年通っていただけているお客様の最終講としての仕上げになったかのようにも勝手に感じていて、
それがかなえられて本当によかったなぁと感じています。

今の現実を逃げないで、諦めないでいくようにするのも、悪い話じゃないと思えている。


posted by スズキ at 05:32| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする